その紙切れを読むと、ふいに裕ちゃんが哀れに思えた。
いやそれは、哀れという感情よりも、
足を、いたずらな子供にむしり取られたアリを見ている気分に似ていた。
むしろ、そんなアリの方がかわいそうだとさえ、私には思えた。
裕ちゃんは、今の私にとって、アリ以下の存在だ。
そう結論付けてしまうと、私は途端に愉快になった。
そして、未だに私の力任せな両手につかまれて、
わなわなとふるえている裕ちゃんに、へらへらっとした笑顔を向けた。
これは、裕ちゃんの一番嫌いな行為だ。
昔、こうして怒られたことを未だに覚えている私もすごいが、
あの時の裕ちゃんの怒りようといったらなかった。
今でも、あの時の言葉の抑揚から声色まで鮮明に覚えているぐらいだ。
「あんた!何がおかしいんや!ええ加減にしい!ウチはそういうのが一番嫌いなんや!」
娘。に入りたてだった頃の私は、何かあればいつもへらへらとしてごまかしてきた。
歌の覚えが悪いと言われても、踊りの覚えが悪いと言われても、遅刻するなと言われても、
あの頃の私はいつも、へらへらと笑っていた。感じの悪い子だった。
思えばあれが、あの頃の私の、良心の叫びからの逃げ道だった。
それが裕ちゃんには気に入らなかったらしい。
私はスタジオで歌入れの後、シャワー室に無理矢理連れ込まれて、無茶苦茶に怒鳴られた。
その時、まず最初に裕ちゃんの口をついて出たのが、あの言葉だった。
私は泣きながら、裕ちゃんに謝った。そして、夏先生やつんくさんにも、
マネージャーさんにも、ディレクターさんにも、私に関わった色んな人たちに謝った。
それから、私はへらへらとした笑いを封印した。
その代わりに、私はふにゃっとした、人の心を優しくさせる笑い方を覚えた。
ふにゃっとした笑いは、言ってしまえば、私の良心の最大限の現れだった。
そしてそれらは結局、全て裕ちゃんのお陰だった。
私はへらへらとしながらそこまでを思い返すと、可笑しくてふきだしそうになった。
私の良心を取り戻してくれたはずの裕ちゃんが、今度は私の良心を、
結果的にへし折る形になったからだ。これが笑わないでいられるだろうか。
しかも、それが一年越しの壮大な伏線となって今に繋がっていると考えると、
尚の事、私は笑わざるを得なかった。
そして、へらへらしながらワハハッと大声で笑い出した私に、
裕ちゃんはやっぱり、期待通り、伏線通りの反応をした。
「あんた!何がおかしいんや!ええ加減にしい!ウチはそういうのが一番嫌いなんや!」
私はおかしくておかしくて、また腹の底から笑った。腹筋が筋肉痛になるかと思うほど笑った。
裕ちゃんは、私のそんな様子を見て、顔を真っ赤にして、何か言いたそうに、
ただわなわなとふるえるだけだった。
そのうちに、いい加減笑いも収まった私は、一つ裕ちゃんをおちょくってやろうと考えた。
私は大袈裟に手を叩きながら、またわざとへらへらと笑って言った。
「あははっ、いや〜、裕ちゃん面白いね〜。ていうか、面白すぎ。」
「あぁ?」
裕ちゃんは眉間の間にものすごいしわを寄せたまま、ドスの効いた声で私に迫る。
おお。恐えー。
私は、客観的に、裕ちゃんが恐い、と見つめることが出来た。
私にしては驚くべき格段の進歩だった。
そして私は裕ちゃんの目を見つめると、へらへらと笑って続けた。
「裕ちゃんさぁ、そういう顔やめなよ。せっかくのキレイな顔が台無しだよ?」
「喧嘩、売ってんのか?」
裕ちゃんの言葉は冷たく熱を帯びていた。
その言葉を聴いた私はふざけて「うはぁ、恐いなぁ〜。」と言った。
裕ちゃんが拳を固く握り締めているのが見えた。
私はドキドキしていた。良心が私を突き動かすドキドキではなくて、
ヤグチさんをぶっ殺した時のようなドキドキ。
