「ま、しゃーないわ」
病院を出たあいぼんは、以外にもあっけらかんとしていた。
希美はどうしていいか分からずうろたえるばかり。
「普通の生活はできるみたいやし、違う夢でも探せばええやろ」
「違う…それれいいんれすか」
「ええよ。次はもっと女の子らしい夢でも探そかな」
「…あいぼんがそう言うなら」
元々、希美がどうこう言う問題じゃない。
格闘技で一番になることは加護亜依の夢なのだ。
希美はそれにくっついてきただけ。亜依が夢を変えるなら、希美に止める権利はない。
そう割り切ったつもりだった。だけど…でも…。
家に帰った二人は普通に食事をして、普通にTVを見て、夜になったら普通に布団に入った。
希美には、夜の闇が、何だかいつもよりも深く感じた。
やがて、隣の布団からすすり泣く声が聞こえてきた。
「ウッウッ…ウエッ…ウッウ…」
あいぼんの声。あいぼんの悲しみ。平気な訳がなかったんだ。
(らけろ、なんて声かければいいんれすか?)
(ののに何がれきるんれすか?)
希美には、布団にくるまって寝ている振りしかできなかった。
翌朝、目覚めた希美の隣には、主のいない布団だけが残されていた。
「あいぼん?」
希美は起きて部屋を探した。
何も変わらない、いつもどおりの風景。
ただそこに相棒の笑顔だけがない。
「あいぼーん!何処ぉー!!」
希美は近所を探した。隣町まで走った。アテのある所を全部走って回った。
しかし加護亜依の姿は何処にもなかった。
「やだやだやだ!本当にやだ!やだよ!嫌だよ!」
家族を失ったあの恐怖。もう一人になりたくない。
ずっとずっと一緒に生きてゆくって、そう信じていたのに…。
「なんでいなくなっちゃうんだよーーー!!あいぼーーん!!」
夢を失くした娘、加護亜依はいなくなった。
辻希美はまた、ひとりぼっちになった。
孤独の生活は1ヶ月以上続く。
亜依のアテを探し回り、涙に暮れる日々。
そして希美は一つの結論に辿り着く。
(ののが、誰より一番強くなればいい!)
(そうすれば、ののより強かったあいぼんが地上最強らって証明になるんだ!)
(そしたらきっと!絶対!あいぼんは戻ってくる!)
「あいぼん!ののが地上最強になるのれすっ!!」
こうして一人の娘が、ここに地上最強を志す。
その声をたまたま、本当に偶然に通りがかった一人の女が聞いた。
女は一目で、辻希美に秘められたもの、その強さに気付く。
「ほぉ」
これは何かの巡り合わせであろうか?
地上最強を志したばかりの娘と
地上最強に最も近き女が出遭う。
ジョンソン飯田が、辻希美を誘う。
「来るか?俺の場所に」
誰も知らない場所で、後の女子格闘議界を震撼させる出会いがあった頃、
世の中の注目はある女の凱旋に注がれていた。
『UFAボクシング女子世界ヘビー級チャンピオン!吉澤ひとみ!帰国!』
明るく染め抜かれた髪、サングラスに遮られた視線、見事な体躯。
その立ち振る舞いにはすでに王者の貫禄さえ伺える。
空港では大勢のマスコミやファンが待ち受けていた。
フラッシュと歓声が飛び交う中、とある格闘技誌記者がこんな質問を投げかけた。
「最初のターゲットは?」
吉澤は、ボクシング界最強の次に全格闘議界最強を明言していた。
そんな彼女の口から漏れた名は、安倍なつみでも飯田圭織でもなかった。
「最優先で決着つけようって、約束してる奴がいる」
吉澤ひとみにとって、その相手への勝利は
ヘビー級世界王者の称号をも上回る。
「待たせたな、真希」