その時、部屋の奥から圭が玄関に姿を見せた。彼女の目の前に広がっていた
光景は、明らかに「修羅場」と呼ぶにふさわしいものだった。
「おはよ・・・って何してんの、この二人」
あさ美に尋ねても何かあきらめきった顔で首を横に振るばかり。圭は玄関先で
対峙する二人の顔を交互に見比べてみる。圭織となつみ、二人の目がお互いを
睨み付けている。険悪な空気が漂う朝のひととき。
「朝起きたとき言ったよね?!8時から一緒に商店街方面のパトロール
だって。あと5分しかないのに何で準備してない訳?」
「いいじゃん、あと5分もあるんだよぉ。それだけあれば準備できるもん」
「いつも朝の支度に一番時間かかるの、どこのどなたさんでしたっけ?!」
「うっさいバーカ!なっちに説教する時間あったら、目の下の隈ちゃんと
隠すべさ!だいたいね、裕ちゃんだって辻加護の着替え取りに帰って、また
研究所に行ったに決まってるし」
まるで子供のような二人の口論に辟易した圭がふと玄関先に視線を移すと、
あさ美が何も言わずに靴を履いて家を出ようとしている。その寂しげな後ろ姿に
あさ美の悲壮な思いすら感じ取った圭は、未だ痴話げんかを続けるなつみと圭織
を大声で怒鳴りつけた。
「あんた達いい加減にしてよ!紺野の事も少しは考えなって!!」
この時初めて二人の視線はあさ美の方へと向いた。当のあさ美はというと、
突然注がれる三人分の視線におもわず手を止めてしまう。
「す・・・すいません」
消え入りそうな声でわびるあさ美。心配性な自分の一言で二人がけんかに
なってしまった、そんな思いに駆られてあさ美は一人で裕子を捜しに行こうと
していたのだ。そんなあさ美から事の一部始終を聞いた圭は、優しい微笑と
ともに彼女の頭を軽くなでて言う。
「そっか・・・辛かったんだね。判るよ、その気持ち。それより」
その時、圭の大きな瞳に映ったのは圭織の顔。事実、裕子を捜しに行こう
と言ったのは彼女だった。
「圭織、裕ちゃん捜しに行くよ」
言うが早いか圭はすぐさま玄関を飛び出して外へと出て行った。圭織もその
後に続くべくブーツに足を通す。そして身支度が完全に整ったところで
出がけに一言毒づいてみせる。
「なっちは留守番してて・・・それくらい出来るでしょ?」
しかしその直後、外にいた圭から「圭織も余計なこと言わないの!」と
たしなめられたことを付け加えておこう。
朝の市街地を疾走する二台のバイク。圭織が駆るブルーバージョンと
圭の愛機ジャングラーだ。やがて二人は繁華街へ入り、さらに路地の裏手へと
滑るように入っていく。そこは街のエアポケットとも言うべき場所であり、
このあたりではしばしばひったくりや暴力事件なども発生している。スナック
や居酒屋が軒を連ねる通りの裏手にあたることから、アルコールとたばこと
ゴミの臭いが独特の空気感を漂わせていた。
「この辺でつぶれて寝てる・・・何てことあるわけ無いか」
圭の言うこともあながち無い話ではなさそうだが、通りを一通り流して
みても裕子が酔っぱらって寝ている姿は見つけられなかった。
「圭ちゃんさぁ、直で生化学研究所に向かった方が良くない?」
まずは一番可能性の高いところを当たってみた方がよくないか、と圭織は
言う。二人はそのまま巡視経路を軽く流したところで、生化学研究所へと
向かう。
「そういえば裕ちゃんって、のんちゃんたちの着替え取りに行くって
研究所から家に戻ったって言ってたっけ」
確かになつみは朝そんなことを言っていた、と今頃になって圭織は
思い出した。朝の出来事のせいで、二人ともすっかり忘れていたようだ。
「そう言えばね・・・ってちょっと待ってよ。じゃあなおさら調べもの
ってこと無いじゃん!あたし夕べから見てないもん。絶対何かあったよ!!」
「でも着替え渡してから研究所で調べもの始めて、帰れなくなったのかも
知れないし・・・」
そんな圭織の言葉を、圭は何かに気づいたような表情で否定する。それは
過ちに気づき、何かを後悔しているような表情だった。
「違う。違うよ圭織。あたし達ってバカだった・・・最近みんながそろう
事ってなかなかなかったけど、いつの間にかそれが普通だと思ってた・・・
パトロールとかバイトとか、みんなそれぞれに都合があるって、その言葉で
片づけてた」
「・・・え?」
「でもそうじゃないの。誰か一人欠けても、あたし達の絆は成り立たない。
誰も欠けちゃいけないんだよ。なのに・・・!」
自分はなぜこんな大事なことに、今に至るまで気がつかなかったのか。
戦いに追われる日々の中で、自分たちの仲間が姿を見せないということ、
そんな小さな異変にも関心を払うことも忘れてしまっていたと言うのか。
圭織と圭の胸によぎる不安と焦燥感は、いまや張り裂けんばかりに大きく
なっていた。
生化学研究所へ向かうべく、郊外へ至る道路をひた走る二人。それは
ちょうど橋のたもとまで来たときの事だった。
遙か前方に立つ怪しい影が二人の行く手を阻む。突然の妨害者が放つ
ただならぬ気配に二人は更にスピードを上げて振り切ろうと試みる。場合に
よっては撥ねてでもこれを退けようとしたのだが、相手は素早く空中へと身を
翻し、橋の欄干に着地する。
「これはずいぶんなご挨拶ですね、お二人さん」
すぐさまスピンターンを決めてマシンを停車し、圭織と圭は謎の妨害者と