小学生の頃の、クリスマスの朝を待ち焦がれるドキドキ。
これだけ気丈な裕ちゃんの良心をへし折る。
それを考えるだけで、ドキドキとする胸の鼓動はさらに速くなった。
「ほら、もう。裕ちゃん、笑って笑って。楽しく行こう楽しく!」
「ヤグチさんのことなんて、もう関係無いよ!」
「そんなこと気にするより、今を生きなきゃダメなんだよ!」
私はハイテンションになって、裕ちゃんに熱弁した。
私の人生観を。今の私の心境を。汗を飛ばしながら熱弁した。
だけど、そうして熱弁を奮う私を見つめる裕ちゃんの眼が反抗的だった。
それは私の気にいらなかった。私はへらへらとした笑いを止めて、裕ちゃんに問い掛けた。
「楽しい?」
裕ちゃんは俯いて、固く握り締めた拳を2、3度閉じたり、開いたりすると、
急に顔を上げて、精一杯の毒を込めて、私に言い放った。
「不愉快や。」
カチンと来た。
私は床に転がっていたピストルを素早く拾い上げると、
裕ちゃんの額に押し付けて、引き金に指を掛けた。
今度は、手は、震えなかった。
「楽しいでしょ?」
私は、裕ちゃんの耳元に口を近づけてそう言った。手が震えない代わりに、怒りで唇がふるえた。
まだ言い足りなかったけど、舌がもつれた。そして、その行き場の無い怒りが更に私を駆り立てた。
裕ちゃんの洋服の襟を掴んで、押し倒す。馬乗りになる。
そうした上で、ピストルをグリグリと額に押し付ける。
こうした全てのことが、あまりに容易に行われて、私は内心つまらなくなった。
「ねぇ、どうしたの?裕ちゃん。」
「不愉快なんでしょ?」
「私がヤグチさんを殺したことに、腹立ててるんでしょ?」
「それでもって、私がへらへらいつまでも笑ってるから、ムカつくんでしょ?」
「だったら、もっと抵抗しろって。」
「ムカつくんだったら、キレてみろってば。」
私はそう言いながら、襟首をぐいぐいと締め付け、ピストルで額を打ち付けた。
そうして裕ちゃんの額から流れる赤色の血をみると、少し満足した。
そしてヤグチさんのことを思い出した。
「ヤグチさんを殺した時は、面白かったなぁ。」
「わたし、自分がまさかSっ気があるとは思ってなかったしね。」
「むしろMだと思ってたぐらいなんだけど、」
「ヤグチさんがちぢこまって、私を恐がってるのを見るのは、」
「もうワケわかんないぐらいの快感だったよ。」
私はそこまで話すと、私の手元で顔を真っ赤にしている裕ちゃんを眺めた。
顔が真っ赤なのは、私が首を締め付けていたことだけに起因するのではない。
きっとキレてるんだろう。私はウキウキした。ドキドキした。
ふいに私は自分をひどく客観的に見つめた。前にも、こんな人間を見たことがあった。
それは私じゃない。私は記憶をたどった。外では雨が降っている。ファミレス。
そして、よしこの顔が浮かんだ。
今の私は、あの時のよしこと全く同じだ。
私はヤグチさんのことを話しながら、たぶんニヤニヤしていたんだろう。
私のお母さんと弟を殺した話をするよしこみたいに。
「ねぇ。裕ちゃんだってさ。殺そうと思えばいつでも殺せるんだよ?」
「ヤグチさんみたいに、思いっきりいたぶって、殺してあげたっていいんだよ?」
「やっぱさー、それが嫌ならさー。」
「こう、謝るとか、抵抗するとか、どっちかにしなきゃ、ダメじゃん?」
そこで、私は一息ついて、また一段とへらへらっとした笑顔を作って言った。
最大限の皮肉と、挑発を込めて言った。
「その歳でマグロはかっこわるいよ?裕ちゃん?」
更新終了。
>>195 短編の方まで読んでいただいてありがたいです。感謝。
>>196 わざわざネカフェからありがとうございます。感謝。
更新乙です。
握手会裕ちゃん綺麗だったなぁ。
ここの後藤はいちいちカコ(・∀・)イイ!!なぁ
更新期待保全中。。。
