【かみのやま競馬】(仮称)モー娘。保田圭卒業記念

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34名無し募集中。。。

「Thank you for the music」
35名無し募集中。。。:03/04/24 09:43 ID:R8vq6ly4
プロローグ

小さい頃から目立つ方じゃなかった
というよりは、むしろ不器用でどんくさい子

私が冗談を言えばかならず言われた
「もう聞いたよ、それは」

そんな私にも胸を張れるものがひとつだけあった
それはとても素晴らしいもの

私が歌い出せばみんなが聞き耳を立てた
それはとても誇らしく、幸せに胸が震えた

歌をうたうこと
それだけを私は望んだ……
36名無し募集中。。。:03/04/24 09:45 ID:R8vq6ly4
第1章

先ほどから瀬戸由紀男は微動だにしない。
よほど数字が悪いのだろう。
視線は握った書類から離れようとしない。
瀬戸の机の前で直立したまま、経理担当の男性はひたすら次の言葉を待っていた。

ただ、壁に掛けられた時計のクォーツが刻む
チッ、チッという規則正しい音が耳に入るほかは何も聞こえて来ない。
男は次第に息苦しさを感じ始めていた。
「――厳しいな……」
「はい……」
ようやく瀬戸がぽつりとこぼした言葉はしかし、
その短さにも関わらず事態が軽視できないものであることを示していた。
男は身構えた。

「そろそろ潮時かな?」
「えっ?」
一瞬、瀬戸が何を言ったのか判じ兼ねた。
男は額に汗が噴出すのを感じた。
「ま、まさか……」
「ん?勘違いするな。解散などしたくてもできるものか」
ほっと胸を撫で下ろしたのも束の間。
瀬戸はさらに続けた。
37名無し募集中。。。:03/04/24 12:26 ID:cRQaTI3N
「CDは売れない。番組の視聴率は落ちる。CMの本数も減る」
そこで、ようやく瀬戸は書類から目を上げ、
正面に立つ男に視線を合わせた。
「君ならどうする?」
その表情は苦虫を噛み潰したようにしかめられていたが
口調は至って平静そのものだった。
社長の表情を見ずに聞いたなら、機嫌がいいと思えるくらいに。

「入るところが増えない以上は出るところを抑えるしかないかと……」
男のおそるおそるという様子にも頓着せず、
瀬戸は遮るように口を挟んだ。
「スタッフはこれ以上、減らせないぞ」
「わかっています。それにスタッフ削減では効果も……」
「後藤は独立採算になるんだぞ」
「モーニングの費用に関して言えばほとんど固定費ですから、
後藤さんの独立に関しては、仕事量の増分よりむしろコスト増の影響が大きいんですよ」
瀬戸の表情が再び曇った。
「やはり、手をつけるしかないのか……」
「私は数字のことしかわかりませんから」
「……」
38名無し募集中。。。:03/04/24 12:27 ID:cRQaTI3N
無言でしばらく逡巡したあと、
瀬戸は受話器を取ってある番号をダイアルした。
「…――…――…――、もしもし?」
相手はコール音が3回、鳴るか鳴らないかというタイミングで通話に応じた。
几帳面な性格らしい。
「瀬戸だが」
それで通じたようだった。
男が固唾を飲んで見守る中、瀬戸はこともなげに切り出した。

「ああ、前に頼んでおいた件だけど」
相手はすぐに何の件か悟ったようだ。
「今度の新曲でも結局、使えるフレーズはなかったんだろう?」
何事か説明する相手に相槌を打ちながらうなずく瀬戸。
「プロトゥールスでも修正できないのか……」
尚も受話器の送話口からは早口で何事かまくしたてる様子が窺えるが、
瀬戸はもう聞いていないように見えた。
「やはり潮時だな……」

沈黙が辺りを支配した。
送話口の向こうにいる相手もその言葉の重みの前には沈黙せざるを得ない。
ある決断がまさに下されようとしている。男は緊張に震えた。
そして、次に瀬戸が言い放った名前…

男は後悔した。
聞かなければよかったと。
39名無し募集中。。。:03/04/24 12:29 ID:cRQaTI3N
◇◇◇

「よしこっ!」
いきなり肩を捕まれて吉澤はびっくりした。
振り返るとそこには怖い顔が。
「うわっ、圭ちゃんか。驚かさないでよ」
「で。できたの?」
へ?何だっけ。
本気で何のことかわからないといった吉澤の様子に保田は呆れ顔だ。

「その様子だとまた忘れてるわね。歌詞よ、歌詞」
「あ、ああ!あれ?ごめん、まだできてない」
忘れていたことに気づいて吉澤は焦った。
以前から頼まれてはいたが、本気とも思えず放っておいた。
それがまた最近になって保田が思い出したものだからややこしい。
たしかに曲をつくるから歌詞を頼むと言われていたはずだ。
端から詩などつくれるタイプではないと聞き流していたのだが、
どうやら保田が本気らしいとわかって少し焦る。
「いやー、難しいよね。ごっちんは?」
「ええっ、あたしもまだ」

後藤もまだ書いてないと知って吉澤は少しだけ安心した。
「ったく、前から言ってるんだから、いい加減、書きなさいよね」
そう言って二人を残し走り去る保田の後姿はなんだか
体中で張り切っていることを表現したがっているように見えた。
40名無し募集中。。。:03/04/24 12:31 ID:cRQaTI3N
吉澤は額に滲む汗を拭い空を見上げた。
新緑の生い茂る木々の枝ぶりから覗く青がまぶしい。
午後の日は高く日差しの照り返しは早い夏を予感させた。
「ごっちん、マジで考えてんの?」
「ああ、歌詞のこと?いいや」
後藤もひどいなと思いつつ、吉澤も人のことは言えないと内心、少しだけ反省する。
平日のせいか人影のまばらな青山墓地はのんびりと散策する老夫婦や
子供を連れた母親の影が目立つくらい。
彼女らの姿を見咎めるものはなかった。

「でも、アルバムの準備してるのは確かなんでしょ?」
「うん。圭ちゃんはプッチのオリジナルを入れるんだって張り切ってるけど」
「でもねえ……」
「ねえ……」
顔を見合わせて互いに力なく笑った。
保田が考えているほど現実は甘くない。多分。
「まあ、オリジナルが入るかはともかくアルバムは嬉しいよね」
「へえ。ごっちんでも嬉しいんだ」
41名無し募集中。。。:03/04/24 12:32 ID:cRQaTI3N
吉澤は少し意外だった。
後藤の場合、既にソロでシングルも出しているし、アルバムも時間の問題だろう。
プッチモニ、というユニット自体に保田ほどの思い入れがあるのか
吉澤には疑問に思えないこともなかったから。
「そりゃ嬉しいさー。タンポポがアルバム出しててプッチはなかったんだもん」
「ふーん。そんなもんかねえ」
吉澤にはよくわからない。
ただ、保田が心底張り切っているのを見ていると、やはり嬉しいのだろうなとは思う。
後藤までがそう考えているとなると吉澤はなんだか仲間はずれ、とまではいかないまでも
気持ちを共有できないことに疎外感のような一抹の寂しさを覚えないでもない。

「それにしても圭ちゃんのつくった曲ってどんなのかな?ごっちん、聞いたことある?」
「ない。でも聞いてみたい。どんなかね?」
「最近、R&Bみたいなの聞いてるんでしょ?大人っぽい感じかな」
「ねー。興味あるよね」
実際、吉澤は聞いてみたいと思った。
歌やダンスにはとことんこだわる保田。
その保田がつくる曲はどんなものか。
木々の葉から漏れる陽光が斑な模様を砂利道の上に投げかける。
その不規則なリズムは保田の不器用さを思わせてなんだかおかしかった。
42名無し募集中。。。:03/04/24 12:33 ID:cRQaTI3N
「でもアルバムはつんくさんの曲になるんだろうね。やっぱり」
「圭ちゃんの曲が入ればいいなー」
「じゃ、よっすぃ、頑張って歌詞書かなきゃ」
「うわっ、苦手っぽい」
「あは。それじゃ、圭ちゃんも浮かばれないねえ」
後藤はあくまでも書く気はないらしい。
書けるかな……

吉澤が立ち止まって顔を上げると五月の爽やかな風が額に浮かんだ汗とともに
少し上気した頬の熱を奪い去った。
一瞬、自分がどこか違う場所に立っているかのような錯覚に吉澤は狼狽する。
詩的な言い回しを考えようと目を凝らしたが、
視界には取り立てて変哲のない日常の風景が入ってくるだけだ。
吉澤は知らずと歌詞を書こうとしている自分に気づき赤面した。
43名無し募集中。。。:03/04/24 12:35 ID:cRQaTI3N
◇◇◇

なんだろう?
保田はもう何度も考えたことなのに、実際に部屋の前に来てみると
不思議な想いに捕らわれざるを得なかった。
つんくから直接呼び出されるなどレコーディングの間でさえ滅多にあることではない。

ブルッと振るえた。
クーラーが効き過ぎている。
7月に入って暑い日が続くとはいえ、少し冷房が強すぎるだろう。
背広で仕事する事務所の男たちの無神経さがノースリーブの保田を凍えさせる。
ツイてないときはツイてない。
保田は忘れかけていた嫌なことをつい思い出してしまう。

もう何回目になるだろう。
自分が歌ったトラックが発売されるCDに載らなくなってから。
Do it now!の仮歌を聞いたときは小躍りした。
好きなタイプの曲だったし、自分のキーにも合っていた。
しっとりと歌い上げることのできる切ないメロディーライン。

自分以外に、誰がこの切なさを表現できるだろう。
そう考えて望んだレコーディングはもちろん張り切った。
珍しくつんくもブースを出て熱の入った指導をしてくれた。
だが、結果は……
44名無し募集中。。。:03/04/24 12:38 ID:cRQaTI3N
もう、いい。過ぎたことだ。
まだ先はある。
たとえメインボーカルを担うことがなくとも、
自分のパートが必要になるときはくる。

保田は頭を切り替えた。アルバムの話ならいいが。
大分前に渡しておいた自作の曲について何か助言でもしてくれるのだろうか?
それは都合の良過ぎる想像ではあるが今の保田には縋(すが)るべき何かが必要だった。
目を閉じて深呼吸をする。
とにかく、この扉を開けてつんくの話を聞かなければ。

コン、コン
「はい。どうぞー」
語尾のうわずる男性にしては甲高い声が応えた。
ドアノブを握る手にも力が入る。
汗ばんだ掌で掴んだ取っ手をゆっくりと右に回すと、
保田は開いた扉の隙間から中をうかがうように頭を突き出した。
45名無し募集中。。。:03/04/24 12:40 ID:cRQaTI3N
「おお、保田か。はいり」
「失礼します」
保田は新人のように緊張したまま、つんくの前に出た。
抱えていたギターを立てかけると保田に椅子を勧める。
「ま、座りぃや」
「はい……で、今日は何か?」
保田はつんくの表情を伺いながら腰を下ろした。
心なしかその声に硬い響きを感じて、
僅かに期待していた楽しげな発想は完全に影を潜めた。

「保田……自分、歌、好きやんな?」
「えっ?あ、はい……」
保田は首を捻った。まるで禅問答だ。
「いや、自分にとって、歌っちゅうのはどれくらいの位置を占めとんのや?」
「えっ、すごくおっきいですけど…」
保田は堪えながらもつんくの真意が掴めなかった。
「それはお前自身の存在と同じくらい大きいもんなんか?」
「存在ですか?」
思わず聞き返していた。
なんだか、どんどん本題から離れていくような気がする。
46名無し募集中。。。:03/04/24 12:41 ID:cRQaTI3N
「ええっとやな……歌わなければ、保田圭という人間は存在せえへん
っちゅうくらいに大きなもんか?」
「はぁっ…そうですね……それくらい大きいと思います」
よく考えずに応えたものの、つんくの目が真剣さを帯びるに連れ、
保田はなんたか怖くなってきた。
「あの…つんくさん?さっきから、何の話を…」
「保田」
「はい」
「これ見てみぃ」
つんくは一枚の写真を差し出した。
「?」
今日は風が強いためコンタクトをしていない。
目の悪い保田は眼鏡を掛け直してその画像を凝視した。
一度それを見せてもらったことがある。
それが何か判るにつれ、保田は背筋を冷たいものが這い上がるのを感じた。

怖くなって目を逸らす。
ふと傍らのゴミ箱に目を止めて保田は言葉を失った。
そこには先日手渡した自作曲のスコアが無造作に突っ込まれていた。
47名無し募集中。。。:03/04/24 12:43 ID:cRQaTI3N
本日更新分

>>34-46
プロローグと第1章前編
48名無し募集中。。。:03/04/25 02:18 ID:GuT0e21q
◇◇◇

小さい頃から歌が好きだった。
不器用で何をやらせてもだめだった子が唯一得意だったもの。
他のすべてが劣っていてもそれだけは絶対に負けないという自信。
それだけが今の自分を支えていると思っていた。
その自信……

母はよく言った。
「あんたはもうしゃべるようになる前から歌ってたねえ。
なんていうのかね、単に泣き声っていうんじゃなくて。
わたしは直感したよ。ああ、この子は歌を歌ってるんだってね」

幼稚園のお遊戯会や小学校の学芸会で
保田がクラスの子供たちに混じって歌う合唱を聞いても母は必ず言ったものだ。
「あんたの声が一番響いてたよ。私にはわかるんだ、あんたの声が支えてるなって」

保田は常に母の声に励まされ、ぼんやりとではあるけれど
いつしか考えるようになっていた。
自分が歌を支えに、歌を拠り所として生きていくだろうことを。
たとえ自分が何を生業にするにしても。
49名無し募集中。。。:03/04/25 02:18 ID:GuT0e21q
直接の契機になったのはなんだろう。
たしか尾崎豊の歌だった。
今ではその理由さえおぼろげで口で説明できないもどかしさすら感じるのだが
その感覚だけははっきりと覚えている。

十五の夜。
眠れない夜にラジオから流れるその歌に涙したのはなぜだろう?
バイクを盗んで夜を疾走するような不良ではなかったし、
学校生活や友達との間に何の不満があったわけではない。
人並みに男の子とつきあったこともある。

多分、その当時の自分でさえきちんと説明できるような感情ではないのだろう。
それでいいと、保田は思う。だから歌が必要なんだ。
言葉で説明できるなら歌はいらない。
だから自分は歌を歌いたいと思うんだ。
口下手で、思ったことを伝えられないもどかしさ。
そんなじれったい思いを払拭してくれる力があの歌には、
あの尾崎豊という不世出の歌い手にはあった。
50名無し募集中。。。:03/04/25 02:19 ID:GuT0e21q
そして、自分が進むべき道をそこに見い出したとき、
それ以外のことに費やす時間はないと気付いた。
15歳、いや既に16歳に達していただろうか。
親も教師も、いや友人たちさえ、早まることはないと忠告してくれた。

まだ16歳じゃないか。
高校を出てからでも遅くはない。
時間はたっぷりある、焦せることはない。

だが、保田にはわかっていた。
自分に残された時間はわずかであることが。
尾崎のような歌を歌うには、
人に少しでも力を与えられるような歌を歌うために
自分が費やさなければならない途方もない時間の積み重ねが。

何事にも優柔不断で人の言に左右されやすい自分が。
高校の進学についてさえ、商業高校なら就職にも有利だよと説得された自分が。
このときだけは頑固なほどに自分の意志を主張した。
自分の存在を訴えた。
51名無し募集中。。。:03/04/25 02:22 ID:GuT0e21q
運命、という言葉で括るのは好きではない。
それは自分で切り拓くものだと思うから。
だが、心の奥底に眠る大切なものが失われようとしたとき、
これだけは守らねばならないという意志を貫くことができたのは、
やはりあの歌に出会えたおかげだろうか。

人には誰もそういう岐路に直面する瞬間のようなものが人生においてままあるのだろう。
自分の場合はそれが他人よりも少し早かったというだけのこと。
そう保田は思っていた。
自分はそこで迷わずに進むべき道を進んだ。
それができたことはひょっとすると幸せだったのかもしれない。
52名無し募集中。。。:03/04/25 02:22 ID:GuT0e21q
保田は小石をぽーんと投げ、それが水面に達するまで見届けた。
ぽちゃんと小さな音を立てて小石は碧色の水面を弾いて水底に吸い込まれていく。
広がる波紋の描く波動の頼りなさにも関わらず、
初夏の日を浴びて波間に乱反射する光が目にまぶしかった。

ジーッ、ジーッ……
車が信号待ちで止まる度に蝉の声がここぞとばかりに鳴り響く。
束の間、今が夏であることを思い出す。
それほど保田の心は凍えきっていた。

事務所を出てからどこをどうやって歩いたのか覚えていない。
だが、目の前に広がる碧(みどり)の水面は自分が外堀まで辿り着いたことを示していた。
青山通りをふらふらと歩いて赤坂離宮を過ぎ、気付けば弁慶堀に突き当たっていた。
対岸の堀垣の上に覆い被さるように走る首都高が空を圧して妙に閉塞した空間を造り出す。
53名無し募集中。。。:03/04/25 02:23 ID:GuT0e21q
「圭ちゃぁん!」
振り向くと石井リカが土手の上から手を振っていた。
逆行で顔の表情は見えないが、いつものようにニコニコと笑顔を絶やさない様子が感じ取れた。
「石井ちゃん、どうしたの?」
土手を駆け下りてきた石井は、勢いそのままに保田の背中をばしっと叩いた。
「なんか暗いぞ、保田圭公称22歳」
「こらっ、公称って何よ!公称って……
っていうか石井ちゃん、私より1個上なのに悲しくない?」
石井は満面の笑みで応えた。
「年を重ねるって素敵なことよね」

「はぁっ……」
保田は気が抜けたようにしゃがみこんで水面を見つめた。
波紋は既に消えて時折、微風が立てるさざなみが穏やかに水面を揺らす。
「歌詞の作詞者を募集中だって?」
「ああ…」
そのことか。保田は憂鬱になった。
もはや、それが必要ないことを説明するには余りにも心の整理ができていない。
いや、単に面倒くさかったのかもしれない。
54名無し募集中。。。:03/04/25 02:25 ID:GuT0e21q
保田が返答に迷っているうちに石井が続けた。
「私、書いてあげるよ」
「えっ?石井ちゃんが?」
保田は思わず振り返って石井の顔を凝視した。
その表情に何かの含みがあるとは思えない。

