「お前、オリジナルか」
マンションを出て通りを歩き始めてすぐに、戸田は少女に尋ねた。
「オリジナル?」
「オリジナルは死を経験した後、オルフェノクとして覚醒する。
誰の手も借りずにな。
だが、その数はとても少ない」
男はまっすぐ前を向いたまま、低い声で続けた。
住宅街のせいか、平日の昼間にも関わらず人通りはない。
「このままじゃ、俺たちオルフェノクは生き残ることができない。
だから俺たちは仲間を増やす必要があるのさ」
「どういう……こと?」
謎めいた言葉に、少女は小首をかしげる。
戸田は足を止め、少女の顔をまっすぐに見つめた。
「いいか、一つだけ言っておく。
俺たちはもう、普通に生きるコトなんてできない。
なぜなら、俺たちはもう……人間じゃないんだからな」
「あたしは! あたしは……人間よ……。
例えどんな体になったとしても」
少女の言葉に男は目を細めた。
そのまま何も言わずにまた歩き始める。
男の足は、ちょうど目についたコンビニへと向かった。
その後について少女も店内に入る。
店内には数人の客がいた。
青と白のストライプの制服を着た女店員が、
気のない声で「いらっしゃいませ」と声をかけてくる。
レジの方へ向かいながら、男は口を開いた。
「俺たちがやることは一つだけだ」
男の口調に何を感じたのか、少女の顔に緊張感が漂う。
「俺たちは仲間を増やすことができる。
人間をオルフェノクにすることができるんだ。
だが、すべての人間がオルフェノクのエネルギーに適応できるわけではない。
ほとんどのやつが一時的に蘇るが、すぐにくたばる」
「え? それってまさか……」
「そうだ。仲間を増やすこと、それは人間を殺すってことだ」
言葉とともに、男の顔に不思議な模様が浮かび上がった。
その体が一瞬にして別のものへと変わる。
イカを模した尖った頭部。ぬめぬめとした表面。
スクィッドオルフェノクは、どこからともなくとりだした棍棒を店員に向けた。
「な、なんや──」
叫びかけた店員の口に、棍棒から発射された墨のようなものがへばりついた。
墨は口から体の中に進入し、心臓にたどり着く。
店員の心臓は、青い炎をあげて消滅した。
どさりと店員の体が倒れた。
異変に気が付いたのか、店の中に悲鳴が上がる。
「やめて!!」
少女の叫びを無視し、スクィッドオルフェノクは残る客にも墨を飛ばした。
心臓のところで青い炎をあげ、ばたばたとその場にいた全員が床に倒れる。
「なんで……なんでこんなこと……」
『言っただろう。仲間を増やすためだ』
棚に映った怪物の影に、男の体が浮かび上がる。
声はそこから聞こえてきた。
言い返そうとした少女は、後ろから聞こえてきたうめき声に振りかえった。
少女の目に、倒れていた客の一人が体を起こそうとしているのが見えた。
OLだろうか、まだ若い女性だった。
「しっかり! しっかりして!」
少女は慌てて駆け寄り声をかけた。手を取り、その体を抱え起こす。
しかし次の瞬間、女性は体中が灰になって崩れ去った。
少女は呆然と自分の手を見つめた。真っ黒に汚れた自分の手を。
『そいつはハズレか』
「これが……これがあなた達の目的だって言うの」
『そうだ。これも俺たちが生き残るためだ。
お前も今に分かるようになる』
「いやよ! あたしはそんなこと……分かりたくなんかない!」
勢いよく少女は振り向いた。
凛とした目がオルフェノクに向けられる。
「あたしは人間として生きる。
例えこの体が人間でなくなったとしても、あたしの心はまだ人間のものだから。
だから……あたしはあなた達の仲間にはならない。絶対に!」
少女の周りの空気がぎりっとたわんだ。
目に見えないエネルギーが集まってきているように思える。
体のうちから溢れてくる感情を抑えきれないように、少女は大きな声で叫んだ。
「うわああああああああああ!!」
少女の顔に模様が重なる。
小柄な体がぐにゃりと歪んだ。
「──あああああ!!」
叫び終わったとき、少女の体は異形へと変化していた。
