起き上がった辻と新垣が左右から亜弥に迫る。
亜弥は絶妙な体さばきで二人を誘導し、自爆を誘う。
ダメージを負うのは、有利なはずの辻と新垣ばかりである。
亜弥は、未だ余裕の笑みで二人を見下ろしていた。
「ハアッ…ハアッ…ハアッ」
辻の息づかいが荒いことに新垣は気付いた。
(当たり前だ。あの二人相手にあれだけやられて)
新垣は松浦亜弥を睨む、そして決断した。
「辻、お前は下がってろ!」
「ふぇ?」
「お前はソニンさんを倒した!こいつは私が倒す!」
「でも…ガキしゃん!」
新垣はもう答えなかった。代わりに辻をリングの外へ突き飛ばした。
落とされた辻はすぐに上を見上げて叫ぶ。
「ガキしゃん!ろうして?」
「こいつを倒さなきゃ、私は変われないんだよ。わかってくれ、辻…」
勝利の象徴、松浦亜弥。敗北に生きた自らを変える為に…。
(倒す!)
果敢にも、最下層レスラーの新垣里沙がスーパースター松浦亜弥に挑む。
二人は正面から手四つで組み合った。
「先輩、役不足ですよ」
足を刈る。新垣が崩れた所で簡単に後ろを取ってバックドロップ!
ヒールレスラーである新垣は技を受け慣れている。すぐに立つのだ。
しかしその後の攻防ではどうやっても勝てない。立っては技をもらう。
あややのショウタイムが始まった。
「ガキしゃん…」
辻にはリング下で歯ぎしりを抑えることしかできなかった。
こいつは私が倒す!
新垣里沙がそう言ったのだ。だから辻がリングに上がる訳にはいかない。
ただ信じるだけ。
(ガキしゃんは本当は…強いのれす!それを皆に証明するのれす!)
もう十は技を受けただろうか。
それでも新垣は立ち上がる。亜弥は少しずつ不機嫌になっていった。
「まるでゾンビですね〜」
「何とでも言え。私はお前を倒すまで何度だって立ち上がる」
「冗談は顔だけにして下さいよ〜先輩♪」
「冗談じゃあねえよ。このサイボーグ女」
自慢の眉毛に手を添え、そこからビームの様に真っ直ぐチョップを繰り出す。
何千回、何万回と繰り返し練習した。いつか、いつか輝く勝利を得る為に。
「まゆげっビーム!!」
新垣里沙、唯一の必殺技が炸裂!松浦亜弥の喉元に当たり弾き飛ばす。
亜弥がこの試合、ついに初めてのダウンを喫した。
いやこの試合だけではない、それはこれまでの全試合においても初めての出来事。
無敵のエースと呼ばれた松浦亜弥が倒されたのだ。会場中に驚きの声があがる。
「やった!」
辻が歓喜の声を上げる。新垣里沙は強いのだと叫ばんばかりに。
新垣は慌てて亜弥をフォールする。
審判によるカウント。この声があと3つで勝敗が決する。
最下層コンビがエースコンビに勝つ。あと2つで奇跡が現実になる…。
あと1つ。あと…。
(勝つんだ!勝つぞ辻!私たちがプロレスの歴史を覆すんだ!もう落ちこぼれなんて…)
グルン。新垣は体がひっくり返される感覚に陥った。そして寒気。
(足をとられた。離れなければ。まずい。上に乗られた。私は負けな…)
ドクン…。
目の前で起こる出来事が辻希美の鼓動を打ち鳴らす。
松浦亜弥がチラリと辻に視線を向けた。その口元が笑っている気がした。
ドクン…。
辻は動くことができなかった。目の前の出来事にただ目を奪われて…。
ボキッ!