「でも石井ちゃん、忙しいんじゃ…」
「私が忙しくないことくらい、知ってるでしょ!嫌味だよねえ」
「いや、そんなつもりじゃなくて……」
保田は知っていた。
石井が昼間は事務所の電話番をしつつ、ハロプロの仕事をこなしていることを。
そして、夜は自分の音楽の勉強や曲作りに励んでいることも……
「いやぁ、なんか圭ちゃんは他人に思えなくてさ。私の詞でぜひ歌ってほしいなって」
「まあ年寄り同士、お互いにいたわらなくちゃね」
「そゆこと。できたらあげるから。じゃね」
そう言い捨てて、石井は土手を駆けあがっていった。

保田は言葉もなく、その後ろ姿を見送った。
まぶしい。
逆行の中に消える石井の後ろ姿は保田には実際以上にまぶしく輝いて見えた。
結局、言えなかった。もう、必要ないんだって……
内心、忸怩たる思いに捕われるとともに、石井の屈託のない明るさが羨ましかった。
その一方で、今、声をかけてくれたのが石井でよかったと思う自分がいる。
55名無し募集中。。。:03/04/25 02:25 ID:GuT0e21q
石井は苦労人だった。
一度は華やかにデビューしてもいる。
出だしが順調だっただけに、その後、躓(つまず)いたたときの挫折感は余計に大きかっただろう。
シングル三曲を出した後、アルバムのリリース直前になってなぜか延期。
レーベルがソニーレコーズという大手であるのに加え、プロデュースが元プリプリの奥居香
という力の入れようにしてはあまりにも不自然な幕切れだった。
だが、当の石井が黙して語らないため、その理由はわからない。

年が近いせいか保田とはそれなりに親しく話すことも多いが、
その辺の事情については深入りするつもりはないし聞いたこともない。
年下のメンバーに至っては、彼女がソロ歌手であったことを知っているのかさえ怪しかった。
ぬいぐるみを被った年下の女の子を相手に進行役を努める番組や
振り付きで童謡を歌わされる現在の境遇を決して潔しとはしていないのだろう。
だが、さして不快げな様子も示さないところに保田は懐の深さを感じた。

そして、今、自分が学ばなければならないのはきっとそういう心の持ちようなのだ。
理屈として保田にはわかっていた。
だが、わかってはいても道を閉ざされた故の虚無感をどうすることもできなかった。
まるで未来へ飛び立つための翼をもぎとられたかのような深い絶望と孤独。
保田はつんくが自分に投げて寄越した悲しげな視線を今もまだ感じている。
56名無し募集中。。。:03/04/25 02:26 ID:GuT0e21q
『保田…』
その濡れた瞳だけで十分だった。
『たとえば女優として一本立ちすれば、たまに歌うこともできる』
女優…
『その方が結果的に長く歌いつづけることができるかもしれへん』
歌手でなく…
『保田、率直に言わしてもらう』
私が女優…
『お前は――歌手に向いてへん』

その最後の言葉が何回も、何回も保田の脳裏にこだましてやまなかった。

向いてへん――
歌手に――
向いてへん――向いてへん――歌手に――向いてへん――
歌手に――向いてへん――向いてへん――歌手に――向いてへん――
向いてへん――向いてへん――歌手に――向いてへん――
歌手に――向いてへん――向いてへん――歌手に――
向いてへん――向いてへん――歌手に――
歌手に――向いてへん――
向いてへん――
57名無し募集中。。。:03/04/25 02:27 ID:GuT0e21q
向いてへん――

カラン……

向いてへん――

カラン……

音を立てて何かが崩れ落ちる。
涙は出なかった。
悲しみ…とは異なる次元で自分の中の大事なものが失われつつあるという恐怖。
自分の進む先にあるはずのものが見当たらない。

あるいは最初から何もなかったのでは、とふと気付き愕然とする。
自分が信じ、辿ってきた歩みがすべて無に帰すかもしれない。
そう考えたときに襲ってきた深い虚無感に脱力し、
再び立ちあがる気力を失いかけた今。
過去も未来も信じられないならば、
自分には信じられる何が残っているのだろう?

保田はもう一度小石を投げた。
水面に広がる波紋が大きな円を描き、やがて消えゆく。
保田はその様をただ静かに眺めることしかできなかった。
58名無し募集中。。。:03/04/25 02:28 ID:GuT0e21q
本日の更新分

>>48-57
第1章中篇
59名無し募集中。。。:03/04/26 02:15 ID:/ZaQQGH4
◇◇◇

小さい頃から歌が好きだった。
不器用で何をやらせてもだめだった子が唯一得意だったもの。
他のすべてが劣っていてもそれだけは絶対に負けないという自信。
それだけが今の自分を支えていると思っていた。
その自信……

母はよく言った。
「あんたはもうしゃべるようになる前から歌ってたねえ。
なんていうのかね、単に泣き声っていうんじゃなくて。
わたしは直感したよ。ああ、この子は歌を歌ってるんだってね」

幼稚園のお遊戯会や小学校の学芸会で
保田がクラスの子供たちに混じって歌う合唱を聞いても母は必ず言ったものだ。
「あんたの声が一番響いてたよ。私にはわかるんだ、あんたの声が支えてるなって」

保田は常に母の声に励まされ、ぼんやりとではあるけれど
いつしか考えるようになっていた。
自分が歌を支えに、歌を拠り所として生きていくだろうことを。
たとえ自分が何を生業にするにしても。
60名無し募集中。。。:03/04/26 02:16 ID:/ZaQQGH4
直接の契機になったのはなんだろう。
たしか尾崎豊の歌だった。
今ではその理由さえおぼろげで口で説明できないもどかしさすら感じるのだが
その感覚だけははっきりと覚えている。

十五の夜。
眠れない夜にラジオから流れるその歌に涙したのはなぜだろう?
バイクを盗んで夜を疾走するような不良ではなかったし、
学校生活や友達との間に何の不満があったわけではない。
人並みに男の子とつきあったこともある。

多分、その当時の自分でさえきちんと説明できるような感情ではないのだろう。
それでいいと、保田は思う。だから歌が必要なんだ。
言葉で説明できるなら歌はいらない。
だから自分は歌を歌いたいと思うんだ。
口下手で、思ったことを伝えられないもどかしさ。
そんなじれったい思いを払拭してくれる力があの歌には、
あの尾崎豊という不世出の歌い手にはあった。
61名無し募集中。。。:03/04/26 02:16 ID:/ZaQQGH4
そして、自分が進むべき道をそこに見い出したとき、
それ以外のことに費やす時間はないと気付いた。
15歳、いや既に16歳に達していただろうか。
親も教師も、いや友人たちさえ、早まることはないと忠告してくれた。

まだ16歳じゃないか。
高校を出てからでも遅くはない。
時間はたっぷりある、焦せることはない。

だが、保田にはわかっていた。
自分に残された時間はわずかであることが。
尾崎のような歌を歌うには、
人に少しでも力を与えられるような歌を歌うために
自分が費やさなければならない途方もない時間の積み重ねが。

何事にも優柔不断で人の言に左右されやすい自分が。
高校の進学についてさえ、商業高校なら就職にも有利だよと説得された自分が。
このときだけは頑固なほどに自分の意志を主張した。
自分の存在を訴えた。
62名無し募集中。。。:03/04/26 02:17 ID:/ZaQQGH4
運命、という言葉で括るのは好きではない。
それは自分で切り拓くものだと思うから。
だが、心の奥底に眠る大切なものが失われようとしたとき、
これだけは守らねばならないという意志を貫くことができたのは、
やはりあの歌に出会えたおかげだろうか。

人には誰もそういう岐路に直面する瞬間のようなものが人生においてままあるのだろう。
自分の場合はそれが他人よりも少し早かったというだけのこと。
そう保田は思っていた。
自分はそこで迷わずに進むべき道を進んだ。
それができたことはひょっとすると幸せだったのかもしれない。

保田は小石をぽーんと投げ、それが水面に達するまで見届けた。
ぽちゃんと小さな音を立てて小石は碧色の水面を弾いて水底に吸い込まれていく。
広がる波紋の描く波動の頼りなさにも関わらず、
初夏の日を浴びて波間に乱反射する光が目にまぶしかった。
63名無し募集中。。。:03/04/26 02:18 ID:/ZaQQGH4
ジーッ、ジーッ……
車が信号待ちで止まる度に蝉の声がここぞとばかりに鳴り響く。
束の間、今が夏であることを思い出す。
それほど保田の心は凍えきっていた。

事務所を出てからどこをどうやって歩いたのか覚えていない。
だが、目の前に広がる碧(みどり)の水面は自分が外堀まで辿り着いたことを示していた。
青山通りをふらふらと歩いて赤坂離宮を過ぎ、気付けば弁慶堀に突き当たっていた。
対岸の堀垣の上に覆い被さるように走る首都高が空を圧して妙に閉塞した空間を造り出す。

「圭ちゃぁん!」
振り向くと石井リカが土手の上から手を振っていた。
逆行で顔の表情は見えないが、いつものようにニコニコと笑顔を絶やさない様子が感じ取れた。
「石井ちゃん、どうしたの?」
土手を駆け下りてきた石井は、勢いそのままに保田の背中をばしっと叩いた。
「なんか暗いぞ、保田圭公称22歳」
「こらっ、公称って何よ!公称って……
っていうか石井ちゃん、私より1個上なのに悲しくない?」
石井は満面の笑みで応えた。
「年を重ねるって素敵なことよね」
64名無し募集中。。。:03/04/26 02:19 ID:/ZaQQGH4
「はぁっ……」
保田は気が抜けたようにしゃがみこんで水面を見つめた。
波紋は既に消えて時折、微風が立てるさざなみが穏やかに水面を揺らす。
「歌詞の作詞者を募集中だって?」
「ああ…」
そのことか。保田は憂鬱になった。
もはや、それが必要ないことを説明するには余りにも心の整理ができていない。
いや、単に面倒くさかったのかもしれない。

保田が返答に迷っているうちに石井が続けた。
「私、書いてあげるよ」
「えっ?石井ちゃんが?」
保田は思わず振り返って石井の顔を凝視した。
その表情に何かの含みがあるとは思えない。
65名無し募集中。。。:03/04/26 02:20 ID:/ZaQQGH4
「でも石井ちゃん、忙しいんじゃ…」
「私が忙しくないことくらい、知ってるでしょ!嫌味だよねえ」
「いや、そんなつもりじゃなくて……」
保田は知っていた。
石井が昼間は事務所の電話番をしつつ、ハロプロの仕事をこなしていることを。
そして、夜は自分の音楽の勉強や曲作りに励んでいることも……
「いやぁ、なんか圭ちゃんは他人に思えなくてさ。私の詞でぜひ歌ってほしいなって」
「まあ年寄り同士、お互いにいたわらなくちゃね」
「そゆこと。できたらあげるから。じゃね」
そう言い捨てて、石井は土手を駆けあがっていった。

保田は言葉もなく、その後ろ姿を見送った。
まぶしい。
逆行の中に消える石井の後ろ姿は保田には実際以上にまぶしく輝いて見えた。
結局、言えなかった。もう、必要ないんだって……
内心、忸怩たる思いに捕われるとともに、石井の屈託のない明るさが羨ましかった。
その一方で、今、声をかけてくれたのが石井でよかったと思う自分がいる。
66名無し募集中。。。:03/04/26 02:21 ID:/ZaQQGH4
石井は苦労人だった。
一度は華やかにデビューしてもいる。
出だしが順調だっただけに、その後、躓(つまず)いたたときの挫折感は余計に大きかっただろう。
シングル三曲を出した後、アルバムのリリース直前になってなぜか延期。
レーベルがソニーレコーズという大手であるのに加え、プロデュースが元プリプリの奥居香
という力の入れようにしてはあまりにも不自然な幕切れだった。
だが、当の石井が黙して語らないため、その理由はわからない。

年が近いせいか保田とはそれなりに親しく話すことも多いが、
その辺の事情については深入りするつもりはないし聞いたこともない。
年下のメンバーに至っては、彼女がソロ歌手であったことを知っているのかさえ怪しかった。
ぬいぐるみを被った年下の女の子を相手に進行役を努める番組や
振り付きで童謡を歌わされる現在の境遇を決して潔しとはしていないのだろう。
だが、さして不快げな様子も示さないところに保田は懐の深さを感じた。
67名無し募集中。。。:03/04/26 02:22 ID:/ZaQQGH4
そして、今、自分が学ばなければならないのはきっとそういう心の持ちようなのだ。
理屈として保田にはわかっていた。
だが、わかってはいても道を閉ざされた故の虚無感をどうすることもできなかった。
まるで未来へ飛び立つための翼をもぎとられたかのような深い絶望と孤独。
保田はつんくが自分に投げて寄越した悲しげな視線を今もまだ感じている。

『保田…』
その濡れた瞳だけで十分だった。
『たとえば女優として一本立ちすれば、たまに歌うこともできる』
女優…
『その方が結果的に長く歌いつづけることができるかもしれへん』
歌手でなく…
『保田、率直に言わしてもらう』
私が女優…
『お前は――歌手に向いてへん』

その最後の言葉が何回も、何回も保田の脳裏にこだましてやまなかった。
68名無し募集中。。。:03/04/26 02:24 ID:/ZaQQGH4
向いてへん――
歌手に――
向いてへん――向いてへん――歌手に――向いてへん――
歌手に――向いてへん――向いてへん――歌手に――向いてへん――
向いてへん――向いてへん――歌手に――向いてへん――
歌手に――向いてへん――向いてへん――歌手に――
向いてへん――向いてへん――歌手に――
歌手に――向いてへん――
向いてへん――
69名無し募集中。。。:03/04/26 02:24 ID:/ZaQQGH4
向いてへん――

カラン……

向いてへん――

カラン……

音を立てて何かが崩れ落ちる。
涙は出なかった。
悲しみ…とは異なる次元で自分の中の大事なものが失われつつあるという恐怖。
自分の進む先にあるはずのものが見当たらない。

あるいは最初から何もなかったのでは、とふと気付き愕然とする。
自分が信じ、辿ってきた歩みがすべて無に帰すかもしれない。
そう考えたときに襲ってきた深い虚無感に脱力し、
再び立ちあがる気力を失いかけた今。
過去も未来も信じられないならば、
自分には信じられる何が残っているのだろう?

保田はもう一度小石を投げた。
水面に広がる波紋が大きな円を描き、やがて消えゆく。
保田はその様をただ静かに眺めることしかできなかった。
70名無し募集中。。。:03/04/26 02:26 ID:/ZaQQGH4
>>59-69
昨日と同じとこ投稿してしまた…

次いきます。
71名無し募集中。。。:03/04/26 02:27 ID:/ZaQQGH4
◇◇◇

数日後、コンーサートが終わった後の控え室で後藤と保田の脱退が告げられた。
なんだか遠いところで起こりつつある政変の話を聞かされるような
妙に現実味を失った感覚に、吉澤は自分が随分薄情な人間に思えて仕方なかった。
仕事上の守秘義務がある。
親友とはいえ、事前に知らせてくれなかった後藤を責める気にはなれない。
それよりも自分を無視してプッチモニを構成する二人の脱退話が進められていたことに
怒りを通り越してひどく情けない気持ちになった。
追加メンバー、いや代替メンバーが誰になるにせよ、
自分の意向などまた無視されるのだろうなと思うとやるせなかった。

「よしこ…」
保田に後ろから呼びとめられて、吉澤は振り向こうか躊躇した。
脱退する予定だったくせに…
しらじらしく歌詞を書けなどと迫った保田に吉澤は腹を立てていた。
「なんですか?」
結局、振り返らず前を向いたまま応えた吉澤に保田が駆けよって正面から顔を覗き込んだ。
72名無し募集中。。。:03/04/26 02:28 ID:/ZaQQGH4
「怒ってる?」
「別に…怒ってないっすよ」
「私も知らされたの、つい最近なんだ」
「――知らされたって…知らされたってどういうことっすか?」
つい大声を出してしまい、慌てて周囲を見回す。
よかった。関係者は残っていない。
「どういうこと?知らされたってことは…」
「そう。社長からお前は来年の春で卒業だよって…」

「なにそれ!ひどいよ、クビじゃん、それじゃ、あ…」
吉澤は慌てて口を押えたが保田は力なく微笑むだけだった。
「まあ、そういうこと…なんだろね」
いつものように目を釣りあげて「よしこ!」と怒鳴ってくれたらどんなに楽だったろう。
「んなわけないでしょ!」と言い返してくれたら…
だが、いくら待っても保田の視線が力を得ることはなかった。
見たくない。こんな姿は。
「圭ちゃん…ごめん…」
「いいよ。それより、悪かったね、歌詞書けなんて言っちゃって」
「いいけど、でも…」
胸が詰まって何を言っていいかわからなかった。
本気だったんだ…それを私は…
73名無し募集中。。。:03/04/26 02:29 ID:/ZaQQGH4
黙ってると、怒りで我を忘れそうになる。
何に対する怒り?事務所?それとも…?
違う、保田の身勝手さに憤っていた自分の馬鹿さ加減に対してだ。
「卒業してどうするの?ソロでやるの?」
しばらくの沈黙の後、無理矢理ひねり出した言葉の陳腐さにわけもなく苛立つ。

「まだ…まだ決まってない」
保田は言いにくそうだった。事務所の方針はまだ決まっていない。
そういうことなのだろう。
「歌は、歌は続けるんでしょう?」
言ってしまってから吉澤は後悔した。
保田は虚な視線を泳がせながら決まってないを繰り返すだけだった。
「まあ、私の場合、まだ卒業するまでは時間があるから…」
そう言うのが精一杯なのだろう。
74名無し募集中。。。:03/04/26 02:29 ID:/ZaQQGH4
肩を落とし、苦しげに嘆息する保田の表情はすぐれなかった。
近くでよく見ると、いつもより肌が荒れている。
眠れない長い夜を酒に頼ったものか。
だが、責める気にはなれなかった。
消沈した様子の保田をこれ以上見るのは忍びなかい。
何よりも胸の底に溜め込んだどろどろとした澱のような感情が今にも爆発しそうだ。
早くこの場を去りたい。
吉澤はその一心で「ごめん、急ぐから」と一言吐き捨てるようにつぶやくと
再び歩を早めてその場を去った。

