小説「ジブンのみち」

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326辻っ子のお豆さん ◆Y4nonoCBLU
ハロープロレス本部の社長室。
飯田、石黒、ソニンというハロプロの上層部、そして新垣と辻の姿があった。

「呼び出した理由は分かるな」

石黒が口を開いた。口調はやや強めである。
その言葉は新垣と辻に向けられている。

「すいません。こいつも反省してますから…」
「本当か新垣?」
「もちろんですよ。ほらっ、お前も社長達に謝れ」
「悪いことしてないのに、なんれあやまるんれすか?」
「おい…辻!」

石黒はやれやれと頭を振った。飯田は黒塗りの椅子に腰を掛けたまま、無言だ。
原因は数時間前の出来事だった。
この日は辻希美、待望のプロレスデビュー戦。
相手は中堅程度のレスラーであった。
試合前に「勝て」とも「負けろ」とも言われはしなかった。
飯田からは「好きにしてこい」とだけ言われた。
辻はそれを素直に受け入れた。
ゴングが鳴った。
観客の一人がくしゃみをした。
顔を上げると、プロレスは終わっていた。
327辻っ子のお豆さん ◆Y4nonoCBLU :03/12/23 00:41 ID:xyJTaX8H
気絶した中堅レスラーの上に被さり、3カウントを待つ。
開始のゴングからわずか6秒後、終了のゴングが打ち鳴らされた。
平然と花道を去る辻希美に、この日一番の歓声とブーイングが注がれた。
辻と教育係の新垣が、社長室に呼び出されたのも至極当然と言えた。

「好きにしていいって言われたから、好きにしただけなのれす」
「何処の世界にパンチ一発で終わるプロレスがある?」
「ここ…れす」
「いいか辻!お客さんは金を払って見に来てくれてるんだ。
 お前だって、楽しみにしていた映画がすぐ終わったらつまらんだろ」
「らって…」

優しさと厳しさを含ませ諭す石黒に、辻は返す言葉も出てこなかった。
下を向いて落ち込む辻を見かねた新垣が間に入る。

「まぁまぁまぁ、後は私がよ〜く言い聞かせときますんで、今日の所は…」
「しょうがねえよな。教育係がだらしねえから」

ソニンの声であった。卑下た笑みで新垣を罵倒する。
新垣は愛想笑いでかわそうとした。ところがその言葉に辻はカッとなった。

「ガキしゃんは悪くない!!訂正してくらはい!」
「おい!止めろっ辻!」
「礼儀も知らねえ。落ちこぼれの弟子は落ちこぼれってな!」
「なんらと〜!」
328辻っ子のお豆さん ◆Y4nonoCBLU :03/12/23 00:42 ID:xyJTaX8H
荒れる辻を抑え、新垣はソニンに頭を下げた。
厳しい縦社会。上の言葉は絶対である。

「ソニンさん。すいませんでした。私の教育不足です」
「だろ」

新垣が自分のせいで頭を下げる事が、辻には我慢ならなかった。
もうどうなってもいい!ぶん殴ってやる!
そう辻が思ったとき、新垣が頭を上げて言った。

「ただ、辻が落ちこぼれだという言葉だけは訂正して下さい」
「ハァ?」
「私は落ちこぼれ扱いされても構いません。だけど!だけどこいつは違う!
 辻希美は私と違って、もっともっと上にいける器です!」
「ガキしゃん…」

無言のままの飯田の口端が、僅かに上がったことに気付く者はなかった。
ソニンは腹を抱えて笑い出す。

「アハハハハ!こんな舌足らずのガキが?上に?笑わせるなって新垣」
「それくらいにしておけ、ソニン」

いい加減見かねた石黒が止めに入った。
しかしソニンは暴言を止め様とはしない。
329辻っ子のお豆さん ◆Y4nonoCBLU :03/12/23 01:00 ID:xyJTaX8H
「上にいくってのはね。例えば私や私の弟子の松浦みたいなのを言うんだぜ」
「…ええ、しかし辻も」
「そこまで言うなら実際に試してみようか?私と松浦、お前と辻、タッグマッチだ」
「そ、それは!!」

無茶苦茶だ。新垣は思った。
ハロプロNo3の実力者ソニンと、天性の才で瞬く間にスターとなった松浦亜弥。
そんな二人に最下層の自分とデビューしたばかりの辻で挑むなんて。
謝ろう。上司に反抗した所で利がある訳でもない。大人しく身を引こう。
しかし新垣が謝罪の言葉を述べようと口を開くその前に、隣で辻が吼えてしまった。

「やるのれす!ののが勝ったらもう文句は言わないれくらはい!」
「威勢だけはいいチビだ。お前たちが負けたら二度と逆らうんじゃねえぞ」
「ののは負けないのれす!」

そこで、それまで口を硬く結んでいた飯田圭織がようやく声を漏らした。

「おいソニン」
「は、はい!」

それまでふてぶてしい態度をとり続けたソニンが、飯田に呼ばれ瞬く間に固まる。
ソニンだけではない。あれほど騒いでいた新垣と辻も一瞬で静まった。
飯田圭織から発せられる圧力が、それほど凄まじいものだったからだ。
社長の承諾を得ないで勝手に話を進めたことに皆危惧した。ところが…
330辻っ子のお豆さん ◆Y4nonoCBLU :03/12/23 01:01 ID:xyJTaX8H
「おもしろいな。その話」
「えっ、タッグマッチのことですか?」
「来月の武道館。それをメインイベントにする」

その場の全員に異なる衝撃が走った。
立ち上がった飯田は、舞台俳優の様に一人一人の顔を眺め、言った。

「決まりだ。よし、今日はもういい」

飯田の合図で、石黒を除く全員が挨拶をし、回れ右をする。
ソニンが部屋を出て、新垣と辻も部屋を出ようとした所で飯田が呼び止めた。

「辻!」
「へ、へい!」
「負けたら、皆の言うことを聞くんだぞ」
「…へい」
「だが勝ったら、やりたい様にやれ」

それだけ言うと飯田は、また黒塗りの椅子に腰を下ろした。
辻は大きな目をさらに大きく見開いて、社長を見つめた。

「へいっ!」

大きな声で返事をして辻希美は駆け出していった。