「おやおや、村田さんがXになってしまったか。あの小川って娘終わったね」
村田と小川の様子を遠巻きに眺めながら、ボス斉藤が呟く。
その両腕は未だに吉澤の背中を掴んで離さない。
「フフフ、世界チャンピオンさん。私の羽交い絞めの気分はいかが」
「サイテーだ」
「そして貴方ももう終わり。さぁやってしまいなさい大谷」
「おっしゃあああああああああああああ!!!」
大谷の豪腕が、身動きの取れない吉澤の顔を叩く。
1発。2発。3発。みるみる内に吉澤の頬が紅く染まってゆく。
「吉澤さんっ!!」
「行かせない」
駆けつけようとした愛を遮ったのは、またしても柴田であった。
「どけっ!」
「どかないよ」
「お前等!卑怯やと思わんのか!二人がかりなんて!」
「勘違いをしているな。これはルールのある試合じゃない」
柴田のこの一言が、愛の目つきを変えた!
「わかったわ」
「ふうん」
「それなら私も…試合じゃ使えない技ってのを使う」
「使えばいいさ。それで勝てると思うなら」
「後悔しねや」
戦国の世より闇の武術として脈継がれてきた血が猛る。
柴田あゆみは、高橋愛を本気にさせてしまった。
また、その熱き闘気がもう一匹の野獣の本性をくすぶる。
「やれやれ、こっちまで熱くなるぜ」
「なんだ?殴られ過ぎて頭でもイカれちまったか世界チャンピオン」
大谷のセリフに吉澤は思わず吹き出す。
「あーこれ殴ってたんだ。悪ぃな、軽過ぎて気付かなかったよ」
「んだとっ!!」
「本当に殴るってのはこういうことを言うんだぜ」
次の瞬間、吉澤は締め付ける斉藤ごと腕を振り上げ、大谷に叩き付けた。
たった一振りの豪腕で、斉藤と大谷という体格の良い二人が吹き飛んだ。
「うぐっ…」
「う、嘘だろ」
「お前ら確かにちっとはできるが、今回は相手が悪かった様だ」
勢いのついた吉澤は麻琴にも激を飛ばす。
「ピーマコ!いつまでそんなのにてこずってる!」
「だ、だけどアニキ!このマスク女…かなり」
「落ち着けよ。お前の方が強い」
「!」
吉澤の言葉に、麻琴を改めてXを見直す。
しかしさっきからこの異様な技と動きに、付いて行くことができない。
「く、くそっ…落ち着けったって、こんな奴を前にして…」
「ムダです。このXの方がはるかに強いのですから!」
そのとき何故か、祖父の小川五郎の言葉が脳裏に浮かんだ。
「なにをしとるバカ娘!とっとと稽古を始めるぞ!」
(ったく、毎日毎日うるせえジジイだぜ…空想にまで出やがって)
「よいか!大事なのは相手を見極めること。闇雲に突っ走れば良いものではない」
(うるせえな何度も同じことを!もうわかってるよ)
(そういえばこのマスク女…確かに動きは変だけど、最終的には全部同じ…)
(全部私に向かってくる。それさえわかりゃあ…)
Xの変則的なハイキック。その足を麻琴は掴んだ。
(こんなのジジイや矢口さんに比べたら全然遅えや!)