保田はまだ何か言い足りなそうに吉澤の背中を見つめていたが、
やがて諦めたように俯いて、力なく吐息を漏らした。
75名無し募集中。。。:03/04/26 02:30 ID:/ZaQQGH4
◇◇◇

石川は気付くと保田の部屋の前にひとり立っていた。
正直なところ、保田の卒業を聞いたとき、それほどショックではなかった。
ああ、来たか。その程度の感想。
だが、一日が過ぎ、二日が過ぎ。三日経ってじわじわと寄せてくる想いに
矢も立てもたまらず家を飛び出していた。
保田の存在は後からじわじわ効いてくる……

矢口が言っていたのは本当だった。
保田には何となくどっしりとしたイメージがある。
何があろうとも動じない印象。
本人が大人で落ち着いているせいもあるけれど、
誰かいてほしい、と思うときにいつも傍にいてくれる心強い存在。
そんな風に保田を頼りにしている自分を発見し、
石川はなぜか急に保田に会いたくなった。
76名無し募集中。。。:03/04/26 02:31 ID:/ZaQQGH4
呼び鈴を押して名乗り、「ちょっと待って」と言われたまま既に5分。
まずいときに来たかな、と後悔し始めたときにようやくドアを開けて保田が顔を出した。
「はい、いいよ。ごめんね、ちらかってたから」
「お邪魔します…」
嬉しそうに自分を招き入れたように感じたのは自惚れ過ぎだろうか。
履物を揃えて部屋に入るとなんだかお寺のような匂いがする。
「お香を焚いてるんですか?」
「うん。消臭にもなるし、落ち着くから」
「そうですか……」

石川は何をどう切り出していいかわからなかった。
大体、なぜここへ来たのか、自分にさえ説明できないのだから。
「石川……嬉しいよ」
「えっ?」
意外な言葉に振り向くと保田は穏やかな表情で微笑んでいた。
「私に会いに来てくれたんでしょ?滅多にお客さん来ないからさ」
「あ、私、お客さんなんですか?なんか嬉しい、それ」
「あはは。でもこれだけ付き合い長いのに初めてだよね。ここへ来るの」
「考えてみれば長いですよね。もう2年でしたっけ?」
石川は自ら告げた言葉ながら、あらためて長い付き合いであることを実感した。
だが、保田が言うように部屋を訪れるのは初めてだ。
77名無し募集中。。。:03/04/26 02:32 ID:/ZaQQGH4
「これからもちょくちょく来ていいですか?」
「はぁ?今、来たばっかりなのに。ま、いいけどね」
「よかったぁ。保田さん、男っ気なさそうだから、安心して来れるし」
「ちょっと、あんた!喧嘩売りに来たの?」
口調は厳しいが顔は怒ってない。
だから、好きなのかな。
石川はなんとなくわかったような気がしてきた。

「いいじゃないですか、お互い、寂しい者同士。私が来てあげるじゃないですか」
「あんたなんか来ても心は慰められないのよ」
「うわっ、なんかそれ、やらしーですよ、保田さん」
「うるさいわねっ!とっとと座りなさいよ、もう鬱陶しいんだから!」
怒ってるんだか笑ってるんだかわからない調子で保田は石川を座らせると、
キッチンへと消えた。
78名無し募集中。。。:03/04/26 02:33 ID:/ZaQQGH4
「石川っ、何、飲む?ウーロン茶でいい?」
「ケメぴょんと一緒にワインでもいただこうかな?」
「ナマ言うんじゃないの。ウーロン茶で我慢しなさい」
カウンター越しに声だけが聞こえてきた。
その調子はいつもの保田だ。
「はーい。矢口さんは内緒でビール飲んでいいよって言ってくれたのに」
「矢口のやつ、未成年に飲ませてもう…今度、言っておかなくちゃ」
「あ、私、運びますよ、保田さん」
石川は膝を着いて立ち上がった。

「いいよー、いちおう、お客さんだもん」
「一応ですかー」
「いちおう、だよー」
「もう、ケメぴょんったら」
ふざけたやり取りではあるけれど、石川は段々と理解し始めていた。
自分がなぜ、発作的に保田の部屋を訪れてしまったのか。
くだらない会話でも受け止めてくれる人がいる。
それが与えてくれる温かさを確かめたかったから。
確かにそこにあることを確かめたかったから…

夜はまだ若く。
語り明かすに充分な時間があった。
そして語り尽くせぬほどの思い出を前に、石川は少しだけ瞳が潤むのを感じた。
夏の夜は心浮き立たせるようなときめきと少しの物哀しさとで彩られている。
石川にはなぜかそう感じられた。
79名無し募集中。。。:03/04/26 02:35 ID:/ZaQQGH4
◇◇◇

「よっすぃ、ちょっと…」
「ん?」
吉澤は後藤に手を取られて楽屋を出た。
収録を行っていないスタジオに着くと、後藤がようやく掴んでいた手を離した。
「気付いてた?圭ちゃんのこと」
「卒業のこと?」
首を横に振って即座に否定した後藤に対し、吉澤は訝しんだ。
「何?」
「代々木のステージ、苦しそうだったでしょ?」
「えっ……」

そうだっただろうか。
自分の歌と踊りに集中するので精一杯。
他のメンバーにまで気を配る余裕はなかった。
さすがに後藤だと吉澤は感心しきり。
「一瞬、声が掠れたな、と思ったら次のフレーズ、歌えてなかった」
気が付かなかった。
「へえっ。ごっちん、よく見てるね。それで何、話って?」
80名無し募集中。。。:03/04/26 02:36 ID:/ZaQQGH4
後藤が自分を注視する。
正直、ちょつと照れくさい。
吉澤は目を逸らした。
「圭ちゃんさ、のど痛めてるんじゃないかと思うのね」
「そう…」
それは大変だね、と言おうとして止めた。
後藤の顔を覗き込む。
「なんで私に言うの?」
「よっすぃ……」

後藤は真剣な面持ちでゆっくりと口を開いた。
「注意して見てて。あたしはそばにいられなくなるし」
吉澤はすうっと目を細めた。
「まるで、単身赴任のお父さんだね」
「よっすぃ」
「でも、わたしだって、圭ちゃんがプッチから離れたらそれほど一緒にいなくなるよ」
「いいんだよ」
後藤は視線を外して俯いた。
「よっすぃに見ててほしいんだ」
吉澤は咄嗟に言葉が浮かんで来ず、右手をあげて頭の後ろをぼりぼりと掻いた。
81名無し募集中。。。:03/04/26 02:37 ID:/ZaQQGH4
「なぁんかさ…」
吉澤はあさっての方向を見つめながら面倒くさそうに応える。
「やだな」
はっと顔を上げ、目を見開く後藤。
「圭ちゃん、圭ちゃんって。そんなに心配なら、定期的に連絡取ったらいいじゃん。
わたしは圭ちゃんの子守りじゃないんだし」
「……」
後藤は視線を落とした。
はぁっと吐かれた深いため息を聞き、吉澤は後悔したが遅かった。
82名無し募集中。。。:03/04/26 02:39 ID:/ZaQQGH4
「そうだね……」
気にする風でもなく、仕方ないね、といった感じで軽く吉澤の肩をぽんと叩き
後藤は背を向けてスタジオから出ようとする。
「あ、あのさ…」
「ん?」
肩越しに振り返る後藤の表情はあまり怒ってはいないように見えた。
「一緒に仕事するときくらいは、見ておくけどさ…」
「そう…ありがとう」
そう言ってまた前を向いてしまった後藤がどんな表情をしてるのかわからない。
吉澤はその素っ気ない態度に、怒ってるんだな、と思いつつ
体から力が抜けていくのをどうすることもできなかった。

振り返らずにまっすぐ廊下を進んで楽屋へと向う後藤の後姿。
その姿はまっすぐに毅然とし過ぎていて吉澤を寄せ付けないように思えた。
83名無し募集中。。。:03/04/26 02:43 ID:/ZaQQGH4
>>59-69
昨日と同じとこなのでスルーしてくらさい。

>>71-82
本日の更新分です。

第1章後編
84名無し募集中。。。:03/04/28 03:44 ID:5T0c+ykS
第2章

後藤が卒業して吉澤はひとりでいることが多くなった。
以前は後藤や自分にひっつく加護を鬱陶しく思いながらもつるんでは
楽屋で騒ぎ、年長メンバーに叱られることもしばしばだった。
今、加護は高橋と過ごすことが多く、辻も残りの5期メンバーや安倍に接近していた。
石川は年長組して移動の車や控え室も分かれてしまい、
巷間で言われるほど二人の仲を見せつける場面はなかった。

皮肉なことに年長組は石川が入ったことで、ぎすぎすした雰囲気が和らいだ。
もともと保田や矢口とは仲がよかったせいもあるし、
飯田は少し前までタンポポで一緒だった。
モーニング本体の新曲で安倍の待遇が良かったこともいい意味で緊張感をほぐした。
初期メンバーと言われるメンバーは石川を触媒として、
蜜月ともいえる理想的な状態を保てた時期だった。

一方で吉澤が最年長となる年少組は辻と加護の仲がなんとなく
ぎくしゃくしてきたのをきっかけに5期メンバーまでぎすぎすし始めた。
吉澤は自分の精神状態が落ち着かないことは自覚していた。
気分が下降気味に推移するのと反比例するように、体の方は体重を増していった。
体が重いのは気分が沈みこんでいるせいだと思っているうちに
外見は取り返しのつかないほど醜く変わり果てていた。
その自覚が吉澤にはまだない。
そんなある日のことだ。事件が起こったのは。
85名無し募集中。。。:03/04/28 03:45 ID:5T0c+ykS
秋のツアーが始まっていた。
春や夏には行けない地方での興行が多いこのツアーは
温泉や地方の名産物を食べる機会もあり、もともとメンバーには評判がよかった。
だが、高騰するチケット代やファン層の低年齢化により、
観客は目立って減ってきていた。
メンバーはステージから観客席を見渡すわけでその傾向は明らかにわかる。

特に秋田の大館はひどかった。
その場所に着いた途端、保田を含むメンバー達も絶句したという。
普段、興行主に対して批判めいた言動のない保田でさえ、
ロケーションのひどさに呆れている。
田園風景の中に突如として現れる巨大な建造物。
秋田市からも2時間かかるという僻地。
ここに客が来る方というが不思議だったが
実際にコンサートが始まって、1万2千人収容のホールに4千2百人しか入らない
寂しい光景を目の当たりにしたメンバーは言葉を失った。
それはモーニング娘。の人気凋落を文字通り目の当たりにした瞬間だった。
86名無し募集中。。。:03/04/28 03:46 ID:5T0c+ykS
1万5千人収容の横浜アリーナで6千人しか入らなかった握手会を経験した飯田と安倍、
そして、地方の販促イベントに人が集まらなかった経験をもつ保田と矢口はたしかに
複雑な思いを抱いていた。だが、満員の武道館でデビューを果たした4期メンバー、
やはり大入りの会場しか知らない5期メンバーにはさらに衝撃的な光景だった。
87名無し募集中。。。:03/04/28 03:50 ID:5T0c+ykS
加護は機嫌が悪かった。
後藤のいない今、モーニング娘。で人気ナンバーワンという看板を背負った14歳が
受け止めるには重すぎる現実だった。
モーニングへの批判を自分への批判と同一視しがちな加護にとって
大館の不入りは自分への不信任を突きつけられたようにさえ感じられた。
そんなことは認められない。
モーニングの人気が落ちたのは断じて自分のせいではない。

抱えきれない過酷な現実は捌け口を必要とする。
モーニングの人気凋落に何か経角要因を見つけたいと
無意識のうちに考えても不思議はない。
そして疑いの眼差しは、近ごろ疎遠になった同期へと向けられていた。

加護は吉澤の肥満が許せなかった。
そして辻が自分から離れていくことも許せなかった。
88名無し募集中。。。:03/04/28 03:58 ID:5T0c+ykS
辻はよく飯田の膝の上に乗る。
以前の話だ。
最近は、安倍の膝の上に乗ることが多いという。
年少組の楽屋にも居つかない。
それがまた加護の機嫌を損ねる。

秋田公演昼の部が終わった後の控え室。
起こった口論の原因は些細なことだった。

「また、あっち行くの?」
「何が?」
控え室から出ようとした辻の肩を加護が掴んだ。
剣呑な雰囲気に他のメンバーから視線が集まる。
「のの、最近、あっちに行き過ぎだよ」
「いいじゃん、別に」
「あたしたちが嫌いみたいで気分悪いよ」
「そんなつもりないよ。考えすぎだって」
そう言い置いて廊下に出ようとする辻の腕を今度はギュッと握った。
89名無し募集中。。。:03/04/28 03:59 ID:5T0c+ykS
「痛っ!何すんだよ、バカッ!」
「なんで、あっちばかっり行くんだよ?」
「いいじゃん!のんの勝手でしょ、離してよ!」
加護はさらに食い下がろうとするが、辻の腕力にはかなわない。
振り払われてバランスを崩し、転びそうになる。
「ちょっとぉ!」
ただでさえ白いその顔面は怒りで蒼白になった。
「何すんだよっ!」

「やめろよ」
見かねた吉澤が間に入った。
「いいじゃん、辻がどこ行ったって」
振り向いて加護に告げた瞬間、
辻がさっと抜け出して廊下を駆けて行った。
「あぁっ!」
加護はその後姿を目で追いながら無念さの滲む表情で吉澤を睨みつけた。
「ちょっと!余計なことしないでよ」
「マジになるなよ」
吉澤はへらへらと笑いながら加護の背中をぽんと叩く。
90名無し募集中。。。:03/04/28 04:00 ID:5T0c+ykS
「やめ、てよ!」
その手を振り払われて吉澤の顔から笑顔が消えた。
「何?」
吉澤は加護に正対した。
「やるの?」
緊迫したムードに5期メンバーは体を寄せて見守っている。
「大体、よっすぃがそんなだから、ののが向こうにいくんやんか?責任取れや!」
「はぁ?何言ってんのおまえ?わたしがそんなって何だよ?どんなだよ?」
「言ってええんか?」
加護は強気な態度をとりつつも体を寄せてくる吉澤の威圧感にたじろいだ。
何といっても向こうは170cm近い長身。
加えて体重はどれくらいあるかわからない。

「や、やるんか?」
声が震えている。
「そ、そんなん、ずっこいやん、そんなでっかい体で…」
さらに吉澤が体を寄せると加護はついに泣き出した。
「そ、そんなん、ずるいやん!そんなプロレスラーみたいな体でどつかれたら、
うち、死んでまうやんか!」
関西弁に戻ったところをみると加護は相当に追い詰められていたのだろう。
だが、いくら切羽詰まったとは言え「プロレスラー」はまずかった。
「なんだとぉ……」
吉澤が低い声で唸った。
怖い。
5期メンバーは体をぎゅっと寄せ合ってがたがた震えている。
新垣などは目に涙を溜めていた。
91名無し募集中。。。:03/04/28 04:04 ID:5T0c+ykS
「や、止めてください」
耐え切れずに小川が立ち上がった。
プッチモニで一緒なだけに自分がなんとかしなければと思ったのだろう。
「なんだよ?」
「加護さんも止めてください。吉澤さんはプロレスラーなんかじゃありません」
「なんや?うちが悪い言うんか?」
加護は涙を流しながらも負けん気だけは強い。
「だ、だって、吉澤さんは喧嘩を止めようとしただけじゃないですか…」
立ち上がったものの、もともと気の弱い小川のこと。
口の達者な加護にかかっては劣勢だった。

「おまえが悪いんだよ。辻に言いがかりつけてたのもおまえだろ?」
「なんでやねん!なんでもうちが悪いんかい?うちが悪者かい?
はぁっ、そりゃええこっちゃ。でっかい図体しとるから脳みそまで血が回れへんのちゃうか?」
「加護さんっ!」
小川が叫んだがすでに遅い。
パーン、と何かが弾けたような音とともに加護が吹っ飛んだ。

それっきり沈黙が辺りを支配する。
時間が止まったかのように思えるほどの静寂。
カタン、とした音の方向を眺めると高橋が心底脅えた目で後ずさり、
新垣がその後ろに隠れようとしている。
紺野は醜いものでも見るような目つきで吉澤を睨みつけていた。
92名無し募集中。。。:03/04/28 04:23 ID:5T0c+ykS
加護が頬を押えながらよろよろと立ち上がる。
ひっく、としゃくりあげながら吉澤への呪詛を投げつけた。
「うっ…よっすぃのあほ!でぶ!ぶた!とぅにょうびょうで死んでまえ!」
タッタッ、と廊下を駆けて行く足音が響く。
吉澤は掌を開いて見つめながら呆然と立ち尽くすしかなかった。

「か、加護さん!」
思い出したように小川が叫ぶと後を追って走り出した。
「あ、マコっちやん…」
吉澤と残されては大変とばかりに三人は立ち上がり次々に廊下へ飛び出す。
「ま、待ってぇ!」
自分の横をすり抜け、パタパタと乱れたリズムで廊下を走る5期の三人など
すでに吉澤の意識の中にはなかった。
頭の中では加護の言葉が繰り返し響いている。

――よっすぃがそんなだから――プロレスラーみたいな――
――でっかい図体しとるから――
――でぶ!――ぶた!――とうにょうびょうで死んでまえ――

そして、怪物でも見るような目で自分を恐れ、
汚らしいモノでも見る目つきで自分を蔑んでいた二つの視線。

(死にたい…)

本気で考えた瞬間だった。
93名無し募集中。。。:03/04/28 04:30 ID:5T0c+ykS
本日の更新分です。

>>84-92
第2章前編
94名無し募集中。。。:03/04/29 02:57 ID:uVsghKle
やがて戻ってきた5期メンバー4人は、腫れ物に触れるような調子で
吉澤の顔色を窺っては、目線が合いそうになるとビクッと身を震わせて
目を逸らした。
年長組の控え室に行ったきりなのか、辻と加護は夜の部が始まる直前、
配られた仕出しの弁当を取りに戻ると、またすぐに部屋を出て行った。
もちろん、吉澤の方は見向きもしない。

