黒髪石川について

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310辻っ子のお豆さん ◆Y4nonoCBLU
第五話「修学旅行 後編」

「ダメー!おいらもう歩けない〜!」
「さっきからうるさいんだけど。じゃあそこで一人座ってれば?」
「なんだとー!」
「二人とも!こんなときにまで喧嘩しないで!」
「…おなかすいたべさ」

矢口さんと藤本さんの喧嘩を止めた圭織が、不安気な顔で僕を見る。
草木を掻き分けて先頭を進む僕は、一旦立ち止まり皆の顔を見渡した。
圭織も矢口さんも藤本さんも安倍さんも、一様に疲れと不安に苛まされた顔をしている。
一番後ろにトメコ。トメコはまだ一言も口を開いていない。
修学旅行が始まってから、僕はまだ一度もトメコの笑顔を見ていない。

「もう少しがんばろう。暗くなる前にせめて安全な所まで行かないと」

僕はそう言って、また前を向いた。
自分で言いながら、本当にそんな所に辿り着けるか不安で仕方ない。
行けども行けども視界に映るのは草と木のラビリンスのみ。
僕達は遭難していた。
311辻っ子のお豆さん ◆Y4nonoCBLU :03/06/15 20:59 ID:NvdW7F6T
修学旅行初日、大阪の夜は今思い返しても最悪だった。
藤本さんを残し廊下に出た僕は、トメコの誤解を解こうと必死で弁解した。
「うん、わかってるから」って、ちっともわかってない顔でトメコは答えた。
トメコと藤本さんと僕、気まずい空気での就寝。

二日目は奈良、クラス単位の団体行動。
僕は二人を避ける様に、男友達連中とわざと騒いで回った。
だけどちっとも気持ちは晴れない。
そして夜はやはりあの微妙な空気。

三日目は京都、例の三人一組でのグループ行動が予定されていた。
何とかしなければと思い、僕は幼馴染の圭織に相談を持ちかける。
もちろん三角関係のゴタゴタした話までは語らなかったが。
すると圭織も、安倍さん矢口さんと三人だけの行動に不安を覚えていたらしい。
じゃあ一緒に行こうよと、トントン拍子に話は進んだ。
しかし僕は焦るあまり重要なことを忘れていた。
藤本さんと矢口さんが犬猿の仲だということ。
そしてこのことが、まさに遭難のきっかけとなったのだ。
312辻っ子のお豆さん ◆Y4nonoCBLU :03/06/15 21:00 ID:NvdW7F6T
「痛〜っい!ちょっとぉ、ぶつかったんだけど、謝りなさいよ!」
「ごめん。ちっちゃくて見えなかった」
「何だとコラァ!なによその態度は!」
「本当のこと言っただけなんだけど」

地図を見ながら、各チーム京都の山寺を回るという企画。
僕と圭織と安倍さんが無理やり会話を繋ぎ、そこまでは何とか持ちこたえた。
事件が起きたのは、かなり山奥の細い細い獣道に差し掛かったとき。
藤本さんの腕が矢口さんの腰に当たったことが発端だ。
気がつくと二人はとっくみ合いになっていた。
細く足場の悪い獣道。僕らが止める前に藤本さんが足を踏み外した。

「きゃー!!」

藤本さんと矢口さんはもつれあったまま、山の斜面を転げ落ちた。
驚きと焦りに顔を見合わせた後、僕らは大急ぎで坂を下り二人を追った。
藪の中に二人はうずくまっていた。
ゆるやかな斜面だったこともあり、二人は幸い大きな怪我もなく、すり傷程度で済んだ。
ただ矢口さんが若干足首を捻り、少し痛むと述べる。
失敗だったのは、焦ったあまり全員が斜面を降りてきてしまったことだった。
313辻っ子のお豆さん ◆Y4nonoCBLU :03/06/15 21:00 ID:NvdW7F6T
「矢口の足もあるし、ここから戻るのは無理そうね」
「ちょっと行って、道に戻れそうな所を捜そうか?」
「それがいいべ。ほら、真里立てる?」

このときはまだ誰も、帰れなくなる心配なんてしてなかったんだ。
実際、道はまだ上に見えていたし、陽は明るかったから。
少し進めばまたさっきの道に戻れるって、誰もがそう思っていた。
ところが、進めど進めど上に行けそうな場所が見つからない。
それどころかさっきまで見えていた道も、もう見えなくなっていた。