音が響いた。
そのあとに悲鳴が響いた。
松浦亜弥が立ち上がる。冷たい、あまりに冷たいその瞳。
「もう立てない」
足元には、右足が270度の方向に捻られた新垣里沙が転がっていた。
立ち上がった松浦亜弥はゆっくりと悶え苦しむ新垣里沙をフォールする。
レフリーが3カウントを数える間、辻希美は動かなかった。
ゴングが鳴り響く。試合が終わる。勝利コンビの名が轟く。
『ソニン・松浦コンビの勝利だあぁーーーー!!』
武道館が大歓声に揺れ動くその間中ずっと、辻希美は微動だにせず立ち尽くしていた。
その瞳にはずっと一人の娘が映り続ける。
(腕が治ったらすぐあの松浦と、安倍なつみも倒したるわ)
松浦、まつうら……。
辻の中で忘れかけていた記憶が蘇る。
あいぼんの腕を奪った女の名前。あいぼんの夢を奪った女の名前。
目の前で新垣里沙の足をいとも容易く笑みを浮かべながら折ってのけた女とだぶる。
「そのおとんが褒めてくれたん。亜依は強い子やって、いつか一番になれるて」
あいぼんはののに夢をくれて、生きる力をくれた。
「普通の生活はできるみたいやし、違う夢でも探せばええやろ」
あいぼんは作り笑いを浮かべて…
「ウッウッ…ウエッ…ウッウ…」
あいぼんは泣いた。あんなに強いあいぼんが、泣いたんだ。
身の毛が立つ。震えが止まらない。
(…か)
試合は終わった。リング上にはすでにたくさんの関係者が上がってきている。
新垣はすぐに担架で運ばれた。ハロープロレス関係者やマスコミが松浦亜弥を囲む。
だが松浦亜弥の瞳はリングの下で微動だにしない辻希美を見下ろしていた。
辻が呟く。
「…お前か」
夢を。
相棒の夢を奪った女。
目の前で自分を見下ろしている女。
「お前かあああああああああああああああああっ!!!」
辻希美を繋ぎとめる全ての鎖が、弾けてちぎれ飛んだ!
獣だ。辻は吼えた。牙をむいて飛び掛った。
全てを奪った女、松浦亜弥に!
その目はもはや正気ではなかった。
勝利者である松浦亜弥を囲むレスラー達が、突然暴れ出した敗北者を止めにかかる。
自分の倍はあるレスラー達が次々に辻希美に飛び掛る。
だがその小さき獣の力はすでに、常識の範疇をはるか凌駕していた。
レスラー四人を抱えたまま辻希美はリングに上がった。試合後のボロボロの体でだ。
止まらない、叫び続けている。危険を察知したマスコミ達はリングから逃げる。
だが松浦亜弥はリングの中央でこの光景を悠然と見下ろしていた。
むしろこの事態を楽しんでいるかの様に見える。
十人近い巨漢のレスラー達が、たった一人の辻希美を止める為に一団となっている。
だが辻の目は他の何も見てはいない。たった一人、たった一人だけ。
「松浦ぁぁぁぁぁぁ!!!」
狙われた本人は、微笑を浮かべたまま冷やかにその光景を見つめていた。
次の瞬間、試合後の波乱に困惑した観客達の視線が一点に集中した。
「ジョ、ジョンソン飯田だ!!」
誰かが叫んだ。するとその名は次々に場内へとこだましていった。
ハロープロレスの長、ジョンソン飯田、リングイン。
飯田はまっすぐに辻希美の前に歩み寄った。
「辻。負けたら、言うことを聞く約束だったな」
「どけぇ!!どけぇぇぇ!!」
「お前はクビだ」
ハンマーの様なジョンソン飯田のナックルが、辻希美の後頭部を叩き伏せた。
辻希美の頭はバスケットボールの様にバウンドしてそのまま落ちた。
会場が静まる。一撃。十人がかりでも抑え切れなかった獣が、たったの一撃で葬られた。
それからジョンソン飯田は後ろに振り返った。
「松浦。またお前だけが生き残ったか」
「はい」
「今日からお前がうちのNo3だ。反論はあるか?」
「もちろんありません」
松浦の言葉が終わるやいなや、滝のような大歓声が飯田と松浦を包む。
こうしてソニン・松浦vs新垣・辻の激闘は幕を閉じた。