ステージが始まると忙しさに紛れて吉澤のことなど気に留める者はいなかった。
吉澤自身も何事もなかったように振る舞い、客席の数少ない観客に笑顔で応えた。
MCのトークも終始にこやかにこなした。
アンコールが終わり、着替えを終えてバスに乗り込む頃には、
昼間の諍いなどすでに忘れ去られようとしていた。

だが、やはり、それだけでは済まなかった。
95名無し募集中。。。:03/04/29 02:58 ID:RlI+kTBU
だが、やはり、それだけでは済まなかった。

市内のホテルに移動した頃にはもう、夜半を過ぎており、
年少組はそれぞれに割り当てられた部屋に入るとすぐに寝息を立てた。
吉澤と同室だった石川は保田の部屋に集まり、年長メンバーとの反省会に臨んでいた。

「なんか昼間喧嘩してたんだって?」
「そうみたいですね。加護は何も言わないんでわかんないんですけど」
保田の問いに石川は眠そうに答える。
「5期メンは?」
「小川がなんか心配してた。なんか加護がそーとーひどいこと言ったみたいだから」
石川の代わりに矢口が応えた。保田は考え顔だ。
「小川としては加護の悪口も言いたくないし、なんか煮え切らないんだけどね」
「よっすぃなら大丈夫っしょ。しっかりしてるし」
矢口の言葉を継いだ安倍に一瞥をくれると保田は立ち上がった。
「いや、意外と繊細だからあの子。ちょっと見てくるわ」
「大げさだなあ、圭ちゃんは。もう、寝てんじゃない?」
「寝てればいいけどさ。石川、鍵」
引きとめようとする飯田の言葉をひらひらと手を振って往なす。
石川から、はい、と手渡された鍵を手に保田が部屋を出て行った。
96名無し募集中。。。:03/04/29 02:59 ID:uVsghKle
その5分後。
飯田の携帯が鳴る。
「ハイ。圭ちゃん?……なんで?」
訝しむメンバーにちらと視線を走らせると飯田は背を向けた。
ふたことみこと言葉を交わすと、不機嫌そのままにむくっと立ち上がる。
「もーぉ、なんだかよくわかんないけど」
すたすたと歩きながらみなに告げた。
「早く来いって圭ちゃんが言うから」
立ち上がろうとする石川を制して、「いいから、いいから」という声が
廊下から響いたときにはすでに飯田の姿はなかった。

「カオリ……」
飯田は目を見張った。
ベッドの上で保田に抱えられてぐったりとしている大きな体。
そして、ハンカチで押えられた吉澤の左手首からは…
「圭ちゃん、血っ!それ、血っ!」
「しぃーーっ!」
唇に指を立てて保田が騒がぬよう告げるのと、
飯田がそばに駆け寄って吉澤の胸に手を当てたのはほぼ同時だった。
「――良かった…動いてる…」
「縁起でもないこと言わないでよ。大丈夫だよ」
「でも、顔色悪いよ…」
97名無し募集中。。。:03/04/29 03:01 ID:RlI+kTBU
「傷口浅いから、出血はたいしたことないんだけど…」
保田は飯田の耳元に口を寄せた。
「メンバーには絶対、言わないようにしないと」
飯田は即座にうなずいた。
「うん。でも、大丈夫?お医者さんに見てもらわなくて?」
「外傷は大丈夫だろうけど……ね?」
そう言って保田は吉澤の髪の毛をさらっと撫でた。
「みんなが寝たら、夜間診療所に行こうと思う」
「チーフには?」

「……」
保田はじっと飯田の目を見詰めた。
「カオリ、お願いしていい?」
こくり、とうなずく飯田に保田はさらに続けて頼む。
「いい?よっすぃが床に寝ちゃったから、ベッドに乗せるのに私がカオリを呼んだ」
「うん」
「私はなんか疲れちゃってここで寝るから、石川は私の部屋で寝て、って言ってくれる?」
「わかった。先にチーフんとこ行ってくる」
「お願い」

保田は吉澤の頭を枕に乗せて左腕を毛布で隠した。
もう一度頭から前髪にかけて掌で撫でつける。
頬に涙の跡が乾いて残っているのが痛々しかった。
保田は自分も横になると吉澤に寄り添った。
目を瞑ると静かな寝息が聞こえる。
保田は鍵を開けて部屋に入った瞬間の光景をまぶたの裏に浮かべた。
98名無し募集中。。。:03/04/29 03:02 ID:uVsghKle
暗い部屋の中でベッドの上に頭を乗せて
崩れ落ちるように床に体を投げ出していた吉澤。
だらりと垂れ下がった右腕の先には
無駄毛処理用の小さな剃刀が転がっていた。
心臓が止まるかと思った次の瞬間には脈を取っていた。
ほっと胸を撫で下ろして傷口を見ると
短く赤い筋がすぅっと一本、手首の下の方に伸びていた。
ほとんど出血はなかったようだ。床に血痕の染みはなかった。
妙な噂が立つこともないだろう。

ガチャッ、と音がして誰かが入ってきた。
廊下の明かりが吉澤の寝顔を照らす。
「保田さん、大丈夫ですか?」
「ごめん、石川。疲れちゃった」
「私のベッドで寝ていいですよ」
保田は体を捻って石川に顔を向けた。いかにも眠そうな表情で。
「いいよ。よっすぃの横があったかくていい」
「ああ、ちょっとやらしー、保田さん。よっすぃに手、出さないでくださいよ」
「んんー、保証できないー。おやすみー」
わざと吉澤に体を寄せて背中に頬をあてる。心臓の鼓動が心地よい。
それっきり、背を向けて瞼を閉じた保田は、
何か言いたそうな石川が諦めてドアを閉めるまで息を止めて待った。

何があったのか。理由を聞くのは止めようと保田は思う。
吉澤の背中の温かさを感じながら、しっかりと体を寄せる。
心臓の鼓動が規則正しく刻むリズムを聞きながら、いつしか眠りに落ちていた。
99名無し募集中。。。:03/04/29 03:06 ID:RlI+kTBU
◇◇◇

「よっすぃ!ほれ、ここ!」
パン、パンと太腿を叩きながら飯田が呼ぶ。
はぁ?と首を傾げると、「いいよ、空いてるよ」と続ける。
「ええ?辻に悪いじゃないですか」
「のんちゃん、最近、ご無沙汰だから…」
わざとなのだろうけれど。吉澤は飯田の寂しそうな表情に弱い。
「しょうがないっすねえ。座ってあげますか」
「わーい、やったあ」
ふわり、というわけにはいかないが
それでも軽やかに吉澤は膝の上に乗った。
重たいのかもしれないが、それでも飯田はそんな素振りを見せず
吉澤のお腹の方に手を回して顔をピタッと背中に寄せている。
「よっすぃ、あったかーい」
あれ?と思ったが声には出さなかった。
前にもこんな状況で誰かに言われた気がする。
誰だっただろう。

考えているうちに飯田が小声で話し出した。
「のんちゃんね、最近、なっちと仲いいでしょ」
「そうっすね」
妬いてるのかな、と思ったが、口には出さなかった。
飯田が辻を可愛がっていたのはメンバーなら誰でも知っている。
「私ね、なっちと”和解”することにしたの」
「へっ?」
思わず振り向こうとして飯田に「しぃっ」と制された。
そばにいた小川は呼んでいた雑誌から顔を上げて
羨ましそうに飯田を見つめている。
100名無し募集中。。。:03/04/29 03:09 ID:uVsghKle
小声で囁きあう二人の会話が理解できず、
再び小川の目線が下に落ちたのを確認して飯田が続ける。
「圭ちゃんがね、卒業するって私達の前で明かしたその日にね、呼び出されたの。
私となっち」
「呼び出しですか」
裏番みたいですね、と茶々を入れそうな自分を諌める。
「うん。なんとなく、わかるでしょ?私たち、あんまりうまくいってなかったの」
「薄々は感づいてましたけど…」
本当は薄々どころではなかったけれど。これはまったく言うつもりはなかった。
飯田は、何に納得したのか、うん、うんとうなずきながら続ける。
「で、圭ちゃんが言うわけ。私たちが仲直りしないと、メンバーのみんながやりにくいから
どうしても”和解”してくれないと困るって」
「へーえ」
心底、感心した。さすが保田だと思った。

「でね、努力はしてるんだけどー…なかなか…ね、わかるでしょ?」
「そうっすね…」
わかる…気はする。
自分だって加護と普通に会話しようとしても、なかなか体がうんと言わない。
未だに加護と二人きりになるとぎくしゃくしてしまう。
詳しいことはわからないが、飯田と安倍の間にもなにか
胸に痞えたしこりのようなものがあるのだろう。
それが何かはわからないが、感覚として吉澤には理解できるような気がした。
101名無し募集中。。。:03/04/29 03:13 ID:RlI+kTBU
「のんちゃんには何も言ってないんだけどね…」
飯田はどこか夢見るような調子で言う。
「何か感じるのかな、ああ、今、なっちと気まずいな、
ってときに必ず、のんちゃんがなっちのとこに寄ってくの」
吉澤はハッとした。それで…
「それで加護が拗ねてるんですかね?」
「ああ、やっぱそう思う?でもね、それで、なっち、すごく感謝してるみたい」
「辻やりますねえ…」
吉澤は心の底から感心した。
「でしょ?私、また大好きになっちゃってえ」
「いやー、惚れますね。辻、かっけー」
「あはは、だからさー、加護がちょっと機嫌悪くってもさ、ね?」
なるほど、そういうことか…
「なんか…」
吉澤は飯田の言わんとしていることをようやく理解した。
「なんか、みんな優しいですね…」
「なに言ってんのお、よっすぃだって優しいっしょ」
そんなことはない。
「そんなこと…ないですよ」
沈んだ調子に飯田は言葉を返せなくなる。
吉澤は寂しくなった。決してそんなことはない。
自分が優しいなんて、そんなことは…
102名無し募集中。。。:03/04/29 03:14 ID:uVsghKle
いきなり小川が顔を上げて沈黙を破った。
「吉澤さん、優しいですよ。私が悩んでたら声掛けてくれますし」
「そーだよね、よっすぃってこう見えて優しいとこあんだよね」
「もーいいっすよ、恥ずかしいから」
なんだか居心地が悪かった。
小川に声を掛けろと言ったのも保田だった。
自発的にやったわけではない。
そして、飯田と安倍の仲を修復しようとしたのも保田……
吉澤は今更ながら保田の凄さに思い至り、自らの不甲斐なさを恥じた。。
自分のことよりも仲間のために尽力するその姿勢。
なんだかモーニングはあの人がいないとバラバラになってしまいそうだ。

急に黙りこくった吉澤を膝に乗せたまま、飯田は小川に問い掛けた。
「モーニングってみんな優しいよね」
「ハイッ、大好きです!」
垂れきった小川の目が無償に可愛く思えて吉澤は思わず立ち上がっていた。
「小川ぁ」
「ハイ?」
立ち上がったはいいものの、何も考えていないことに気付き焦った。
だが、無心に自分の顔を覗く小川の瞳に自然と出た言葉、
「頑張ろうな」
「ハイッ!」
そのタイミングに新しいユニットはイケてると思った。
「なんだかなあ、この二人は…」
飯田が寂しそうにぼそっとつぶやくほど。
その瞬間、吉澤はいい感じになれたと思った。
103名無し募集中。。。:03/04/29 03:20 ID:RlI+kTBU
本日の更新分終了。

>>94-102
第2章後編



104ワカサルーチェー ◆52ymLkTdC2 :03/04/29 17:08 ID:pGDZU+k5
作家さん、乙。
今、ネカフェなんでゆっくり嫁ないんですが、じっくり読ませて頂きます。
これからもがんがってくらさい!
105名無し募集中。。。:03/05/01 02:22 ID:VDjJ3pqv
第3章

後藤は忙しそうだった。
ごまっとうとして松浦や藤本と活動するとともににミュージカルも動き出している。
かと思えば自分達やハロプロ最年少チームの子供たちと映画にも出演する。
八面六臂の活躍を見せつけられるにつれ、彼我の立場の差に嘆息せざるを得ない。

自分だけが残り、守るはずだったプッチモニの名前は無期限の封印。
その理由が明かされることはないが、周囲からの冷たい視線を浴びてなお
何も考えずにいられるほど無神経ではなかった。
プッチモニ、という名前に後藤や保田が抱いているほどのこだわりを
持ち得ないのもまた事実ではあったが。

年末が近づいて吉澤自身も忙しくなると感傷に耽っている暇はなくなった。
年末年始のTV出演、ハロプロコンサートのリハーサル。
体を動かしていれば、少しは気も紛れる。

秋田の件以来、それとなく飯田が気を遣ってくれることが多くなり、
おもはゆいながらもそれをありがたく思っている自分がいた。
また、小川が視界の片隅に入ることが多くなったようにも思う。
彼女なりに考えているのだろう。まだそれほど言葉を交わす機会は多くないが、
少しずつ、わだまっていた心がほぐれていくような感覚が吉澤には心地よかった。
106名無し募集中。。。:03/05/01 02:23 ID:VDjJ3pqv
後藤が連絡してきたのは、12月に入ったある夜のことだった。
「久しぶり」の挨拶もそこそこに後藤が切り出した名前に
吉澤はウキウキとした気分が急速に冷めていくのを感じた。
「ねえ、圭ちゃんののど、やっぱり悪いんじゃない?」
「――ごっちん…」
「ちゃんと見ててくれたの?」
「ねえ、ごっちんさ――」
「よっすぃ、ちょっとおかしいよ」
カチン、ときたのは保田のことだったから、
というよりは、自分を責められているように感じたから。
「……」
だが、反論しようにも吉澤は思い出してしまった。
保田ののどに注意するよう言われていたことを。

「ごめん、言い過ぎた…」
誤ってきたのは後藤の方だった。
吉澤はまたしても自分が惨めに思えて嫌になる。
「悪かったよ…すっかり忘れてた」
「そう…ま、忙しいし、しょうがないよ。あ、ところでさ、こないだよっすぃが
美味しいって言ってた店、行ったよ。ちょー、美味しかった」
「でしょー、あそこのラーメン最高だよねー、っていうか、わたしも呼んでよ」
取り繕うように話題を摩り替える後藤がなんだか遠くなったように感じた。
便乗するように合わせる自分がまた嫌だ。
「あ、ごめん…スタッフの人とか一緒だったし…でも、でも、今度は――」
「いいよ、無理しなくて。ごっちん、忙しいからさ」
「ごめん……」
謝る必要はないと思った。
なぜ謝るんだろう。
107名無し募集中。。。:03/05/01 02:24 ID:VDjJ3pqv
「――あ、あの…わたし、圭ちゃんに聞いてみる。のど大丈夫か」
吉澤は咄嗟に叫んでいた。
「いいよ、いいよ。あたしが気になってただけだし。今度、直接聞いてみる」
「いや、っていうかわたしが聞いた方が早いし。ほら、明日もハロモニの収録あるし」
「……」
後藤の内心の逡巡か手に取るようにわかった。
まかせてもまた忘れるかも…いや、そこまで言ってるのに断わるのも悪いし…
「じゃ、まかせる」
後藤の中の天使が勝ったようだ。
吉澤はほぉっと息を吐いた。
「それにしてもさ――」
「ん?」
「ごっちんのペンギン、可愛いよな」
なぜか口をついて出た一言。
だが、なにげないひとことに救われる夜もある。
「あはは、なーに言ってんのさー、よっすぃ、ホントおかしいよー。じゃね、よろしく」
「うん。バイバイ」
よかった。
通話をオフにすると吉澤は立ち上がって無意味にポーズを取った。
ふと、机の上の写真立てに目が行く。
そこには、自分と後藤、保田の三人が満面の笑みを浮かべて写っている。
後藤がいつも真中だった。
それは普段の三人の関係をそのまま表していた。
自分は保田と並んで写真を撮ったことがあったのか、
甚だ心許ないような気がした。
108名無し募集中。。。:03/05/01 02:29 ID:VDjJ3pqv
本日の更新分

>>105-107
第3章その1

>>104
ありがとうございます。
かみのやま競馬、陰ながら応援しております。
こちらも5/5に向けて頑張りますです。
109名無し募集中。。。:03/05/01 10:52 ID:U2+SkAnu
◇◇◇

保田は上機嫌だった。
誕生日が近いせいかもしれない。
そう思い至って、今年は何を送るか考えていないことに気づき焦った。
保田はこちらのそんな様子に頓着せず、ニコニコと微笑んでいる。
「なーんか、いいことあったぁ?圭ちゃん」
「わかる?よっすぃもなかなか気が付くようになったじゃん」
失礼な、と言い返そうとしてやめた。
わざわざ機嫌を損ねることもない。機嫌がいいなら好都合だ。
「圭ちゃん、のどの調子どう?」
「なんで?」
ギロッとした目で睨まれて身が竦んだ。いや、睨んだつもりはないのだろうが。
間近で見るとその大きな瞳に圧倒される。
顔の半分くらいは目で占められているんじゃないかと思えるくらい。
冗談でなしに、本当にそれくらいに感じるから保田の顔は侮れない。
110名無し募集中。。。:03/05/01 10:52 ID:U2+SkAnu
「い、いやあ…変な風邪、流行ってるし、圭ちゃんも卒業前だしさあ」
「ふーん」
探るような目つきが爬虫類を思わせる。
後藤が保田を慕うのは、案外、その辺にも理由があるのかもしれない。
などと適当なことを考えつつも、後藤の手前、
吉澤はきちんとしたリサーチを義務付けられている。
怯まずに保田の目を見つめ返す。
「いや、ホントにのど大丈夫?ちょっと無理してない?」
わざと真剣な表情を装ってごまかす。
そうでもなければとても見続けられないほど保田の眼光は鋭い。
「よっすぃ…」
保田は視線を落とした。
「ありがとう…」
その調子が柔らかく、ほっと心の底から出たような印象だっただけに
吉澤の良心は疼いた。
「ちゃんと医者に見てもらった方がいいよ」
内心の疚(やま)しさを隠すために真剣な表情を保つ。
嫌な人間だ。保田がかわいそうになる。
111名無し募集中。。。:03/05/01 10:55 ID:U2+SkAnu
「実はね…検査したんだ」
吉澤はドキッとした。
本当に調子が悪いとは思ってもみなかったからだ。
離れている後藤の方が良く見ているなんて…
「まあ、結果は何ともなかったんだけどね。よっすぃ、よく見てくれてたんだ。なんか嬉しい」
「圭ちゃん…」
「圭ちゃんって呼んでくれるまで時間がかかったけどね。
なんか、せっかく仲良くなれたのに離れちゃうってもったいないなーって思う」
「うん、あたしも…」
視線を落とした。
これ以上、保田の嬉しそうな表情を眺めるのは辛い。
「で、でも、まだわかんないから、のどは大事にした方がいいよ。最近、呑みすぎだし」
「ありがと…」
最後だけは本当に思っていることを自分の言葉で告げた。
さすがに悪人に徹しきれるほど強心臓ではない。
吉澤はその場に居たたまれなくなって、適当な理由をつけて去ろうとした。

