黒髪石川について

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394辻っ子のお豆さん ◆Y4nonoCBLU
二人は無邪気を装い無理してはしゃぎまわっている。その姿が無性に痛々しい。
僕はトメコの残る部屋に戻った。彼女は泣き止んで、じっと正面の虚空を見定めていた。
地黒の肌がさらにあさ黒く、華奢な手足がさらに細くなった様に見える。
じっとしたまま一言もしゃべらず、何の感情も持たぬ人形みたいに。
僕が部屋に入るとトメコは一瞬ビクッと怯え、僕と分かるとまたさっきの顔に戻った。

「ごめん」

僕は言った。他に言葉が思い浮かばなかった。ただ「ごめん」と一言。
トメコは僕を見た。憂いと怒りと絶望に満ちた双眸が僕を見た。

「どうして君が謝るの?」
「…ごめん」
「謝らないで!そんな眼で私を見ないで!」
「トメコ?」
「他の誰に同情されてもいい!可哀想って思われてもいい!でも、でも君だけは…」
「君だけはそんな眼で私を見ないで!お願い…」

大粒の涙がトメコの頬を止めどなく流れる。彼女は僕の両手を掴み訴えた。
こんなに感情を剥き出しにしたトメコを見るのは初めてだった。
395辻っ子のお豆さん ◆Y4nonoCBLU :03/07/01 13:42 ID:fYMOFrT/
「もう君といる時間だけが、私が普通の女の子として生きれる証なの」

背筋がゾクッときた。僕は精一杯の力でトメコを抱き寄せた。
魂を吐き出す様に言葉を紡ぐトメコ。そこには本心以外の何者も存在しない。
平凡な生活を失い、自由な時間を失い、愛する家族までもを失った。
感情を捨てて働き、羞恥に耐えて生き抜く生活の中で…
トメコがどれだけ僕を必要としてくれているか。
感情が烈火の如く高ぶる。僕はさらに強くトメコを抱きしめた。
(守りたい!守りたい!彼女を悲しませる全てのことからトメコを守りたい!)

「僕もだ」
「うん」
「僕もトメコのことしか考えられない」
「…うん」
「好きだよ」

こんな恋は間違っているかもしれない。
だけど他の何を捨ててでも、トメコのことを守り抜きたいと思った。
大人の人みたいな上手な恋なんてできない。
どんなに不器用でもただ一緒にいたい、それだけなんだ。
396辻っ子のお豆さん ◆Y4nonoCBLU :03/07/01 13:42 ID:fYMOFrT/
その日の夜、家に帰った僕は圭織に電話を掛けた。

「もしもし、圭織?その…さっきはごめん!」
「フフフ…大丈夫、気にしてないわよ。銀霊堂のミルフィーユで許してあげるから」
「ウッ、きついなぁ。それでさぁ、明日の海水浴なんだけど…」
「やっぱり行く気になった?」
「うん。僕と…トメコもいいかな?」
「もちろん。みんなトメちゃんに会いたがってたよ。これで修学旅行のグループ揃うね」
「それとさ。トメコの双子の妹達も連れてってあげたいんだけど」
「あー知ってる。お見舞いのとき会ったよ。すっごい可愛い子達でしょ。呼んで呼んで」

圭織の優しさに僕は少し元気付けられた。本当にいい幼馴染を持った。
これでトメコとのんとあいぼんと、最後の夏の想い出を作ることができる。
翌朝、僕達は矢口さんの家に集まった。
金持ちの彼女の家の大きな車で、運転手さんに海まで乗せてってもらえるんだ。
元気いっぱいで駆けて来たのんとあいぼん。
その愛らしさに早速圭織や安倍さんは魅了されたみたいだ。すぐ打ち解けていた。
だけどトメコだけ何故か浮かない顔している。僕は声を掛けた。

「どうしたの?せっかくなんだし今日くらい楽しもうよ」
「違うの。あのね…恥ずかしいんだけど、うち今…水着が一枚もないの」
397辻っ子のお豆さん ◆Y4nonoCBLU :03/07/01 13:43 ID:fYMOFrT/
「なあんだそんなこと!ダイジョビ!おいらにお任せ!」
「えっ!矢口さん?」
「おいら使ってない水着、いっぱいあるから使っていいよ」