チェスのナイトを思わせる顔。
西洋の騎士のヨロイに似た体。
馬の顔を模した肩当て。
それはまさしく、男と同じオルフェノクの姿。
ホースオルフェノク──それが彼女の新しい姿であった。
『良いだろう。それもまた、一つの選択だ』
言い放ってスクィッドオルフェノクは棍棒を構えた。
そこにホースオルフェノクが突っ込む。
ガラスを突き破って、二人はコンビニから飛び出した。
場所を変えながらオルフェノク同士の戦いは続く。
通りを少し行くと橋が見えた。
その上で二体の怪物が対峙する。
『うおおお!!』
叫んでホースオルフェノクが殴りかかった。
スクィッドオルフェノクの顔面に、パンチが一発、二発、三発。
四発目を放った拳が受け止められた。
振り払いよろける相手に、スクィッドオルフェノクは棍棒の一撃を見舞う。
ダメージを食らったホースオルフェノクは、橋の欄干まで吹き飛んだ。
倒れたところに、スクィッドオルフェノクの棍棒が向けられる。
そこから発射された墨を、ホースオルフェノクは身をよじって避けた。
欄干が、じゅうと音を立てて溶けていく。
次々に発射される墨。ごろごろと転がって、どうにかそれをかわす。
距離をとって立ち上がろうと、膝立ちになったホースオルフェノクは、
いつの間にか近づいてきていたスクィッドオルフェノクに蹴り上げられた。
どさりと仰向けに倒れる。
起きあがろうとした体を、スクィッドオルフェノクはその脚で踏みつけた。
ホースオルフェノクの顔面に棍棒の先端が向けられる。
踏みつけられた体は動かない。逃げ場はなかった。
スクィッドオルフェノクの棍棒から墨が発射される。
だがそれは、ホースオルフェノクには届くことはなかった。
いつの間にか現われた大振りの剣。
それがしっかりと墨を受け止めていたのだ。
『!!』
慌ててスクィッドオルフェノクは後ろに飛び退こうとした。
それよりも早く、ホースオルフェノクは右手を前に突き出す。
魔剣は深々と敵の体に突き刺さった。
ぐいと魔剣を引き抜いた。
よろよろと後ろに下がったスクィッドオルフェノクは、再び人間の姿に戻る。
戸田は苦痛に顔を歪めながらも、しっかりとホースオルフェノクを見つめた。
「いいか、これが最後の授業だ。
オルフェノクの死を教えてやる」
ホースオルフェノクは黙って戸田を見つめ返す。
「完全な消滅、それが俺たちの死だ」
言い終えると、戸田は青い炎をあげ、灰になって崩れ落ちた。
ホースオルフェノクは無言でその灰を見下ろしていた。
異形と化した姿、その表情は窺い知ることができない。
不意にその首に鞭が絡みついた。
『うわ! くぅうう……。だ、誰?』
鞭の先、そこにはムカデを模したオルフェノクの姿があった。
センチピードオルフェノクの影に、神経質そうな男の顔が浮かび上がる。
『せっかく目覚めたのに残念ですがね。
──裏切り者には死を』
センチピードオルフェノクは鞭を引いた。
ホースオルフェノクの体が宙を舞う。
橋に叩きつけられ、苦痛に呻くホースオルフェノク。
よろよろと立ち上がり、手にした魔剣を上段に構える。
『やあああ!!』
叫んで駆け寄り、思いっきり魔剣を振り下ろす。
しかしその攻撃を、センチピードオルフェノクは片手であっさりと受け止めた。
『無駄ですよ。まだ、あなたは自分の力の使い方を分かっていない』
裏拳を食らい、ホースオルフェノクは後ろに倒れ込んだ。
同時に変身が解け、その姿が少女のものに戻る。
『馬鹿な人だ。
わたし達の仲間になれば、自分の望むように生きられるというのに』
「いやよ! あたしは、人間を殺すようなやつらと仲間になんかなれない!」
『そうですか。だったらこの場で死になさい。
仲間にならないなら、あなたを生かしておくのは……危険すぎる』
センチピードオルフェノクが手にした鞭をしごいた。
絶望に少女はぎゅっと目をつぶる。
その時、甲高いバイクの音が聞こえた。
音は、猛スピードでこちらへ近づいてくる。
「うりゃああああ!」
『な、なに!?』