「んじゃ」
「ん、よっすぃさ」
「はい?」
保田は笑みを崩さぬまま告げた。
「今度、焼肉食べにいこ、ね?」
吉澤は胃の辺りがキュウッと絞られるような痛みを覚えた。
「う、うん。もちろん、圭ちゃんのおごりでね」
「さーすが、よしこはしっかりしてるわ。いいよ、絶対、行こうね」
「うん、絶対だよ。じゃ」
112名無し募集中。。。:03/05/01 10:57 ID:U2+SkAnu
手を振って、うしろを振り返らずにその場を去った。
胃を捕まれたような痛みの感覚はそのままだ。
自分のバカさ加減が嫌になった。
あのとき、本当に死んでいた方がよかったのかも知れない。
手首の傷を見ると、とても本当に死ぬ気で刃を立てたようには見えないけど。
朝、起きたときにはちゃんとベッドの上に寝かされていた。
剃刀も洗面用のポーチに収められて。誰かが、直してくれたとしか思えない状況だった。
同室のことでもあるし、石川だろうと見当はつけていたが、もちろん聞けるわけもない。

のどの奥の方が引き攣ったように固く締め付けられる。
悲しさなのか悔しさなのかわからない妙な感情が胸の奥にわだかまり沈んでいく。
後藤は保田のことを心底案じていた。
その思いを仲介したに過ぎない自分の存在が哀れだった。

――今度、焼肉食べにいこ――

自分には、その資格はないと思った。
吉澤は無性に飯田に会いたくなった。
113名無し募集中。。。:03/05/01 13:25 ID:zlgQt6H7
◇◇◇

数日後、違う局での番組収録のこと。収録の合間の待ち時間中。
楽屋の外で保田と矢口がやりあう声が聞こえてきた。
珍しいこともあるものだと思いつつも、半分興味を失って手元の漫画に視線を落とす。
すでに読むのは2回目だから、おもしろくもない。
メンバーの間で回し読みしても、こう待ち時間が長いとすぐに読みきってしまう。

外のやり取りはまだ続いている。
幸いなことに楽屋には今、自分とマネージャーしかいない。
何かあったとしても妙な噂が広まることもない。
それ以前に、あの二人に何かあるとも思えないのだが。

さすがに2回目ともなると、漫画もすぐに読み終わってしまう。
3回目に手をつける気にもなれず、吉澤は立ち上がって伸びをすると
窓から外の様子を眺めた。
114名無し募集中。。。:03/05/01 13:26 ID:zlgQt6H7
葉を落として細い枝を寒そうに晒している冬枯れの木立の向こう。
狭い道路を挟んで向こう側の建物の壁際。
壁に沿って植えられた針葉樹の根元で二人は激しく言い争っているように見えた。
二人…というのは正確ではない。
一方的に保田の腕を掴んで何事か捲し立てているのは矢口の方だ。
保田は困惑した様子で言い返すが見るからに力が入っていない。
保田の様子は母親に怒られてしゅんとしている子供のようにも見える。
矢口は顔をくしゃくしゃにして、掴みかからんばかりの勢いで…
顔をくしゃくしゃにして?
そう、よく見ると矢口は泣いているようでもある。

吉澤は気になって窓に顔を近づけたが、いかんせん道路の向こう側だ。
何を話しているかまでは皆目見当もつかなかった。
ふーん。
矢口ならまだ話しやすい。
保田はこの間のけちがついたままだ。
なんとなく話しにくかった。

やがて諦めたように去っていく矢口が道路を渡ってこちら側を向いたとき、
吉澤はその目に光るものを見た。矢口は確かに泣いていた。
115名無し募集中。。。:03/05/01 23:09 ID:JOBRs0QS
本日の更新分

>>109-114
第3章その2
116名無し募集中。。。:03/05/03 10:18 ID:doDbu0gf
◇◇◇

「矢口さん…矢口さん、ちょっと…」
吉澤は楽屋に戻ってくる矢口を廊下で呼び止めた。
慌てて目元を擦るが泣き腫らした目をそうすぐには隠せない。
「――なんだよ?」
泣いていたことを隠すのは無理と悟り、今度は照れ隠しのつもりなのか、
ぞんざいな口調で応える矢口。
「今、話したい気分じゃないんだよ、後にして――」
「保田さんのことなんですけど」
矢口の射るような視線に怯みそうになる。
吉澤は保田が戻ってくる前に場所を動きたい。
キョロキョロと視線を巡らすと人気のないスタジオの扉が開いているのに目を留めた。
「矢口さん、こっち」
「なんだよ…」
手を取って薄暗いスタジオに矢口の小さな体を引き込むと、
なんだか小さな幼女にいたずらしようとする変質者になったような妙な心持だった。
117名無し募集中。。。:03/05/03 10:21 ID:doDbu0gf
「おい…」
バタンと扉が閉まると真っ暗になる。スタジオだけに窓がないようだ。
慌てて電機のスイッチを探すがなかなか見つからない。
焦って壁際に掌をぴたっと貼り付けたまま上下左右に動かして
ようやく見つけたときには、手が真っ黒になっていた。
「よっすぃ?」
矢口が不安げに見上げる。
「矢口さん…保田さんに何があったんですか?」
ビクッと体を震わせたのを吉澤は見逃さなかった。
「何かあったんでしょう?」
こういうときは強気で押すに限る。
「何で知ってんだよ…」
吉澤の迫力に矢口は思わずポロッとこぼした。
慌てて口を押えるがもう遅い。
「何があったんです?」
今度は確信を抱いただけに落ち着いて尋ねた。
その深みのある声に矢口はすべてを吐露してしまいたい誘惑に駆られる。

「な、何でもないよ…ちょっとした喧嘩」
「今まで喧嘩なんかしたことないでしょ、教えてくださいよ。
わたしだって圭ちゃんが心配なんです」
その言葉に弱い矢口は思わず顔を上げてまともに吉澤と視線を合わせてしまった。
その目が再び潤んでいるのを見て、吉澤はメイク直すの大変だな、
などと場違いなことを考えた。
「誰にも言わない…?」
「言いませんよ」
「ほんと?」
「言いませんって」
矢口はまだしばらく躊躇う様子を見せていたが、
吉澤の強い視線の前にその決意は揺らいだ。
118名無し募集中。。。:03/05/03 10:23 ID:doDbu0gf
「圭ちゃんさ…」
「…」
「圭ちゃん…のど痛めてるんだよ」
吉澤は口を挟まず、矢口が続けるのを待った。
だが、唇を噛み締めたまま、一向に次の言葉が出て来ないことに軽い苛立ちを覚え、
気付いたときには、思わず口を出していた。
「でも、検査して問題なかったって――」
「嘘だよ」
吐き捨てるように言い切る矢口の迫力に
吉澤は保田が嘘を吐いているのだな、と悟った。
「圭ちゃん、歌いたいから、そんなこと言ってるんだ。のど、すごく悪いのに」
ほとんどべそをかきながら捲くし立てる矢口の様子に、
同期なんだなと吉澤はうすぼんやりと考えていた。
自分が石川のために、こんなにも熱くなれるだろうか…
だが何か引っ掛かる。歌いたい。矢口はそう言ったか?
「でも保田さん、歌いたいっていってもパートが…」
「企画があるんだよ」
矢口は吐き捨てるように言った。
落としたその言葉を探してでもいるのか足元ばかり見つめている。

「企画って…?」
吉澤は訝しんだ。保田を歌わせるような企画…
そんな話は聞いていない。だが、キッズ絡みの企画にも携わっているだけあって、
やはり矢口の情報網は侮れなかった。
「なんか翔子さんとか紀子さんとかでイタリアとかフランスのポップスをカバーする
企画が持ち上がっててさ、目玉としてモーニングの誰かを入れたいって話があるんだ」
「ああ、それで保田さんが…」
どうりでフランス語を勉強していたわけだ。
休暇でフランスにも行ったらしいし、やる気は充分ということだろうか。
吉澤は最近、保田の機嫌がとみによかったことを思い出していた。
119名無し募集中。。。:03/05/03 10:30 ID:doDbu0gf
「それで困ってるんだ…本人はどうしても、その企画で歌いたいって」
矢口は一瞬、唇を固く結び、拳を握った。
保田の気持ちがわかるだけに口惜しいのかもしれない。
「でも…歌える状態じゃないよ」
堪えきれなくなったのか、遂に大粒の涙を目から溢れさせた矢口の姿はとても弱々しく、
吉澤は思わず抱きしめたい衝動に駆られた。
手を差し出そうとして、だが、自分にその資格はないと気付き、力なく腕をだらりと下ろす。
涙で目の周りが隈取のようにぐちゃぐちゃになった矢口の瞳が自分を見つめている。
吉澤は次第に居心地が悪くなってきたことに戸惑った。

「のど…どれくらい悪いんですか?」
「やく、そく…できる…?誰にも言わないって」
「言いませんよ」
語気を強めて即答したが、本当のところ自信はなかった。
石川には言わないけれど飯田には言ってしまうかもしれない。
もちろん、矢口の前でそんなことは口にしない。
「医者には手術しないと歌手として歌うのは難しいって言われた…」
「手術って!」
「しぃーっ!声が大きい」
唇に指を当てて咎める矢口が制するのも構わずに、吉澤は大声で質していた。
「手術ってひどいじゃないですか!大丈夫なんですか?」
「静かにしてって!もう、圭ちゃんに聞こえちゃうじゃん」
自分の口を押えようとする矢口の手を振り払う。
今度は落ち着いて小声で尋ねた。
120名無し募集中。。。:03/05/03 10:45 ID:doDbu0gf
「どんな…どんな症状なんですか?」
「なんか『歌だこ』って言うの?ポリープまではいかないけど、
声帯にしこりみたいのが出来てるって」
「そんなの、よく圭ちゃんが教えてくれましたね」
「そんな素直に教えるわけないじゃん!」
キッと睨むように見つめる瞳から涙は消えていた。
「あんまり怪しいから、おいらが医者に行って聞いたんだよ。
ほら、よっすぃも声帯の写真、撮りに行かされたでしょ?」
「ああ、あれ?」
吉澤も思い出した。
つんくが声帯マニアというか、のどの状態にはひどく気を使うため、
メンバーは定期的にのどの検査を義務付けられている。
その検査で引っかかったことを保田は事務所に隠していたということか。
保田の立場を考えればさもありなむ、とは思う。しかし…

「あれくらいのたこができた場合、コンサートとかあっても中止させるって。
実際、aikoさんとか安室さんとかは中止したって言うし…」
「――その状態で歌うとどうなるんですか?」
「声帯に結節ができるとちゃんと閉じなかったりして、思いとおりに声が出せないんだ。
それで、普段より力んだりして声帯の上部が裂傷を起こすこともあるらしい」
「裂傷ですか?」
「切れちゃうんだよ、のどが。それに、癖になるっていうのかな。
しょっちゅう、たこができるようになるって」
「それじゃ、手術受けないとヤバいじゃないすか?」
「――嫌だって言うんだ…もう、どうしよう」
矢口は文字通り、途方に暮れたといった表情で吉澤を見つめた。
「ねえ、よっすぃ、どうしたらいいと思う?」
吉澤は考えた。
121名無し募集中。。。:03/05/03 10:49 ID:doDbu0gf
保田には悪いが、これはチーフか社長に…いや、だめだ。
そんなことを知ったら、保田の今後にどんな災厄が訪れるかわからない。
自己管理能力なしと判断され、事実上、引退に追い込まれることもありうる。
だが、あの人なら…
先ほどまでの勢いはどこへやら。
頼りなげに自分を見つめる矢口に吉澤はゆっくりと告げた。

「つんくさん…つんくさんから言ってもらいましょう」
「でも、つんくさんに言ったら、事務所にも…」
「わたしから、お願いしますよ。事務所には内緒にしてくださいって。
その代わり、圭ちゃんには絶対手術受けさせますからって」
自信満々な吉澤の言葉にも矢口は不安げだ。
それはわかる。
なにしろ保田には頑固なところがある。
だが…
「大丈夫ですよ」
吉澤は微笑んだ。
「保田さん、つんくさんの言葉には絶対の信頼を置いてますから」
「つんくさんかぁ…そうだね。つんくさんの言うことなら大丈夫かな」
矢口もようやく胸のつかえがとれた。そんなほっとした表情を見せた。
それにしてもよく泣いたものだ。冗談抜きでメイク直しが大変だろう。
幸い…と言っていいものか。待ち時間は腐るほどあるものの。
122名無し募集中。。。:03/05/03 11:05 ID:doDbu0gf
「そうですよ。それにしても、保田さん、どうしちゃったんですかねえ。
のどの管理なんてプッチのときにえらい煩く言われましたけど」
「いろいろ事情があるんだよ…」
矢口が安堵したせいで、つい気が緩んだか。
吉澤はつい調子に乗ってしまった。
「最近、ちょっと飲み過ぎじゃ――」
「吉澤!」
胸倉を掴まんばかりににじり寄る矢口の迫力に吉澤は完全に気圧された。
その瞳は怒りに見開かれている。
「もう一度言ってみろよ…圭ちゃんが、圭ちゃんが飲み過ぎだって…?
誰のために飲み歩いてると思ってんだよ?」
「――だって、矢口さん?」
「もう一回、言ってみろよ!えっ!何だって?!おいっ!圭ちゃんがどんな気持ちで
外の人とお酒付き合ってるか知ってんのか?おいっ!何とか言え!」
「――だ、だって…」
吉澤はいきなり豹変した矢口の態度に狼狽するばかりだ。
確かに保田を揶揄するような響きがなかったかと問われれば甚だ心もとないが、
もとより保田に対して悪意はない。
それくらいは矢口にもわかりそうなものだとは思うのだが、
この状態では言い出せない。日に油を注ぐ結果になりかねなかった。
123名無し募集中。。。:03/05/03 11:13 ID:1HL7R6qz
「圭ちゃんはなぁ、圭ちゃんは……」
そう言う矢口の目にはまたしても涙が溢れている。
晴れたり止んだり忙しい梅雨時の天気のような矢口の涙腺。
その比喩はちょっとおもしろいかな、と思ったが当然これも言えるわけがない。
吉澤は神妙な顔つきで雨が通り過ぎるのを待った。
「圭ちゃんはさあ…」
矢口はそこでずずっと鼻をすすって続けた。
「別にお酒が好きで外の人たちと飲みに行ってるわけじゃないんだよ。
それにタレントさんじゃなくて番組とかのスタッフの人たちと行く方が多いんだ。
わかるでしょ、うたばんとかであんなに圭ちゃん、大事にしてくれるの」

吉澤は思わずああ、と漏らしていた。
なるほどそれはなんとなくわかる。
保田のスタッフ受けの良さは異常とも思えるだけに、
何か秘訣があるのかと思っていた。考えてみれば簡単なことだったのだ。
しかし、それではやはり…
「自業自得だと思ってんでしょ、また。違うよ。聞いて」
そう言って矢口はどこからかティッシュを取り出してズズーッと鼻をかんだ。
キョロキョロとあたりを見回して、ゴミ箱を見つけるとティッシュを投げつける。
「はずれー」
「っくしょお」
パチッと指を鳴らして悔しそうにゴミを捨てに行く矢口の機嫌はすでに回復していた。
「でさ…」
振り向きざまにちらっと矢口がくれた目線が妙に艶かしくて吉澤はドキッとした。
これが大人の女の「目で殺す」ってやつか。
吉澤は場違いなことを考えることで、この場の気まずさから逃れようとした。
「スタッフさんと飲みに行くのは自分のためだけじゃないよ。グループとしてさ、
モーニングとして、制作の現場で嫌われないように圭ちゃんが間を繋いでいるっていうか…
そういう風に考えられないかな」
矢口は吉澤から視線を外さずに言い切った。
吉澤は一言もない。
124名無し募集中。。。:03/05/03 11:22 ID:1HL7R6qz
「もうすぐモーニングを卒業しちゃうからさ。圭ちゃん、ちょっと焦ってる。
今のうちにできるだけコネクションつくっておかないとさ。
だってカオリもなっちもそういう性格じゃないでしょ」
それだけは、どう考えても想像できなかった。
二人とも北海道出身の割には人付き合いに関して妙に神経質なところがある。
誰とでもすぐに仲良くなれるという類の性格ではない。
これはほとんどのメンバーについて言えることではあるけれど、
あの二人に関しては特にその傾向が顕著だと吉澤は思った。
そうなると、お酒が飲めるメンバーでグループの顔として業界での顔つなぎができる
社交の担い手としては、やはり保田の存在しか考えられない。

「よっすぃは知らないだろうけどさ。あんたと誰か他のメンバーでラジオとかテレビに出るとき、
知ってる関係者がいたら必ずメールとか電話してたんだからね。
『吉澤はこれこれこういう子だからよろしくお願いします』ってさ」
「ああ、それは」と吉澤は思った。
こないだのラジオで坂下千里子が言っていたはずだ。
あれには感心した覚えがある。
心底感心していた小川とちょっぴり微妙な飯田の顔つきとの対比が鮮明に印象に残っている。
大人の世界にはいろいろあるんだろうな、と思った自分の感慨も。
「だから焦ってたんだと思う。特に5期メンバーはまだ、自分からアピールできるほどの
存在感もないし、場馴れもしてないし。自分が辞める前にできるだけ、っていう意識でさ。
それが、もともと弱かったのどを痛めたんだと思うと…」
「矢口さんのせいじゃないっすよ」
吉澤が珍しく気色ばんだ。
「それは圭ちゃん、覚悟してたと思う。ある程度は」
125名無し募集中。。。:03/05/03 11:23 ID:1HL7R6qz
「ありがと」
矢口は力なく笑って吉澤に背を向けた。
「だからさ…」
とドアに手を掛けながら続け、「つんくさんの件、頼んだよ」と言い置いて、
先にスタジオを後にした。
残された吉澤は既に半分くらい後悔し始めている。
大口を叩いたはいいが、つんくになどここ最近、メールさえ打ったことはない。
「はぁ…どうすっかな…」
吉澤は携帯を取り出して、つんくのアドレスをぼぉっと眺めた。
「やるしかないか…」
そのまま、後藤のアドレスに移動してメーラーを立ち上げた。
一行、二行。メールを打ち込むと送信して携帯を直す。
とりあえず、これで後藤との約束は果たせたことになるんだろうかと問い掛ける。
だが、それに応えられるだけの材料がないことが吉澤を悩ませていた。
126名無し募集中。。。:03/05/03 15:06 ID:65T91qTA
お疲れ様です。
あと2日ですね…寂寥の感があります。
127名無し募集中。。。:03/05/04 02:21 ID:hFddqQgv
◇◇◇

