気まぐれな口調で、助手席の加護亜依がとつぜん呟いた。
「でーとしてあげようか?これから」
私はすぐに、気のない風を装ってうなずいた。内心はやはりどきどきしていた。
と、いうか、あまりにも緊張しすぎて返事が出来なかった。舌がこわばっていた
のだ。
加護亜依はにこりとわらって、私の腕をつかんだ。
「なに、嬉しくないの〜ねぇ?」
やたらとフランクな口調は、私をますます固くさせた。緊張のあまり額のまわりに
吹き出す汗は、意識すればするほど止まらなかった。私は焦っていた。
「なんか…黙ったまんまだし。」
返事をすべきなのはわかっていた。が、口を開けばどもってしまいそうで怖かった。
不満そうな様子もあらわに、加護亜依は私を睨み据えた。黒目がちな瞳がきらきらと
私を見据えているのだ。考えてもみて欲しい。わずか50センチ向こうで、かわいらしく
睨んでいるその瞳を。息遣いさえもはっきりと感じられる距離。そこには香水が
ほのかに香り、そうして堪えきれずに視線をそらせば、目に飛び込んでくるのは
ミニスカートから、大胆にのぞく白い太腿。
「…黙ったまんまだし、なんか目がやらしい…」
加護亜依は次々に言葉を繰り出した。痛いところをつかれた私は尚更、言葉を
かえすことが出来ない。そして視線のやりばもない。
「ヘンなこと考えてる?」
私は辛うじて首を横に振った。加護亜依はしかし、納得しきれていない様子だった。
「ていうか、デート、イヤなら別にいいよ…あっ」
その言葉は短く途切れた。加護亜依は口をぽかんと開けていた。反射的に私は、
あぜんとしているその視線をたどった。それは私の股間にむけられていた。
次の瞬間、私の口もぽかんと開いた。
私の股間はいつのまにか、ズボンの上から見てもそれとわかるくらいに勃起していた。
「うわぁ…」
加護亜依は眉間にシワを寄せて、堪え切れないように嘆息をもらした。もちろん
表情を確かめるまでもなく、彼女は呆れていた。
当たり前だ。勃起していい場面と、してはいけない場面があるとすれば、今は
さしずめ後者の代表格といってよかった。
恥ずかしいとかいうレベルではなかった。顔から火が出るという表現が、ぴったり
くるほど顔が熱い。私はもう、やぶれかぶれだった。
「じ、実はさ、ぼくさぁ」
言い訳がましく喋り出したがすぐに言葉につまった。加護亜依はそんな私を
うさんくさそうに睨んでいる。
ごまかすように息を深く吸い込んだ私は、次の瞬間とんでもないことを口走った。
「ぼく、ボッキマンなんだよね…」
加護亜依は一瞬動きを止めた。
信じられないという表情が、一瞬ぐにゃっと変化して、それから彼女は
…けたたましく笑い出した。
「アハハハ!アハハハハハハハ!」
たっぷり一分間笑った。文字通り身を捩じらせて笑い転げた。
「ボッキマン!ボッキマン!アハハハ!ボッキマンて!?」
私もつられてエヘヘと笑った。それから言った。
「だからさぁ、ボッキしてないと生きていけないんだよねぇ、地球じゃ」
「アハハハハ!ゲホッ!アハハハ!」
「ボッキ星に返されちゃうんだよ、ボッキやめちゃうと」
「ハハハ!そんなのなんだ!ねぇ、最初なんだっけもう一回言って?」
「…ボッキマン?」
「アハハハハハハハハ!ボッキマン!」
しばらくして、目に涙を浮かべた加護亜依がやっと笑いやんだ時、私はぐっと
リラックスした状態だった。何か自分のなかで、変な自信のようなものまで
生まれてきていると、そう感じた。
今なら緊張などせずに普通に喋れる、いやもしかしたらあんなことやこんなことまで
出来るんじゃないかと、自然にそう思えた。
「いやーおもしろかった」と言って加護亜依は車のドアを開けた。
私は驚いた。
「えっ、ドコいくの?」
加護亜依は車を出たところで振りかえった。
「だってさ、ボッキマンなんでしょ?」
私はしかたなく頷いた。加護亜依はいかにも残念そうに眉をしかめて、言った。
「だしちゃったらダメだって言うからさ!」
言葉を切って、最後に子悪魔のような笑顔を浮かべると、加護亜依は去っていった。
ひとり置き去りにされた私は、ため息のあとに呟いた。
「設定、ミスったか…」
フロントガラス越しに見上げた太陽は、とてもまぶしかった。
明日もがんばるぞ、と私はそのとき思った。