この闘いも終わってみれば松浦亜弥の一人勝ちであった。
他の三人は全て担架で退場したにも関わらず、あややはいつものスマイルで花道を去った。
観客にもTV視聴者にも、松浦最強伝説だけが強く印象付けられたのであった。
「こいつ来るな」
TVを見ていた矢口真里の独り言に小川麻琴が尋ねる。
「どうしたんすか〜矢口さん」
「夏の大会。ハロプロからはこの松浦が出場しそうだって言ったの」
「あ、あんなサル!矢口さんの敵じゃないっすよ!」
「マコ、油断は禁物。たとえ相手が誰でも。ほら、練習つきあえ」
柔道で頂点に立った矢口真里の辞書に、油断という二文字は無い。
小川麻琴相手に打撃対策をこなし、トーナメント完全制覇に死角はない。
「松浦亜弥。やっぱ強えな〜」
「もう一人の小さい子も凄かったね」
「お、梨華ちゃんもそろそろ格闘技がわかってきた」
吉澤ひとみと石川梨華も今のプロレスを見て盛り上がっていた。
「わかんないけど…でも、よっしーならきっと誰にも負けないよ」
「当ったり前!約束するぜ、ぜったい日本一になる!」
「うん、ファイ!」
「亜弥、また強くなってるわ〜」
「そうですね」
「こりゃ、私もうかうかしてられんて」
「そうですね」
高橋愛が振り返ると、すぐ傍で座敷童みたいに紺野あさ美がいた。
「うっわ〜びっくりしたぁ〜!いつからそこに!?」
「ちゃんと扉から入りました。ノックはしてませんが。TVに集中しすぎです」
「紺ちゃん。北海道帰ったんじゃないの?」
「この試合を見てウズウズしてるんじゃないかと思って、来てあげました」
「ハァ〜?」
すると紺野はバックから空手着を取り出した。
「大会まで4ヶ月しかありません」
「まさか、特訓につきあってくれるってゆうんか?」
「仮にも貴女は私に勝った人だ。不様に負けてもらっては困るだけです」
「ええんか?夏美会館は?私はなっちの敵やざ」
「自惚れですね。貴女なんかまだ館長の足元にも及びませんよ」
「うっ…」
「だからせめて足元くらいまでになる様、私が鍛えなおしてあげますんで、宜しく」
「紺ちゃん!」
「はい?」
「サンキュー!」
「とっとと準備して下さい。はじめますよ」
辻希美が目覚めたのは、人気の無い夜の河原だった。
頭がガンガンするし、体中が痛くて仕方ない。
「ここは…」
「お前と初めて出会った場所だよ」
声を聴いて辻は跳ね起きた。
飯田圭織の声だった。そこで辻希美はようやく思い出した。
「いいらさん、ののはクビれすか?」
「そうだ」
「ののはろうすればいいんれすか?」
「自分で考えろ。ハロプロだけが最強を目指す道じゃない」
飯田は冷たく言い放ち、立ち上がった。
脱退。
あらためてその言葉の重さが辻希美の胸を潰す。
立ち去る飯田の背中目掛けて、辻は言った。
「いいらさーん!!今まれお世話になりましたぁー!」」
飯田は一瞬立ち止まり、やがて返事も返さずに去っていった。
このとき飯田の肩が僅かに震えていたことに、辻が気付くことはなかった。
辻は回れ右して河原をガムシャラに走り出した。
(あいぼんがいなくなって…)
(ハロプロにもいられなくなって…)
(ののはまたひとりぼっち…)
それでも、それでも夢はあきらめない。あいぼんに託された儚き夢だけは。
「アイヴォォォォォォォォォォォォォォン!!!…イテッ!」
何かにぶつかって転んだ。
「ちょっとなんだべさ、いったいなぁもう」
「ご、ごめんらさい。余所見してて…」
「あー!スカート汚れてる。ついてないな。あいつがこんな場所に呼び出したせいだべ。
いっくら待っても来ないし。もう、帰っちゃおうかな…んっ、あれ、君どっかで?」
「ふぇ?」
終わりは次の始まりである。
別れは新しい出会いに繋がる。
安倍なつみの道と辻希美の道が重なり始める。
辻希美は今、新しいスタートラインに立ったのだ。
第10話「お前か!」終わり