休日明けの教室にトメコの姿はなかった。
そして噂はクラス中に駆け巡っていた。
「トメッち、可哀想」
「うちらに何かできることないかしら?」
矢口さんや圭織が僕に尋ねてきた。
答えられなかった。今のトメコに僕等ができること?
ホームルームで中澤先生がトメコの家庭事情を語り、クラス中から同情の声があがる。
様々な意見が飛び交い、クラス全員がお金を出し合って援助しようという結論になった。
(僕にできること…お金…しかないのか)
クラスメイト達の気持ちが嬉しかった反面、なぜか寂しかった。
放課後の部活もなんだか身が入らない。
夏の大会、僕達三年生にとっては最後の舞台が近いというのに。
居残り練習するチームメイトを尻目に、僕は早々と切り上げた。
生徒玄関で靴を履き替え踏み出したとき、後ろから声を掛けられた。
「よお」
「…藤本さん」
藤本さん、僕を待っていたのだろうか?
横に来ると並んで歩き始めた。相変わらず溜息の出る美しさだ。
「一緒に帰ろう」
「う、うん。でも家の方向が違うんじゃ?」
「細かいこと気にするな。それとね、いい加減さん付けはやめて。余所余所しいから」
「じゃあなんて呼べばいいの?」
「美貴って、呼び捨てでいい」
「わ、わかった。…美貴」
言って僕は何だか恥ずかしくなってきた。
美貴も少し照れている。自分で言わせたくせに。
僕は横目で美貴を見た。制服の裾から見える白い肌が眩しい。
その肌が修学旅行での記憶を蘇らせ、僕は胸がドキドキしてきた。
見とれていると、美貴が僕の視線に気付きキッと睨んできた。
「何見てんだ、お前」
「み、見てないよ!ていうか僕のことも名前で呼んでよ」
「うるさい!お前なんかお前で十分だ!」
叩かれそうになって、僕は逃げるように少し駆け出した。
住宅街は大きな下り坂となっていて、下から吹き突ける風が心地よい。
僕が振り返って見ると、美貴はじっと立ち尽くしていた。
「どうしたの藤本さ…あー、…美貴?」
うっかり癖で呼び間違えた名前を言い直す。
だけど美貴はそんなことお構いなしに俯いていた。
白いセダンが一台僕達の横を通り過ぎる。他に人通りもない。
もう一度呼ぼうと口を開きかけると、美貴はあのきつい目つきでまた僕を睨んだ。
「嘘つき」
「え?嘘?僕嘘なんてついてない…」
「言った。とっても大きな嘘」
「いつ?なんて?」
「藤本さんなら100%大丈夫だよって」
「!!」
(私が好きなのは…お前だ)
あのときの光景が蘇った。下着姿で詰め寄る美貴。うろたえる僕。
「正直、あれはきついな」
「…」
「好きな人が他の子の為に命がけで飛び込む」
そのとき、あの気の強い美貴の眼から涙が滴り落ちた。
僕の動揺はそれでピークに達する。何も言い返すことができない。
そして美貴の言葉の意味が段々とわかってきた。
激流に落ちたトメコを追って飛び込んだ、あのことを言っているのだ。
「あれは、ふられるよりきついよ」
「いやそれは…」
「お前がどれだけトメコを好きなのか分かった。私に勝ち目が少しも無いことも」
「…美貴」
「トメコはお前が守ってやれ。お前にしかできない」
胸を弾丸で打ち抜かれる想いだった。胸にうずまく迷いの答え。
僕にできること…僕にしかできないこと。
美貴はクルッと回れ右して来た道を去っていく。
坂の向こうに見えなくなるまで、僕は彼女の背中を見つめ続けた。
美貴の後ろ姿に僕は誓う。どんな困難からもトメコを守り抜くことを。
更新乙
辻豆さん乙です
なるほどねー、
トメコへの愛を確認させるために藤本登場か、渋い。
辻豆さん 乙です。
通して読ませて頂きました。
最高です。これからも楽しみにしております。
一徹が入院した後すぐ、トメコは住んでいたアパートを出た。
本当に少ない手荷物を抱え、月一万円という激安のアパートに移った。
