小説「ジブンのみち」

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67辻っ子のお豆さん ◆Y4nonoCBLU
「あいつが斉藤美海。静岡支部が推薦してきた才女だとよ」

藤本美貴が手元の資料を読み上げる。
このVIP観覧室には、藤本となっちの二人しかいない。
なっちはまるで子供みたいにはしゃいで、試合会場を見下ろしていた。

「知ってる。紺野をライバル視して燃えてるらしいよ」
「相手の方は…高橋流?聞いたことねえな」

その名を聞いた瞬間、子供みたいにはしゃいでいた安倍なつみの表情が変わった。

「聞き覚えあるべさ。でも多分、気のせいだと思うけど…」

安倍なつみが興奮すると訛る癖を持っていることを、藤本は知っている。
(久々に聞いたな、北海道訛り。高橋流ねぇ…)
藤本が会場に目を向けていると、なっちが同じく会場を見下ろしたまま言った。

「美貴。念のために紺野をここに呼んでくるべ」
68辻っ子のお豆さん ◆Y4nonoCBLU :03/09/29 00:33 ID:Y0U24MSm
「高橋流柔術。高橋愛。18歳」
「夏美会館空手。斉藤美海。18歳」

審判が二人の所属、名前、年齢を順に呼称する。
「なつみかんにメチャクチャ強い子がいる」という亜弥の言葉を思い返す。
果たして目の前の娘がそうなのだろうか?
控え室で見たなつみかんのもう一人の方は、なんだかトロそうな顔をしていた。
(こっちの可能性が高そうや。体格もいいし…)

「何ジロジロ見てらっしゃるの?」
「フワァ。何でもね、イヒヒヒヒ…」

笑ってごまかす。斉藤美海はまるで下賤な生き物を見る目つきで愛を見下す。

「これだから田舎者は嫌ですわ。礼儀も知らない」
「んなことねーぞ。それに新幹線で見たけど静岡も結構田舎やったって!」
「っ!!失礼な人!いえ人と呼ぶのももったいない。オラウータンでいいわ」
「おめぇムカつくなぁー」
「オラウータンは言葉も下品ね。秒殺してさしあげますわ」
「それはこっちのセリフやぁー!行くぞー!」
69辻っ子のお豆さん ◆Y4nonoCBLU :03/09/29 00:33 ID:Y0U24MSm
斉藤美海。来年はようやく全国大会に出場できる年齢となる。
あの怪物里田舞に匹敵する潜在能力を秘めていると、褒められながら育ってきた。
さぞや派手な全国デビューを果たすだろうと静岡支部では期待されていた。
ところがその注目を横取りしていった娘がいた。
それが紺野あさ美である。年齢を偽って全国大会に出場し里田を破ってしまった。
東京の本部やマスコミを含めたあらゆる期待が、紺野に向けられてしまった。

「卑怯な真似を!許せませんわ。紺野あさ美!」

それで斉藤美海は打倒紺野を目指し、必殺技に磨きを掛けていった。
長く伸びた足と柔軟な間接から繰り出されるかかと落としである。
この必殺技を紺野あさ美に見舞う為に大会に出場したといっても過言でない。

(フフ…オラウータンで試し撃ちとしましょうか)
「はじめ」の合図と共に突進する愛。
斉藤美海は何度も練習してきたタイミングで右足を振り上げる。
(私の美技は回避不可能ですわよ。くらいなさい)
刃の様に鋭く、自慢のかかとを振り下ろそうとした…まさにその瞬間、視界が変わる。
(何ですの?天井?倒されている?私が?)
前を向くと、軸足を抱え込む愛の姿があった。

「自分から片足上げて、こんな不安定な体勢。倒してって言ってる様なもんや」
70辻っ子のお豆さん ◆Y4nonoCBLU :03/09/29 00:37 ID:Y0U24MSm
美海はすぐに起き上がろうと体を横に捻る。
それよりもさらに一回転早く、愛が美海の足を捻り締め付ける。
右足から激痛が美海の全身を駆け巡る。外そうにもガッチリ決められどうにもできない。
プライドが高かった。絶対に悲鳴なんてあげたくない。ギブアップなんてしたくない。
(紺野あさ美を倒す為にわざわざ静岡から出てきたのよ)
(こんな所でこんな奴に負ける訳には…)

「イヤアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」

上品さもプライドもかなぐり捨てた悲鳴が、見海の喉から絞り出る。
同時に審判が試合を止める。そして勝者の名を高らかに発した。

「そこまで!勝者!高橋愛!」
「おっしゃあー!」

美海の足を離すと、愛は飛び起きて勝利のガッツポーズを見せた。
まだ起き上がれない美海は下から、自分をこんな醜態にした憎き相手を見上げる。

「斉藤美海!高橋流の記念すべき公式戦最初の犠牲者として覚えたげるわぁ!」

にこやかに語る愛。美海にとって倒さなければいけない敵が変わった瞬間。
そして会場にいる全ての選手観客達に高橋流柔術を知らしめた瞬間であった。
71辻っ子のお豆さん ◆Y4nonoCBLU :03/09/29 00:37 ID:Y0U24MSm
「強い…ですね」

普段から大きい目をさらに大きくして紺野は言った。
その瞳はずっと試合場に立つ一人の娘に向けられている。
隣で嬉しそうな顔をしながら、なっちは紺野の様子を見ていた。