聞き耳立てていた矢口さんがピョンと家に駆け込み、たくさん水着をもって戻ってきた。
可愛い水着がいっぱいで、のんとあいぼんが嬉しい悲鳴をあげる。

「子供用でちょうどいい大きさなのれす」
「うちは胸がきついかもしれへん」
「なんだとコラァ!ガキどもー!」
「ニャハハハハ!ごめんなさ〜い!」

さすがのんとあいぼん。あの矢口さんをからかっている。
矢口さんの方がちっちゃいから、なんだか見てておもしろい。
でもよく見るとビキニとかセクシーな水着ばかりだ。自称セクシー隊長なだけある。
トメコは恥ずかしそうにお礼を言いながら、一番露出度の低い水着を選んでいた。
三人とも昨日の悲しみを忘れたみたいに笑顔を見せていて、僕は少し安心した。
(そうだよな…今日くらいは嫌なこと全部忘れて楽しもう!)
そうこうしている内に遅れていた美貴も到着し、いざ出発となった。
398辻っ子のお豆さん ◆Y4nonoCBLU :03/07/01 13:51 ID:fYMOFrT/
修学旅行遭難チーム6人にのんとあいぼんを加えた総勢8人での海水浴。
大きな入道雲、青い海と白い砂浜が否応なしに胸をワクワクさせる。

「あーあ!海つっても女子ばっかだしなぁ…」

とセクシーな水着姿でぼやく矢口さん。

「何言ってんの真里。ここに男前がいんじゃん」

そう僕の肩を叩いたのは美貴だった。赤いビキニが眩しい。
でも矢口さんは「えーっ」と口元を歪め、不満そうに僕を眺め回す。
それで美貴は可笑しそうに笑った。なんか馬鹿にされてるみたいでムカつく。
だからお返しに、海の水しぶきを浜辺に居る彼女達に思いっきりぶっかけてやった。
髪まで濡れた矢口さんと美貴の表情がみるみる豹変してゆく。

「コラー待てぇ!!」

二人が海辺まで追っかけてきたので、僕は踵を返して逃げる。

「まてぇ!まてまてぃ!ニャハハハハ…」

何故かのんとあいぼんまで一緒になって僕を追っかけてきた。おいおい…
399辻っ子のお豆さん ◆Y4nonoCBLU :03/07/01 13:52 ID:fYMOFrT/
圭織は浜辺で笑って見てる。笑ってないで助けてくれ。

「キャ」「うわっ」

余所見しながら走っていた僕は前方に居る子に気付かず、ぶつかって転んでしまった。
おとなしめなワンピースに身を包み、髪を束ねた安倍さんの顔が僕の目の前にあった。
気がつくと僕の手が彼女の胸元に触れていた。

「ご、ごめん!」

慌てて手を離す。クラスのアイドルがほっぺを真っ赤にして眼をそらした。
こういうことに慣れてないのか、照れる仕草がめちゃくちゃかわいい。
ハッと我に返り、僕を追っかけていた四人の冷たい視線に気付く。

「おいら見ちゃったー。トメッちにほうこ〜く」
「姉ちゃんに告げ口やな」
「フーンそうなんだー。今度はなっつぁん?」
「ねいちゃん!ねいちゃん!たいへんれすよ〜!」

「ウワー!ちが〜う!やめてくれー!」
400辻っ子のお豆さん ◆Y4nonoCBLU :03/07/01 13:53 ID:fYMOFrT/
僕は全力でなんとかタチの悪い4人組を引き止めた。そして安倍さんに謝る。
幸いトメコはまだ更衣室で着替えている所だった。
なかなか出てこないので、僕は様子を見るためにトメコの所に向かった。

「トメコー!まだ着替え終わってないの?どうかした?」
「あ、ダメ、来ないで、恥ずかしい!」

確かそんな派手な水着じゃなかったはずだけど。どうしたのだろう?
何度も呼んでやっとトメコは出てきた。その姿に僕は思わず息を呑んだ。
普通の水着だけど矢口さんサイズで、薄く伸びきってまるでハイレグみたいになってる。
トメコの美しいスタイルがくっきりと映し出され、ほとんど眼のやり場がない。

「すげえセクシー」
「ほらー!恥ずかしいよぉ、もぅ!」
「大丈夫かわいいって。おいで、泳ごう」

泣きそうなトメコを、僕は無理矢理海へ引っ張り出した。
トメコの水着姿を見てやっぱり矢口さん達が騒ぐ。

「トメっちエロ〜い!」
「ちがうよ〜!」
401辻っ子のお豆さん ◆Y4nonoCBLU :03/07/01 13:54 ID:fYMOFrT/
最高に楽しかった。
海でいっぱい泳いで。
浜辺で砂のお城を作って。
海の家で焼きそばを食べて。
みんないっぱい笑っていた。
昨日までずっと憂い顔だったのんとあいぼんも笑っていた。
圭織も、矢口さんも、安倍さんも、美貴も笑っていた。
僕とトメコも笑っていた。
束の間のだけど、悲しい現実を忘れ、心から笑うことができた。
これがいつまでも続けばいいなって思った。
素敵な仲間達と、こんな風に遊んで笑っていられたらいいなって思った。
だけど現実はすぐにやってくる。
これがのんとあいぼんのいる、最後の夏休みなんだ。
そして僕とトメコにとっても…。

第七話「最後の夏休み」終わり