Side Story 「Four leaves in the dark」
「こんなはずじゃないんですよ・・・こんなはずじゃ・・・」
誰に言うとなく、カウンターでつぶやく一人の男。薄い色のサングラスに
よって隠されたその瞳には狼狽の色が窺える。まるで何かにおびえているかの
ような、落ち着かない様子で店の中を一通り見回すと、手にしたイェーツの
詩集−それは彼の愛読書であったが−をぱらぱらとめくる。小さく震える指で
めくられるページに彼の動揺の様が表れている。
「どうしたの・・・?琢磨君。らしくないじゃない」
そんな彼の姿を見かねてか、カウンターの向かいで一人の女バーテンダーが
シャンパンとグラスを片付けながら言葉をかける。凛としたたたずまいを見せる
その女が唇に湛える微笑は、ある種蟲惑的であると同時にそれを向ける相手如何
では非情かつ冷厳であった。しかし、男〜琢磨逸郎の動揺はなおも続く。
「僕があんな小娘に二度も不覚を取るなんて・・・あり得ない話なんです」
「聞いたわ。でも、仕事は難しいほうがやりがいがあるものよ。その方が
面白そうじゃない・・・あなたもそう思うでしょ?」
そう言って女が水を向けた先には、黒のスパンデックスキャップをかぶり、黒い
レザージャケットを羽織った黒人の大男が、そのいかつい風体とは対照的なほど
可愛らしい一匹のロングコートチワワと戯れていた。
『チャコ・・・』
自らチャコと名づけた愛犬に口付ける彼〜ジェイは、チャコとのひと時が何より
楽しいと言わんばかりに女〜影山冴子の言葉にさえも耳を傾けている様子は無い。
「ミスター・ジェイ、あなたという人は・・・」
「本当にチャコに夢中なのね・・・」
ジェイは彼らの中でも、腕っ節では並ぶ者の無いという猛者である。いや、
単に腕っ節の強さと言うだけならば彼は恐らくオルフェノクの中でも1、2を
争う存在であるといってよい。そう、このバーにいる3人はいずれも人の世に
潜む異形の者、オルフェノクであった。琢磨逸郎、影山冴子、そしてジェイ。
彼らこそ、オルフェノクでも最強の実力者と言われる四人組。誰言うとなく人は
彼らを暗黒の四葉、「ラッキークローバー」と呼んだ。
「せっかく面白くなってきたのに、どうしてるのかしら。北崎君」
「知りませんよ・・・彼がいないのはいつものことじゃないですか」
北崎と呼ばれた人物、それは暗黒の四葉最後の一人。ここにたむろしている
3人も一目置く存在だが、彼が姿を現すのはまれだ。今日も彼はこの店〜
彼らの通り名になぞらえた名前を冠されたバー、クローバーには姿を見せて
いない。
「仕方ないわね・・・今日のところは私達だけで楽しみましょう」
「今日も・・・でしょう?」
「フフッ・・・少しは元気になったみたいね、琢磨君」
そう言って冴子はシャンパングラスを琢磨とジェイの座るカウンターに置き、
店の奥にしまってあるとっておきの一本を二人のグラスに注ぐと、自らもまた
シャンパングラスにシャンパンを注ぎ、それを胸元近くまで掲げて言う。
「乾杯しましょ・・・私達ラッキークローバーの勝利と、オルフェノクの
未来に」
冴子に促されて琢磨とジェイはグラスを手に取る。杯をあおる二人の姿を
見つめながら、怪しく微笑む冴子。自らもまたシャンパンを飲み干すと、空の
シャンパングラスは彼女の指先が触れた首の辺りから一瞬で砂と化して消えた。
未だ多くの謎を秘めたまま、れいなと絵里、二人の少女の手の中にある二つの
ギア。それを狙って、今まさに最強の刺客が動き出そうとしていた。
Side Story 「Four leaves in the dark」 終