つんくは多忙だった。
30分でもいいから、と願い出たらその通り30分だけの面会。
それでもつんくなりに最大限の好意なのだということはわかっている。
久しぶりに会ったせいだろうか。つんくはひどく疲れているように見えた。
「おう、悪かったな。呼び出してもうて」
「いえ、すみません。お忙しいところ。で、お話した件なんですけど」
「ああ、写真あるの?見して」
つんくは、吉澤の渡した2枚の写真を食い入るように見つめ、
そこから視線をはずさず、んん、と唸ったまま考え込んだ。
「手術…せなあかんやろな。まだ先は長いんやから」
「つんくさん…なにか、圭ちゃ、いや、保田さんでカバーアルバム出す企画があったとか?」
「なんで知ってんねん?ま、ええわ。手術っちゅうことになったらタイミング的に難しいやろな」

予想していたこととはいえ、つんくの口から聞くとやはり現実の重みを感じる。
自分のせいで保田が楽しみにしていた企画がつぶれる。
そのことに自分は耐えられるだろうか。
「しかし、保田ののどが悪いこと、よう気がついたな」
「え、ええ。やっぱ、プッチの先輩でもあるし気にはなってたんで」
それ以上、白々しい嘘を並べることに気が引けて、吉澤は肝心の用件へと話題を変えた。
「いや、それでですね。このことはつんくさんと保田さんだけの話ってことで事務所の方には――」
「そんなことはできひんよ」
「そこを何とか!」
128名無し募集中。。。:03/05/04 02:22 ID:hFddqQgv
つんくは吉澤の瞳を凝視した。そこに潜む後ろ暗さを見透かそうとでも
しているように感じられて吉澤は居心地の悪さを感じる。
「問題ないよ。瀬戸さんには知らせなあかんて。親が子供の怪我を知らんとどないすんねん」
「社長が親だなんて…でもそれじゃ、保田さんが無理やり引退させられたり――」
「あほか!なんや、そんなこと考えとったんか。そんなん心配ないて」
つんくはさもおかしそうに快活に言い切った。
「むしろ、手術することを知った方が安心するわ」
「ええ、でも――」
なおも食い下がろうとする吉澤を遮って、つんくは真剣な表情を取り戻した。
「あのな…これは、保田本人しか知らんことやからメンバーにも言うてほしくないんやけど」
吉澤はごくりとつばを飲み込んだ。

「保田の卒業な…ま、いろいろ理由はあるけど、あいつは声帯がもともと弱いねん」
「はあ…」
急に話題が違うところに跳んで吉澤は戸惑っていた。
しかも、なにやら自分が本来、知っていてはいけないことのようだ。
「何年前やったかも正月公演で休んだときあったやろ?」
「ああ、そういえば」
「急性喉頭炎や。保田は疲れがのどに出るタイプなんや」
確かにそんなことがあった。
あのときは自分も含め誰が倒れてもおかしくないような状態だっから、
ことさら不思議とも思えなかったのだが。
「モーニングはハードやからな。歌に踊りに。特にコンサートは一日二回公演が基本やから、
体への負担が大きい」
それは自分も実感している。特に体重が増えてからは。
「保田は本当はもっと歌えるんや。けどな、なかなかのどの調子が戻れへん」
「それで卒業…ですか?」
「ああ、年も年やし、一回、モーニング辞めてゆっくりしてから自分のペースで歌ったらいい。
そういうこっちゃ」
129名無し募集中。。。:03/05/04 02:22 ID:hFddqQgv
「へーえ、そうだったんですか…」
吉澤はつんくの言葉に意外な優しさを感じて狼狽した。
「だからな。瀬戸さんには知らせなあかん。もちろん保田には手術してもらわなあかんし」
「そっか…すみません。わざわざお時間取ってもらったのに」
ベコリと頭を下げて出て行こうとする吉澤につんくは声をかける。
「ああ、保田には俺から言うとくからな。あと、あんまり気にすんな」
「あ、はい。それじゃ、よろしくお願いします」
吉澤は今度こそ、ちょこんと頭を下げてそそくさとその場を去った。
最後の言葉「気にすんな」というのは何に対して言ったものだろうと考えると
どこか、つんくの優しさのようなものが感じられて胸に応えた。
130名無し募集中。。。:03/05/04 02:26 ID:hFddqQgv
◇◇◇

手術は一日で終わった。
簡単なものだ。
こんなに簡単に終わるものであればもっと早くに済ませておけばよかったと
保田が考えるのも当然だった。
その後悔が遅きに失したと気づくのにそれほどの時間はかからなかった。

奇しくも12月6日。保田圭、22回目の誕生日。
22回目ともなると単純に喜んでばかりでよいものか懐疑的にもなるが
いずれにしてもその特別な日に届いた特別な知らせ。
懸案のカバーアルバムは飯田が担当することに決まった。
卒業を前に歌手として歩むその初めての足跡をこのアルバムで残したいとの想いは
またしても果たせなかった。

保田はわけもなく街をそぞろ歩いた。
冬枯れの街路樹が歩道の脇に並び裸の枝ぶりが寒さを際立たせる。
マフラーを首の上、口が隠れるほどに巻いても猫のように鋭い眼光は隠せないものか。
ときおり振り返っては、ひそひそと囁かれる様子に自分もそれほど顔が知られるように
なったのかという優越感のような感覚と雑踏に紛れて一人になることさえできない無力感
のないまぜとなった複雑な想いが胸の奥に沈んだ。
131名無し募集中。。。:03/05/04 02:27 ID:hFddqQgv
原宿が近づいてきた。
平日だというのにまだ中学生や高校生と思しき若い女の子が群れをなしている様を見て、
つんくが歌詞にこの場所を入れる気持ちがわかるような気がした。
その様子をなげかわしいというような分別くさい感覚とは別に、この場所が中高生の
――いや今はもう少し年齢層が下がって小学生まで含んだ――女の子にとってある種の
聖地として機能していることを実感せざるを得なかった。

通り過ぎる女の子の目がみな同じような輝きを宿していることに
自分がどこかで失ったものを見るような羨望を感じる。
その一方で、希望は抱かなければ適わないが、抱いたからといって適うものでもないと
今さらながら冷静に自己の立場を省みる自分がいる。

駅前に出てナンパやキャッチセールスをかわしながら歩道橋を登る。
明治神宮の深い木立が目に入ってくる。
寒空の下、鮮やかに映える緑。
少し立ち止まって息を整えると再び歩き出す。
と、数歩進んだところで携帯が鳴った。立ち止まりバッグから取り出してみる。
メールだ。誰からだろう?
132名無し募集中。。。:03/05/04 02:31 ID:hFddqQgv


No:128 Eメール 
2002年12月6日 14:53
To:Kei Yasuda
Fm:Rika Ishii
Sub:あおいくま
========== 本文 ==========
お誕生日おめでとう♪
歌詞の件はスマン( ̄ω ̄;)
代わりに私の好きな言葉、贈ってお
くよ。

あおいくま

あきらめない
おこらない
いばらない
くさらない
まけない

長い人生だからいろいろあるけどさ
自分に自信持っていこう。
私もまけないよ。


133名無し募集中。。。:03/05/04 02:33 ID:hFddqQgv
保田はパタンと携帯を折り畳むとバッグに直した。
顔を上げると正面に代々木の体育館の幾何学的な屋根の造形が視界に入る。
夏にはハロプロのコンサートで賑わったここもイベントのない今日は閑散としている。
そして、今年の夏、一緒に歌ったはずの石井は既にハロプロを去った。

目を凝らして遠くを見ると渋谷の高いビルが空に浮かんでいるように見える。
薄くぼんやりとした輪郭を青い空に溶け込ませるように存在感のない姿は
今の自分のようだと思った。

風が吹いた。
頬を掠める冷たい風が意識を覚醒させる。
自分が失いつつあったもの。
それは決して希望に満ちた若者の瞳に宿るものではなかった。

保田は再び歩き始めた。
頬が冷たい。
だがそれは風のせいか、頬を濡らした何かのせいか自分でも判然としなかった。
134名無し募集中。。。:03/05/04 02:38 ID:hFddqQgv
本日、更新分

>>116-125 第3章その3
>>127-133 第3章その4

>>126
ありがとうございます。
競馬の方、成功するといいですね。
5/5はさいたまなので参加はできませんが遠くから応援しておきます。
135名無し募集中。。。:03/05/04 16:59 ID:ZclKEe4S
◇◇◇

マネージャを通じて保田の手術が無事に終了したことを聞いても
吉澤はなかなか保田に話し掛ける機会がなかった。
矢口のお陰とはいえ、結果的に後藤との約束を果たせたことで
正直なところほっとしていたのも事実。
だが、心に拭い去れない疚しさが残るのはなぜか。

それは保田が心待ちにしていたという例のフランス語のカバーアルバムが
飯田のための企画となったことを吉澤が知ってしまったためかもしれない。
吉澤にしてみれば複雑だった。
飯田の長年の夢であったソロの仕事がカバーとはいえ、
アルバムのリリースという形で実現できることを素直に喜びたい反面、
それが同時に同じ夢を追ってきた保田の挫折を意味するだけに。

だが、そんな吉澤の内面の葛藤にはお構いなく、
声を掛けてきたのは保田の方だった。
「よすこ!ちょっと」
「へ?」
突然、声を掛けられてびっくりする。
「いいからちょっとおいで」
相変わらず無表情なだけに怒っているのかそうでないのか判然としないが、
怒られても仕方ないとの覚悟まではできている。
とぼとぼと着いて行くと、人気の無いところで保田が話し始めた。
136名無し募集中。。。:03/05/04 17:00 ID:ZclKEe4S
「つんくさんに言ってくれたのよっすぃだったんだってね」
「えっ?あ、ああ…ご、ごめん、圭ちゃん」
やはりバレてたか。
吉澤はさぞネチネチと責められるのだろうなと思うとうんざりした。
「ありがと」
「へ?」
意味がわからないという顔の吉澤に対して、保田は丁寧に説明し出した。
「いや、よしこがそれほど私ののどの調子まで考えてくれてたなんて意外だったし、
嬉しいなぁって」
本当に嬉しそうな顔をしているだけに余計に始末が悪かった。
吉澤の内心の狼狽をよそに保田の方はひとりでエスカレートしていく。

「つんくさんが誉めてたよ、吉澤よく見てるな、感謝しろよって」
それが決め手になって吉澤は胃の辺りがギュッとえぐられたような鋭い痛みを感じた。
それを悟らせまいと何とか口から出まかせを並べてみる。
「いや、だってなんか、ねぇ、最近、よく飲んでるみたいだし、
のどは大丈夫かなって思ってたから」
言ってしまってからはたと気づく。そういえば、これも訳ありだった。
「そうだねえ。たしかに飲み過ぎではあったよなあ。気ぃつけるよ、これから」
素直に反省されてはこちらも立つ瀬はない。
慌てて、話題を逸らそうとして吉澤はつい口走った。
137名無し募集中。。。:03/05/04 17:01 ID:ZclKEe4S
「それにしても、カバーアルバムの件は残念だったよね」
「…」
さすがの保田も目を見広げたまま沈黙した。
数秒語、再び喋り出した保田はしかし、既に吹っ切れたような表情を見せていた。
「――よく知ってるね、よっすぃ。ま、でもカオリにはコングラチュレーション!
って感じじゃない」
取り繕った様子もなく、素直に口から出たように聞こえて吉澤の何かが壊れた。
「でも…あれはもともと圭ちゃんが……」
さも不満げな調子で言うあたりが我ながらさもしく嫌らしかった。
「ああ、そんなことまで知ってたの…本当に、いつのまによしこったら
そんな物知りになったんだろうね」
少し苦笑いといった風情の保田に吉澤は言いたい衝動に駆られた。
自分が物知りになったわけではなく、周りが仕込んでくれたお陰だ。
そう、保田を信頼し、その実を案ずる周囲の皆が。
138名無し募集中。。。:03/05/04 17:02 ID:ZclKEe4S
「いや、だってあれじゃ圭ちゃんの立場が…」
言いながら吉澤にははたと思い当たることがあった。
だからむかつくのかもしれない…
だが、吉澤のそんな思いとは関係なく保田の答えは明確だった。
「自業自得だからね。これからはしっかり調整してがんばるべさ」
保田はあくまでも保田だった。
吉澤はもう言うべきことも見つからなくて何とはなしに聞いた。
「のどの…のどの調子はどうなの?」
「ん?順調。最近は飲みも控えてるし。まあね、もう、無理はしないよ」
「そ、そうなんだ。それはよかった」
なんだか言葉とは裏腹に元気のない様子に保田の方が逆に問い掛ける。
「大丈夫?なんか顔色悪いよ」
「い、いや、なんともないっす」
「そう…ごめんね。呼び出しちゃって。よっすぃにはお礼を言って置きたかったからさ」
もう限界だった。
「いや、全然、当たり前っすよ。じゃ」

慌てて踵を返し、自分の前から去っていく吉澤。
その吉澤を見送る保田の顔に浮かんでいた寂しげな表情。
近くて遠かった二人のそれぞれへの想いはまだ交わらない……
139名無し募集中。。。:03/05/04 17:05 ID:ZclKEe4S
>>135-138
第3章その5
140名無し募集中。。。:03/05/04 17:09 ID:ZclKEe4S
第4章

年が明けてメンバーを衝撃が襲った。
藤本美貴の加入。
すでに6期メンバーが加入することが決まっていた上での決定。
そして新加入する6期メンバーが正式発表された直後の分割話。
相次いで公にされた予定を前に不安を抱くもの、チャンスと見て前向きに捉えるもの
いろいろだったが、保田にとっては寂しさの残る結末となった。

なんだかんだと騒いではいるものの本人達もファンもすぐに順応するだろう。
順応できないのは自分のような旧式の人間かもしれないという思い。
そして、何よりも自分が一度は取り持つことができたと信じた安倍と飯田の
想像以上に大きな亀裂の深さ。
その決定が実際に二人の不仲を見て上層部が決めたのか、もともとの分割案に
オリジナルメンバーを一人ずつ配しただけなのかはわからない。
ただ、自分の払った努力が報われなかったのは確かで、保田は深い無力感に襲われた。

加えてモーニング娘。自体の人気が下降気味であると噂されることに、
保田はひどく心を痛めていた。
自分ひとりのせいではないと思う。ただ、責任の一端はあるのだろう。
何が悪いのかわからない、その苛立ちがメンバー全体を覆っていくのを見るのが
やりきれなかった。そして、そんな雰囲気を払拭できずにいる自分の不甲斐なさが。
141名無し募集中。。。:03/05/04 17:10 ID:ZclKEe4S
保田は卒業を控えた手前、なるべくならメンバーたちがやりやすいように
人間関係のしこりをできる範囲でほぐしていきたいと願い、実際に行動に起こしてきた。
だが飯田と安倍の間は結局、うやむやになってしまったし、吉澤の精神的危機を救って
やれたのは自分ではなく、飯田、そして辻だった。
自分が下手に動くと逆になにかよくない結果に陥ってしまう。
そんな無力感からだろうか。
石川に何かいけない兆候を感じてはいたのだが、自ら動くのは自重した。
石川なら大丈夫という思いもあったかもしれない。
そして、自身の卒業を控えていろいろ雑多な問題に悩まされていたせいもある。

のどの調子は手術直後こそ、そこそこの状態を保っていた。
しかし、年末のテレビ出演、正月明けのハロプロ公演と一連のイベントを終えてみれば
どうもいまひとつ調子が出ない。
卒業を前に今度は気になって早めに診てもらった。
せっかく切除した声帯の結節が再発まではいかないものの
「くせになっている」との診断に愕然とする。
ぎりぎりまで声帯に負荷を掛けたのがまずかったのか。
それとももとからの発声法がまずいのか。
142名無し募集中。。。:03/05/04 17:12 ID:ZclKEe4S
プロとしてまがりなりにもヴォイストレーニングは積んでいるし、それほど無理な状態で
声帯を酷使したとも思えない状況下で受けたこの診断はショックだった。
やはり、もともとの声帯が弱く歌手向きには出来ていないということなのか。
だが、弱音を吐いている暇はなかった。
5枚目のアルバムのレコーディング、それをもとにした春のツアーと卒業を目前に
イベントは目白押しだ。

幸い、と言えるのか。
苦肉の策として、つんくは保田の卒業のために用意したアルバム用の一曲を
メンバーが送る曲という位置付けにして保田のパートをつくらなかった。
レコーディングでの負荷を少しでも減らすため、それからコンサートで当然、
歌うことになるナンバーとして、少しでも保田ののどへの負担を減らすためだ。
アンコールの曲も最終日のダブルアンコールで保田がソロで歌うことを考えると
なるべく負荷のかからないという理由でDo it now!が選ばれた。
143名無し募集中。。。:03/05/04 17:13 ID:ZclKEe4S
卒業まで、最後までの一瞬、一瞬はまるで加速度がついたように
あっという間に過ぎていく。

それでも保田は紺野に新曲の音程が取れないと請われれば音取りに付き合い、
石川にウィスパーヴォイスって何ですかと言われれば実演して付き合い、
小川がやはり同じ箇所で苦労していると思えば納得のいくまで見てやった。

福岡での12体制として最後のコンサート終了後。
さいたまスーパーアリーナでの4公演を残すだけ、という段になって
ようやく卒業を実感できるようになってきた。
そして保田を取り巻く時間の流れはさらに加速度を増していく。