俄かに、裕ちゃんの眼が確固とした意思を持って、私の目を見据えた。
その眼に覗くのは、怒りでも、反抗心でも、正義でもなく、
ただ哀れむような感情だけだった。私は理解に苦しんだ。
哀れみは、蔑みと似ている。
もちろんそこには、心からのかわいそうだなんて気持ちは全く無い。
かわいそう、という気持ちは偽善的なもので、人はその気持ちを感じるとき、
「ワタシはその人に比べるとマシだわ」とかいう無意識的な優越感を感じている。
これはきっと誰だってそうだ。誰がどんなにワタシは違うと言い張っても、
心から他人のことをかわいそうだ、哀れだと思えるのは神様か仏様ぐらいしかいない。
そして、裕ちゃんは断じて神様でも仏様でもない、
それどころか、私からしてみると、アリ以下で、どうにも出来そこないの人間だ。
それがどうしてそんな感情を含んだ眼を私に向けるのか?
その疑問に対する答えは、裕ちゃんは私よりも優越していると考えているからだ、
としか言い様がない。ピストルを頭に突きつけられて、散々な侮辱をされて、
そんな状況なのに、優越していると感じる。
それはどういうことだろうか?
私は今度は逆に裕ちゃんの眼を見据えた。
眼には一貫して、哀れみだけが覗いていた。
前にも思った通り、私はあの時のよしこにそっくりだったけど、
裕ちゃんは、あの時の私にはあまり似ていなかった。
私はまたイライラし始めた。裕ちゃんの哀れむような眼が気に入らなかった。
ヤグチさんのように、私を恐れて欲しい。やめて、と懇願して欲しい。
どうしたら私を恐がってくれるの?
どうしたら私を気持ちよくさせてくれるの?
そうするには、もっと裕ちゃんを追い詰めなきゃいけない。
よりすがれるような物を取り払ってしまわなければいけない。
そうして、私がピストルを握る手に一層力を込め、裕ちゃんの眼を見据えると、
裕ちゃんが苦々しく口を開いた。
「可哀想やなぁ。惨めやわ、ごっちん。」
「ウチの知ってるごっちんは、もっと可愛くて、優しくて、ええ子やったで。」
「……ほんま、そうやわ。昔は、良かった。」
裕ちゃんはそこでフフッと自嘲的に笑うと、続けた。
「どしてこんな風になってしまったやんやろな。」
「ウチが娘。抜けてから一体何があったんやろな。」
「なあ、ごっちん。何があったんや?ウチに話してみ。」
「前も言うたやん?ウチはごっちんの倍近く生きとるんやし、何でも相談してええんやで。」
そう言って私の目を見つめる裕ちゃんの頭を、私は、ピストルの握りのところで、
何度も何度も殴った。殴っても殴っても、殴り足らなかった。
そして、頭からダラダラ血を流しながらぐったりしている裕ちゃんを見ると、
悔しいながらも、笑いが込み上げて来た。
「話すことなんてあるわけないじゃん。」
「だって、こんなの全部ゲームだよ?みんなそうなんだよ?」
そう言いながら、私の内側に何か込み上げて来るものがあった。
それは、さっき捨てたはずの物、折れてしまった私の良心。
又再び良心に縛られてしまうのは、この上ない恐怖だ。
だから、それを振り払うように、私は叫んだ。
「そうだと思わなきゃ出来るわけないじゃん!」
私は、こちらを呆然と見つめている裕ちゃんの、ぽかんと開け放した口の中に、
ピストルを突っ込んだ。
ここで撃てば、私は真に強くなれる。良心から完全に解放される。
そうは思うものの、手がやたらにぶるぶると震えて、全く力が入らなかった。
そして、裕ちゃんの私を見る眼が、私の撃とうという意志を削いで行った。
ヤグチさんに対して出来て、どうして裕ちゃんに対して出来ないことがあろうか。
私はそう自分に喝を入れながら、ピストルを両手で握る。
それでも、引き金はびくともしない、ピストルはぶるぶると私の手の中で踊るばかりだ。