泣きたくなるくらい不憫な住まいであった。
三畳一間、トイレは共用、風呂はない。
壁中シミだらけで、所々ヒビが入っており、すぐに虫が湧く。
窓のすぐそばを線路が走っており、一日中電車の騒音が鳴り響く。
例のちゃぶ台と赤いランドセルが二つ、部屋の隅に置いてある。
ちゃぶ台の上には、母親の位牌と家族5人で撮ったという昔の写真が飾ってあった。
トメコとのんとあいぼんはこの部屋で、一枚の毛布にくるまって眠る。
「背が低くてよかったのれす」
狭い部屋でも足を伸ばせるからと、のんは健気な台詞を吐いた。
のんもあいぼんも、こんな過酷な環境でも不平不満を言って姉を困らせはしない。
本当に強い子達だと思った。いや強い振りをしているだけかもしれない。
僕が守るんだ。
彼女達を僕のこの手で守るんだ。
日曜日、僕はトメコのアパートを訪ねたが誰もいなかった。
それで一徹の入院する病院を訪ねることにした。
病室では一徹に寄り添う様に、のんとあいぼんがうたた寝していた。
あの部屋では満足に眠れないのだろう。
起こすのは気がひけるので、僕は彼女達が目を覚ますまで待つことにした。
病院の廊下に出ると、見覚えのある顔の看護婦さんに声を掛けられた。
一徹の病室へ案内してくれたあの看護婦さんだ。アクの強い顔で記憶に残っていた。
「あなたは石川さんのお友達?」
「は、はい。そうですけど…なにか?」
「こないだも一緒にいたし、よくお見舞いにも来るわね」
「…ええ、まあ」
「親友?もしくはそれ以上の関係って奴?」
「どうしてそんなこと聞くんですか?」
「石川さん、他に身内がいないみたいだから、あなたに相談があるの」
談話室に入る。彼女は保田圭と名乗った。
仕草も格好もおばちゃん臭いから、多分結構年上の人だろう。
一徹の担当看護婦をしているそうだ。
保田さんは真剣な顔つきのまま、再び口を開いた。
「梨華ちゃん、がんばってるみたい」
そう切り出された。担当だけあって家庭の事情にも詳しい様だ。
学校を辞めて働くとトメコは言っていた。
実際に何をするのかは知らず、本当に働いていることを知り僕は少し驚いた。
だけど中学生がまともな職につけるとは思えない。まさか…。
僕の心配そうな顔を見た保田さんが、少し表情を崩し答えてくれた。
「大丈夫、お水や風俗なんてしてないわよ。あの子もそれだけは嫌って言ってたし」
「何をしているか知ってます」
「新聞配達とか内職とか、本当にアルバイトの手前みたいなことばかり掛け持ちで」
「そうですか…」
少しほっとした。
だけど保田さんの表情は険しいままであった。
「今はなんとかなってるみたい。一徹さん人望はあったのね」
そういえば病室にはたくさんの見舞い品があった。
仕事仲間が余ったおかずを持ってきてくれることもあると、あいぼんが以前言っていた。
クラスで集めた援助金もあるはずだ。そういうので何とかやっているのだろう。
「だけどね、それでいつまでもやってけると思ったら大間違いよ」
「え?」
「梨華ちゃんの稼ぎなんかたかが知れてる。他人の親切だって結局最初だけ」
「…」
「それに病院もボランティアじゃないの。入院費がどれくらいになるか分かる?」
「い、いえ」
「このままじゃあの子達、間違いなく破滅するわ。そうなるとどうなるか?」
「どうなるんですか?」
「借金に走る。中学生じゃまともな会社は無理だろうから、それもかなり悪徳な。
もちろん返せるはずがない。そしてお決まりね、次は犯罪よ。」
「そんなことする訳ない!」
「梨華ちゃんがしなくても、妹達が苦しむ姉を助ける為にするかもしれない。
そして梨華ちゃんは間違いなく妹達を庇い立てするでしょうね。
たとえ自分が罪を被ってでも」
保田さんの口から湧き出る最悪のシナリオが、僕の視界を真っ暗に落とす。
僕が守ると口先だけで言った所、一体何ができるというのだろうか?
