人気や知名度を得る為に、格闘技を始めた訳ではない。
前田有紀は純粋に強くなりたいが為に日本拳法に打ち込んで来た。
この大会も周囲の人達に推されて出場しただけ。
「ゆきどん程の実力者が、もったいないよ」
周りの人々がそう言う。もったいないとは何事だろうか。
私はただ強くなりたいだけだ。優勝して名声を得ることがそんなに素敵なことか?
よし、それなら世間を批判してやろうと思った。
派手なパフォーマンスも、奇抜な技も無い。地味と言われてもいい。
本当の強さってのを世間に教えてやろう。
そして前田有紀は勝ちあがった。準決勝という舞台にまで昇ってきたのだ。
相手はボクシングのミニマム級世界王者。これ以上ない地位と名声の持ち主。
小さな体とピョーンパンチというユニークな技で、チビッコを中心に絶大な人気を誇る。
この全く異なる人生を歩んできた二人が一つの舞台でぶつかりあう。
ミカと前田の試合は幕を開けた。
(えっ?)
ミカを前にして、前田有紀は驚いた。
体が動かない。恐怖で縛られているのだ。そんなはずはないと全身に力を込める。
だが震えは止まらない。目の前の相手を見た。ミカが徐々に近づいてくる。
(これが…世界を征した者の…圧力)
ようやく前田は己の過ちを悟る。名声や人気に捕らわれていたのは自分の方だと。
本当の強者から逃げていただけなのだと。
前田有紀は歯を噛みしめた。
これだけの圧力を放つミカですら吉澤ひとみを追っている。
その吉澤ひとみですら安倍なつみを追っている。
そしてその安倍なつみも、きっと私には分からない目指す場所があるのだろう。
上にはまだまだ上がいるのだ。私はまだスタート地点にも立っていなかった。
(いや違う。今、ここが、私のスタートなんだ)
前田有紀は瞳の色を変えた。そして世界王者を睨みつける。
「いくぞ!!」
体が動いた。真正面から殴りかかる。己を信じて毎日鍛え上げてきた突きと蹴り。
殴る。殴られる。蹴る。殴られる。殴られる。殴る。かわされた。殴られた。殴られた。
赤と白に色分けされたミカのグローブが交互に私の顔に殴ってくる。
赤上げて、白上げて、赤…白…赤…
あぁ、これが噂に名高いピョーンパンチなのかと思った。
思った瞬間、目の前にマットが迫ってきた。
『勝負ありぃ!!ミカ=トッドの圧勝だぁぁぁぁ!!』
気が付くと私は担架の上にいた。負けたんだ。気持ちの良いくらい完璧に負けた。
体に無理を言って担架から降りた。
せめて退場ぐらいは自分の足でさせてくれ。これは私のスタートなんだから。
私が起きたことに気付くと笑顔のミカが近づいてきて言った。
「nice fight」って。
どういたしましてこちらこそ、ナイスファイト。それとサンキュー。
それと、いつかリベンジするからなコノヤロー。
準決勝第1試合が終了すると、実況の連中は口々にミカの強さを絶賛する。
「ミカにとって体重差は問題にならない」
「生で見るピョーンパンチは本当に凄い。あれは誰にも回避できないよ」
「本戦でミカと吉澤の対決が実現したら楽しみですね」
流行り物好きな実況連中に稲葉貴子はムカムカ腹を立てていた。
「どうしたの貴子?落ち着きなさいよ。」
そう言って後ろから肩を揉んできたのは、セコンドを引き受けてくれた小湊。
T&Cレスリング全盛時代からの旧友、今は普通のお母さん。
「いや、なんでもない。ただ、負けられねえなって」
「…そうね。負けられないわね」
昔から小湊は、すぐに熱くなる私たちを後ろで支えてくれた。
この大会の為にセコンドを引き受けてくれたこと、本当に感謝したい。
だけど感謝の気持ちは言葉では返さない。勝利という二文字で返す。
「この大会での優勝を裕ちゃんに送る。だから、負けられねえ」
それはもう私にしかできないこと。
たった一人、最後まで格闘技という魔物にしがみついている私だけにしか。
いやまだだ。まだうちらの時代は終わっちゃいねえ。それを今から証明するんだ。
そうだろ、裕ちゃん。
『準決勝第二試合!稲葉貴子vs田中れいな!始め!!』
「若い奴らには死んでも負けねえ」って意気込みで挑んだ訳だが、目の前に立つ相手の
若さには流石に引いた。高校生?下手したら中学生じゃねえか?