撃てない。
裕ちゃんの視線が私に突き刺さる。裕ちゃんの言葉が今更、私に突き刺さる。
ふいに身体中の力が抜けた。私はもうダメだ、と思った。
裕ちゃんの口の中からピストルを抜き出すと、
それを素早く自分のこめかみに当てて、眼を瞑った。
握る手に力を込める。手は震えない。引き金を引く。
「何するんや!ごっちん!」
裕ちゃんの声が遠くに聴こえた。そして、
バンッ
何故か後ろの、遠くの方からピストルの破裂音が聞こえた。
眼を開けると、額から上の部分が真っ赤に消し飛んでしまった裕ちゃんがいた。
私は自分のピストルを確認する。銃口は私のこめかみに当てられていて、引き金は引かれている。
「OH!ドラマティックな展開だねー!」
後ろから例の聴きなれた声がした。私はまたあいつかと思うと、反吐が出そうになった。
私の目の前で、額から上が真っ赤に消し飛んだ裕ちゃんがゆっくりと倒れて行く。
それがなんだか、すごく悲しくて、少し涙が出た。
裕ちゃんがドサッと床に倒れる音と共に、私は後ろを振り向いた。
「ちぃーす。お待ちかね。吉澤ひとみさんだよー。」
そこには、右手にピストルを持って、左手で軽く敬礼をしながら、
人懐っこい笑顔を私に向けるよしこが居た。
私は少し出た涙を拭いながら、やっぱりこないだと同じ質問をした。
「ねぇ、よしこってさ。何なの?」
そうするとよしこはやっぱり、ちょっと偉そうに胸を張りながら答えた。
「何って、失敬だね、きみぃ。私は、吉澤ひとみだよ。よ・し・ざ・わ・ひ・と・み。」
「そういうこと訊いてるんじゃねーんだよ。」
そう言ってケラケラ笑うよしこに私は毒づいた。
精一杯毒づいたつもりだったけど、よしこはそれを全く意に介さない。
「まあ、ここじゃコレが臭いし、なんだから、外出てお話しようよ。」
よしこはそう言いながら裕ちゃんを蹴り上げた。裕ちゃんの身体がぐにゃりと不自然な格好に曲がった。
私はよしこに殴りかかりたい衝動を抑えながら、大人しくよしこの後をついていった。
だけど、私は大人しくよしこの後について行きながら、自分の右手に握ったピストルを見つめて、
外に出たらこれでよしこのことをぶん殴ってやろうと思った。
更新終了。
レスありがとうございます。最近更新が遅くて申し訳ないです。
もう愛想つかされたかも知れませんが、どうかまったりと読んでやってください。
n日までには一区切り付けたいと思っております。
中澤・・・・やっぱ一筋縄ではいかないのか
後藤の葛藤がいい感じで書かれてて入り込んじゃう
更新乙です
更新遅くても、ちゃんと待ってますよ〜
てst
更新期待保全
test
よしこが野暮ったい鉄の扉のノブをひねると、身体にまとわりつくような、
夏特有の生ぬるくて気持ちの悪い風が、扉の隙間から吹き込んできた。
私はこの湿気を帯びた風の匂いも、肌触りも、全てが嫌いだった。
だからその風を身体に受けると、私は反射的に身震いをした。
そして、ピストルを握る右手にギュッと力を込めた。
――――全力でぶん殴ってやるよ。よしこ。
人を全力でぶん殴るには少しの助走距離がいる。
裕ちゃんのカタキを討つチャンスは、よしこが扉を開けきった瞬間。
その瞬間に、全身全霊全体重をかけて、このピストルでよしこの頭を、
ぶん殴ってやればいい。思いっきり、ぶん殴ってやればいい。
今までの全ての怒りを込めて、ぶん殴ってやればいい。
そうして私は、また右手に力を込める。
だけど、すぐそこまで迫っているはずのチャンスはなかなかやって来なかった。
私の目の前に居るよしこは、ドアのノブに手を掛けた姿勢のまま、
なかなか動こうとせずに、もったいぶった風に髪をかきあげた。
ふぅ、とよしこの軽い溜息が聞こえた。
「ねえ、ごっちん。」