対峙する。毒々しい極彩色に彩られた羽根を持つ、一見すると蝶か蛾のような
その姿は間違いなく、ゼティマの改造人間だった。
「まさか裕ちゃんがいなくなったのは、お前の仕業?」
目の前の相手に対して、強い敵意の眼差しを向ける二人。それも仕方あるまい。
敵にはすでにそれだけの「前科」があるのだ。
「さぁ。少なくとも私はそのような命令は受けていませんが?」
「しらばっくれたって無駄だからね!」
圭の口から出たのは、帰って来るべくして帰ってきた言葉。敵はさもありなん、
といった風にしてこの言葉に応えた。
「おやおや、とんだ濡れ衣ですよ。まだ私はなんの仕事もしていないと
言うのに」
「仕事?また何か悪さしようとしてるでしょ!」
怪人の不敵な言葉に圭織がやり返す。だが、そんな彼女に対して、敵は怪しげな
笑いとともに言い放った。
「いかにもそのつもりでしたが・・・思いがけず手間が省けましたよ」
「何っ?!どういう意味よ」
そして刺客は自らの名を二人に明かす。彼にとってそれは、死に行く者への
手向けの言葉の変わりなのかも知れない。
「私の名はドクガロイド。飯田圭織、あなたを殺すよう命じられた者だ。
電気を使うもう一人のお友達がいないのは計算違いでしたが、いずれにしても
あなた達の戦力を殺ぐことが出来れば十分です」
そう言うや、ドクガロイドの背中の羽根が怪しく蠢くと、直後大きく開かれた。
そしてそこから、大量の粉末が二人めがけて噴出する。
突然真っ黒な粉末が目の前で飛び散り、二人の視界と呼吸を阻む。それは
ドクガロイドの羽根から放出されていた。
「ゴホッ・・・これはっ」
「息がっ・・・ウッ」
「どうですか?私の毒鱗粉は。これをまともに吸い込めば改造人間とて
無事では済みませんよ・・・ククク」
ドクガロイドの必殺武器「毒鱗粉」。この粉末は皮膚に付着、あるいは
体内に侵入することで相手の体力を奪い、やがて死に至らしめるのだ。
「かっ・・・身体に力が・・入らない」
「当然ですよ。生身の人間ならば数分で全身の筋肉が弛緩し、呼吸すら
出来なくなるんですから」
藻掻く二人を目の前に、邪悪な笑みと共にドクガロイドは言葉を続ける。
「今日は対改造人間用にエネルギー制御を狂わせるナノマシンをスペシャル
ブレンドしています。変身などしようものなら全エネルギーを放出してしまう
でしょう。あなた方の死は時間の問題だ」
なんとドクガロイドは毒鱗粉の致死力をさらに高めるため、対改造人間
用に用意されたナノマシンを混入させていたのだ。毒鱗粉がじわじわと
体力を奪っていく中、朦朧とする意識を奮い立たせ二人は変身の構えをとる。
「変っ・・・うぅっ」
「圭織っ!」
しかし毒鱗粉はすでに変身するだけの体力を奪っていたのか、二人は構え
を保つ事さえ出来ずによろよろと崩れ落ち、その場に倒れ伏してしまった。
と、その時カブトローを駆ってなつみが二人の危機に駆けつけた。
圭織とのけんかの後、得体の知れない不安に駆られて自分も裕子を捜しに
出かけようとした矢先、超感覚で改造人間の存在を察知したのだ。しかし
彼女が駆けつけた時にはすでに二人は毒鱗粉の餌食となり、怪人の足下に
倒れ伏していた。
「圭織!圭ちゃん!!何があったの?」
カブトローから降りるとなつみは二人の側に駆け寄りその身体を抱き
起こす。二人の意識はまだ保たれていたもののすでにその体力はかなり
消耗しており、とても怪人と戦える状態ではなかった。
「・・・なっち気を付けて・・・あいつの羽根から・・毒鱗粉が」
「みんなに知らせて・・・絶対裕ちゃんもこいつが・・・」
とぎれそうな意識を辛うじて保ちながら、震える声で二人はなつみに
告げる。なつみはそんな二人の手を握ると意識を保つように声をかける。
「二人ともしっかりして!」
しかし、なつみの言葉に応えるだけの体力がもうないのか、消耗
しきった二人はそのまま気を失ってしまった。体力と変身能力、両方を
奪う恐るべき毒鱗粉の前に二人は為す術もなく敗れ去ったのだ。
「中澤裕子は確かに我々の仲間が預かっています。まだ無事ですから
その点は安心なさい。だがそれも今後のあなた達次第ですがね」
その時怪人の口から驚くべき言葉が告げられた。夕べから家に帰らない
裕子は、実は敵の手に落ちていたと言うことをこの時彼女は初めて知った
のだ。あさ美の悪い予感は的中していたのだ。あさ美の言葉をきちんと
聞き入れていさえすれば、二人をドクガロイドの攻撃から救うことが
出来たかも知れない。そのことが頭をよぎり、なつみは思わず唇をかむ。
そんな彼女の心を知ってか知らずか、ドクガロイドはさらに無遠慮に
言葉を続ける。
「あなた達に少し時間をあげましょう・・・二日後の正午、奥多摩の
ホテル跡で待っています。必ず来てくださいよ?」
そう言うや、毒々しい彩りの羽根をはためかせドクガロイドは高笑いと
共に悠々と飛び去っていく。なつみはただ悔しさをにじませた瞳でその姿を
追うことしかできなかった。
再び姿を現そうとしているパーフェクトサイボーグZX、それだけに
とどまらず旧来の改造人間よりも強力な敵が少女達の目の前に姿を現した。
与えられた猶予は二日。少女達にとって最大の戦いが訪れようとしていた。
第38話 「決戦前夜・新たな悪の胎動」 終