小説「ジブンのみち」

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357辻っ子のお豆さん ◆Y4nonoCBLU
亜弥は退屈していた。
こんな奴らに勝っても、自分の評価はちっとも上がりはしない。
ソニンさんに合わせて適当にパッパと終わらせよう。
そんな考えでいた。
二人がかりでアームロックを決めた。これは外せない。もう決まった。
結局、亜弥の中に眠る熱が吹き荒れることはない。
そうだ、いつからだろう、ずっと、ずっと私は退屈している。
加護亜依…あいつ以来だ。
何処にいったんだろう。あれ以来、噂も聞かない。
私が怖くなって逃げ出したのか…?
いや、今考えても仕方ないか。さ、こんなつまらない試合はもう終わり…。
――――熱。
亜弥は、自分の下にうずくまる者から熱を感じた。
まさか…なんだこいつ…?
熱が…静かに沸き立ち始める。

ミラクルが起きる。
358辻っ子のお豆さん ◆Y4nonoCBLU :03/12/31 14:01 ID:bQJa2WAT
それは目を疑う状況であった。
150cm台の小さな娘が、間接技をかける二人を上に載せたまま立ち上がろうというのだ。
その小さな体の何処に秘められているのかわからない程のパワー。
(ののは負けられないのれす…)
額と膝をリングにつける。
(一日でも、一分でも、一秒でも早く)
腹と背中に力を込め、少しずつ…
(あいぼんに見える場所までいくのれす!)
ゆっくりだが、間違いなく、辻は立ちあがっている。
2対1だろうが3対1だろうが負けられない。辻の熱が会場の空気を変えだす。
その熱は、リング外で震えていたパートナーにも届く。

「嘘だろ、こいつ!」

ソニンが叫ぶ。
亜弥の瞳の色が変わった。
掴んでいた辻の腕を品定めする様にその瞳で見つめる。
(…いいのかな?)
そのとき、ソニンと亜弥の後方から何かがぶつかってきた。
並外れたバランス感覚の二人は空中で体勢を建て直し、着地して構える。

「ガキしゃん!」

辻を庇う様に、ソニンと亜弥の前に立つのは、まぎれもなくあの新垣里沙であった。
359辻っ子のお豆さん ◆Y4nonoCBLU :03/12/31 14:01 ID:bQJa2WAT
「なんだぁ新垣、まだ震えているじゃねえか?」

(違う、これはもう怖くて震えているんじゃない…)

「あんた達を倒す」
「あぁ?聞こえなかったが」
「もう一度言うか!勝つのは私と辻希美だ!」

(今起きた、そしてこれから起きるであろう奇跡に、私は震えているんだ!)

「ガキしゃん!」
「ごめんな辻、勝つぞ!」
「あいっ!!」

辻の想いが、新垣を変えた。
(負ける為に練習してるんれすか?)
(そんなのおかしいのれす…)
そうだよな、違う。お前の言う通りだ。勝つためだ。
勝ったことのない奴が、負けたことのない奴を倒す。
最高におもしれえじゃねえか!

新垣は突進した。その矛先には松浦亜弥がいた。
亜弥がタックルを受けると、二人はコーナーポストまで転がっていった。
(才能も!華も!人気も!関係ない!同じ人間だ!)
360辻っ子のお豆さん ◆Y4nonoCBLU :03/12/31 14:02 ID:bQJa2WAT
一方の辻はソニンに向かって走り出した。
最下層コンビの舐めた態度にソニンは逆上する。

「雑魚が!いい気になるなよ!」

ハロープロレスのNo3としてのプライド、その実力が辻を跳ね飛ばす。
高知から裸一貫で上京し、ここまで昇りつめるのにどれだけの努力と苦労を重ねたか。
血の滲む様な努力の結晶であるこの一撃一撃。その重みが辻を打つ。
(負けられないのは、私の方なんだよ!)
圧倒的攻撃力に辻は手も足も出ない。
殴られて蹴られて、コーナーへと追い込まれる。
コーナーへ追い込んでもソニンはまだ殴る、まだ蹴る。
ハロプロのNo3というものがどういうものかを、この無知な小娘に叩き込む様に。
(訳もわからねえ新人が、軽々しく地上最強なんざ口にするんじゃねえ!)
(私がこれだけの努力を重ねても、血を吐いて泣いてもがいても、ここまでなんだぞ!)
(ハロープロレスの3番手というのが限界だったんだ!)
(プロレスでは飯田さんと石黒さんという壁、さらに外にはまだまだ強い奴はいる!)
(地上最強なんてものが、どれだけ遠く、どれだけ無謀な夢か!)
(今ここでわからせてやる!)
鬼気迫る様なソニンの一発一発。辻はじっとガードを固めて耐える。
打つ。耐える。打つ。耐える。打つ。耐える。打つ。耐える。打つ。耐える。
観客達も静まりかえっていた。その異様なプロレスに、異様な有様に。
反対側のコーナーで、新垣と組合いながら亜弥はじっと見つめていた。
ソニン対辻。もはや精神力の勝負。
どちらが先に折れるか否か?
361辻っ子のお豆さん ◆Y4nonoCBLU :03/12/31 14:12 ID:bQJa2WAT
打つ。耐える。打つ。耐える。打つ。耐える。打つ。耐える。打つ。耐える。耐える。
ソニンは気付き始めた。
攻撃しているのは自分なのに、少しずつ少しずつ押され始めていること。
(まさか、そんなまさか…)
すでに辻の背中はコーナーポストを離れている。
叩かれながら、じっと耐えながら、前へ、前へと。
(私はこんなに!こんなに強いんだ!ハロプロのNo3だぞ!なのに…!)
ガードの隙間から、辻の瞳と目があった。
揺るぐことなきまっすぐな瞳。
ゾクッ。
寒気!ソニンは思わず目をそらす。――――その一瞬。

「…バカ」
亜弥が小さな声で呟く。

バイィィィィィンッ!!
その一瞬を辻は見逃さなかった。
手のひらをソニンの腹目掛けて突き出す。
その体に秘めたありったけのパワーを乗せて、突き出す!
ソニンはくの字に体を曲げたまま、リング外へとふっとばされた。
数千の観客、それを遥かに上回るTV視聴者の前で、ソニンは意識を失った。
奇跡は起きた。
デビュー1ヶ月の新人が、ハロープロレスのNo3を打ち倒したのだ。
362辻っ子のお豆さん ◆Y4nonoCBLU :03/12/31 14:13 ID:bQJa2WAT
容易いことなん思ってはいない、すぐ近くにあるとも思ってはいない。
ちっとも軽々しくなんて思ってはいない。
だけど辻はもう一度言う。ボロボロで右腕を前に突き出したまま。
決して揺るぐことなきその信念を。

「ののは地上最強になるのれす」

武道館中に沸き起こった大歓声にて、その声はほとんどの者には届かなかった。
だが、あの娘には聞こえてしまった。
地上最強。この等しい夢を昇り続ける松浦亜弥には…。

「おわっ!!」

新垣が吹き飛ばされた。その体が辻に当たり二人は一緒に転ぶ。
転んだ二人の前に亜弥が駆け寄る。
右腕で辻、左腕で新垣を掴むと、なんとそのまま二人を同時に持ち上げた。
そして派手に叩き落す。あややスペシャル!
驚愕の大歓声。
辻希美によって変えられた場の空気を、その娘はあっという間にまた変化させた。
パートナーがやられたにも関わらず、2対1という不利な状況にも関わらず。
松浦亜弥はリングの中央で不適に二人を見下ろしていた。

「無理ね」

辻希美の熱が、ついに松浦亜弥を本気にさせた。