「おもしろい話でしょ?」
ソファとテレビと観葉植物がひとつ置かれただけの質素な応接室。
女はソファに腰を下ろし、人懐っこい笑みでそう言った。
彼女の手に握られたスポーツ新聞の一面には、大文字で女子総合トーナメントとある。
この人懐っこい笑みを浮かべた女こそ夏美会館の総帥安倍なつみである。
ただ座っているだけで、何とも形容しがたいオーラを放っている。
ここは夏美館本部の館長室。部屋には安倍なつみ以外にもう一人いた。
窓の枠にもたれ掛かり、気だるげな空気を持つ女である。
「別におもしろくはねえよ。私は関係ないんだし」
「そう言うなって。いずれ美貴の為の大会も開催するべさ」
「これは誰の為の大会?」
「知ってるくせに。紺野だよ。あの子を貴方の所にまで持ち上げる大会さぁ」
「私の?笑えないね」
美貴と呼ばれる女、藤本美貴は凶暴な獣を潜めた口元をヘの字に曲げた。
全国に数千いる門下生の中でも、なつみにこの様な言葉遣いをするのは彼女だけだ。
紺野あさ美という娘の名は美貴も知っている。
それは今夏開催された夏美会館空手全国トーナメントの出来事である。
年に一度開かれ、全国の支部から猛者が集まり頂点を競う大会だ。
出場規約に18歳以上とあった。
今年の大会は、初出場の藤本が圧倒的強さで優勝を収めている。
決勝戦の相手は昨年の優勝者である怪物里田舞であった。
藤本はこれを秒殺、一回戦から決勝までの全てを秒殺で決めた。鮮烈デビューであった。
しかし怪物里田舞を破った者が、藤本以外にもう一人存在したのだ。
それが里田の一回戦の相手、紺野あさ美である。
紺野あさ美、初出場であり全くの無名。試合前は誰一人注目する者はいなかった。
実はこの紺野あさ美、当時まだ17歳。出場権利を持っていない。
年齢を偽装して出場したのだ。そしてなんとこの紺野、間違って里田を破ってしまった。
年端もいかぬ高校生が、全国優勝者を倒してのけたのだ。
それも何一つの不正も迷いもない、堂々たる空手技でである。
その試合の後、身元が割れ紺野は失格となり、里田が繰り上げ勝者となった。
里田が不調であった訳ではない。
その証拠に怪物は敗戦の傷を負いながら決勝にまで上り詰めている。
流石にそこで力も尽き果て、藤本に秒殺という恥ずべき結果を許してしまったのだが。
しかしこのようなこともあり、紺野の名は優勝者藤本と並び一気に全国へ広まった。
「なつみかんトップクラスの実力を秘めた謎の女子高生」として。
「なっちはね。女子格闘技界をもっともっとでっかくしたいんだ。
その為にはスターが必要なの。皆が憧れるくらいの強さを持ったスターがね」
「よく言うぜ。なっちさんよぉ。あんたが自分でなればいいんじゃねえの?」
「馬鹿ね。なっちじゃ圧倒的に強すぎておもしろくないでしょ?」
安倍なつみはこういうことを平然とした顔で言ってしまう女なのである。
そしてそれを否定させないだけの圧力を有している。
藤本はすでに慣れており、口端を少し動かしただけで、もはや何も言い返さない。
「で、今度の大会で紺野をそのスターに仕上げるのよ」
「それが大会の本当の目的か。きれいな建前並べてたくせによ…」
「アレはアレ。アレも本当に思ってたことだべ。美貴も舞台が欲しいでしょ」
「否定はしねえな。でも一番欲しいのは…」
「一番欲しいのは?」
「安倍なつみとやれる舞台」
藤本の体から獣臭溢れる闘気がほとばしる。
しかし安倍はそれを全く気にすることなく、満面の笑みで藤本の肩を叩き言った。
「エヘヘ!おもしろいねそれ。うん、いつかやろうね」
安倍なつみの笑顔には不思議な力が秘められている。
闘気むき出しの藤本が、すっかり毒を抜かれてしまった。
(…ったく、喰えない奴だ)
「でも今は紺野だべ。大会の事とかあの子に直接話したいな」
「たしか札幌支部だったな。いいぜ、私が連絡つけといてやるよ」
「へえ、美貴が?珍しいこともあるもんだね」
「別にぃ」
美貴は軽く肩を竦めて見せた。
なつみはテレビのリモコンをひょいと掴むと、無造作にチャンネルを切り替える。
「ほら、ちょうどやってるやってる」
スポーツ速報ニュースが流れていた。
なつみの顔写真と、18歳以下女子総合トーナメントの話題が流れる。
時は元旦、場所は武道館。来年度最初のビックイベントとなる。
そのニュースをニコニコと嬉しそうに見つめるなつみの姿があった。
変な奴…と藤本は思った。