黒髪石川について

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373辻っ子のお豆さん ◆Y4nonoCBLU
第七話「最後の夏休み」

「里沙ちゃん、麻琴ちゃん、あさ美ちゃん、プール行こうよ!」
「うん、愛ちゃん。でもせっかく夏休みになったんだし海行きたいなぁ」
「もぅ里沙、わがまま言わないの。ねぇあさ美はどっちがいい?」
「えーと、かき氷?」

小学生の女の子4人組が僕の傍を通り過ぎてゆく。
照りつける日差しが眩しい。今年も夏がやってきた。
僕は夏が好きだったが、こんなに気分が優れない年は初めてだ。
一徹が入院してもう1ヶ月が経つ。
トメコはほとんど学校に来ない。休学扱いになっているらしい。
僕はまだトメコ姉妹に例の話を言えずにいた。

「ねぇねぇ明日みんなで海水浴行くんだけどどう?矢口や藤本も来るよ」

家を出ると、近所で幼馴染の圭織に呼びかけられた。
修学旅行の一件以来、あのグループで仲良くなったらしい。
犬猿の仲と呼ばれた矢口さんと美貴も、今では親友の様にじゃれあっている。
ただ、そのグループにはトメコの姿はなかった。
374辻っ子のお豆さん ◆Y4nonoCBLU :03/06/27 03:01 ID:pAqtiftT
「うーん、僕はいいよ」
「そう…またトメちゃんの所に行くの」

頷くと、圭織は心配そうに眉をひそめる。
この誘いもきっと彼女なりに気を使ってくれたのだろう。
無理もない。最近の僕はとり憑かれた様にトメコと付き合っている。

「気持ちはわかるけどさ、あんまり無理は…」
「わかんないよ圭織には!」
「あ、ちょっと待っ…」

僕は圭織の忠告も無下に走り出した。
同年代の他の子達は、夏休みだとはしゃぎまわっている。
なのにトメコだけが炎天下の中、一日中働き続けている。
どうして?どうして彼女だけがこんなに苦しまなければいけないんだ?
僕にもっと力があれば…。でも僕には何もしてやれない。
だからせめて少しでも長く傍にいるんだ。
375辻っ子のお豆さん ◆Y4nonoCBLU :03/06/27 03:01 ID:pAqtiftT
保田さんから知らせがあると言われ、僕は病院を訪れた。
担当の看護婦とはいえ赤の他人なのに、保田さんは本当に良くしてくれている。

「孤児院じゃなくてね、養子の引き取り手が2軒見つかったの」

この日、彼女はいくつかの書類を手にしていた。
激務の中、トメコ姉妹の為にわざわざ捜してくれたのだろう。
顔は怖いけど本当にいいおばちゃんだ。
僕は向かいの椅子に座り、書類に目を通した。
『東京都 辻家』『奈良県 加護家』
いずれも僕らの町とは異なる都道府県の家だった。

「こちらのご両親はお子さんに恵まれなくてね。でも本当に優しい人達よ」
「そうですか…」
「何不自由ない生活が送れるわ。二人ともきっと幸せになれると思う」

保田さんが言うのならば間違いないだろう。
だけど僕は明確に賛成することはできなかった。
本当の家族がバラバラになって、幸せになるなんて思えなかったんだ。
376辻っ子のお豆さん ◆Y4nonoCBLU :03/06/27 03:02 ID:pAqtiftT
病院を出て、トメコのアパートに向かう。
冷房も何もない蒸し暑い部屋の中では、あいぼんが一人で内職していた。
おもちみたいなあいぼんのほっぺも、今では薄っすら皮だけに見える。
僕が家から持ってきたお菓子を手に扉を開けると、あいぼんは弱々しく微笑んだ。
するとあいぼんのお腹がグゥ〜っと鳴った。
彼女は恥ずかしそうにお腹を押さえて、ぺロッと舌を出した。
その仕草が堪らなく愛くるしかった。

「あいぼん一人?のんは?」
「バレークラブの練習。のんは世界一の選手になるんやから」
「そっか」
「うちは何の才能もあらへんから、代わりにこうしてお仕事やねん」
「そんなこと言うな。少なくとも僕はあいぼんのいい所いっぱい知ってる」
「えへっ、ありがと。お世辞でも嬉しい…」

渡したお菓子を三分の一だけ食べ、あいぼんはまた内職を始めだした。
どんなにお腹がすいていても、彼女は他の二人の分を必ず残しておく。
本当に優しくて可愛らしい良い子だ。
同じ年頃の子は海だプールだと遊びまわっている、それが普通だ。
なのにあいぼんはサウナみたいな三畳の部屋で、黙々と割り箸を袋詰めしている。
377辻っ子のお豆さん ◆Y4nonoCBLU :03/06/27 03:09 ID:pAqtiftT
遊ぶ時間も、満足な食事も、居心地の良い部屋も、何も無い。
(何不自由ない生活が送れるわ。二人ともきっと幸せになれると思う)
保田さんの台詞が頭をよぎる。
僕は間違っているんじゃないかという気持ちが沸き起こってきた。
彼女達を想って黙っていて、実はそれが苦しめているだけなのではと。

「ねぇ、あいぼん」
「ん、なぁに?」

心を決めた。僕はバックから保田さんに貰った書類を取り出した。
あいぼんは虚ろな瞳で僕を見つめている。
保田さんの受け売りをそのまま、僕はできるだけわかりやすく話し始めた。
その間、大きな黒目で瞬きもせず、あいぼんは僕をじっと見つめていた。
(ううんいいよ。僕も家族になりたいなー)
(ほんま!毎日一緒におれるん?)
いつかの会話が僕の頭に鳴り響いた。

(嘘つき…誰かにも言われたな…僕は最低の嘘つきだ)