第六話「亜依の望み、希美の愛」
辻の夢は加護の夢を叶えることである。
加護の夢は地上最強になること。
その為だったら辻はどんな苦労もいとわない。
そうやってずっと二人きりで生きてきた。あの出会いの日から…
「おとーしゃああああん!おかーしゃああああん!おねーちゃあああああん!」
希美は齢12にして家族を失った。
小学校卒業して初めての海外旅行。初めて乗った飛行機。事故による墜落。
泣き続けた。他に何もできない。ただ、ただ声が枯れるまで泣き続けた。
どうして自分一人だけが生き残ってしまったのか?
泣いても泣いても答えなんてみつかる訳ない。
どれくらいそうしていたかわからない。精も根も尽き、涙も枯れ果てた。
…
しばらくすると、遠くで物音が聞こえた。
希美は立ち上がった。また聞こえた。希美はそっちに向かって歩き始めた。
女の子が一人立っていた。彼女もこっちに気付いたみたいだ。
まるで鏡を見ているみたいだった。全てを失い放心状態となった少女同士が向かい合う。
巨大な機体の残骸の上。何百という屍の上。想像を絶する様な光景の中。
辻希美は加護亜依と出会った。
悠長に自己紹介をする様な状況ではない。
お互いに絶望と迷いの中を彷徨っているのだ。
自分以外にもう一人生き残っていた。だからってどうすればいいいのだ?
…
やがて人間の自然欲望から二人は同じものを求め始める。
水。
喉の渇き。水分を補給しなければいけない。
言葉を交わすでもなく、二人は共に歩き始めた。
ここが何処なのかも分からない。どこに目的の水があるのかも分からない。
隣にいる少女が誰なのかも分からない。分からないことだらけだ。
分からないまま二人は並んで歩き始めた。
…
夜になった。未だ水の一滴すら見つからない。
眠かったけど、それ以上に喉の渇きが深刻で、とても眠れそうにない。
あれだけ涙を流してしまったことを後悔さえする。
結局、夜通し二人は歩き続けた。まだ一言の会話もなく。
…
歩き始めて丸一日が過ぎたとき、ついに希美は倒れた。
乾いた土が顔に張り付く。うつ伏せになって考えた。
(ろうして、こんな辛い目に合わなきゃいけないの…)
(会いたいよぉ…おかあしゃん…おとうしゃん…)
(ののも…そっちいっていいれすか…)
「起きてぇ!」
その声は天から聞こえているみたいに聞こえた。
「ひとりにせんといてぇ!起きてよぉ!」
あの女の子だった。一晩中ずっと一緒に歩き続けた名前も知らない子。
希美を抱えて泣いていた。それが希美にはまるで、自分の様に映った。
ペロッ。
「うひゃあ!」
起き上がった希美が、いきなり自分の頬を舐めたので亜依は変な悲鳴をあげた
「涙、おいしいのれす」
「エヘ…アハハ…変な子」
(もうちょっとだけ、がんばってみよう)
希美は立ち上がった。自分が死んだらこの子は一人になってしまう。
だからもうちょっとだけ頑張ろう、そう思った。
しかしこの日も、二人の前に望むモノは現れなかった。
そしてその翌日も…。
三日三晩、二人は飲まず喰わずで歩き続けた。
木の根元に二人並んで横になった。
「うちら死んじゃうのかなぁ」
「…わかんない」
「嫌やなぁ…」
「嫌れすね」
「なぁ…将来の夢ってある?」
「将来の夢ぇ?……ん〜ん、ない」
「うちはある。あった。もう叶いそうにないけど」
「なぁに?」
「死んだおとん、格闘技してたんや。全然よわかったんやけど」
「フーン」
「そのおとんが褒めてくれたん。亜依は強い子やって、いつか一番になれるて」
悲しげに語る亜依の横顔を、希美はじっと見つめた。
とっくに涙も枯れ果てたその双眸が、夢の終わりを告げていた。
「一番…なりたかたなぁ…」
この子を死なせたくない、と希美は思った。
その想いが限界をとっくに超えた希美の体に奇跡を呼び起こす。
希美は亜依を担いで起き上がった。
「うわっ!なんや!」
「行こ!あとちょっとらけ!行こ!」
「え?」
「あきらめないれ!ののも亜依ちゃんの夢を追いかけたいよ」
「…!」
(どのみちもう助からへん。それなら夢追いかけて死んでも同じか)
(この変な子につきおうても…ええやろ)
亜依も自らの足を地に踏みつけた。弱々しい笑みをこぼす。
二人は肩を抱き合い、フラフラの体を互いに支えあって、また果て無き道を歩き始めた。
…
それからどれくらい歩いてだろう。二人の前に澄んだ湖が姿を現す。
死の狭間で、二人は命を得た。
「そういえば名前、まだちゃんと聞いてへんかった」
「辻希美!ののって呼んで!」
「加護亜依や。あいぼんでよろしゅう」
「エヘッ」
「エヘヘヘヘへヘ」
「アハハハハハハハハハハ!!」
意味もなく二人は大笑いした。
共に死を乗り超えて初めて自己紹介なんて、なんだか可笑しくて仕方なかった。
救助隊が二人を発見したのは、それから半日後。
病院に担ぎ込まれた二人は治療よりもまず、たらふくの御飯を要求したそうだ。
それから約3年間は、二人は同じ病院と施設で過ごした。
中学卒業と同時に上京。多額の保険金を元に、二人暮らしを始める。
もちろん夢を追いかけるために。
あいぼんはののの太陽なのれす
あいぼんの夢があるから、ののは生きることができたのれす
違うで、のの。
うちは何度も諦めようとしてた。
ののがいたから、うちはまだ夢を追えてるんや。
ほんまの太陽はお前や、のの。
ありがとう、あいぼん。
あいぼんは絶対一番強くなれる。ののが言うんだから絶対!
ねぇあいぼん…
あいぼ…
あい…
…
「残念だが、この腕、もう完治には至らん」
夢の時計がその針を止めた。
医師は淡々と淡々と夢の終わりを告げる。
「大丈夫、日常生活に差し障りない程度には戻るよ。
だが激しい運動は避けてくれ。取り返しのつかないことになる」
希美は亜依の背中を凝視した。
亜依はピクリとも動かない。一言も声を出さない。
だから代わりに付き添いの希美が医師に尋ねた。
「格闘技は?試合はできるんれすか?」
「試合?冗談じゃない!そんなことしたらもう二度と、その腕使えん様になるぞ」
「嘘れすよね…」
「医者が嘘いってどうなる?そうか、これは格闘技で折れたものか。
偶然かもしれぬが、この折り方は酷いの。そうなる様に折ってある」
偶然を医師は願った。
こんな折り方が故意にできるとすれば、それはもうヒトではない。
「嘘ら嘘ら嘘らぁーーー!!!」
希美の狼狽は尋常なものではなかった。大声で泣き叫んだ。
(あいぼんは絶対一番強くなれる。ののが言うんだから絶対!)
二人の夢が、希望が、道が、消えた。