小説「僕とトメコ」
第一話「折れた傘」
トメコはかわいい。
授業中、気が付くと僕はいつもトメコを見ている。
そんなときトメコはたいがい壁さんとお話している。
トメコはいつも一人でいる。
友達がいないからだ。
いじめられている訳ではないけれど、みんなトメコを避けている。
盛り上がっているおしゃべりにトメコが加わるとすぐ寒くなる。
会話を止める子。だから「止め子」と呼ばれている。
トメコは色が黒い。
冬なのに日焼けしているみたいに見える。
髪の毛もまっくろで、おしゃれもほとんどしていない。
おまけに性格も暗いから、男子も誰も見向きもしない。
でも僕だけはそんなトメコがかわいいと思う。
僕は変わってるのかな?
男子が集まって、クラスの女子で誰がいいかなんて話題で盛り上がったりする。
美人でスタイルも良く頭もいい学級委員長の飯田さん。
いつもニコニコ笑ってるクラスのアイドル的存在の安倍さん。
男友達みたいに気軽に話せてとっても明るくおもしろい矢口さん。
性格キツそうで近寄り難いけど超美形の高嶺の花、藤本さん。
大体、男子に人気あるのはこの辺りだ。
トメコの名前なんて誰も出しやない。
僕も気が引けちゃって「安倍さんがいい」なんて言ってる。
トメコの声は変わっている。
妙なアニメ声というか違う所から聞こえているみたいというか。
そんな声で寒いこと言うもんだから、クラスの皆もすぐ引いちゃうんだ。
最初は面白がってた先生達も、しまいには生徒と同じ様に身震いする。
それでもトメコはめげずに寒いセリフを続けるんだ。
だから誰もトメコに近づかない。
今日もトメコは壁さんとお話している。
来年は高校受験だ。
トメコは高校に行くのだろうか?
先生達が話しているのを偶然聞いたことがある。
トメコの家は貧乏だから、高校へは行けないかもしれないって。
トメコの成績は中の中。良くもなければ悪くもない。
それに生真面目だから授業をさぼったことなんか一度もない。
だから成績的には何の問題も無い。だけど行けないかもしれないって。
もし高校へ行かなかったらトメコはどうするんだろう?
働くのかな?
5時間目は英語の授業。
トメコは黒板に書かれた教科書の和訳をせっせとノートに書き写してた。
でも時折、壁の方を向いてはしばらく身動きしなくなる。
そして気が付くと授業が進み黒板が消されトメコは慌てるんだ。
トメコには友達がいないから、誰にもノートを見せてもらえない。
だからトメコのノートはどれも中途半端なんだ。
放課後、トメコはいつも一番最初に教室を出る。
一年生のときはテニス部に入ってたけど、今はもう辞めている。
頑固なお父さんに反対されたって噂。
家が貧乏だからラケットやウェアを買うお金がないって。
僕はたまたま見てしまった。
退部届けを出した日、校舎の裏トメコが一人で泣いているの。
どんなに相手にされなくてもめげずに頑張るあのトメコが泣いていた。
後にも先にもトメコの涙を見たのはそのときだけだ。
多分、僕がトメコのことを気にし始めたのもそのときからだと思う。
それ以来トメコはずっと帰宅部だ。
おしゃべりする相手もいない、だからトメコは一番最初に教室を出る。
誰もトメコが教室を出ることに気が付かない。
友達としゃべりながら、僕だけがそっとトメコの背中を見送る。
寂しそうなその背中を見ると、いつもあの日の姿が思い浮かぶんだ。
トメコ…。
その日は午後からひどいどしゃぶりだった。
野球部やサッカー部等、グラウンドの連中は廊下で筋トレをしている。
僕はバスケ部だから体育館で普段通りの練習だった。
放課後は毎日6時頃まで練習している。
だけど僕はその日、居残りで個人練習をすることにした。
春の新人戦レギュラー取りに燃えていたからだ。
気が付くと時計の針は午後7時をまわっていた。
12月なので日はとっくに落ち外は真っ暗。
しかもどしゃぶりの雨が視界をほとんど遮っている。
さすがに嫌な気分がし、僕は練習を切り上げ帰ることにした。
今朝家を出るとき母親に手渡された安物の傘を手にし、僕は生徒玄関を出た。
すると生徒玄関の外に女子が一人立ち尽くしていた。
トメコだった。
どうやら傘を忘れて立ち往生しているらしい。
友達がいないから、誰にも入れてと言えなかったのだ。
走っていこうにもトメコの家は片道3kmある。
この雨の中じゃ間違いなく風邪をひいてしまうだろう。
どうすることもできず、トメコは放課後からずっとこうしていたのだ。
周りには僕以外誰もいない。
やがてトメコが僕の視線に気が付いた。
僕は慌てて視線をトメコから外した。
何か言おうと思ったけど、どうしてか言葉が出ない。
トメコも何も言わない。
僕は傘を持った右手をトメコの方に伸ばした。
トメコはびっくりした顔で首を振り、傘を受け取ろうとしない。
もどかしくなった僕は傘を広げ、強引にトメコの上に押し付けた。
そしてそのままどしゃぶりの雨の中を走り出した。
「待って」
遠い後ろであの変わった声が聞こえた。
でも僕は止まらない。
どしゃぶりの雨の中をビショビショになりながら走ってやった。
だからトメコがその後どうしたのかなんて知らない。
知ってるのは、その後僕が母親にこっぴどく怒られたってことだけだ。
翌日は昨日のどしゃぶりも嘘みたいなすっきりした青空になった。
僕はいつもの友達グループ5人と登校した。
学校の前まで到着すると、校門の所に誰か立っているのが見えた。
トメコだ。その手には昨日の傘が握られている。
しまったと思った。
友達連中に、昨日トメコに傘を貸したなんてことが知れたら恥ずかしいと思った。
やはりトメコは僕達が近づくと、ピクリと肩を震わせた。
でも何故か悲しそうな顔をしている。いつもそんな顔だったかな?
「あのぅ…」
あの甲高い声がいつもよりその高度をさらに増した感じで、トメコの口から漏れた。
友達連中は不思議そうな顔を浮かべる。
どうしてあのトメコが俺達に声を掛けるんだ?と思っているのだろう。
僕も必死で知らん振りした。
トメコは突然おじぎをすると、傘を前に出し言った。
「ご、ごめんなさい。私嬉しくて嬉しくて今朝スキップして歩いていたら
電柱に傘をぶつけてしまってそれで…ごめんなさい」
よく見ると、あの安物の傘はゆるい曲線を描いて折れ曲がっていた。
何言ってんだトメコの奴?誰に話してんの?
友達連中はみんな口々にそんなことを言っている。
そして僕も…
「さぁ、知らねぇ」
その瞬間、トメコの眼が大きく見開いて歪んだ。
僕達はトメコを無視して校門をくぐっていた。
トメコは折れた傘を握り締めたまま、ずっとそこに立ち尽くしていた。
(トメコは待っていたんだ。僕に傘を返す為に)
(あんな安物の傘なんかどうだっていいのに…)
(折っちゃたこと…本当に申し訳なさそうにしてた…)
(ごめんよトメコ)
折れ曲がった傘の痛みが、まるで僕の心の痛みとリンクして
胸の中をグルグルといつまでも渦巻いていたんだ。
第一話「折れた傘」終わり