144名無し募集中。。。:03/05/04 17:16 ID:ZclKEe4S
◇◇◇

石川は少しだけためらった。
部屋の電気はついている。本人が居ることは間違いない。
だが、卒業の日を控えたこの時期に果たして訪れていいものか判断がつかなかった。
呼び鈴を押そうとしては目の高さまであげた指先をもう少しだけ、
前に押し出す勇気が得られず引っ込める。

ガチャッという音とともに隣のドアが開いた。
石川はビクッと体をのけぞらせたため呼び鈴に指が触れてしまった。
ピンポーンと間の抜けた音が室内に響いたのがわかる。
隣室の女性がコツコツとヒールの音を立てて横を通りすぎるのを
石川は軽く会釈してやり過ごした。
めずらしく、すぐにすうっと開けられて覗いた頭は風呂上がりなのか
湿っていてほのかにシャンプーの香りを漂わせていた。

「あら、石川?どうしたの?」
「へへっ。近くまで来たんで。ケーキでもどうかなと思って」
「夜中にケーキなんか食べたら太るでしょーが。もう、いいから入りなさい」
「いいんですか?」と尋ねたのは遠慮からではない。
突然、訪ねたときはちらかっている部屋を片付けるため、
5分ほどは待たされるのが常だったからだ。
そう言いつつも体は既に開かれたドアの内側に吸い込まれていた。
145名無し募集中。。。:03/05/04 17:17 ID:ZclKEe4S
言われるままに脱いだ靴を揃え、あがりかまちに置かれたスリッパに足を通す。
「珍しいですね」
「ん?」
保田はキッチンで何か飲みものを用意しながら石川に顔を向けた。
「いつもは片付けるから時間がかかるのに」
「ああ」と破顔して保田はグラスに何か茶のようなものを注ぎながら
顎でリビングの方を示した。

石川は保田の顎のほくろを視界の片隅に置くと、
それが指し示していた部屋の中に目を移し思わず「あっ」と声をあげた。
「荷物、どうしたんですか?」
見慣れたはずの光景に著しい違和感を覚え、くるりと視線を巡らせてみれば、
棚の上のぬいぐるみやバービー人形は姿形もなく消え失せていた。
「ああ、ここももうすぐ引き払うからね。先にいらない荷物だけ処分したの」
「処分って…」言いかけて石川はハッとした。
「じゃあ、こないだもらったぬいぐるみ…」
「そう」保田はいたずらっぽく目を細めた。
「まあ、餞別みたいなもんかな」

石川はもう一度、ガランとした室内を見回した。
ベッド、テーブル、箪笥。床にはCDラジカセの横にCDケースが積み上げられている。
「その辺、適当に座って」
石川が座卓のような小さなテーブルの前に腰を下ろすと
保田は自分のものらしいワイングラスと石川のグラスを小さなトレイに乗せて運んできた。
「もう、引っ越しの準備してるから何もないよ」
「ごめんなさい」
「謝んなくていいって。今、つまみ用意するから」
そう言ってトレイをテーブルに乗せると慌ただしくキッチンへと向かう。
146名無し募集中。。。:03/05/04 17:19 ID:ZclKEe4S
なにげなく目を止めた一番上のCDケースにはフランス語らしい文字が踊っていた。
なんだろう…
それは「ジェーン・バーキン」と書いてあるように見えた。
たしか飯田のカバーするフランス語の曲にそんな名前の歌手が含まれていた。
石川はケースを手にとって眺めてみた。
無造作紳士…
間違いない、飯田がカバーした曲だ。石川はケースをそっと元の場所に戻した。

「それにしても久しぶりだわね。まずは乾杯」
「…かんぱい…」
カチンと小さくグラスを合わせると、石川は琥珀色の液体に口をつけた。
苦い。今度は何茶だろう?
保田は健康おたくというくらい評判のよいものは手あたり次第に試す癖がある。
一時期凝っていた中国茶はまだ続いているようだ。
石川はもう一口含んで香ばしさと独特の苦みが口の中に広がるのを楽しんだ。
保田はワイングラスの中身をすでに飲み干してほんのりと顔を赤らめている。
その様子が石川にはなんだか艶めかしく感じられてドキドキした。
照れ隠しにもう一度視線を積み上げられたCDの上に落す。

「あ、ABBAだ!ね、保田さん、これ、私DVD借りて見ましたよ」
石川は知っている文字を見てつい嬉しくなってしまった。
保田は目を細めてCDケースを見つめている。
「Thank you for the musicって曲あったでしょ?覚えてない?」
「んーっ、ごめんなさい。覚えてません」
「そっか」
保田は何事もなかったように手酌でグラスを満たし、再び口元へと持っていく。
147名無し募集中。。。:03/05/04 17:20 ID:ZclKEe4S
「で、相談ってのは藤本と6期のこと?」
「へっ?」
石川は呆気にとられた。まだ、何も言ってないのに。
「何でわかったんですか?」
細い目を大きく見開いて驚く様がおかしいのか、
保田はその様子を楽しむようにくすくすと笑った。
「何年つきあってると思ってんのよ」
いかにも楽しそうに大きな目を細めて笑う表情に石川は深い安堵を覚えた。
「はぁっ、保田さんにはかないませんね」
「うん。辞めるまでに一回、話しとこうと思ってたから」
意外な言葉に思わず顔をあげる。今度は笑っていなかった。

「藤本が突っ張ってるのはわざとだよ」
「それはわかってるんです。ただ…」
保田は石川が注いだワインに口をつけて満足げに微笑む。
「まじめ過ぎるんじゃない。二人とも」
「えっ?」
石川は問い返した。
少なくとも相手はまじめ過ぎるという態度ではない。
「気負ってるんだよ、藤本も。後藤の役割なんて世間からあおられてさ」
「でも、あんな態度じゃグループとしての和が――」
キッチンの方からピーッという音が聞こえ、石川を手で制して保田は立ちあがった。
「ちょっと待って、ピザが焼けたみたい」
「んん、もうっ」
頬を膨らませては見るが、そう言えば自分も空腹であることに気付いた。
148名無し募集中。。。:03/05/04 17:22 ID:CDkqPVu2
「あんたたちはあんまりライバルとかってあおられなかったけどさ――」
戻ってきた保田は鍋掴みを通した手でピザの乗った皿を運びながら続けた。
「ASAYAN出てた頃はやれ初期メンバー対追加メンバーだとか、
タンポポ候補で追加メンバーがライバルだとかさ、
そりゃもうしょっ中あおられてたわけよ」
ピザを分けるのに相変わらず苦労している不器用な保田に代わり
石川がナイフを受け取って器用に切り分ける。
「ハイ保田さん――でも私だってカントリー娘。にレンタルされたり――」
「カントリーはチャンスじゃん。そんなんじゃなくてさ、
本当に食うか食われるかっていうライバル意識――あ、サンキュ」
保田は石川の差し出したピザの小片を美味しそうに頬張った。
「モーニングは仲よくなりすぎちゃったのかもしれないね。ライバルだと思ったら
口を利かないくらいの緊張感があってもいいのかもしれない」
ピザの小片にかぶりつこうとした石川の手が止まった。
なぜそれを知っている?

「藤本も――あ、石川、チーズ落ちるよ――必死だからね。ソロじゃだめだって
宣告されたようなもんだから余裕ないってのもあるし」
保田は石川の様子には頓着せず、二切れ目に突入しようと皿に手を伸ばした。
慌てて石川がナイフをつかんで切り分けようとするが、手が震えてうまくいかない。
黙ったまま真剣にピザと取り組む石川に保田が声をかけた。
「映画…大変なんだって?」
石川の手が止まる。
カタカタと皿の上でナイフの鳴る音が痛々しい。
保田はそっと石川の右手を包み、固く握られた指の一本、一本を伸ばして
ナイフを皿の上に置いた。
石川は皿の上を見つめたまま動かない。
保田はその右手を両手で包んだままだ。
149名無し募集中。。。:03/05/04 17:23 ID:CDkqPVu2
「寝よっか?」
しばらくの沈黙ののち、保田が立ちあがった。
「ほら、シャワー浴びといで」
そう言って、そそくさとテーブルの上の食器をキッチンに運び出すと
石川など目に入らぬかのように食器を洗い始めた。
しばらく石のように固まっていた石川だが、やがて立ちあがり、
無言のままバスルームへと入っていった。
既に何回も泊まっているだけに勝手はわかる。
保田は風呂場の方に一瞥をくれると声を掛けた。
「着替え、洗濯機の上に置いといたからね」
風呂場からくぐもった声が返るのを聞いて、保田は急に反省した。
少し飲みすぎたかもしれない。
そのまま石川が上がってくるのと入れ違いに今度は保田がシャワーへと向かった。

保田が上がってくると既に石川はベッドの下の敷布に包まっている。
「なあんだ。もう寝たのか。ベッドで寝ればいいのに」
保田が石川の肩まで毛布をかけてベッドに倒れこもうとしたとき、下から声が聞こえた。
「保田さん…」
「なによ?寝てなかったの。替わりなさい、わたし下で寝るから」
「下でいいです。その代わり保田さんも下で寝てください」
「はぁっ?」
保田は呆れつつも、目元を緩ませてベッドから毛布をはがすと
石川を踏まぬよう注意して下に降りた。
「はい、はい。お嬢さんは相変わらず寂しがりでございますこと」
「保田さぁん、冷たいよぉ。せっかく、卒業前夜だっていうのにぃ」
「なんでよ、あんた、もう寝てたじゃない」
保田は石川の向こう側に寝転ぶと毛布を被った。
150名無し募集中。。。:03/05/04 17:23 ID:CDkqPVu2
「さて。あしたこそは6期に挨拶してもらうぞ、と」
「……それも知ってたんですか?」
石川の情けない声が耳元で響く。
「もうちょっと、声、落して。下の人うるさいんだよね。
わたしの顔、見たいだけかもしれないけどさ」
「あ、それはないと思う。多分」
「なによー、あんた、ちょっと、失礼ね」
「ププッ…」「クッ」「ア、ハハハハ」
顔を見合わせて笑えることがこんなにも切ない。

ひとしきり笑った後、石川は保田に背を向けて、問い掛けた。
「保田さん…フランス語のCD、あれ、
本当は保田さんが歌うはずだったんじゃないですか?」
「カオリで決まったんだから、カオリの企画だよ」
「でも…フランス語勉強してたし、あのCD、ジェーン・バーキンだって――」
「あの歌が好きだから聞いてるだけよ。さぁさ、明日も忙しいんだからもう寝なさい」
「でも…それじゃ、保田さん、可哀想過ぎる…」
石川の声に湿った匂いを感じ、
保田は思わず口元が緩むのをどうすることもできなかった。
「困ったお嬢ちゃんだね…」
一瞬、上目遣いでどう説明しようか考えるとすぐに背を向けたままの石川に尋ねた。
「あんた、カオリのアルバム聞いた?」
ぶん、ぶんと首を振って横着に応える石川に苦笑しつつ、保田は続ける。
「すごい上手いよ。気合入ってるから」
「でも…」
151名無し募集中。。。:03/05/04 17:25 ID:CDkqPVu2
「あのね」
食い下がる石川がそろそろ小憎らしくなってきたところで
保田は、はぁっと息を吐いて呼吸を整えた。
「わたしたちはたしかにソロ目指してきたし、その意味ではカオリもライバルだと思うよ。
けどね。逆に長いこと同じ苦労背負ってきたわけだから、悔しい反面、喝采したい部分だって
確かにあるんだよ。『カオリ、よくやったね』って。だから、あんまり可哀想、可哀想って
言われるよりはさ、素直にカオリのデビューを喜んでほしいの。わかる?」
保田は言い切ってから少し、きつかったかな?と反省した。
石川は黙ったまま、なかなか反応しない。
「あ、いや、あのさ…石川が慰めてくれるのは確かに嬉しいんだけどね…あれ?石川?」
見ると背中を丸めて声を押し殺しているようでもある。
いくら下に響くとうるさいから、とは言ったものの、この期に及んで
笑いをこらえているのであれば失礼だ。

「石川?」
保田は鋭く発すると、石川の肩を叩いた。
振り向いた顔、その頬に滴るものを見て保田は脱力した。
「石川ぁ」
「らって、っく、やすらさん、っく」
しゃくりあげる石川に閉口して保田はそばにある適当なハンドタオルを石川に渡した。
「泣くほどのことじゃないでしょう?」
「らって…らって…っく…っく」
「もういいから。ほら、一緒に寝てあげるから」
保田は毛布をめくると石川の背中にぺたりと張り付いた。
(そういえば、確かこんなことが一度あったような…)
保田が感慨に耽っている間に、もう当の本人は寝息を立てていた。
152名無し募集中。。。:03/05/04 17:26 ID:XB4FECcH
くくっ…
迷惑なのだが、やはりどこか憎めないところがこの少女の魅力なのだろう。
それに、見かけによらず体育会系の馬力はある。
挨拶しない新メンバーに悩んでいられるのも今のうちだろう。
すべては時が解決してくれる。
保田は自分の知っている今の6期メンバーたちが、
ハロプロやハロモニで会うたびに成長していく様が目に浮かぶようだった。
おやすみ…
寝息のリズムとともにゆっくり上下する背中に向かってつぶやくと保田は目を閉じた。
やがて深い眠りに落ちていくのと石川が寝返りを打って何事か
耳元で囁いたのはほぼ同時だった。
保田さん、ありがとう…
それが本当に囁かれた言葉なのか、夢の中で聞いたものか、
既に夢の世界に入り込んだ保田にはわかるはずもなかった。
153名無し募集中。。。:03/05/04 17:29 ID:XB4FECcH
>>140-152
第4章
154名無し募集中。。。:03/05/04 22:20 ID:Ryu2Rvnx
5・5 かみのやま競馬 第4R ケメコメモリアル保田記念 C6 
12:35発走
明日保田の卒業とともにいよいよですね
結局行く事も協賛もできなかったんですが無事に終わる事を祈ってますよ

それから小説の方もお疲れ様です
155名無し募集中。。。:03/05/04 22:42 ID:Ryu2Rvnx
156名無し募集中。。。:03/05/05 10:54 ID:oG0+6GE0
発走直前上げ
157名無しさん@公演中:03/05/05 12:47 ID:a15FP1ZQ
勝ったのはピロット(母ウィーンコンサート)
2着はジャイアントスワン

なお、この2頭を管理してるのは松浦調教師でした。
158名無し募集中。。。:03/05/05 13:01 ID:+eCrEl+a
>>157
結論・・・保田が卒業しても松浦の一人勝ち

なんかムカつくな、偶然なんだろうけどさ。
159 :03/05/05 14:54 ID:demoL0jH
160名無し募集中。。。 :03/05/05 15:37 ID:Li/wTneM
>>157
藁)

161名無し募集中。。。:03/05/05 22:55 ID:RuuFQGWd
第5章

あ゛―、あ゛―……
おかしい。
やはり、少し…いや、大いに違和感を感じる。
まずい。高音で少し声がかすれ気味だ。
保田はさいたまスーパーアリーナ公演初日、夜の部が終わった後、
一人のどの調子を確認していた。
違和感は既にリハーサルのときからあったのだが、
なんとか周りにはわからないよう微妙にごまかしてきた。
しかし、明日はいよいよ最後。
ダブルアンコールでソロを、NeverForgetを歌わなければならない。

「お疲れ様でーす」
「お疲れ様ぁ」
「お先でーす」
次々にメンバーやスタッフが帰途につく中、保田は一人、明日、行われる
ダブルアンコールのMCやソロの頭だしなどの指示を受けていた。
すでにマイクは外してあるため、特に声を出す必要はなかったのだが、
最後の大一番に備えて、のどの調子を確かめたいというのはやはり、
ヴォーカリストとして、当然の欲求だった。

だが、どう考えても様子がおかしい。
保田はスタッフに相談するかどうか考えた。
チーフはまだ忙しそうに配下のマネージャたちに明日の送迎からリハーサル開始や
ケータリングの手配など、事細かに指示を出している。
メークやスタイリストなどのスタッフもあらかた帰宅しており、残っている者も
明日に備えての準備に余念が無い。
共通しているのは、ツアー最終日を前に、誰もが疲労困憊しきっている
という事実だった。
162名無し募集中。。。:03/05/05 22:56 ID:RuuFQGWd
保田自身、不安ではあったが、これ以上、
スタッフの心労を増やすわけにもいかない。
「お先に失礼します」
会釈しながら、チーフに向けて言うと、
「保田、ちょっと」
と止められる。
何かあるのかと身構えるが
「長い間、ご苦労だったな。明日で終わりだ。もう一頑張り、よろしく頼む」
との意外な言葉に正直、返す言葉を失った。
というか、疲労のせいか涙もろい。
「はい…こちらこそ、よろしくお願いします」
先ほどもステージで泣いたばかりなのに、またも涙が溢れ出した。
「それは明日までとって置け。今日は体、大事にして早く寝ろよ」
照れ隠しなのか、わざとそっけない言い方で返されたが
いよいよ、これで迂闊な相談はできなくなった。
「はい。ではお先に失礼します」
マネージャたちに軽く頭を下げると保田は事務所の用意したタクシーに乗り込んだ。

「どちらまで?」
「ええっと…」
保田は自分の住所を言おうとして考えた。
明日で最後。万全を期したい。
思ったときには既に口に出していた。
「この辺で一番、大きな病院ってどこですか?」
163名無し募集中。。。:03/05/05 22:58 ID:RuuFQGWd
やがて連れてこられたところは大きな大学病院のようで、
まだ建物も新しかった。
できれば耳鼻咽喉科の夜間外来などがあればベストなんですが、
と尋ねた保田の質問に「とりあえずここは大きいから」と連れてこられた病院。
その夜間受付窓口で保田は保険証を出すと初診用の問診用紙に住所氏名から
いろんな質問事項への回答を書き込んだ。用紙と引き換えに何階の何番窓口にこれを
提示してください、と渡された受診カードにはスパイダーマンのような奇妙な印が。
「ICカードですよ」
疑問に思う人がおおいのだろう。
受付の女性は不思議そうな顔を見ただけで教えてくれた。

