最終話「AS FOR ONE DAY」
いつもと同じ通学路も今日だけは何だか違って見える。
毎日当たり前のように見慣れた風景が、明日からは当たり前でなくなる。
桜並木を抜けると見えてくる「卒業式」という看板の文字。
誰にでも訪れる人生の分岐点の一つ。数々の別れ。
でも僕にとってはそれ以上に大きな決意を秘めた別れの日。
「ウッウッウッ…寂しいよぉ〜」
「ったく、矢口泣くの早すぎ」
「だってぇ〜」
早くも泣きじゃくる矢口さんを圭織がなぐさめている。
二人に声を掛けた後、僕は男友達連中の所を回った。
「来たぁー!!」
式の直前、にわかに校門付近が騒がしくなる。
すでに野次馬だらけで近寄ることもできず、僕は教室の窓からそれを見届けた。
テレビ局や新聞社の人たちを引き連れてトメコが姿を現したのだ。
トップアイドルの卒業式はそれだけでニュースになる。
目の色を変えた男子に囲まれながら、なんとかトメコは教室まで入ってこれた。
キョロキョロと教室を見渡し、僕を見つけた彼女はニコッと微笑んで寄ってきた。
僕もトメコの元へ駆け寄る。トメコの制服姿を見るのは本当に久しぶりだ。
あの頃とは違って、今ではこうして普通におしゃべりすることも困難になった。
(彼女はもう違う世界の住人なのだから)
僕はトメコと他愛もない会話を交わす。すると他の皆も集まってきた。
担任の中澤先生はビシッとドレスアップして教室に入ってきた。
今までお世話になりましたって皆でお礼に行くと、ハンカチで口元押さえ泣いてしまった。
卒業式が始まる。
卒業生代表の送辞をしっかりと読み上げる圭織。
始まってからずっと泣きっぱなしの矢口さん。
いつも笑顔の安倍さんも目に涙を溜めていた。
美貴は口をキュッと結んでまっすぐ前を見ていた。
残念ながらトメコがどんな顔をしているのかは、僕の位置からは見えなかった。
(卒業式…これが終わったら本当に…)
式は幕を閉じる。別れのときは刻一刻と近づいていた。
「みんな〜写真撮ろう!」
式の終わり、矢口さんの呼びかけで例の修学旅行チームが集まった。
僕とトメコと圭織と矢口さんと安倍さんと美貴、みんなバラバラの道を行く。
同じ高校へ行く安倍さん以外とは、なかなか会えなくなるかもしれない。
(いや、少なくともこの中の一人とはもう…)
僕が暗い顔をしていると、トメコがギュッと僕の手を握ってきた。
決意を鈍らせるくらい柔らかくて温かい手だった。
僕はその手を強く握り返す。これが最後なのだから、最後くらいは笑顔で…
「そこのおばちゃ〜ん!写真撮ってくれませんかぁー!」
「誰がおばちゃんよ!!!…って、アレあなたは」
矢口さんが呼び止めたおばちゃんに何故か見覚えがある。
そう、その人は一徹担当看護婦の保田さんだったのだ。
「保田さん!!」
「あら、ひさしぶりじゃない。たまにテレビで梨華ちゃん見てるわよ」
「どうしたんですか、こんな所に?」
「お祝いに来たんじゃない。二人とも卒業おめでとう」
「わざわざありがとうございます」
「気にしなくていいの(出番欲しかっただけだから)。ほら、カメラ貸しなさい」
おそらくこれがトメコと一緒の、最後の写真になるだろう。
僕はトメコと手を繋いだままとびきりの笑顔を造った。
保田さんが撮ってくれた卒業写真。僕とトメコの卒業写真。
「あのね、この後雑誌の撮影で行かなくちゃいけないんだ」
式の後すぐにトメコは仕事で行かなければならないらしい。
あんまり手を繋いでいたり、見つめあったりしていると記者の人達に怪しまれる。
(もうトメコの邪魔にはなりたくない)
ひと気の多い所に出る前に、僕は繋いだ手を放した。
その瞬間、何か別のものまで放してしまった様な気がした。
何も知らずに僕の方を振り返るトメコ。
「それじゃあ、またね」
「バイバイ…」
本当に…バイバイ、トメコ。
この卒業を機に、僕は彼女の前から姿を消す。今日が僕とトメコの最後の想い出。
トメコは大勢のスタッフやカメラマンに囲まれて学校を去っていった。
僕の前を去っていった…。
「どうした?」
桜舞う花吹雪の帰り道、背後から聞こえたのは美貴の声。
あの後遊びにいくも気が乗らず、途中で抜け出た僕を追いかけてきたのか?
「別にどうもしないよ」
「嘘付け、死んじゃいそうな顔してる」
「みんなと別れるから、僕だって寂しいんだよ」
「また嘘だ。知ってるんだから、お前をそんな顔させられるのは一人しかいない」
「トメコはもう関係ない!」
「なぁんだ、やっぱりトメコのことか」
ハメラレタとそのとき気付いた。僕は嘘を付くのが下手らしい。
とても美貴に勝てそうにない。正直に言うしかなさそうだ。
「決めたんだ。卒業したら、トメコと別れるって」
「ハァ?何言ってんのお前?」
「だって彼女はアイドルだよ。僕なんかじゃ釣り合わないし、必要もない」
「マジで言ってんのか、それ?」
「ああ」
「呆れた!馬鹿とは思ってたけどこれ程とは」
「なんだよ」
「お前、私がどうしてお前から手を引いたか分かるか?」
「えっ!?」
胸がドキッとした。
「私が好きなのは…お前だ」
大胆な姿で強引に告白を迫られたのは、もう一年近くも前のことである。
しかしその後、美貴は身を引いている。
「トメコだから諦めたんだ。トメコは私なんかよりずっとお前を…」
「僕を何?」
「そんなこともわかんないの?トメコの気持ちも全然分かってないのね!」
「どうして美貴が怒るんだよ。関係ないだろ」
「ええ関係ないわ!だけどトメコに黙っていなくなるなんて絶対許さない!」
「…」
「アイドルがどうかなんて関係ない!好きかどうかだろ!」
そう言われて、僕の心は揺らいだ。
(好きかどうか?僕がトメコを好きかどうか?そんなの決まってる)
(でもトメコは僕のことを…?今でも…?)
「もういい。お前がそんな最低の奴だとは思わなかった。私の見る目がなかったのね」
「…美貴」
背を向けて去ってゆく美貴。
こんな別れ方したくない、そう思ったのに呼び止めることができなかった。
(自分の気持ちを隠してたこと、美貴に言われてやっと分かった)
(僕はトメコが好きだ。だからこそもう…)
悲しみと苦悩に才悩ませながら、僕は家路に着く。
夜のニュースに「まりあ」の武道館コンサートが報じられていた。
いよいよ明後日から三日間で10万人を動員する一大イベントが始まるのだ
これが成功すれば、まりあはトップスターとして不動の地位に着くと言われている。
そのとき、僕の頭の中にあまりに愚かな考えがひらめいた。
(何を考えているんだ僕は。どうかしている。こんなこと…)
(だけどこれなら…完全にトメコを諦めることができる)
苦悩の末、新しい決意が固まる。
翌日、僕は一通の手紙を手に、東京のトメコのマンションへと向かった。