第12話「プロレスの神様」
あの光景は生涯忘れることは無いだろう。
四角いリングの上、金色の光を全身に浴びて立ち尽くす後ろ姿。
聖なる鐘が鳴り響いたとき――――
そう。
飯田圭織はプロレスの神様になったんだ。
あの頃はまだ若かった。怖いものなんて何にも無かった。
デビューして、とにかく目立つことばかりやって、名を上げようって。
私は鼻にピアスを開け、圭織は前髪揃いすぎ。外見からしてそりゃあ派手だったさ。
「クロエ石黒よろしくぅ!!」
「ジョンソン飯田よぅろしく!!」
二人でタッグ組んでデビューして、すぐにプロレス界のトップスターになるつもりだった。
けど、いつの時代でも、出る杭ってのは打たれるもんだ。
ある晩、私と圭織は呼び出された。
「服従か?半殺しか?」
当時の女子プロレス…いや全格闘技界において、最強という二文字はこの女の為にあった。
中澤裕子。その名は絶対的な存在。
彼女とその門下T&Cが格闘技界を仕切っていたと言っても過言じゃない。
私たちを呼び出したのは、その中澤裕子とT&C四天王の5人だった。
中澤は後ろで悠々と椅子に座り、四天王が私達を脅迫するのを眺めていやがった。
T&Cの一人、稲葉貴子の問いに対する答えは私も圭織も同じ。声を揃えて言ってやった
「お前らを半殺し」
怖いものなんて何にも無かった。
中澤裕子の合図で奴らは一斉に襲い掛かってきた。上等!
トップレスラー4人vs新人レスラー2人。
勝負なんておキレイなものになるはずもなく、どっちかっつうと集団リンチだったな。
顔の形変わるくらい殴り飛ばされて、私は鼻ピアスも千切り取られた。
圭織なんか命より大事にしてた長い黒髪を切り裂かれてた。
本当に半分死んじゃいそうな状況で、それでも私は瞳にこいつらのツラを焼き付けた。
稲葉。信田。小湊。ルル。それから後ろで見下してるてめえ。
覚えてろよ、いつかてめえら全員ぶっ殺す!
5人のツラが脳内保存された頃にゃ、うちら二人はボロ雑巾になってた。
「…圭織」
「…うん」
「…生きてるか?」
「…うん」
「…あいつら、いつかコロス」
「…うん」
この時代、中澤裕子に逆らって上がることのできるプロのリングは無い。
おまんまの食い上げさ。
リベンジという何にも勝る目標以外の全てを、このとき失った。
思えば、プロレス以外に何もできない二人だったんだな。
圭織はあれ以来アパートに引きこもり、一日中ボーっとする様になった。
私はアテも無く街をさまよい、やがてストリートファイトに明け暮れる様になった。
もう二度とプロレスはできない。そんな葛藤を振り払う様に凶拳を振るい続けた。
そんな日々が数ヶ月続いた…
「圭織っ!」
久しぶりに相棒のアパートを訪れた私は驚嘆に声を震わせた。
圭織が死んでいるのかと思ったのだ。
目は虚ろで、手足はミイラの様に細まり、壁にもたれて身動き一つとらない。
一体いつからそうしていたのだろうか?
私は大声で呼びかけ、圭織の手を握った。脈もあり、息もしている。
死んでいないと分かった私はコップに水道水を注ぎ、圭織の口に無理矢理流し込んだ。
ゲホッと水を吐き出し、圭織の瞳にようやく焦点が戻る。
「圭織!大丈夫か!!何してんだよ!?」
「…ん」
圭織が何かを呟いたが小さくて聞き取れなかった。
もう一度聞き返すと、どうやら『交信』と囁いている様だ。
私は訳がわからず首を傾けた。
すると圭織はミイラの様な細い腕をゆっくりと上げ、天井を指した。
「…会えたよ」
「はぁ?誰と?」
水の垂れる唇を三日月形に笑んで、圭織は答えた。
「プロレスの神様」
半年後、T&Cのスペシャルマッチが開催される。
稲葉・ルルvs小湊・信田
実現することの無かった四天王同士のタッグマッチという夢のカードだ。
この演出の仕掛け人はもちろん中澤裕子である。
女帝中澤裕子の最強神話は揺るぐどころか更に固まるばかりであった。
「行くぞ、圭織」
「うん」
私と相棒は裏口から侵入すると、目的の場所まで一目散に駆けた。
そのまま止まることなく目的の部屋の扉をぶち破った。
扉に張られた張り紙が落ちる。『小湊・信田ペア控え室』
スペシャルマッチは予定の時間になっても始まらない。
リング上で稲葉・ルルペアが苛立ちの表情を浮かべる。観客からもブーイングの声。
対戦相手の小湊・信田ペアがいつまで経っても入場してこない。
当たり前だ。バーカ。その二人なら今私の腕の中で悶絶してる。
様子を伺いに来た下っ端レスラーを圭織が次々と蹴り倒して進む。入り口が見えてきた。
「準備はいい?」
おいおい圭織。聞くなよ。この日をどれだけ待ちわびた?
導火線にはもうとっくに火が点いているんだ。
「最高にいい!」
静寂、それから一気にボリューム最高の大音量。
私と圭織の登場で会場のヒートは目盛りを振り切っちまった。
リング上で凍りつく稲葉とルル。おいおい何てえ顔してやがる。うちらを覚えてるか?
ああ、私の両肩に乗ったモノが気になってそれどころじゃねえか?
「まいど。ボロ雑巾二枚、お届けに伺いました」
「信田!小湊!」
私がリング下にその二つを投げ飛ばすと、奴らは声を張り上げて叫びやがった。
アハハ、お前らもすぐにこうなる。
あの日この眼に焼き付けたあの顔と顔を全力でぶん殴ってやった。
2分。要していなかっただろう。リングの上に四つのボロ雑巾を並べる作業。
最強軍団と称されるT&Cがこの有様だ。どうだ!見たか!
おっと、祭りの本番はまだここからだった。
圭織がマイクを握り、大きく息を吸う。さぁ言ってやれ!
「出て来い!中澤!!」
女帝さん。あんたが出ざる負えない状況はもうできあがってる。
直属の四天王は仲良くおねんね。せっかくのイベントも台無しにしちゃいました。
大観衆の中、この暴言暴動。あんたがケツ拭くしかねえだろ。なぁ。
『中澤裕子が来たぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!』
実況のアナウンスとスポットライトが会場中の注目を一点に集めた。
これが歴史的一戦の幕開け。