俄かに、裕ちゃんの眼が確固とした意思を持って、私の目を見据えた。
その眼に覗くのは、怒りでも、反抗心でも、正義でもなく、
ただ哀れむような感情だけだった。私は理解に苦しんだ。
哀れみは、蔑みと似ている。
もちろんそこには、心からのかわいそうだなんて気持ちは全く無い。
かわいそう、という気持ちは偽善的なもので、人はその気持ちを感じるとき、
「ワタシはその人に比べるとマシだわ」とかいう無意識的な優越感を感じている。
これはきっと誰だってそうだ。誰がどんなにワタシは違うと言い張っても、
心から他人のことをかわいそうだ、哀れだと思えるのは神様か仏様ぐらいしかいない。
そして、裕ちゃんは断じて神様でも仏様でもない、
それどころか、私からしてみると、アリ以下で、どうにも出来そこないの人間だ。
それがどうしてそんな感情を含んだ眼を私に向けるのか?
その疑問に対する答えは、裕ちゃんは私よりも優越していると考えているからだ、
としか言い様がない。ピストルを頭に突きつけられて、散々な侮辱をされて、
そんな状況なのに、優越していると感じる。
それはどういうことだろうか?
私は今度は逆に裕ちゃんの眼を見据えた。
眼には一貫して、哀れみだけが覗いていた。
前にも思った通り、私はあの時のよしこにそっくりだったけど、
裕ちゃんは、あの時の私にはあまり似ていなかった。
私はまたイライラし始めた。裕ちゃんの哀れむような眼が気に入らなかった。
ヤグチさんのように、私を恐れて欲しい。やめて、と懇願して欲しい。
どうしたら私を恐がってくれるの?
どうしたら私を気持ちよくさせてくれるの?
そうするには、もっと裕ちゃんを追い詰めなきゃいけない。
よりすがれるような物を取り払ってしまわなければいけない。
そうして、私がピストルを握る手に一層力を込め、裕ちゃんの眼を見据えると、
裕ちゃんが苦々しく口を開いた。
「可哀想やなぁ。惨めやわ、ごっちん。」
「ウチの知ってるごっちんは、もっと可愛くて、優しくて、ええ子やったで。」
「……ほんま、そうやわ。昔は、良かった。」
裕ちゃんはそこでフフッと自嘲的に笑うと、続けた。
「どしてこんな風になってしまったやんやろな。」
「ウチが娘。抜けてから一体何があったんやろな。」
「なあ、ごっちん。何があったんや?ウチに話してみ。」
「前も言うたやん?ウチはごっちんの倍近く生きとるんやし、何でも相談してええんやで。」
そう言って私の目を見つめる裕ちゃんの頭を、私は、ピストルの握りのところで、
何度も何度も殴った。殴っても殴っても、殴り足らなかった。
そして、頭からダラダラ血を流しながらぐったりしている裕ちゃんを見ると、
悔しいながらも、笑いが込み上げて来た。
「話すことなんてあるわけないじゃん。」
「だって、こんなの全部ゲームだよ?みんなそうなんだよ?」
そう言いながら、私の内側に何か込み上げて来るものがあった。
それは、さっき捨てたはずの物、折れてしまった私の良心。
又再び良心に縛られてしまうのは、この上ない恐怖だ。
だから、それを振り払うように、私は叫んだ。
「そうだと思わなきゃ出来るわけないじゃん!」
私は、こちらを呆然と見つめている裕ちゃんの、ぽかんと開け放した口の中に、
ピストルを突っ込んだ。
ここで撃てば、私は真に強くなれる。良心から完全に解放される。
そうは思うものの、手がやたらにぶるぶると震えて、全く力が入らなかった。
そして、裕ちゃんの私を見る眼が、私の撃とうという意志を削いで行った。
ヤグチさんに対して出来て、どうして裕ちゃんに対して出来ないことがあろうか。
私はそう自分に喝を入れながら、ピストルを両手で握る。
それでも、引き金はびくともしない、ピストルはぶるぶると私の手の中で踊るばかりだ。
撃てない。
裕ちゃんの視線が私に突き刺さる。裕ちゃんの言葉が今更、私に突き刺さる。
ふいに身体中の力が抜けた。私はもうダメだ、と思った。
裕ちゃんの口の中からピストルを抜き出すと、
それを素早く自分のこめかみに当てて、眼を瞑った。
握る手に力を込める。手は震えない。引き金を引く。
「何するんや!ごっちん!」
裕ちゃんの声が遠くに聴こえた。そして、
バンッ
何故か後ろの、遠くの方からピストルの破裂音が聞こえた。
眼を開けると、額から上の部分が真っ赤に消し飛んでしまった裕ちゃんがいた。
私は自分のピストルを確認する。銃口は私のこめかみに当てられていて、引き金は引かれている。
「OH!ドラマティックな展開だねー!」
後ろから例の聴きなれた声がした。私はまたあいつかと思うと、反吐が出そうになった。
私の目の前で、額から上が真っ赤に消し飛んだ裕ちゃんがゆっくりと倒れて行く。
それがなんだか、すごく悲しくて、少し涙が出た。
裕ちゃんがドサッと床に倒れる音と共に、私は後ろを振り向いた。
「ちぃーす。お待ちかね。吉澤ひとみさんだよー。」
そこには、右手にピストルを持って、左手で軽く敬礼をしながら、
人懐っこい笑顔を私に向けるよしこが居た。
私は少し出た涙を拭いながら、やっぱりこないだと同じ質問をした。
「ねぇ、よしこってさ。何なの?」
そうするとよしこはやっぱり、ちょっと偉そうに胸を張りながら答えた。
「何って、失敬だね、きみぃ。私は、吉澤ひとみだよ。よ・し・ざ・わ・ひ・と・み。」
「そういうこと訊いてるんじゃねーんだよ。」
そう言ってケラケラ笑うよしこに私は毒づいた。
精一杯毒づいたつもりだったけど、よしこはそれを全く意に介さない。
「まあ、ここじゃコレが臭いし、なんだから、外出てお話しようよ。」
よしこはそう言いながら裕ちゃんを蹴り上げた。裕ちゃんの身体がぐにゃりと不自然な格好に曲がった。
私はよしこに殴りかかりたい衝動を抑えながら、大人しくよしこの後をついていった。
だけど、私は大人しくよしこの後について行きながら、自分の右手に握ったピストルを見つめて、
外に出たらこれでよしこのことをぶん殴ってやろうと思った。