よしこはやっぱりノブを握った姿勢のまま、私に呼びかけた。
思わず私は身を硬くした。その声はなんとなく、あきれの色合いを含んでいた。
「あのさ、私がさ、このドア開けたらさ、」
「そのさ、右手に持ってるさ、銃でさ、」
「私のこと、殴ろうとか思ってない?」
そう言ってよしこが振り返ろうとする前に、私は行動に出た。
今の状況で出来る限りの勢いでもって殴りかかる。
悟られてしまっては仕方が無い。どんな結果に出るにせよ、私は、
裕ちゃんのカタキを、よしこに対する反抗心を、形として示してやりたかった。
ドンッと鈍い音がした。鳩尾に食い込む鈍い痛みがした。一瞬たってから、
喉の奥の方から込み上げてくる激しい吐き気がして、私は、
その吐き気を抑えることが出来なかった。
私の鳩尾に食い込んだよしこの左腕は、そのまま倒れこむ私の身体を、
優しく抱えると、よしこは扉を身体で押し開けて私を外へと連れ出した。
よしこの馬鹿力で殴られた鳩尾は、また痛みをもって胃を刺激して、
私は吐いた。
この吐き気は、このゲームに対する嫌悪感。
そして、この私の胃から吐き出された黄色くてすっぱい液体は、
私と裕ちゃんと、私たち二人の溜りに溜まった涙の代わりに思えた。
「きったないなぁ。もうねぇ、あんまり世話焼かせないで欲しいんだけどねぇ。」
よしこはそう言って、自分の腕に抱えられている私の顔をチラッと見た。
私はカチンと来て、よしこの腕を振り払う。こんなよしこの腕に支えられているのは嫌だった。
このゲームに完全に組み込まれて、私たちを陥れて行くよしこが、嫌だった。
前からそんなことは分かっていたけど、改めて、嫌だと思った。
それでも結局、私は、このよしこに何も示すことが出来なかったんだと思うと、
闇雲に悔しくて、悲しくなった。すると今度は、ちゃんとした涙が出てきた。
涙を流すと、鳩尾が痛んだ。裕ちゃんも泣いているんだ、と思った。
そして、鳩尾を殴られた痛みでふらふらしながら、廊下の手すりに身を預ける。
雨は止む様子も見せずにザーザーと降っている。雨の匂いがする。
悔しい悔しいと思う頭の中に、また、あの疑問が浮かんで来た。
「……ねぇ、よしこ。」
喋ると少し、鳩尾がキリキリと痛んだ。
それでも、どうしても、今、訊かなくちゃいけないと思った。
よしこの方を振り返ると、私には、その時のよしこの顔が、
何故か、ひどく申し訳無さそうに見えた。
「あんたってさ……何なの?」
私に腕を払われてから、よしこは、壁にもたれて俯いていた。
そのよしこの表情は、私に何かを期待させた。
よく分からないけど、私にとって良いことのような、
そんなことを私に期待させているような気がした。
よしこは自嘲的に笑うと、いつもみたいな舐めた返し方はしなかった。
「私はね。……このゲームの参加者の一人、かな?」
私とよしこは降り続ける雨を見つめる。さっきは思わなかったけれど、
この雨の匂いは懐かしい匂いだと思った。
「知りたいんでしょ?このゲームのこと。」
よしこは優しい顔をして、廊下の地べたにベシャっとつぶれるように座ると、
自分の隣を手で叩いて、私もそこに座るように促した。
よしこの瞳を見ると、妙に懐かしい、いつものよしこの人懐っこさが覗いていた。
そして私も、ソコによしこと同じように座った。
昔、女子高生なんかがこうやって街中の地べたに座ってるのを見ると、
当時中学生だった私は、なんかみっともないなぁと思っていたけれど、
背中に伝わる、廊下の壁のひんやりとした温度が、妙に気持ち良かった。
◇
まあ例えば、今の立場から自分の人生の過去を見渡すとさ、
あれは運命だったとか、必然だったとか思うじゃん。
ロマンチックな発想かもしれないけどさ、思い出ってさ、そんなもんじゃん?