「多分、逆だ。戻ろう」
「そうね」

僕達は来た道を戻ることにした。
少しずつ、皆の顔に不安の色が現れ始めていた。

「おかしいね、もうそろそろさっきの所じゃない?」
「うん、結構歩いたから道が見えてきてもいいはずだけど」

圭織の問いに答えた僕も、薄々気付き始めていた。
同じ様な景色の続く山中だ。戻っていたつもりが全然違う方へ進んでいたのかもしれない。
314辻っ子のお豆さん ◆Y4nonoCBLU :03/06/15 21:01 ID:NvdW7F6T
陽が暮れかけてきた。遭難してからもう3時間以上過ぎている。
午後5時にバスの待つ駐車場に集合のはずが、もう午後6時を回っている。
先生達心配して救助依頼を出しているかもしれない。
みんなの疲労と、精神状態も限界に近づいてきていた。
苛立つ矢口さんと藤本さん、お腹を抱え嘆く安倍さん、黙り込むトメコ。
リーダーシップを持って皆を励ます圭織がいてくれたおかげで、かなり助かっている。
だけどその圭織も段々と口数が減っている。重いムードが漂う。
何となくみんなの期待を背中に感じる。僕が何とかしなければ!
そんな気持ちで、先頭に立ち前へ前へと草木を掻き分けているのだが…。

「待って、何か聞こえたよ」

今までずっと黙っていたトメコが、一番後ろから口を開いた。
僕達は一斉に足を止め、その何かに耳を傾ける。

「水の音…みたい」
「水?じゃあ川かな?川があれば目印になる!行こう!」

川は確実に下へ向かって流れる。
沿って進めば、当てもなく迷ってグルグル同じ所をさ迷わずに済む。
僕達は水の音が聞こえた方角へ足を速めた。
315辻っ子のお豆さん ◆Y4nonoCBLU :03/06/15 21:02 ID:NvdW7F6T
「なんか暑くない?」
「うん、なっちも思った」

矢口さんと安倍さんが言う様に、近づくにつれ気温が増している気がする。
いやもう気のせいじゃない。うっすら湯気が見えている。
辺りの景色もゴツゴツした大きな岩が目立ってきた。
これは川じゃない。岩の向こうに見えたのは小さな池。いや、池というよりこれは…

「温泉だぁ!」

誰かが声を張り上げた。
砂漠の中にオアシス見つけたみたいに、みんなの顔が綻んでいる。
トメコや藤本さんまで笑顔を浮かべている。
(こんな状況で温泉みつけても…)
僕一人だけが冷静に思考を巡らしている。
だが次の瞬間、そんな冷静さを一発で吹き飛ばす台詞が、矢口さんの口から飛び出た。

「入ろうぜぃ!」
316辻っ子のお豆さん ◆Y4nonoCBLU :03/06/15 21:03 ID:NvdW7F6T
どうかしている。
そりゃヒト気はないけど、男の人に見られたら?僕だって…
いやそれ以前に僕達は今遭難しているんだ。
遭難者がのんびり温泉につかるなんて聞いたこともない。
なのに誰も矢口さんの意見に反対しない、圭織も藤本さんさえも。
そりゃ疲れて汗だくだから、温泉でリラックスしたいってのは分かるけど。
それにしたって非常識すぎる。考えられない。
こんな状況のせいで、きっとみんな精神状態がおかしくなっているんだ。
落ち着け。僕だけでも冷静でいなければ…。お、おちけつ…。

「ぼ、僕は向こうで見張ってるから」

すでに矢口さんと安倍さんは服を脱ぎ出している。
僕は適当に理由をつけて、その場から逃げ出そうと思った。
しかし駆け出そうとした所を、藤本さんに捕まえられてしまった。

「なんで?入ろうよ」
「そうそう、何照れてんの?昔はよく一緒に入ったじゃない」

藤本さん!それに圭織まで。一体何を言っているんだ。
『一緒に入った』というフレーズで、トメコがチラリとこっちに視線を送った。
違う!トメコ!それは幼稚園の頃の話…。
317辻っ子のお豆さん ◆Y4nonoCBLU :03/06/15 21:06 ID:NvdW7F6T
「いやっほ〜い!一番のりぃ!」
「あー真里、ずるいべさ」

みんなリュックにタオルを持っているので、それ一枚持って飛び出している。
クラスのアイドル、安倍さんと矢口さんの裸が一瞬視界に入った。
岩を一つ隔てた先で圭織と藤本さんが着ているモノを脱いでいる。
さらに向こうでは、トメコも脱いでいる。
嗚呼、気がつけば僕も何故か服を脱ぎかけている。
やっぱりダメだ。断るんだ。絶対に間違っている。まだ間に合う、断れ!

「まだぁ〜?遅いよ」
「おいらの温泉に入れねえってのぉかぁ?」

(二人喧嘩してたんじゃないの?何で息が合ってるんだよ。ていうか矢口さんの温泉?)
気がつくと、僕以外の五人はもう温泉でくつろいでいる。
当たり前のことだが、みんな裸だ。申し訳程度にタオルを一枚添えているだけ。
矢口さんに至ってはそれすらなしで、はしゃぎまわっている。
僕はリュックからタオルを取り出すと、目をつぶって岩陰から飛び出した。
タオルで前を隠しながら、勢いよく温泉に飛び込んだ。
覚悟は決めた。ああ、もうどうにでもなれ!