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矢口真里を殺せ。
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例の紙切れの文句が、私の頭の中をバカに鮮明に、慌しく駆け巡る。
そうしなければならないような義務感と、銃を向けられていることから来る焦燥感が、
私を冷酷かつ利己的にさせた。無我夢中だった。
――――ヤらなきゃこっちがヤられるだろ。
そんな簡単な思考の下、私は、何のためらいもなくジーンズのポケットから銃を取り出し、
引き金に指をかけ、一息つく暇も無く、撃つべき『目標』に向かって銃を放った。
ピュンというどこか聞き覚えのある音。ガシャンという何かの割れる音。
ガツンと腕に来る反動。そして、その反動にバランスを崩されてぶっ倒れる私。
紙切れの文句が頭を駆け巡ってからそれまで、一瞬のことだった。
その間、私は驚くほど利己的で自己中な人間になっていた。それだけど、
いや、それだからこそ、自分以外、何も見えちゃいなかった。
「腰が入ってないね。腰が。」
転がったままの私の頭上から、
ちょっと勝ち誇ったようなヤグチさんの声が聞こえる。なんだかむかつく。
私が初めて撃った銃弾は、ヤグチさんの小さな背の遥か頭上を越え、
なんちゃらかんちゃら寄贈、みたいな結構高そうなオブジェを壊しただけ。
そんなわけだから、ヤグチさんはケガ一つせずピンピンしていて、
私がヤグチさんに目をやると、もちろん、片手にはまだ、
今にもゲキテツが引かれようとしている銃を携えていた。
これはまた、ピンチって奴ですか。
私は一体、このゲームに足を突っ込んでから、何度生命の危機に晒されてるんだろう。
でも、また助かるのかなぁ。なんかこう、奇跡みたいな奴が私にはついてるような、
そんな気がするなぁ。でも、よしこに殺されなかっただけで、なんかもう奇跡なんだよね。
あー、ていうか、私、マジでヤバいな。
ヤバイよね。ピンチだよね。私。
そんなふうに、私は何故か不謹慎にも、恐怖を感じるより、
ちょっとワクワクが混じったような、そんな気持ちを感じていた。
ドラゴンボール的に言うと、私こんなにやべぇ時だっていうのに、
すんげぇワクワクして来たぞ。みたいな。
「お客さんねぇ。ダメじゃん?そっちから撃ったのにそんなんじゃあ。」
「こうさぁ、喧嘩売るならさぁ」
「オイラをもっと興奮さしてくれるようなこと、してくんなきゃダメじゃん?」
ヤグチさんはニカニカ笑いながら、ベラベラと嬉しそうに喋った。
手は、ゲキテツを引こうとするのをやめ、何とはなしに銃を弄んでいるようだった。
目は、私を見ているようで、どこか遠くを見ている、不思議に寂しい目だった。
私はぶっ倒れて、尻餅をついたまま、なんだか拍子抜けしたような気がして、
何も言うことができなかった。
そうして生まれる一瞬の沈黙。
「ねぇ?それがさぁ。何?」
私が何も言わなかったせいで生まれたこの沈黙を破ったのは、
先ほどまでとはガラリと様子が変わった、ヤグチさんの低くドスの効いた言葉だった。
ヤグチさんの目が暗さを帯び、眼光が冷たく鋭く私に刺さる。
金縛り。
ヤグチさんの眼光の冷たさと鋭さは、私がこのファミレスで感じたそれよりも、
深く、私のどこかを貫き通してしまっているようだった。
私はやっぱり不謹慎にも、裕ちゃんよりもあやっぺよりもすげぇ、
とか思ってしまっていた。この気楽さはどっから来るのか、私自身不思議で仕方なかった。
「こっちが丁寧に話してやってんのに、無視しやがって」
「おまけに気付いたと思えば、いきなりピストル撃ちやがって」
「てめぇ、なんだ?客だろ?偉そうにすんなよ。」
「オレの指示に従えよ。」
「出て行けつったら出て行けよ!」
ブツブツと低い声で喋っていたヤグチさんは、乱暴に銃のゲキテツをガチャガチャやると、
ヒステリックに何事かをワメきながら、私の方へ向かって数回銃をブッぱなした。
撃った。というよりも、ブッぱなした。バカみたいに力任せに、
ゲキテツをガチャガチャ引き起こしては、何度も銃をブッぱなした。
わざとなのか、狙いが定まらなかったのか、その銃弾は私をとらえることなく、
私の後ろの入り口の扉をとらえ、その扉のガラスがバリンバリンと割れる音が響いた。
私は絶対大丈夫だ、というどうにも定まらない安全性を感じていながら、
銃声と、ガラスの割れる音に、目をつぶり、身を硬くした。
銃声とガラスの割れる音が、やたら無機質にファミレスの中に響く。
私にはそれが不思議に感じられた。
そして目を開けると、驚くのと同時に、やっぱり、と思った。
今このファミレスの中には、息を切らして銃をガチャガチャやってるヤグチさんと、
尻餅をついたまま、変に落ち着いてしまっている私の、二人だけが居た。
やっぱり落ち着いたまま私は、こんな光景前にも見たな、と思った。
そして、私の目の前で、とっくに弾切れした銃をまだ、
乱暴にガチャガチャやってるヤグチさんを見ると、腹の底から笑えてきた。