でも風貌は幼いくせに、目つきだけはやけに迫力がある。ただのガキじゃなさそうだ。
まぁ、当たり前か。曲がりなりにもここまで勝ち進んできたんだ。
「貴子!油断しちゃダメよ!」
舞台の下から小湊の声が聞こえた。わかってるって。油断なんかしねえよ。
油断じゃないが勝つ自信はある。このガキの今までの試合は全部見てきた。
動きもキレもパッとしない。辛勝辛勝でなんとか勝ち上がってきたって感じだ。
どうシュミレーションしても負けない。負ける要素はまるでない。
何も特別なことはしない。タックルで倒して押さえ込んで関節を決める。
王道を攻めれば良い。それで勝てる。
膠着が破れる。稲葉が動いた。闘いを知り尽くしたベテランのキレがあるタックル。
田中は捌ききれない。捕まって倒された。ここからの稲葉は早い。
より有利な体勢に持っていく為、押さえつけたまま動き続ける。田中は右手を動かす。
稲葉は完全に上をとった。田中の右手が稲葉の胸元に触れた。
ズンッ!!
それまでリング上をせわしなく動き回っていた二人の動きが突然止まった。
やがて、上に被さる稲葉を横にどけて、田中だけが上半身を起こした。
「八極拳士に密着するなんてバカたい」
大半の観客は何が起きたのか理解らず、唖然とした。
審判すらも一瞬自分の仕事を忘れかけた。慌ててカウントをとる。
「必要なかと」
田中はうつ伏せの稲葉をゴロンと転がす。
稲葉貴子は泡を吹いて気絶していた。
「もう行ってよかね?」
「しょ、勝負ありーーーー!!!勝者田中れいな!!」
関を切る様に、驚きの声が周囲に広がる。
しかし田中れいなは顔色一つ変えず、騒然とする試合場を後にした。
一方、今の試合がどうも理解できなかった辻希美は隣の安倍に尋ねる。
「ふえ?どうやったんれすか。今の?」
「寸勁ね」
「すんけい?気れすか?」
「そんな神秘的なものじゃないよ。コツと練習次第で誰でも使えるもの…」
そう言って、なっちは持っていた空き缶にゆっくり拳を付けた。
パアンという音共に空き缶は数メートル先へ弾け飛んだ。拳の位置は動いていない。
「こんな感じ」
「…なっつぁんは何でもできて凄いのれす」
辻は心から尊敬の眼差しで安倍を見つめた。
「いやぁ昔ね、めっちゃ強くてやばい八極拳の使い手がいてね。
そいつに勝つ為に必死で覚えただけよ。エヘヘ…」
「あんたが必死になるなんて想像つかねえな」
安部と辻の会話を横で聞いていた藤本が口を挟む。
「美貴。なっちだって最初から強かった訳じゃないべ。がんばったんだよ」
「ふ〜ん。それで、そのヤバイ八極拳の使い手さんは今、どうしてるの?」
「さぁ、なっちに負けてから噂も聞かない。結構ボコボコにのしちゃったからなぁ」
「ご愁傷様」
「でも今の子も、あの年齢にしちゃ中々ね」
「それでも中々ってとこ。あんたに負けた八極拳さんよりは格段に下だろ?」
「まあね」
「じゃあ敵じゃねえ」
「決勝はピョーンパンチ対寸勁ね。どっちが勝つかな?」
「アーイ!ののはピョーンパンチがいいのれす!ピョ〜ン!」
「私はどっちも興味ない。まだ、昔あんたに負けたヤバイ使い手って方が興味ある」
「…あの人は確かに強かった」
「自慢?あんたはそれに勝ったんだろ」
「エヘヘ〜なにしてるんだろ…保田圭」
パンッ!
ひと気の無い薄暗闇の一室に、威勢の良い音が響く。
叩かれた田中れいなの頬にうっすら赤みが差し込んだ。
「情けないわね」
「約束は守ったと。準決勝は30%、あとの試合は20%の力しか出しとらんばい」
田中れいなは鋭い視線を暗闇に立つ人物に向ける。
その人物は田中よりもさらに鋭い目つきで、反抗する弟子を睨み返した。
「れいな。私の目はごまかせないわよ。最後の寸勁、わずかに30%を超えたわ」
「そぎゃん細かいこと知らなか」
「いい?次破ったらお仕置き。じゃあ、決勝は50%の力でいきなさい」
「お師匠。相手は世界チャンピオンやけど?」
「あら、怖気づいた?」
「怖くはなかと。面倒臭かだけたい」
そう言って回れ右すると、田中はスタスタと部屋を出て行ってしまった。
暗闇には田中に師と呼ばれた女だけが残された。
(ウフフ…もうすぐ…もうすぐよ。安倍なつみ)
切れ長の目がさらに細く伸びる。どうやら笑っている様だ。
気のせいか周りの闇がさらに深まった様であった。
『西日本予選決勝!!ミカ=トッドvs田中れいな』
激戦を勝ち抜いた二人が並ぶ。
ミカは入場からずっと笑みを絶やしていない。田中は入場からずっと表情を変えていない。
「お互い全力で、いい試合にしましょう」
試合前、ミカが田中に声を掛けてきた。田中はこれに答えずコーナーに下がる。
「それは無理たい…」
ゴングが鳴る。決勝は始まった。
田中は右足を半歩前に出し、半身に構えた。
八極拳の動作は、他の武術と異なり一回の動きで全てを行なう。
「受けてから殴る」では無く「受けと攻撃を同時に行なう」のである。
他の武術以上に、相手の間合いや攻撃を見極めることが重要視される。
ミカが来た。評判高い赤と白のグローブがやけに大きく見える。
(今たい!)