ともかく、言われた階の言われた窓口にカードを出すと
驚いたことにそこは耳鼻咽喉科だった。
夜中だというのに、専門医が常駐している病院に当たったのは運が良かった。
そして、連休中だというのに比較的空いていたことも。
保田のほかに待っている患者はいないようだった。
「保田さーん」
座って間もなく、看護婦に名前を呼ばれ、診察室に招き入れられた。
ピンクのユニフォームが可愛い。
「ここにいるぜぇっ!」のジャケ写で着たものとはまた違う感じで温かみのある色だ。
医師は眼鏡をかけた三十台といったところ。
中澤に嫁がせる先としては理想的といったところか。
「お座りください」
「お願いします」
ペコリと頭を下げて、進められるまま緑色の診察椅子に腰掛ける。
「どうされました?」
「はい、のどが痛むんですが」
「見てみましょう」
医師は平べったいメスのようなもので舌を押し下げるとペン型の電灯を近付けて確認した。
保田が誰か認識している様子はない。
164名無し募集中。。。:03/05/05 22:59 ID:RuuFQGWd
「んん、これはひどいですね」
「んぐっ?」
舌を押さえられたままで言葉にならぬ呻き声のようなものを漏らしていた。
「ポリープが裂傷を起こしかけている。今すぐ手術したいくらいだが…」
保田は頭から血の気が引くのを感じた。
顔面蒼白になっているはずだが、医師は慣れているのか変わらぬ調子で尋ねた。
「ええっと…保田さん、明日は来られますか?
なるべく早く手術でポリープを切除した方がいいんですが」
喋っているようだが既に保田には聞こえていなかった。
今までひどいときだって、せいぜい結節程度でポリープにまでなったことなどなかった。
それがなぜ…

「保田さん、保田さん?」
医師に何回も呼ばれてようやく我に帰った。
「聞いておられましたか?明日、来られます?」
「いえ、あ、明日はちょっと無理だと思います。すみません、こんな状態で歌うのは無理ですよね」
「無理ということはないですが…その状態で歌えないから来たのではないですか?」
そのとおりだ。
保田は気持ちが重く沈んでいくのを感じた。
「それにしても、かなり無理をしましたね。お酒を飲んでカラオケ歌うのはのど痛めますから、
歌うときはなるべく飲まない方がいいですよ」
わかりきったことを繰り返す医師に対し、神妙にうなずく保田の興味はしかし、
あとどれくらい、こののどで歌えるかという点につきた。
165名無し募集中。。。:03/05/05 22:59 ID:RuuFQGWd
「先生…カラオケじゃないんですが…」
「声楽とかきちんとした音楽関係の方ならどれだけひどい状態かわかるでしょう?
これでポリープの上から裂傷、起こしたら、歌の道はもうあきらめないといけませんよ」
「そんなに…」
「どういう酷使のされ方をしたのかわかりませんが、声帯に妙な力が入った結果、ポリープが
成長しています。突起状のしこりのようなものです。そのポリープがさらに痛んでいる。
これが裂傷を起こすと多分、声帯は元の通りにはなりません。もしあなたが歌手の方なら
致命的だと言ったのはそこです」
保田はこれ以上、聞くのが恐くて医師の話を途中で遮った。
「わかりました。明日来れるかはわかりませんので、帰ってからいつ来られるか御相談します」
「そうですね。なるべく早くいらしてください。そのままではしゃべるのもご不自由でしょうから」
「ありがとうございます。失礼します」
診察室を出てからどうやって支払いを澄ませたかわからないほど、保田は放心していた。
病院前でタクシーを拾って家へ帰る途中もただ、ただ、自分の運命を呪い続けるしかなかった。
166名無し募集中。。。:03/05/05 23:00 ID:RuuFQGWd
◇◇◇

保田は最終日のリハーサルを前に覚悟を決めた。
朝、起きて夢だと思えたらどれだけよかっただろう。
だが、厳しい現実は厳然として続いていた。
のどの調子はよくも悪くもなく、無理を押せば歌えないことはなさそうだった。
迷ってもしかたがない。この期に及んで打てる手は何もないのだから。
だが、それでも思い悩むのが人間の弱いところ。
保田とて例外ではなかった。

ただ、ひとつ、保田をして常人と異なる存在たらしめているものがあるとすれば、
それは保田のプロフェッショナルとしての美意識を追求する古い職人気質にある。
一度上ったステージをまっとうするまでは血を吐いてでも降りはしない激しい気迫。
精果て根尽きるまで最後の汗の一滴まで絞り尽くさずにはいられない鬼気迫るパフォーマンス。
その愚鈍なまでの実直さがなければ、自分が今、この大舞台に立つことはない
と理解しているがゆえの潔さ。

保田は娘の最後の晴れ姿を見に来るであろう母の事を思ったとき、
一瞬だけ、申し訳ないような、しかし、誇らしいような複雑な感情を抱いた。
もし、この最後のステージでのどが限界に達したら…
二度と歌手として歌うことのできない声帯になってしまったら…
保田は心底、申し訳ないと思った。

リハーサルが始まる。
後、数時間。舞台に集中することだけを考えた。
喋ることさえなるべく惜しんで、歌と歌の合間は完全に休養。
気休めに病院でもらったトローチを欠かさない。
奇跡は期待できなかった。
そして、おみくじで凶を引いてしまうほどの自分の運のなさが
今日ほど恨めしいことはなかった。
167名無し募集中。。。:03/05/05 23:01 ID:RuuFQGWd
◇◇◇

夜勤明けの医師は正午過ぎに起きると遅い朝食兼、昼食を取った。
妻に昨夜遅く現れた若い女性のカラオケフリークの話をすると、
若者の無軌道ぶりにうんざりした様子で、夫に相槌を打った。
夜勤の後ではあるものの、三連休の最後、子供の日ともあれば、どこかに
出かけたいと子供にせがまれてもしかたがない。

とはいえ、何の準備もしていない身では遠出もままならない。
とりあえず郊外のシヨッピングセンターで買い物。
適当にぶらぶらした後、外食して帰るというプランを即席で立てて
最近、買い換えたワンボックスに家族で乗り込む。

エンジンをかけるとラジオが鳴り出す。
よく聞く音楽をバックにアナウンサーがなにやら宣伝しているようだ。
『ええ、モーニング娘。保田圭ちゃんがここ、さいたまスーパーアリーナでいよいよ
今日が最後のステージです。夜の部は席にまで余裕があるようですので、感動の舞台を
ぜひ、その目でおたしかめ――』
「おい、この保田圭って人は歌手なのか?」
「パパ、知らないの?今日でモー娘。卒業しちゃうんだよ」
「モー娘。?」そんな人気アイドルの一員だったのか?
「それで、この人は今日、歌を歌うと思うか?」
いちいち真剣に質問する父親の様子がおかしかったのだろう。
娘はパパ、知らないのーと叫びながらも
「歌うに決まってるじゃない」
応えるだけでなく
「友達のともちゃんやあやちゃんもみんなコンサート行くって言ってたのにさ」
と不満の一つもぶつけるところが現代っ子らしい。
168名無し募集中。。。:03/05/05 23:03 ID:RuuFQGWd
「どこで歌うって?さいたまスーパーアリーナ?ちょっと、車停めるからな」
そう言って車道の脇に車を停めて外に出ると、父はあちこちに電話を掛け始めた。
しばらくして、戻ってきた父は娘に問い掛ける。
「夜はモー娘。のコンサート行こうか?」
娘が狂喜乱舞したのは言うまでもない。
169名無し募集中。。。:03/05/05 23:04 ID:RuuFQGWd
◇◇◇

石川は自分が情けなかった。
保田と、モーニング娘。としての保田と共演できるのは今日が最後だというのに、
いまだに新曲の出だしは満足に歌えない。
昼の部を終えて、めいめいが思い思いの休憩を取ろうとする中、石川は最後だけは
決めたいと意気込んだ。反復練習をするために、人気のない練習室でひとり黙々と
フレーズを繰り返す。ICレコーダで録音してはチェックする方法で何回目かの
プレイバックに入ろうとした途端、廊下をダンダンと急ぎ足で歩く音、
そして、誰かが、この部屋に入ってきそうな気配を感じた。
石川は咄嗟に、内扉を共有している隣の練習室に身を隠した。

「梨華ちゃん?」
「よっすぃ?」
「しーっ」
唇に指を立ててあてる吉澤の姿はどこかこそこそとしていて怪しげだった。
しかし、続けて、先ほどまで石川がいた隣の部屋にバタバタと人が入ってきたのに気をとられ、
吉澤に問いただすタイミングを逸した。
『保田、さっき昨晩、お前を診療したという耳鼻咽喉科の先生から電話があった』
『…』
チーフの声だ…
石川は緊張が高まるのを覚えた。なんだか悪い予感がする。
『ポリープが出来ていて、それ以上声帯を酷使した場合、手術しても元に戻る保証は
できんと言われた』
「ええっ?」
石川は思わず吉澤の顔を振り返った。
吉澤は唇に指を立ててしーっと繰り返すばかりだ。
170名無し募集中。。。:03/05/05 23:06 ID:4lWfFRkB
『そんなにお前ののどが悪化していたことに気づかなかった俺たちのミスでもあるが』
『私の管理不足です。気になさらないでください』
『気にするよ。お前は卒業してからも歌っていかなければならないんだから』
事態の深刻さに石川は次第に胸が締め付けられるような苦しさを感じ始めた。
ひょっとして…
『大丈夫ですよ。昼の部では問題なかったし』
『いいか?医者が元の声を保証しないなんていうのはよっぽどのことだ。
せめてソロ以外はすべてリップシンクにして――』
『お願いします。歌わせてください』
自分のせいだ…
石川は急速にその責任の所在が自分にあることを確信し始めた。
さいたま公演を控えた先日、夜半に保田の部屋を訪れ、深夜までくだらない相談で
のどを休ませなかった自分のせいだと。

「よっすぃ、どうしよう?私のせいだ」
「梨華ちゃん、大丈夫、梨華ちゃんのせいじゃない――」
「気休めは止めて!よっすぃになんでそんなこと――」
吉澤は目に涙をためて講義する石川の口を塞いで、静かにするよう諭した。
「しーっ、聞こえちゃう。ごめん、言い過ぎた。でも、自分を責めない方がいい。
もしそうだとしても、圭ちゃんはきっと梨華ちゃんのこと責めないよ。だから、ね…」
隣室ではまだ、保田とチーフが真剣に話を続けていた。

『――それでも、まだお前は歌うというのか?』
『ハイ、私はモーニング娘。ですから』
石川は泣き崩れた。
『保田…わかった。もう、何も言わん。ただし、危険を感じたら…いいな?』
『ありがとうございます…チーフ。ご恩は一生、忘れません』
石川の震える肩を吉澤は抱きしめた。
『縁起でもないことを言うな。夜の部までは絶対安静だ。しゃべるなよ、いいな』
『はい…』
バタンとドアが閉められる音がして廊下にパタ、パタと足音が響いた。
171名無し募集中。。。:03/05/05 23:10 ID:4lWfFRkB
吉澤の胸の中で石川が嗚咽を漏らしている。
「保田さんの…保田さんののどが…」
「梨華ちゃん、もう泣くのは止めなよ。保田さんが決めたことだもん。最後まで見守ろう」
吉澤の冷静な言葉に石川はまたも反発する。
「よっすぃ、は、保田さんが、っく、どうなっても、いい、の?」
「そんなことは言ってないよ。でも、保田さんは責任感強いから、今日のためにわざわざ、
集まってくれたお客さんのために歌わないわけにはいかないんだと思うよ」
吉澤の意外な言葉に石川は思わず見上げた。
「なんで、よっすぃにはわかるの?」
吉澤はくすっと笑った。
「私だってプッチモニだからね」

「保田さんと過ごした時間。私生活では梨華ちゃんにかなわないけど、仕事で過ごした時間は
わたしの方が長いんだからね。プロとしての心構えは全部圭ちゃんに鍛えてもらったんだよ」
「よっすぃ…」
「だから、保田さんが最後まで手を抜かないことはよく知ってるつもり。さ、わたしたちも
そろそろ夜の準備しないとやばいよ」
こくりとうなずく石川の頬は既に乾いていた。ひとすじの線を残して。
吉澤は石川の手を取って、ドアを開けた。
夜の部の開演が刻々と迫ってくる。
それはまた、保田と過ごした濃密な時間に終わりが近づいていることをも意味した。
そう考えると、乾いていたはずの瞳がなぜかまた潤んだ。
172名無し募集中。。。:03/05/05 23:11 ID:4lWfFRkB
◇◇◇

アンコールが終わり、凄まじいばかりの「圭ちゃん」コールが鳴り響く中、
保田は静かにこの場を迎えられた喜びを噛み締めていた。
不思議とのどをつぶす(という言い方が妥当かはさておき)怖さはなかった。
ただ、自分を待つ、自分が歌うのを待つ圧倒的な意志の塊を前にして
激しく揺れる自分の魂を感じるだけだ。

目を閉じた。
長いようで短かった5年間の記憶が間歇的に浮かんでは消える。

加入当初、ファンから直接受けた罵りや嘲り
握手会で自分の前を素通りされた屈辱
コンサートで自分に向けて投げられたサイリウム

すべてが今となっては懐かしい。
自分を罵倒し、引き摺り下ろそうとする人がいる一方で、
わずかながらも応援してくれた人たちの存在。
その人たちがいなければ自分がここまで続けられることはなかっただろう。
そして、その応援の輪が広がる心強さ。温かさ。

保田はただ感謝したかった。
自分を応援し、励まし続けてくれたすべてに。
そして音楽。
音楽が与えてくれる喜びすべてに。
173名無し募集中。。。:03/05/05 23:14 ID:4lWfFRkB
その感謝の想いを伝えるために。
今、保田は最後のステージに足を踏み出そうとしている。
たとえ歌手としての生命がここで断たれようとも。
自分の名を呼び、迎え入れようとしている声のために。
一面の深紅に彩られたステージへと…
174名無し募集中。。。:03/05/05 23:15 ID:4lWfFRkB
◇◇◇

吉澤は保田の横顔を見つめていた。
正直、今日、このときが訪れるまであまり悲しいとかそういった湿った感情に
涙腺が刺激されることはなかった。
しかし、いよいよ、本当に保田の最後のステージが迫ってくると、
自然に心が昂ぶってくるのを感じる。

これが最後だと思うと保田と交わす何気ない会話の一言一言や他愛ない冗談、
ステージでの踊りなど保田の一挙手一投足すべてを記憶が収めようと
シヤッターを切る感じだ。
しかも、吉澤の場合、偶然ではあるが、保田がのどに不安を抱え、場合によっては
歌手としてあるいは最後のステージとなるかもしれないことを知ってしまった。

(圭ちゃんは…それでも歌うんだね)
吉澤の気持ちを知ってか知らずか。
保田は視線を一心にステージへ向けたまま、その鋭い眼光を緩めようとしない。
吉澤は繋いでいる石川の手をギュッと握り締めた。
その石川はすでに何回も泣いたはずなのに、また涙を浮かべている。
175名無し募集中。。。:03/05/05 23:16 ID:4lWfFRkB
(わたしも梨華ちゃんみたいだったらよかったのに…)
それなら、もっと保田を理解し、わかり合えただろうか。
隣で嗚咽を漏らす石川の手が小刻みに震える。
いいさ、と吉澤は思う。
涙で曇らないこの目で、自分はしっかりと最後の姿を焼き付けよう。

吉澤はもう一度、石川の手をギュッと握り締めた。
「梨華ちゃん、しっかり見るんだ。今日の圭ちゃん、綺麗だよ」
石川は無言で握り返した。
への字に曲げた口元は開けた途端に大声で泣き声を発しそうだ。
その幼児のような表情が吉澤にはとても愛しく感じられた。

「さ、圭ちゃん、MC出るよ」
ダブルアンコールのコールが最高潮に達して、保田が颯爽とステージに向かった。
その毅然とした後姿に吉澤は思わず瞳が潤むのを感じた。
保田は赤い光の世界に向かい、しっかりと足を踏み出した。
176名無し募集中。。。:03/05/05 23:27 ID:zJjVNxck
エピローグ

すべてが終わったアリーナは閑散として、
戦いの終わった後の戦場のような寂寞とした感じを与えた。
広い。
ここが先ほどまで2万5千人の観客で埋まっていたとは信じられないほどの広さだ。
保田は改めて感謝した。

客席ではアルバイトだろうか、スタッフが客席の整理を始めている。
保田はステージから降りてアリーナ中央の席に座った。
ほどよい距離にステージが見える。
自分は今日、どんな風に歌え、
客席からはどのように見えたのだろうか。
177名無し募集中。。。:03/05/05 23:29 ID:zJjVNxck
保田は少し笑みを浮かべ、首を横に振った。
どのように見えたかは関係ない。
自分の想いは確かに伝わった。
それはあの熱い雰囲気の中で、体が理解した。
ああ、自分は幸せなのだと。

歌を歌うこと
それだけを望んだ小さな女の子の夢は今、叶えられた。
大きな声で、高らかに
歌う自分の声に多くの人が合わせて歌った。
その喜び。

音楽に感謝。
それが与えてくれるすべての喜びに。
178名無し募集中。。。:03/05/05 23:30 ID:zJjVNxck
「圭ちゃーん、早くー、もー行くよー」
吉澤だろうか。
自分を呼ぶ声に保田は手を振って応え、立ち上がった。
まだ残されたサイリウムがところどころ床面をほの赤く照らし出すアリーナを通り
ステージからサイドに抜け、楽屋裏口からバスへ。
保田はステージでもう一度だけ客席を振り返った。

ぽつぽつと咲いた赤い花のようにそれは綺麗だった。
やがて保田は踵を返すと何事も無かったようにステージから姿を消した。
だが、保田は気づいていただろうか。
床に打ち捨てられたサイリウム、
それが赤く照らし出した小さなチケットの半券。
179名無し募集中。。。:03/05/05 23:31 ID:zJjVNxck

その上に浮かび上がる小さな文字、それは、
180名無し募集中。。。:03/05/05 23:33 ID:zJjVNxck










保田ありがとう

181名無し募集中。。。:03/05/05 23:34 ID:zJjVNxck










182名無し募集中。。。:03/05/05 23:35 ID:zJjVNxck









183名無し募集中。。。:03/05/05 23:36 ID:zJjVNxck

Thank you for the music


― end ―