私がそんなヤグチさんを見て、いつまでもゲラゲラと笑っていると、
笑いすぎで、涙が出てきた。目の前のヤグチさんがぐにゃぐにゃ歪んで見えた。
「ねぇ、あんた、自分が絶対に死なないとか思ってない?」
すぐ近くでふいにそんな言葉が聴こえた気がした。けれど、それはたぶん気のせいだろう。
ヤグチさんは、ぐにゃぐにゃしてはいるけど、まだ私の目の前で銃を乱暴にガチャガチャやってるし、
さっき確認した通り、今このファミレスの中には私とヤグチさんの二人しか居ない。
それでも、このクソッタレなゲームに慣れて来た私は多少用心深くなっていた。
笑うのをやめ、笑いすぎで出てきた涙を手の甲で拭うと、周りを見渡す。
ほらね、やっぱりね、何もないじゃんか。そんなに心配しないでいいんだって。
そう自分に向かって言いながら、左やや後方に顔を向けると、
おでこに硬くて冷たい感触を感じた。
「やっほー。」
またあんたか。
私は、私のおでこに銃を突きつけてるよしこの目を一瞬睨んで、すぐ視線を外すと、
聞こえよがしにケッと言った。そして、自分の銃の握りを確かめた。
そういえばいつの間にか、よしこにやられた肩の痛みは感じなくなっていた。
「ツレナイなぁ、ごっちんわぁ。」
私のおでこに銃を突きつけてニコニコしてたよしこは、
いちいち大袈裟に口をぱくぱくさせて喋ると、これまた大袈裟に溜息をついた。
その仕草が私をいらいらさせることに、気付いているのかいないのか。
ムカムカした私は、ガラにもなく床に向けてペッとツバを吐いた。
大した事の無いチンピラがよくやる手だ。ちょっとした挑発。
ただこれをやる時に重要なことがある。それは相手を本気で怒らせないことだ。
つまり、私の吐いたツバはよしこの身体スレスレの部分にペシャリと落ちて、
よしこを『ほんのり』怒らせるのが、もっとも理想的な形なのだ。
だけどツバは私の狙いを外れて、
ペシャッとよしこの靴の上に丁度よくかかってしまった。
かかってしまった。
「おい。」
私の心配した通り、よしこのほわほわした声色がガラリと変わった。
やべぇ、と思う間もなく、身体はぐいと無理矢理持ち上げられ、壁に押し付けられた。
忘れていた肩の痛みがまたぶり返したようだった。肩がズキズキして、頭がクラクラする。
よしこってこんなに短気な奴だったかな。
そんな平和的なことを思いながらよしこを見つめると、
よしこは、今度はあごの下から、突き上げるように私に銃口をあてがった。
それはなかなかスリリングで、苦しい体制だった。
「なぁ。やっぱ。何。お前。生意気なんだよ。お前さぁ。」
よしこの血走ってる目はなかなかステキだった。
ステキだったけど、よしこの腕の力の強さには思わず少し辟易とする。
「……そうかもね。」
よしこにギリギリとすごい力で押さえつけられながら、そう言うと、
自分の銃の握りをまた確かめた。私はどこまでも生意気だ。
一体いつから私は、こんなに肝の据わった女になったのだろう。
なんてことのないつんくみたいなオカマ野郎にすら逆らえなかった私が、
銃を突きつけられていながら、その相手を挑発するだなんて。
一人でそう思って苦笑すると、いきなりよしこの手の力が緩んだ。
よしこの顔をチラリと見ると、呆れたような、落胆したような顔をしていた。
「はぁ。もういいよ。分かった分かった。私が悪うございました。」
そうブツクサ言いながら、よしこは私から手を離すと、レジの方に向かって歩いていった。
私はよしこがなんで私を解放したのかも分からず、ブツクサ言っていることも意味が分からず、
ただなんとなく身体の力が抜けてしまって、その場に座り込んでぼけっとよしこの後姿を目で追った。
よしこの後姿を目で追っていると、ヤグチさんが目に入った。
よしこが現れたことですっかりその存在を忘れてしまっていたけど、
ヤグチさんはまだ何事かワメきながら、レジの前で銃を乱暴にガチャガチャやっていた。
その様子はなんだか、ゼンマイ仕掛けで動く何かのおもちゃのようで、ひどく哀れに思えた。
サーカスのピエロってのも、きっとこんな感じなんだろうな。哀れだなぁ。
「あったあった。」
その声によしこの方を見ると、よしこは嬉しそうに大声ではしゃいでいた。
私は何があったのやらさっぱり分からないので、じっと見ていると、