田中は半歩踏み出し、肩をミカに向けて突き出した!…がそこにミカがいない。
(やられた!)
ミカの緩急を付けた動きに田中は騙された。ミカは手前で一時停止していたのだ。
経験の差がここに出てしまった。50%の速度ではもう間に合わない。
八極拳の動きは技を外したときカウンターをもらい易い諸刃の剣となる。
赤のグローブが田中の頬を叩き、続いて白のグローブが反対の頬を叩く。
必殺ピョーンパンチ発動!こうなったらもうミカは止められない。
赤上げて、白上げて、また赤上げて、白上げて…
(ちっとは下げてもよかとよ)
冗談交じりに思いながら、田中は徐々に前へ出る。殴られながら前へ。
世界チャンピオンのパンチを浴びれば普通は下がろうとする。
しかし彼女の精神力と怖いもの知らずは並大抵では無かった。そして前足を強く踏み出す。
震脚!
踏み込みによる地面の反発力を前進力に変え、ついに田中の肩がミカの胸元に辿り着いた。
「どうも」
「ッ…!」
ミカが叫ぶ前に、田中の全力…の半分がミカに注がれた。
寸勁!
稲葉戦とは違う。今度は誰の目に見えた。
田中が触れただけで、ミカの体が舞台の外まで吹き飛んで落ちた。
「嘘でしょ…」
ミカに負けた前田有紀が呟く。嘘だと言いたくなる程の強さであった。
日本拳法の秘密兵器、ボクシング世界チャンプ、老獪なベテランレスラー等々、
強豪ひしめく西日本予選を勝ち抜いたのが若干15歳の少女なのだから。
しかしその強さすらも、真の実力の50%に過ぎないこと、世間は未だ知らない。
『勝負ありぃ!!西日本予選!優勝は田中れいな選手!!』
「ピョーンって落ちてったばい」
表彰式の後、報道記者達はこぞってこの無名の新星に群がった。
「田中さん、その技は何処で教わったのですか?」
「秘密たい」
「田中さん、本戦では誰との対戦を希望します?」
「誰でもよか」
「やはり、最終目標は安倍なつみですか?」
「安倍って誰?」
新人とは思えないこの傲慢な態度が、逆に記者たちの心を捉えた。
さんざんな質問攻めにあった後、田中はようやく人のいない所まで逃げてこれた。
「師匠、いると?」
「ここにいるわよ」
やはり暗闇の中にその人物はいた。
「今度は文句は無かとね?言われた通り師匠の名前も出さなかったたい」
「ええ、上出来よ。れいな」
珍しく師匠が褒めてくれたことに、田中は逆に寒気がした。
(春なのに雪でも降るとよ)
西の優勝者が決まる。それは闇の到来をも意味していた。
東日本と西日本の予選が終わり、これで本大会出場者の内6名までが決まった。
藤本美貴(夏美会館空手)
高橋愛(高橋流柔術)
吉澤ひとみ(ボクシング)
矢口真里(講道館柔道)
柴田あゆみ(フリー)
田中れいな(八極拳)
残り2枠が主催者推薦枠とハロープロレス枠である。
この内、ハロプロ枠は松浦亜弥の出場が有力視されていた。
ところが西日本予選から半月後の記者会見の場で、飯田の口からこんな言葉が漏れた。
「松浦は出場させない」
矢口真里が乗り込んできたときに漏らした内容を、ついに公の場で発表したのである。
このとき松浦本人は全国巡業で東北に出向いていた。
ニュースを聞きつけた松浦は、その日の試合をキャンセルし東京に戻った。
その行為自体、社長への反逆といって良い。
冷酷な瞳を携えた松浦亜弥が社長室の扉を叩いたのは、その日の夕刻であった。
―――――――――この日、ハロプロに激震が落ちる!
第11話「東の光、西の闇」終わり