闇の中、中澤は徐々に強まる邪な波動を感じていた。
結界を成す魔術文字が刻まれた壁が、呼応するように微かに揺れている。
(矢口……早くせな間に合わんで)
胡座をかいた中澤に焦りの色が浮かぶ。
そっと右手を動かしてみる。
この部屋に幽閉された時から何千、何万回と試してきた事をもう一度繰り返す。
体内の魔力を集中させ、己の力のみで結界を打ち破ろうとする。
が、右手には何の変化も起きない。
「……くそっ!」
ガッと握り締めた拳を床に叩きつける。
今の自分の無力さに苛立ちを覚え、中澤はギリッと歯軋りした。
「……誰もいないね……」
そっと壁から顔を覗かせ、なつみが呟く。
「どうなってんだろ?」
真里も首をひねる。
辻と加護を助けた後、一同は二つのチームに分かれて城内に侵入した。
あの場から辻と加護二人だけで帰らせる事は危険との判断から、しかたなく二人も
連れて行く事になった。
だが八人もの人数で潜入しては魔物に見つかる可能性が非常に高くなる。
そこで真里、なつみ、反乱軍兵士一人の計三人のチームと、残り五人のチームに
分かれ(こちらの人数が多いのは、辻と加護を守る兵が必要だった為である)、
別々のルートで儀式の間に通じる謁見の間へ向かう事にしたのだ。
「なっち、もっと魔物がうじゃうじゃしてるのかと思ってたのに」
なつみの言うように、事前の情報では城内のいたる所に魔物の軍が徘徊しており、
隠密行動をとったとしても数回の戦闘は覚悟していたのだが。
「まぁ、実際いっぱい出てこられても困るけどさ」
なつみの呟きに真里も相槌を打つ。
理由はどうあれ、真里にとっては好都合である。
一同の中でも特に真里にはカオリを倒すという重要な役割がある。
仮にこちらに魔物がいない分、市井達の方に魔物が集中していたとしても、そのぶん
真里が儀式の間に早く辿り着ける為、こちらにとってはありがたい。
そして予想通り、真里達は一度も魔物達と会うことなく一足先に謁見の間へ辿り着いた。
扉を開け、謁見の間へ入る。
無人の空間。空席の玉座。
その向こうには儀式の間へ通じる隠し階段のある通路の入り口がある。
「……向こうのチームが気にはなるけど、とにかく先にいくよ」
真里の言葉になつみと兵士がこくりと頷く。
だが、通路へ向かおうとした三人の足がぴたりと止まる。
通路の入り口に、人影があった。
「お待ちしてましたー」
人影がゆらりとこちらに歩き出す。
「もうチャーミー待ちくたびれちゃいましたよー。よっすぃーはどっか行っちゃうし」
「……石川……」
かまえる真里達の数歩前で止まった石川が手を振るう。
何もない空間に闇が生まれ、そこから巨大な鎌が出現する。
それを握り締め軽くポーズをとる石川の口が、ニヤリと禍禍しく歪む。
「さ、それじゃやりましょうか」
ザシュッ!
市井が剣を振るう度に魔物の首が落ち、辺りにどす黒い血が飛び散る。
「ちぃっ!」
次々に沸いてくる魔物達に苛立ち、市井は舌打ちした。
中二階の小ホールを埋め尽くさんばかりに魔物の群れが押し寄せていた。
ここまで順調に進んできた市井達をまるで待ち構えていたかのように出現した魔物達の
猛攻に、兵士二人は無数の傷を負い、市井自身も怪我こそ無いものの、疲労が蓄積されて
きたのか動きが鈍くなってゆく。
(くそっ! このままじゃやばい!)
背後から襲いかかった魔物を横薙ぎに切り捨て、市井は周囲を確認した。
すでに兵の一人は地に伏し、もう一人も辻と加護に魔物が近寄らないよう防戦するのが
精一杯のようだ。
(……しょうがない)
市井は振りかえりざまに周りの数匹の首を刎ねると、走り出した。
「逃げるぞ! 走れっ!」
市井の声に一同は頷き、元来た道を駆け出した。
(っ痛……)
通路を走りながら、辻は顔をしかめた。
ズキズキと波の様に押し寄せる痛みに意識が飛びそうになる。
なつみに直してもらった傷口が開いたのかと手を当てるが、違うようだ。
だが傷口の奥から焼けるような鈍痛が広がる。
「のの、大丈夫?」
横を走る加護が心配そうに顔を覗きこむ。
辻は無言で頷き、青ざめた表情で無理に笑う。
しかし意識は混濁し、夢の中にいるようなふわふわとした感覚が襲う。
(どうしちゃったんだろう、あたし……傷が……うずくよぉ……)
視界が薄れていき、倒れそうになった瞬間、追いついてきた市井の手が辻の肩をつかむ。
「辻!?」
「……え?」
ぼんやりと見返す辻を市井が引っ張る。
「聞いてなかったのか? この部屋に隠れるぞ」
市井の指差す先に扉があった。
辻は無意識に頷くと、市井に続きおぼつかない足取りで部屋に入った。