どうやらよしこは紙とペンを見つけたようで、それで紙に何かを書き付けていた。
書き終わると、それをそのままペッと私に投げてよこした。
不思議なことに紙はふわりふわりと私の手元まで正確に飛んで来て、
そしてやっぱり不思議な事に、その紙は4つ折りになっていた。
「まぁ、まずはあの壊れちゃったチビを一発殺してやってあげなさい。」
よしこは片方の手を私の肩に掛けて、もう片方の手は、ガチャガチャやってるヤグチさんを指差し、
優しく諭すようにそう言った。そして、私の手の中にあったその紙をくしゃくしゃにして、
私のジーンズのポケットに押し込んだ。
呆然とその一連の流れを眺めながら、私は当然の疑問を口にした。
「ねぇ、よしこってさ。何なの?」
私を殺そうとしてみたり、いきなり現れて私に舐めたことをしてみたり、キレてみたり、
私にヤグチさんを殺してみろと言ってみたり、良く分からない紙切れを渡してみたり、
渡したと思えば、ポケットに押し込んでみたり、全く持って、
よしこの行動には一貫性が無いように思える。
「何って、失敬だね、きみぃ。私は、吉澤ひとみだよ。よ・し・ざ・わ・ひ・と・み。」
よしこはそう言ってケラケラと笑うと、ファミレスから出て行った。
私は、なるほどねぇ。と独り言を言って、手に握られている銃を確かめると、
まだずーっとガチャガチャし続けているヤグチさんに向かって一発撃った。
「ひゃっ!」
その一発はヤグチさんの足をカスっただけだった。
だけど、たったそれだけのことで、ヤグチさんはガチャガチャやっていた銃を投げ捨て、
その場にへたり込んだ。そして、手でバッテンを作って出来る限りの、
最大限の防御体制に入ったようだった。その格好は、
まるでぶたれるのを察して耳を伏せている猫のように思えて、
私は、なんだか少しかわいいなと思った。
手のバッテンのせいで顔は良く見えなかったけど、
どうやらヤグチさんは、泣いているようだった。
「……ピストル…嫌だ……ヤメテ………撃たないで……」
手の間から微かに聞こえるその声が、私になんだかサディスティクな衝動をもたらした。
私はわざと頭は狙わずに、足、腕、肩、手の指先、そんなところばかりを狙っては、
弾が当たる度にあがるヤグチさんの悲鳴に、身体をゾクゾクさせた。
その感じが、人を傷つけているという恐怖から来る物なのか、
人を傷つけているという快感から来る物なのか、私には、全く分からなくなった。
「…ピストル………恐い……イヤダ……痛い……」
私はヤグチさんの消え入りそうなその声を聴きながら、銃を見つめた。
そうか、これはピストルというのか。私も今度からそう言おう。
なんかかっちょいい響きだ。ピストル。ピストル。ピストル。
ピストルか。
ヤグチさん、素晴らしい言葉をありがとう。
サンキュー。グッバイ。ばいばい。ありがとう。さよなら。
今度は、血まみれになって猫のように丸く縮こまっているヤグチさんの頭に、
ピストルを向けた。血の飛び散ったウェイトレスの服は、すごくサディスティクだ。
たまらない。でも、恐い。自分がたまらなく恐い。キモチイイのが恐い。
私としてはこんなかわいいヤグチさんを助けてあげたい気もする。
でも、傷つけるのはキモチイイ、でも、それは恐い。
良く分からなくなってきた。
私はどんどん分からなくなっていくこんな思考を断ち切るために、
引き金をひきたくなった。でも頭を狙うとなると、やたら手が震えて、
なかなか力が思うように入らなかった。私は無理矢理、
両手でピストルを支えると、全身から全ての力を込めて引き金を引いた。
私の手の震えと、引き金を引くのに要した力の割には、
ピュンという音はあまりに軽薄に響き、あっけなくヤグチさんの頭は飛び散った。
それでも、金髪と血の赤色のコントラストは息を呑むほど美しく、儚く見えた。
ピストル。ピストルかぁ。ピストルは恐いなぁ。
なんか動きの鈍い血を吸いすぎた蚊を殺してしまったような、
そんなあっけなさばかりが、美しさとは裏腹に、私の心に残った。
私は、ヤグチさんの残骸をファミレスに残したまま、そこを後にした。
ピストルはジーンズのポケットに適当に突っ込んだ。
ファミレスの外は相変わらず、雨がざんざか降っていて、
私はまた色んなことを思い出して、気分が悪くなりそうだった。