小説「ジブンのみち」

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401辻っ子のお豆さん ◆Y4nonoCBLU
第11話「東の光、西の闇」

その人が尋ねてきたのは、快晴の気持ち良い初夏でした。
もうすぐトレーニングから戻ってくるヨッスィーの為に、いつもの様にエプロン姿で
夕食を作っていると、長袖のシャツにジーパン姿の女性が玄関に立っていました。

「こんちは〜吉澤いる?」
「えっと…どちらさま…でしょうか?」
「おっ、可愛い!君、名前は?もしかして吉澤と暮らしてるの?あいつ、やっる〜!」

矢継ぎ早にまくしたてる彼女に、私は返答する間もありませんでした。
へ、変な関係じゃない…と弁解したかったが、このエプロン姿では効果は薄いと諦めた。

「石川梨華です。私はその…ただの居候みたいなもので…」
「にしちゃ〜な〜。あの吉澤の部屋がやけに女の子っぽくなってるし〜」

確かに。私が趣味で揃えたピンクグッズがあちこちに…。
とてもヨッスィーの趣味とは思えない。しかし何なんだこの人、突然現れて。
私が口をへの字に曲げたせいか、彼はあわてて苦笑いを浮かべて見せた。

「悪い悪い。気を悪くした?まいったなぁ〜。で、吉澤は何処?」
「…後ろ」
「ぬおっ!吉澤!いつの間に!」
「何してんすか?市井さん」
「セクハラ」
402辻っ子のお豆さん ◆Y4nonoCBLU :04/01/10 04:17 ID:Rno53woS
このセクハラ姉さんは、ヨッスィーの友達の先輩で市井紗耶香というらしい。
おかげで私は急遽、夕食を三人前に作り直す羽目になった。

「いや〜良かったな。吉澤にも可愛い彼女ができて」
「ふざけないで下さい、市井さん」

食卓を囲んで団らんの始まり。もっとも私は二人の話に聞き耳立てるだけですけど。
ヨッスィーが嗜めると市井さんは短かく揃えた髪を掻きながら、一通の手紙を取り出した。

「後藤からのエアメール」

ヨッスィーの目つきが変わった。今までこんな視線を見たことが無いくらい鋭く。
私の胸が―とくん―と鼓動した。

「へっへ〜。やっぱり反応しやがった」
「当たり前じゃないすか。ごっちんが何て?」
「吉澤が日本に戻ったってニュースを聞いて、慌てて書いたらしい」

市井さんが拡げた手紙にはマジックで太く書かれた一文字「バカ」
よっすぃーは顔を引きつらせて手紙の表と裏を何度も確かめる。
が、どう見てもその二文字しか存在しない。

「それだけ?」
「それだけ」
「わざわざブラジルから?バカはごっちんだ!」
403辻っ子のお豆さん ◆Y4nonoCBLU :04/01/10 04:17 ID:Rno53woS
「嫉妬してんだよ。先に世界で結果を残して凱旋されたからって。あいつもまだガキだな」

ガキとか言うレベルの問題では無いと思ったが、私は黙っていた。
ただ、その後藤という人の話をしている時のヨッスィーの笑顔が、なんか気に障った。

「吉澤。後藤はブラジルのバーリトゥードで、頂点に立って帰ってくるぞ」
「そんな簡単に…。それがどれだけトンデモナイことかわかってるんすか?」
「ヘビー級世界チャンプが言うなよ。わかるだろ、あいつがお前しか見ていないこと」

ズキン。さっきより大きく胸が痛んだ。
ヨッスィーの顔はもう笑っていなかった。市井さんも。

「吉澤、お前が世界の頂点に立ったから、自分もそうする。あいつの頭にはそれしかない」
「だ、だけど…」
「後藤が決めたなら間違いなくそうなる。後藤真希は別格…怪物だ」

市井さんはそう言って、シャツの長袖を捲くって見せた。
そこにあるべきはずの腕が無い。
私にはその理由が分からないが、よっすぃーは分かっている様だ。

「私が後藤を怪物にしてしまったんだ。もう誰もあいつを止められない」
「…止める。私がごっちんを倒す」
「ああ。私も後藤は吉澤にしか倒せないと思う。だから今日ここへ来た」
「いいんですか?私があなたの愛弟子を倒してしまって」
「あいつはとっくに私を超えている。むしろ頼む。あいつを倒してくれ。
 後藤にもう一度、まっとうな人間の心を…」
404辻っ子のお豆さん ◆Y4nonoCBLU :04/01/10 04:25 ID:Rno53woS
市井さんが頭を下げた。それをヨッスィーは黙って受け取った。
私はもちろん話についていけるはずもなく。ただ黙って座っていた。
体が震えていた。きっと怖くて震えているんだ。
だけど、どうしてだろう…今の話を聞いて、こんなに指が疼くのは…?

「やれやれ、ごっちんが帰ってくるまで。今度の大会、絶対に負けられなくなった」
「吉澤。大会まで残り三ヶ月。私がスパーの相手してやろうか?」
「えっ!いいんすか!でもその腕で…」
「ちょうどいいハンデ…とは言えないか。まぁ心配無用だ」

そこで私は思い出した。新聞のテレビ欄。東日本予選の文字。

「あー!今日だよ!よっすぃー!予選の日!」
「あ、そうだっけ?忘れてた。テレビテレビ」

テレビをつけるが、残念ながら予選はちょうど終わりを迎える時刻であった。
画面には優勝者の顔がアップで映されていた。

「え?嘘?」

私はそこで一瞬、目を疑った。
そこにいるはずのない人がそこに映っていたから。
ヨッスィーにも話していない、私の秘密を知っている人が…。