振り返るセンチピードオルフェノク。
その体に、助走をたっぷりと付けたバイクがぶち当たった。
『う、うおおおお!!』
不意をつかれ、吹き飛ばされるセンチピードオルフェノク。
大きく宙を舞った体は、どぼんと音を立てて川に落ちた。
「へん! ざまあみらんね。
この間の借り、これで返したけんね」
不敵に笑ってみせたのは、まだ幼いと言ってもよい小柄な少女だった。
気の強そうな目が、オルフェノクの落ちていった川を見下ろす。
その目が今度は呆然としたままの少女に向けられた。
「大丈夫やった?」
「あ、ええ……」
「なあ、あんた何で襲われとったん?」
「え?」
「さっきのはただ人間を襲っとるって感じやなかった。
それにオルフェノクとなんか話とったみたいやし……。
あんた一体アイツラとどんな関係が?」
「そ、それは……。
ちょっと待って。
オルフェノクって……どうしてあなたがその名前を?」
「あ! いや……それは……その……」
気負いこんでいたバイクの少女は、聞き返されて慌てて目を白黒させる。
その姿を見て、少女の顔がふっと和らいだ。
「どうやら、お互いに訳ありのようね。
余計な詮索はしない方が良さそうだわ」
「あー、まあ確かに」
二人は目を合わせ、同時にぷっと吹き出した。
「とりあえずお礼は言っとくわ。
ありがとう。あなたのおかげで助かった」
「いや、別にたいしたことはしとらんよ。
アイツには借りもあったし」
「借り?」
「あ、ううん、こっちの話。
んじゃ、あたしはもう行くから」
「あ、うん。
……不思議だね。あなたとはまた出会うような……そんな気がするわ」
「あたしも……あたしも、なんかそんな気がしとった。
あ、あたしは、田中れいな。あなたは?」
れいなの問いかけに、少女は微笑んでこう名乗った。
「明日香。福田明日香よ」
走り去るバイク。
その背をを見送りながら、福田はあの日のことを思い出していた。
自分の運命を変えたあの事件のことを。
2年前、福田は一つの疑惑を持っていた。
自分がある組織から狙われているのではないかという疑惑。
彼女の親友は、その言葉を聞いて笑った。「気のせい」だと。
しかし、それは気のせいなどではなかった。
福田の命は確かに奪われてしまったのだから。
それも、もう一人の親友の目の前で。
それがどうしてこんなことに──。
福田が目を覚ましたのは、殺風景な部屋のベッドの上。
その部屋の持ち主は『スマートブレイン』と名乗った。
違和感を感じた福田はすぐにその場を飛び出した。
そして気が付いた。自分の体が普通ではなくなっていることに。
運動能力や知覚能力が格段にアップしているのだ。
高いボーリング場の天井にも軽々と飛び移れるほどに。
そしてあの変身。
福田はもう一つ気が付いていた。自分が未だに組織に狙われていることに。
異形の怪人を使う組織。彼らとスマートブレインとの関係は分からない。
だが明らかに、彼女は何者かに狙われていた。
そして、その組織と戦うもう一つの集団。
何かの気配を感じ、考え込んでいた福田は振り返った。
ふらふらと、こちらへ歩いてくる人影。
影が纏っているのは青と白のストライプ。
それは先ほどのコンビニの制服、最初に襲われた店員のものだった。
「あれは……まさか生きて──」
慌てて福田は店員に駆け寄った。
二十代半ばぐらいだろうか。明るい色に染めた髪が、色白の頬にばらりとかかっていた。
「大丈夫? しっかりして!」
「ぐ……う……」
店員が低く呻いた。
その顔に模様が浮かび上がる。蛇を思わせる異形の体が、細身の体に重なった。
「これは……」
福田の耳に戸田の言葉が蘇る。
──俺たちは仲間を増やすことができる。
人間をオルフェノクにすることができるんだ。
「そんな……それじゃこの人は……」
変身はすぐに解けた。
奇怪な体が、青と白のストライプに変わる。
その制服の胸の部分。小さなプラスチックの名札。
そこには、店員の名前が「平家」と記されていた。
第43話 「死と再生」 終