まあ、よーするに、人生ゲームはそんな感じな、ゲームなわけよ。
私の言いたいこと分かる?
よーするに、よーするにだよ。
人生ゲームのシナリオは、全部決まってるんだよ。私のも、ごっちんのも。
◇
よしこはなんだか難しい話をした。
私に分かったのは、この人生ゲームのシナリオは、もう決まっていて、
私やよしこはそのシナリオを忠実にたどり、演技しているだけに過ぎない、ということ。
そして、このゲームの黒幕がよしこでは無い、ということだけだった。
すると私の頭の中に、また新たな疑問が生まれた。
「じゃあさ、このゲームの目的は何なのさ?」
不思議だった。決まりきったシナリオをたどるだけのこのゲームに、何の意味があるのか。
私は愚痴るように、よしこにそう訊きながら、思い出してみる。今ままでのことを思い出してみる。
――――人生をかけて遊ぶゲーム
――――このゲームは……新しい人生をすごしてもらうというゲームです。
――――あんたはこの人生ゲームに参加した時点で、こうなる運命だったわけだから。
サヨナラだよ、ごっちん。じゃあね。バイバイ。
――――矢口真里を殺せ。
――――今、目の前にいる人間を殺せ。
分からない。新しい人生を過ごす?運命?サヨナラ?よく分からない。
よしこの行動の意味も、よく分からない紙切れの指示の意味も、分からない。
よしこが私にしたこと、それは果たして意味があるのか?
紙切れの指示、それは果たして意味があるのか?
決まっているシナリオなら、そんなもので私を惑わせて、何の意味があるのか?
よしこは私を殺したかったんじゃないのか?私はこのゲームに何を求めていたのか?
裕ちゃんはどうして、死ななきゃいけなかったのか?
私が死ぬべきじゃなかったのか?それも全部決まってたとでも言うんだろうか?
分からない、疑問符だらけの私の頭に、すっと入り込んでくる声があった。
それはよしこの愉快そうな声。むかつきもするし、安らぎもする、不思議な声。
「目的?じゃあさ、ごっちんは、人生に目的があるとか思ってるわけ?」
その声に引き戻されて、私はよしこの目を見つめた。
よしこは、まっすぐで、ウソイツワリの無い、本当にキレイな目をしていた。
「私はさ、人生は目的を探し続けるものだ、とか偉そうなことは言わないよ。」
「だけど、人生って、楽しければいいと思わない?」
「だからさー、人生ゲームもそうだと思うんだよね。私は。コレ、個人的見解。」
そう言うと、よしこは人差し指をピンと立てて、偉そうに2、3度振ると、
私の顔を見つめて言った。
「私の言ってること分かる?」
「よーするに、楽しければいいんだよ。目的とかじゃなくて。」
よしこはいいさ、自由気ままにやってりゃいいんだから、
私を殺そうとしてみたり、ヤグチさんを殺せとか言ってみたり、
裕ちゃんのことを殺したり、それでもって、その死体を蹴飛ばしたり。
それがよしこにとっては、楽しいんだから、よしこはいいさ。
私はどうだ。私は確かに望んでこのゲームに参加したようなもんだ。
だけど、私はよしことは違う。このゲームに楽しさを見出せなかった。
ヤグチさんを殺した。だけど手が震えた。裕ちゃんを殺そうとした。
だけどダメだった。自殺も出来なかった。そして悩んだ。分からなくなった。
ちっとも楽しいことなんか無い。悩んで悩んで、苦しいばっかりだ。
