小説「ジブンのみち」

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51辻っ子のお豆さん ◆Y4nonoCBLU
「松浦、お前夏美会館の大会に出場するんだってな」
「はいっ」

ハロープロレスの道場で練習していた松浦に、訪れた石黒が声を掛けた。
なつみかんの大会の話はもう全格闘議界に知れ渡っている。

「俺も社長と一緒に観戦に行く」
「ジョンソン飯田さんと!本当ですか!?」
「ああ。わかってると思うが、お前はうちの代表として扱われる」
「はいっ」
「出場るからには当然、勝ってこい」
「そのつもりです」
「たとえ相手が高橋愛であってもだ」
「もちろん♪」

言うと同時に左右の拳をサンドバックへ叩きつける。
激しい音を立ててサンドバックは宙に揺れた。
松浦亜弥の顔には氷の瞳と強烈な笑みが張り付いていた。
52辻っ子のお豆さん ◆Y4nonoCBLU :03/09/20 23:33 ID:aJFZvi35
「ただいまぁ〜」
「クオラァ!練習をさぼって何処ほっつき歩いとったんじゃ麻琴!」

実家の門を開けると、道場からけたたましい怒鳴り声が聞こえた。
その声の主こそ、かつて講道館で天才の名を欲しいままにした男、小川五郎である。
しかし麻琴は偉大な祖父を敬うどころか、顔をしかめて言い返す始末であった。

「うるせえじじい!人の勝手だろうが!」
「おのれ生意気な口叩きおって、根性叩きなおしてやるわ、来い!」
「もうその手にゃ乗らねえぞ!私は忙しいんだ!」
「フン!例のナンタラ言う大会のことか?」
「わかってんじゃねえか。だから私はてめえの柔道に付き合ってる暇ねえの」
「ケェー!柔道も満足にできぬお前に『ばーりちゅーど』なんか百年早いわ!」
「バーリ・トゥードだ!じじい!」
「コラ!待たんか!」

麻琴は荷物を放り投げると、そのまま家を飛び出した。街へ出て喧嘩する為だ。
(実践こそが何にも勝る修行!)
彼女の視線の先には、すでに女子最強の文字しか見えていない。
53辻っ子のお豆さん ◆Y4nonoCBLU :03/09/20 23:33 ID:aJFZvi35
夜遅く、高橋流柔術の道場には愛と父と祖父の姿しかない。
祖父の手には一本の巻物が握られている。

「どうしたんやって、お父さん、おじいちゃん」
「聞きなさい愛。いや高橋流33代目当主よ」
「え?当主?」
「今度公の大会に出場するそうだな」
「うん、ダメ?」
「止めはせん。これも時代の流れか…」
「高橋流柔術は400年もの間、その実践的性質より裏世界に徹してきた」
「なんか難しい話やの」
「愛、お前は高橋流400年最高傑作だ。お前ならば先代達も納得するはず」
「これから秘伝奥義を授ける。その瞬間からお前が当主だ。よいな?」
「よーわからんけど、わかった!」

あっけらかんと愛は返事した。
厳格な顔つきで父が頷く。祖父はゆっくりと巻物の紐を解き始めた。
この夜、高橋愛は高橋流柔術33代目当主となる。
54辻っ子のお豆さん ◆Y4nonoCBLU :03/09/20 23:41 ID:mrRleKhT
雄大なる北の大地を、少女はただひたすらに走り続けた。
少女の名は…紺野あさ美。
この夏開催された夏美会館空手全国トーナメントに、年齢を偽って出場。
1回戦で王者里田を破り、一部で伝説となった少女である。
その大事件に関して、本人は特に顕著な反応を示してはいなかった。

「私の空手が里田さんの空手を上回っていた。それだけです。」

インタビューにはこんなコメントだけを残し、当人はとっとと練習に戻っていった。
とにかく練習が好きな少女だった。反復練習を苦に思わぬ性格をしていた。
誰かが止めなければ拳の皮が剥けるまで正拳を撃ち続ける。
誰かが止めなければ足が悪くなるまで走り続ける。
基礎を大事にし、空手を愛し、夏美会館に命を懸ける少女であった。

「紺野ちゃーん。本部からお客さんだよー」

先輩の呼ぶ声にようやく少女は足を止めた。
(本部から?誰だろ?)
札幌支部の道場に戻ると、見たことのある女性が待っていた。
55辻っ子のお豆さん ◆Y4nonoCBLU :03/09/20 23:41 ID:mrRleKhT
「よぉ、私が誰だか分かるか?」
「はい…藤本美貴さんですよね。今年全国優勝した」
「フゥン、お互い顔と名は知ってるが、きちんと話すのはこれが初めてって訳だ」
「貴方の様な凄い人が、こんな遠方までどうしたのですか?」
「お前と闘りにきた…って言ったらどうする?」

ザワッ、空気が揺らぐ。
立ち聞きしていた周りの門下生達に緊張が走った。
今年の全国王者と、昨年の王者を粉砕した伝説の少女である。ただで済むはずがない。
近づくだけで切り裂かれる様な猛々しい闘気が、藤本の体から放たれている。
しかし紺野はそれにたじろぐどころか、まるで動じず答えた。

「館長がそう言ったのですか?」
「ハァ?」
「館長がやれと言うならやります。でも理由がないならやりません」
「なんだお前、人に言われなきゃ喧嘩もできねえのか?」
「はい」

表情一つ変えず、紺野は言い切った。呆れた藤本は闘気を引く。
(やれやれ…うちは変な奴ばっかだ)
56辻っ子のお豆さん ◆Y4nonoCBLU :03/09/20 23:42 ID:mrRleKhT
「安心しろ、冗談だよ。今日はなっちの使いで来たんだ」
「館長の?」
「ああ、お前。正月に開く総合トーナメントの話聞いてるか?」
「いえ」
「何だぁ?練習ばっかしてニュースも見てねえのか」
「はい、練習ばっかりしてました」
「…あーそ。まぁいいや。詳しい話はなっちに聞け。ほら行くぞ」
「え?どこへ?」
「東京だよ。なっちがお呼びだ。まさか嫌とは言わねえよな」

紺野は目を丸くする。安倍なつみ、小さい頃から憧れてきた人。
その人が自分に会いたいと呼んできた。紺野にとってこれほど嬉しいことはなかった。

「はいっ、行きます!」
「ケッ、やっと表情を変えやがった」

紺野は足早に自宅へ帰り荷物をまとめた。
両親に旅立ちを告げると、振り返りもせずに家を走り出た。
北の台地で育ち、憧れの人物を追い空手に打ち込んできた少女が…今、飛び立つ。
紺野あさ美、東京へ。

第二話「なつみかん」終わり