Another story 「風の神話」
平和な夏の昼下がり。ゆったりとした空気の中で、少女たちが思い思いの時を
過ごす、そんな一日。リビングで黙々とテレビに向かい、ゲームに夢中な少女が一人。
「珍しいよねぇ。こんなにゆっくりと休日過ごせるなんてさぁ」
そう言って真里は手にしていたゲームのコントローラーを床に置くと、そのまま床を
ゴロゴロと転げまわる。クーラーで程よく冷えた室内、そしてひんやりとした感触を
伝える籐のカーペットが肌を心地よく刺激する。
「そうですよね。平和なのが一番なんですけど・・・これだけゆっくり出来る時間が
あると、かえって何に使っていいのかわからないですよね」
そんなことを言いながら、梨華が冷凍庫からアイスを持ってリビングへとやってきた。
大きな容器に入ったストロベリー味のアイスを、梨華は手にしたスプーンを器用に
使って掬い取ると、透明なガラスの器に自分の分と真里の分とをきれいに盛り付ける。
「はい、とんとん」
楽しそうにアイスを盛り付ける梨華の姿と、「とんとん」という楽しげなフレーズが
思わず真里の心をくすぐり、笑いとなってあふれ出す。
「キャハハハ・・・何さ『とんとん』って・・・」
「おかしいですか?」
たわいもない二人のやり取り。しかし、そんな平和なひと時を打ち破るかのように、
何者かがあわただしく玄関からリビングへと駆け込んできた。
「矢口っ!矢口おるか?!」
どたどたと玄関から上がりこみ、大声を上げながらリビングにやってきたのは、誰
あろう稲葉貴子であった。
「稲葉さん・・・どうしたんですか?」
「ちょっと一緒に行ってほしいところがあんねん、3、4日ばっかし」
貴子はどうやら真里にどこかへ同行してほしいと言っている様だ。それにしても
3、4日彼女を連れて行きたい場所というのは、一体どこなのだろうか。
「で、稲葉さんはおいらを連れてどこに行きたいんですか?」
「よくぞ聞いてくれました!ええか、聞いておどろくなよ?」
いたずらっぽい笑みを浮かべて真里の目を見つめる貴子。梨華も彼女の言葉が
気になるのか、続きを待っているようだ。
「いいなぁ。矢口さんと二人でどこに行くんですか?」
真里の行き先に興味を示す梨華を見やると、今度は真里。そんな風にして、思わせ
ぶりな表情で二人の顔を交互に見つめ、貴子は満面の笑みとともに言った。
「なんと海外。ベトナムや!」
しかし、それは気楽な海外旅行ではなかった。貴子の話によるとこうである。
ベトナムを中心に最近多発している謎のウィルスへの集団感染。その影に暗躍
している謎の教団の存在がFBIによって明らかにされたのだ。貴子に与えられた
任務、それはその教団が集団感染に関与しているという証拠を掴み、彼らの悪事を
白日のもとに晒すことであった。
これがもし彼らによって行われている細菌テロであるとすれば、何としても
その先にある悪の野望〜教団がゼティマに通じている可能性が十分に考えられる
からだ〜を食い止めなくてはならない。
「奴らの名は『まんじ教』・・・神の使者としてコウモリを崇拝する邪教集団
や。奴らは「ヒマラヤの呪い」と称して得体の知れん細菌を使い、村人たちを
おびやかしとる」
「で、おいらと稲葉さんの二人でまんじ教をやっつけようというわけだね?」
「今のところはとりあえず、現地におる情報員と接触して教団の悪事を暴くこと
が先決やろな。ゼティマとの関係も気になるし。ちゅうわけで、今回は『特に』
矢口の協力が必要なんよ」
そう言って貴子は真里のじっと目を見つめている。そうまで言われると真里も
まんざらではない様子だ。貴子は更に続けた。
「まぁ、仕事が早く終わったら残りは休暇みたいなもんや。旅行やと思て軽い
気持ちで、な?」
「う〜ん、でも急に海外ってことになるとみんなが何て言うかなぁ。特に
裕ちゃんとか・・・え?」
そう言いかけた真里の後ろに、大きく両手を広げた貴子の姿があった。そして
その手は一気に真里の両肩へと伸びた。
「ちょっ・・・稲葉さんっ!やーん!!」
嫌がる真里を強引に、あろうことかバッグの中に押し込める貴子。まさに
問答無用の勢いだ。やがてその身体は不思議なくらいバッグの中にたやすく
収まっていく。そして、全身がすっぽりと収まったのを確認したところで貴子は
ジッパーを一気に引き、完全に真里をバッグの中に「収納」してしまった。
「稲葉さぁぁん!いや、あつこー!!だせぇぇぇ!!」
「ハァハァ・・・堪忍な矢口。なんせバッグに入るくらいのミクロギャルて
自分しかおらんやん?最近はFBIもしみったれてきよって捜査費用がカツカツ
やねん・・・なんせベトナムまでエコノミーで一人分の旅費しかでぇへんもん」
稲葉の足元に転がるのは大きなボストンバッグ。その中に真里が押し込められて
いる事など誰が知るだろうか。かくして二人、いや、稲葉と大きなバッグは、
成田から出発するチャンポンチャン経由のホーチミン行きへと乗り込むのだった。