「どう思いますか?早乙女先生」
職員室の向いの席から、飯田圭織は神妙な面持ちで訊いた。
「どうって?」
彼女の真剣な表情に、ちょっと戸惑いながら早乙女志織は答えた。
「B組の麻宮サキのことです……
彼女なんかこう弱々しい感じがして、授業中とかでもおとなしいですし。
彼女もしかしたらイジメられているんじゃないかと思うんです」
「そうですか?」
早乙女志織は思わず吹きだしそうになりながらも、出来るだけそれを悟られない様真面目な顔で話す。
「校長も言ってたと思うんですが、B組は問題児が多いクラスなんです。
辻さんと加護さんなんかも、中学部で同じクラスだった生徒が何人か学校を辞めたり、自殺未遂事件なんかも起きています。
2人が何かやったという証拠は無いんですが、どうやら影でイジメていたのではないかというウワサがあります。
そんな問題児だというのに中学部からの連絡ミスで、2人を同じクラスにしてしまうし……」
飯田は少し涙声になっている。
「麻宮さんは、そんな2人に格好の標的になってるんじゃないかと思うんですよ。」
「考え過ぎなんじゃないですか?」
「ですが、何かあってからじゃ遅いと思うんです。
最近見ていると、麻宮さんは小川さんとよく一緒にいるみたいなんですが、
この小川さんも中学時代に渋谷の不良10数人を相手にケンカをしたということで
どこの高校も入学を拒否した問題児なんですよ。
なのに、小川さんのお母さんがうちの矢島理事長の親友だというんで、うちの学校に入学してきたっていうし……」
(雪乃さんの親友?……そうか、小川さんはお京の娘やったんか……)
早乙女志織は飯田に気付かれない様に、少し微笑んだ。
「私が見たところでは、彼女達仲良くやっている様でしたが……」
「ええ、でも私達の見えないところで何かある……麻宮さんと小川さんを見ているとそんな感じがするんです」
(正解よ、飯田先生)
「もう少し様子を見てはいかがですか?
麻宮さんも見かけほど弱々しいというのではなさそうですし、
小川さんも確かに不良っぽい雰囲気ですが、どっちかというと姉御肌の性格でそんな麻宮さんを面倒見ているという感じです。
辻さん加護さんも、そんな小川さんに少し遠慮があるみたいですから、中学の頃のような事は出来ないでしょう」
「私はこの学校の卒業生なんですが、学生の頃クラスの友達と仲良くなれなくて学校を辞めようと思ったことがあったんです。
でも、担任の先生が色々と相談に乗ってくれて……そのおかげで卒業する事が出来たんです。
麻宮さんがもし、あの頃の私と同じ気持でいるのだったら、力になってあげたいんです」
「飯田先生のその気持はきっと彼女達にも伝わりますよ」
早乙女志織は微笑んだ。
その微笑は本心からのものだった。
「そうでしょうか……」
飯田圭織は不安気に言うも、早乙女先生に悩みを打ち明けられた事もあって、少し気持が楽になれたようだった。
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サキはとある駅前のビルの前に立っていた。
ビルには学習塾のテナントが入っている。
「ウルフ英会話教室」の看板。
玄関のドアには「入学説明会会場」と張り紙がしてある。
次々とこの教室の生徒がビルに入っていくのに紛れて、サキもそのビルの中に入った。
大きな教室に30人以上の生徒がいる。
授業内容の説明を受ける。
若い日本人女性と、ハンサムなアメリカ人男性が交互に壇上で話をする。
何の事ない普通の説明会。
教室には心地よい音楽がかかっている。
サキは眠たくなるのを必死に堪えながら説明を受けた。
説明会を終え、帰るサキの前に黒いBMWが停まった。
学校での”早乙女志織”の服装ではなく、いつものブランドスーツ姿の”五代陽子”だった。
「乗りなさい」
車をしばらく走らせた後、五代は訊いた。
「説明会はどうだった?」
「どうって事ない普通の説明会でした。
里沙さんの話では、一回でいきなりというのではなくて普段から「ハロー効果」の出やすい素地を作る。
きっと何度か通う間に無意識への”すりこみ”を繰り返していくのだと思います。
「ハロー効果」はそういった”すりこみ”の積み重ねで効果を上げるのだと里沙さんは言ってました。
でも肝心な部分の研究データーがないと、完全なコントロールまでには行かないようです」
「それさえあれば、もっと恐ろしい事が可能なのかもね。
これは、未確認だけど前回の都知事戦、絶対当選する事が無いと思われていた候補が結局当選した。
浮動票が随分その候補者に投票されて票が伸びたということらしいの
誰が誰に投票したかなんて調べる事ができないけど
調査の結果、普段投票に来ないような若い有権者の投票が目立ったということらしいの。
もしこれが、神狼会の仕業なら大変なことよ。
来月、統一地方選がある。
この投票に同じような事が起きたら、日本の政治をコントロールする事だって可能だわ」
「もう少し、あの英会話教室に通ってみる事にします」
「そうね」
次の日からサキは「ウルフ英会話教室」に通う事になった。
授業自体はなんの事無い普通の授業。
心地よいBGMが微かに聞こえる程度に流れ、リラックスした状態で授業を受ける。
最近は小人数で、外国人講師とマンツーマンに近い状態で勉強ができるスタイルの英会話教室が多いが、ここは1クラスで常時20人近くいる。
数名の講師が交代で教え、多人数でワイワイやりながらの授業。
しかも、受講料が激的に安いため高校生からOLや会社員まで幅広い層に人気があるようだ。
(これでどうやって「ハロー効果」の素地を作るんだろう?)
サキは眠気を堪えながら、注意深くあたりを見回す。
特におかしな所は見当たらない。
むしろ、知らないうちに何かしらの”仕掛け”をされているのではないかという事の方が恐い。
何度か通ってみるが特に変わった事もないまま、何日かが過ぎた。
そんなある日
講師の先生が一人の少女を連れてきていた。
「皆さん、ご紹介します。
彼女は私の友人で高橋愛さんといいます。
まだ若いですが、優秀な心理カウンセラーです。
今日は日頃何かとお疲れの皆さんに、特別にリラクゼーションタイムを設ける事にしました」
そこにはサキと同じくらいの年齢の少女が座っている。
何かある、サキはそう思った。
そういえば、いつもかかっているBGMがいつもよりヴォリュームが大きい様な気がする。
「みなさん、今からリラクゼーションの為の特別授業を行います。
気持を楽にして、私の言う簡単な指示に従って下さい。
では、皆さん目を閉じてください……」
教室にいる20人以上いる生徒は素直にそれに従う。
サキも一緒に目を閉じた。
「何も考えずに、音楽を聴いていてください。
ゆっくりと深呼吸をしてください。
はい、吸って……吐いて……
吸って……吐いて……
さあ、目を明けてこちらを見てください」
生徒たちは一斉に目を見つめる。
(いけない、これは催眠か何かだ!)
サキは咄嗟にポケットに隠し持った画鋲を太腿に刺した。
痛みが走る。
苦痛が表情に出ないように集中する。
サキはなるべく高橋の目を見ないようにした。
(でもあの顔。どこかで見覚えがある……)