第七話「最後の夏休み」
「里沙ちゃん、麻琴ちゃん、あさ美ちゃん、プール行こうよ!」
「うん、愛ちゃん。でもせっかく夏休みになったんだし海行きたいなぁ」
「もぅ里沙、わがまま言わないの。ねぇあさ美はどっちがいい?」
「えーと、かき氷?」
小学生の女の子4人組が僕の傍を通り過ぎてゆく。
照りつける日差しが眩しい。今年も夏がやってきた。
僕は夏が好きだったが、こんなに気分が優れない年は初めてだ。
一徹が入院してもう1ヶ月が経つ。
トメコはほとんど学校に来ない。休学扱いになっているらしい。
僕はまだトメコ姉妹に例の話を言えずにいた。
「ねぇねぇ明日みんなで海水浴行くんだけどどう?矢口や藤本も来るよ」
家を出ると、近所で幼馴染の圭織に呼びかけられた。
修学旅行の一件以来、あのグループで仲良くなったらしい。
犬猿の仲と呼ばれた矢口さんと美貴も、今では親友の様にじゃれあっている。
ただ、そのグループにはトメコの姿はなかった。
「うーん、僕はいいよ」
「そう…またトメちゃんの所に行くの」
頷くと、圭織は心配そうに眉をひそめる。
この誘いもきっと彼女なりに気を使ってくれたのだろう。
無理もない。最近の僕はとり憑かれた様にトメコと付き合っている。
「気持ちはわかるけどさ、あんまり無理は…」
「わかんないよ圭織には!」
「あ、ちょっと待っ…」
僕は圭織の忠告も無下に走り出した。
同年代の他の子達は、夏休みだとはしゃぎまわっている。
なのにトメコだけが炎天下の中、一日中働き続けている。
どうして?どうして彼女だけがこんなに苦しまなければいけないんだ?
僕にもっと力があれば…。でも僕には何もしてやれない。
だからせめて少しでも長く傍にいるんだ。
保田さんから知らせがあると言われ、僕は病院を訪れた。
担当の看護婦とはいえ赤の他人なのに、保田さんは本当に良くしてくれている。
「孤児院じゃなくてね、養子の引き取り手が2軒見つかったの」
この日、彼女はいくつかの書類を手にしていた。
激務の中、トメコ姉妹の為にわざわざ捜してくれたのだろう。
顔は怖いけど本当にいいおばちゃんだ。
僕は向かいの椅子に座り、書類に目を通した。
『東京都 辻家』『奈良県 加護家』
いずれも僕らの町とは異なる都道府県の家だった。
「こちらのご両親はお子さんに恵まれなくてね。でも本当に優しい人達よ」
「そうですか…」
「何不自由ない生活が送れるわ。二人ともきっと幸せになれると思う」
保田さんが言うのならば間違いないだろう。
だけど僕は明確に賛成することはできなかった。
本当の家族がバラバラになって、幸せになるなんて思えなかったんだ。
病院を出て、トメコのアパートに向かう。
冷房も何もない蒸し暑い部屋の中では、あいぼんが一人で内職していた。
おもちみたいなあいぼんのほっぺも、今では薄っすら皮だけに見える。
僕が家から持ってきたお菓子を手に扉を開けると、あいぼんは弱々しく微笑んだ。
するとあいぼんのお腹がグゥ〜っと鳴った。
彼女は恥ずかしそうにお腹を押さえて、ぺロッと舌を出した。
その仕草が堪らなく愛くるしかった。
「あいぼん一人?のんは?」
「バレークラブの練習。のんは世界一の選手になるんやから」
「そっか」
「うちは何の才能もあらへんから、代わりにこうしてお仕事やねん」
「そんなこと言うな。少なくとも僕はあいぼんのいい所いっぱい知ってる」
「えへっ、ありがと。お世辞でも嬉しい…」
渡したお菓子を三分の一だけ食べ、あいぼんはまた内職を始めだした。
どんなにお腹がすいていても、彼女は他の二人の分を必ず残しておく。
本当に優しくて可愛らしい良い子だ。
同じ年頃の子は海だプールだと遊びまわっている、それが普通だ。
なのにあいぼんはサウナみたいな三畳の部屋で、黙々と割り箸を袋詰めしている。
遊ぶ時間も、満足な食事も、居心地の良い部屋も、何も無い。
(何不自由ない生活が送れるわ。二人ともきっと幸せになれると思う)
保田さんの台詞が頭をよぎる。
僕は間違っているんじゃないかという気持ちが沸き起こってきた。
彼女達を想って黙っていて、実はそれが苦しめているだけなのではと。
「ねぇ、あいぼん」
「ん、なぁに?」
心を決めた。僕はバックから保田さんに貰った書類を取り出した。
あいぼんは虚ろな瞳で僕を見つめている。
保田さんの受け売りをそのまま、僕はできるだけわかりやすく話し始めた。
その間、大きな黒目で瞬きもせず、あいぼんは僕をじっと見つめていた。
(ううんいいよ。僕も家族になりたいなー)
(ほんま!毎日一緒におれるん?)
いつかの会話が僕の頭に鳴り響いた。
(嘘つき…誰かにも言われたな…僕は最低の嘘つきだ)