ヤグチさんを殺したときのことを思い出して、自分自身を嫌いになるばっかりだ。
それに加えて、この一連のシナリオは決まっていた。
私が悩もうと、悩むまいと、この一連のシナリオは決められた通りに、
消化され、演技されていた。なんだこんなゲーム。作り物じゃないか。
現実以上に作りこまれて、私の嫌いな、予定調和じゃないか。ふざけんな。
「でね、ごっちんにはあんまり深く考えて欲しくないんだけど」
「とりあえず、このゲームを滞りなく続けるべきだよ。」
「シナリオは決められてるって聴いて、くだらないとか思うかもしれないけど、」
「それでも、投げちゃダメだよ。」
俯いてブツブツと一人の世界に入ってしまっていた私に、よしこは優しい声で語りかけていた。
私はその時、自分の殻に閉じこもりすぎて、よしこの救いを求めるような視線に、
気がついてやれなかった。よしこは私に語りかけてるようで、自分自身に語りかけていた。
「あーあ、私も疲れちゃったな。」
よしこはそう大きな独り言を言った。
その独り言は、完全に自分の思考に閉じこもってしまった私を、少なからず意識していた。
「私もさ、このゲームが楽しいってわけじゃないんだよね。」
「ごっちんにはそこを分かって欲しかったな。」
「私だって、悩んだんだよ。苦しかったんだよ。」
よしこはもう何を言ってもどうしようもない私に向かって、
もう一度優しい笑顔を向けると、意味深な溜息をついた。
「頑張れよ。ごっちん。」
ガチッ。と、私の隣で、どこかで聴いたことのある音がした。
その音に、少しだけ現実に引き戻された私が隣を振り向くと、
ゲキテツの起こされたピストルを口に差し込んでいるよしこがいた。
よしこは振り向いた私をチラッと見て、ウィンクを一つすると、引き金を引いた。
今までで一番大きな銃声と共に、よしこは廊下の壁に盛大で、真っ赤な花を咲かせた。
私はそれを見て、またしてもやってしまったと思った。また涙が出た。
この涙は、私と裕ちゃん、それとよしこの、3人の涙なんだと思った。
私は涙を拭い、よしこだったモノが握っているピストルをもぎ取ると、
雨の振りつづけている外へと駆け出した。
時間が無い。
私は雨に打たれるのも構わず、水溜りがハネるのも構わず、全力で走った。
早く、あのファミレスに早く行かなくちゃ、間に合わなくなる。
何が間に合わなくなるのか、よく分からなかったけれど、
私はとにかく急がなくちゃいけないと、感覚的に分かった。
今なら、シナリオの決まった人生ゲームの中を生きてきた、
よしこの気持ちが分かる気がした。
こんなに苦しいもんだとは、思わなかったよ。ごめん、よしこ。
更新終了。
すいません、えらく間が空いてしまいました。
色んな都合で来年の頭までには、なんとか終わらせようと思います。
量と頻度は増えると思いますので、それまで、お付き合いください。
>>225 ほんと嬉しい、励みになります。ありがとうごさいます。
>>226 もう、ただただ感謝です。ありがとうございます。
>>227-
>>229 保全ありがとうございます。ぼちぼちヤバイですね。
245 :
sage:03/12/23 12:36 ID:5NIzEksO
test
更新おっつー
保全しまー
恐いので自己保全。早目に更新しようと思いつつも、
あんまり展開が浮かばなかったり。
でも、どのみち、終わりは近うございます。
一応ホゼン
ほ