「ま、待っ…!!」
「うおおおおおおおお!!!」
それはまるで模範の様な見事な背負い投げであった。
マスク女Xこと村田がコンクリートの床に叩き落される。
ピクリとも動かない。意識を失った様だ。
「おっしゃあーーー!!!」
越後の虎が吼えた。
最後に勝利へ導いたものは喧嘩柔道ではない。
幼き頃から叩き込まれてきた正真正銘の柔道そのものであった。
この勝利が、小川麻琴をさらに上へ導く道しるべとなる。
「まさか、あの村田さんがあんなガキに…」
一方、驚くのは残るメロン達であった。
メロンの頭脳と呼ばれ数々の成功を収めてきた村田自身が、敗れたのだ。
特にボス斉藤は酷く取り乱している。
「おいおい、驚く暇はねえぞ。すぐにお前らもぶっ倒されるんだ」
「ぐっ…」
吉澤の挑発に、斉藤も大谷も返す言葉すら出ない。
たったの一振りのパンチで、自分と彼女の圧倒的な実力差を知ってしまったのだ。
見ると柴田は高橋愛とほぼ互角の死闘を続けている。
しかし自分たちは二人がかりでも、勝てる見込みがまるで見えてこない。斉藤は考えた。
(どうする…どうする…)
そして斉藤の脳裏に浮かんだ最後の策。
(依頼主には無傷でと言われていたが、こうなったら仕方ないわ)
(石川梨華を面前で人質にすれば、きっと奴は手を出せない!)
「大谷!ここは頼んだわよ」
「え?ちょっとボス!何処へ?」
「人質よ!」
言うが早いか、ボス斉藤は一つしかないエレベータにと乗り込んだ。
人質!そのセリフに吉澤の顔色が変わる。
「待てっ!!」
「おっとボスの邪魔はさせな…」
「邪魔!!」
左フック一閃。吉澤の一発で大谷は10m近く吹き飛び気絶した。
しかし間に合わない。斉藤を乗せたエレベータはすでに上昇を始めてしまった。
「アニキ!あいつまさか石川さんを…」
「ああ。くそっ!迂闊だった」
吉澤と麻琴はエレベータの前で、焦りを露にした。
二人は辺りを見渡す。ホールで立っている者はもう4人しかいない。
吉澤に小川、そして高橋とメロンの柴田。単純に状況は3対1だ。
「おい愛、手ぇ貸そうか」
「余計なお世話。この人は私がやる。それより攫われた子がやばいんやろ」
「いいのか?」
「ここは任せて早く行きねや」
「わかったよ」
「悪いな高橋、勝てよ」
「そっちこそ。きっちり助けてあげなあかんよ」
吉澤と麻琴は階段で駆け上がっていった。目指すは最上階。
そしてホールにはこの二人だけが残る。
高橋愛。柴田あゆみ。
「さってと、これで邪魔者はいなくなったと」
「バカだな。3人がかりでくれば楽に勝てたろうに。私達がした様に」
「そんなもったいないことできんわ」
「もったいない?」
「そや。あんたみたいに強い人はめったにえんからの」
「フン、可笑しな奴だ」
「そういえば、まだ名前聞いてんかったの。私は高橋愛やよ」
「これから敗北する相手の名前くらい知りたいか。柴田、柴田あゆみだ」
「結構かわいい名前なんやの、あゆみちゃん」
「殺す」
対メロン。最後の決戦。互いにスピードとテクニックに絶対の自信を持つ者同士の激突。
決着の刻は近づいていた。
一方、ボス斉藤を追って最上階へと上がった吉澤と麻琴は、そこで意外な光景を目にする。
「な、なんだこりゃあ?アニキ!」
「わからん」
「何でメロンのボスが倒れてるんだ?」
麻琴の言うとおり、メロンのボス斉藤は廊下で血を吐いて倒れていた。
その奥にある洋室から泣き声が聞こえる。
吉澤が恐る恐る入ると、そこでは石川梨華が一人で泣いていた。
「石川さん?」
「…!あっ!吉澤さん!」
「大丈夫?」
「本当に来てくれたんだ。嬉しい」
「ねえ、どうしてメロンのボスが倒れているの?」
「分からない。突然やって来て、勝手に転んで倒れちゃったみたいだけど…」
「そっか。バカな奴で助かった」
「うん!助けに来てくれてありがとう吉澤さん」
石川は吉澤に抱きついた。吉澤はそれを温かく抱きとめる。
二人の空気に入れず、麻琴は廊下で斉藤の観察をしていた。
(これ、どう見ても転んだって感じじゃねえけど…まぁいいか)
誰も気付く者はなかった。
このとき石川梨華の中指に血が滲んでいたということ。