「どうやら間違いじゃなかったみたいね。あれは高橋流柔術だ」
「それは何ですか?館長」
「戦国時代からずっと闇で伝えられてきたって武術さ。なっちも噂でしか知らないけど」
「闇…」
「倒すのに3秒、決めるのに6秒、計9秒だ。無駄な動きがまるで無い」
「…」
「怖いか?紺野」
「押忍。あ、…いえ、怖いのとは違うと思います。でも変な感じです」
「勝てそうか?」
「…勝ちます」
「そっか。いいよ控え室戻りな。そろそろウォーミングアップしなきゃね」
「押忍、失礼します」

拳を握って頭を下げ、紺野はVIP室を退出した。
72辻っ子のお豆さん ◆Y4nonoCBLU :03/09/29 00:38 ID:Y0U24MSm
それまで二人の会話を黙って聞いていた藤本美貴がようやく口を開く。

「変な感じだって。あいつ全然わかってねえな」
「初めてなんでしょ」
「全国大会でもこないだの北海道でも、仏像みたいに無表情だったくせによ」
「自分が喜んでいることに気付いていない。紺野らしい」
「…でもどうすんだ?マジで紺野が負けたら」
「別に。なっちの遊び道具が一つ増えるだけだべ」

なっちの表情に一瞬影が差したことを、藤本は見逃さなかった。
安倍なつみという女は愛嬌もあり自らを慕うものに優しいが、
自分の障害になる者を冷徹に廃除するという一面も持ち合わせている。
(大変だな高橋流。間違って紺野に勝っちまったら安倍なつみを敵に回すことになるぜ)
(まぁ私にはどっちでもいいことだけど…)

「だけど逆に良かったかも」
「ん、何が?」
「あの高橋って子が、隠れてた紺野の牙を表に出してくれるかもしれない」

安倍なつみが語る紺野の牙。
しかしその片鱗はすでに開眼し始めていた。
73辻っ子のお豆さん ◆Y4nonoCBLU :03/09/29 00:43 ID:Y0U24MSm
巨漢のサンボ選手が弧を描いて宙を舞う。
鮮やかな一本背負い。だがそれだけで終わらない。
倒れた所を馬乗りになり殴る、さらに殴る。
慌てて審判が止めに入った時には、サンボの娘はすでに意識を失っていた。
これが喧嘩柔道「越後の虎」小川麻琴。二回戦進出。
威風堂々と壇上を降りる麻琴を、愛が待ち受けていた。

「やりすぎやって、麻琴っちゃん」
「フン、弱い奴が悪いんだよ。愛、お前も準決勝は覚悟しとけ」

麻琴が愛を睨みつける。彼女は4年前のリベンジを忘れていない。
第一試合の勝者である愛と第三試合の勝者である麻琴は順当にいけば準決勝でぶつかる。
雑魚には興味ない、すでに麻琴の視線は愛のみに注がれていた。
そのとき二人の背後から芯の強い声が聞こえた。振り返るとそこに立っていたのは…

「どいてくれませんか?次、私の試合なんです」
「誰だお前?」
「夏美会館の紺野あさ美です。どいて下さい」

大人しそうな顔つきだが、物言わせぬ迫力を秘めている。
渋々道を譲ると、紺野は一瞬愛に目をやり壇上を上っていった。
74辻っ子のお豆さん ◆Y4nonoCBLU :03/09/29 00:43 ID:Y0U24MSm
これまでで一番の歓声が会場に沸き起こる。
第四試合、夏美会館の秘密兵器紺野あさ美の登場である。
大半の観客は、この紺野が昨年の夏美館王者里田を破ったことを耳にしている。
対戦相手は長身のキックボクサー、身長差は20cm近くある。
並び立つとその差が顕著に現れる。このハンデを紺野がどう捌くか?

「はじめ!」

先に動いたのはキックボクシングの女、右足のローキック。
これを紺野は教科書通りに左足でブロックする。ダメージはない。
お返しとばかりに紺野が同じ右ローキックを放つ。
相手も左足を上げ、これをきっちりガード。
互いに一発ずつ。挨拶代わりの小手調べといった所…のはずだった。

「うあああああああああああああああ!!!!」

立ちのぼる悲鳴。キックボクシングの女が左足を抱え、苦悶の表情で床を転げ回っていた。
慌てて審判が試合を止める。紺野は静かに構えを解く。
観客もまだ何か起きたのか理解できていない。審判が腕を振り叫ぶ。

「勝者!紺野あさ美!!」

物凄いどよめきに会場は揺れた。
75辻っ子のお豆さん ◆Y4nonoCBLU :03/09/29 00:44 ID:Y0U24MSm
ただのローキック。しかもブロックの上からの。
その一発。文字通り一撃で勝敗を決してしまったのである。
担架で運ばれる対戦相手を尻目に、紺野は無表情のまま壇上を降りる。
別段たいしたことはしていない。そんな顔だ。

「どいてくれませんか?」

通路で立ち尽くしていた愛と麻琴は、また先程と同じセリフを受けた。
退場の邪魔という意味だった。しかし麻琴はこれを挑発と受け取る。

「けっ!そ、それくらいで調子に乗んなよ、てめぇ!」
「乗っていませんけど」
「二回戦、楽しみにしとけよ!私はああはいかねえからな!」

驚きを隠す為の強がりだった。紺野は応えず、通り過ぎようとする。
愛が脇に下がったので、紺野はそちらから進んだ。

「おめぇ、強えな」

ちょうど前に来たとき愛が口を開いた。紺野は一瞬視線を愛に向けた。
何か言いかけたが、結局口は開かず会場を後にした。