(トメコを守る、だけどどうすれば…?)
「だから、あなたに相談があるの」
「!」
「もちろん私達もこのまま見過ごすつもりはないわ。なんとかしたいと思ってる」
さっきまで悪魔の様に映っていた保田さんの顔が、急に天使の様に映った。
だがそれも一瞬のことだった。その内容があまりに残酷すぎたんだ。
「自己破産の申告をさせるの。そうすれば借金は全てなくなる」
「破産…?」
「それからね。妹たちを孤児院に預ける」
「のんと?あいぼんを?」
「そうよ。そうすれば二人分の生活費は必要なくなるわ」
「彼女達姉妹をバラバラにしろと言うのですか」
「ええ、私から言っても分かってくれないから。だからあなたの口から…」
なんということだ。
彼女達を守る為に、僕の手で彼女達姉妹をバラバラにしろというのか。
それしか方法がない…と。
保田さんは僕の肩を軽く叩き仕事へ戻っていった。
一人残された僕は頭を抱え、どうしようもない苦悩に陥った。
「あっ、にぃちゃんれす!にぃちゃん」
「お弁当分けてもらってん。うち帰って一緒に食お」
病室に戻ると、お日様みたいな笑顔でのんとあいぼんがじゃれついてきた。
彼女達が無邪気に笑えば笑うほど、僕の胸は締め付けられていく。
僕は右手でのん、左手であいぼんと手を繋ぎ、三畳一間の部屋へと向かった。
線路沿いの道を唄いながら帰る二人。まるで本当に妹ができたみたいだ。
(だけど言わなくちゃいけない。僕が…)
アパートには電灯が点っていた。トメコも帰ってきたみたいだ。
「ただいまぁ!」
「あ、お、おかえりなさい」
トメコは狭い部屋で内職をしていた。紙袋の取っ手を糊付けしている。
僕の顔を見ると恥ずかしそうに、それらを奥へ片付け出した。
気のせいか、少しだけやつれてきた様に見える。
あいぼんが貰った弁当をビニール袋から取り出して、ちゃぶ台に乗せた。
「ごはんにしよう!」
三畳しかないから、ちゃぶ台を囲んで座ってもすぐ足が当たる。
のんとあいぼんがすぐ足をバタバタさせるから、トメコは叱っていた。
いたずらっ子の二人だけど、お姉ちゃんの言うことはちゃんと聞くからおもしろい。
きっと二人ともお姉ちゃんが大好きなんだろう。
そんな風に三人を見ていると、あいぼんがじっと僕を見つめて言った。
「なんかこうしてると家族みたいやなぁ」
「れすね。にぃちゃんが本当の家族らったらいいのに」
「コラ、二人とも。変なこと言わないの、困ってるでしょ」
「ううんいいよ。僕も家族になりたいなー」
「ほんま!毎日一緒におれるん?」
「ワーイワーイ、もっとバレー教えてもらえるのれす」
「もぅ。君まで言うから二人が調子に乗っちゃったよ」
「だって本当だもん」
頬を膨らませながらも、トメコはどこか嬉しそうだった。
のんもあいぼんもはしゃいでいる。どんなに貧しくても明るく元気に。
(言えない、とても言い出せないよ、あんなこと…)
トメコ達を守る為に、この家族を引き裂くか?選択の刻は迫っていた。
第六話「石川家の悲劇」終わり