第12回『カウントダウン』
「今は圭ちゃんに変わってもらってるから、少しだけ出てこられたの」
「え?」
真里を安心させるように微笑む圭織。
しかし、その言葉の意味を理解するほどには、真里は冷静ではいられなかった。
「どういう……?」
真里の戸惑いに、圭織は少し困ったように眉を寄せる。
「私たちはね──」
「こんな時間に、何をしているのかな?」
闇の中に半ば溶け込むような声は、圭織の言葉を遮って光の下に現れた。
圭織はとっさに、真里を背中に庇うようにして、一歩踏み出す。真里はと言うと、いまだに現状へ適応できず、ただただ混乱するばかりだ。
コツコツ、と硬い靴音が匣庭に響き、声の主が月明かりの下に現れる。
「こんなことは初めてだ」
硬質の笑顔を貼り付けたその男は、白衣をまとい、手を後ろで組んでいる。
真里は初めて見る顔だった。
圭織の中の記憶では、この人物は確か……
「私は気がおかしくなりそうなほどに嬉しいよ」
この施設の、そして、この実験の責任者。
圭織達の『敵』──
金属のような冷たい笑顔のまま、
「初めまして、と言うべきなのかは判らないが、私はカガ。一応、教授と、呼ばれている
がね」
男はカガと名乗った。
親しみを微塵も含まれない、しかし、何処か満足そうな笑顔を二人に向ける。
その表情は笑っているのではなく、そういう形の覆面でもつけているような印象を受け
る。
真里は、カガの出すこの世ならざる気配に怯え、圭織の服を掴む。掌に滲んだ汗が染み
込んでいくが、それに気づくほどの余裕もない。
「君達の行動と言うものの意味するところが、私の望んでいる通りのものだとしたら、私は
真実、気が狂ってしまうかもしれない」
何処か楽しげに、誰にともなく、まるで自分以外に誰もいないかのような喋り方。爬虫
類的な獰猛さを感じさせるカガの声は、真里の心臓を弄ぶようだ。
「あんたたちの思い通りにはならない!」
真里を背中に隠すようにしながら、圭織がカガを睨みつける。
しかし、その声は震えていて、鋭さを感じさせない。
「『君』が『誰』なのかはこの際どうでもいいことだが、表層安定率はそう高くないね?
もう、限界なのではないかな? 顔色が悪いよ」
カガの指摘した通り、圭織の顔の白さは、月明かりのせいだけではなかった。
イイダカオリの表層安定率はE判定で、本来、自分の意思で体を動かすことはできない
はずなのだ。辛うじて、それができるようになったのは、数度の実験を経た際の、進歩と
すら言い難い、バグのようなもの。
「矢口、私はそろそろ限界……」
カガを睨みつけたまま、乱れはじめた呼吸を押さえつけて出した声。そんな声で、真里
に伝える。
「こいつらの言いなりになっちゃダメ……そんなの、娘。らしくないから」
振り向いて、微笑む圭織。
その笑顔と目が合う真里。
ここでなければ、こんな状況でなければ、
その笑顔を安心して見られたのに。
笑顔を返すことができたのに。
圭織の表情が抜け落ちる。
同時に、体からも力が抜け、崩れ落ちる。
反射的に、頭が指示を出すより早くその体を支え、
「圭織っ!?」
悲鳴にも似た声で呼びかける。
けれど、圭織はその声には応えず、しかし、代わりに、
「すみません、飯田さんじゃなくて」
乱れた呼吸を整えて、彼女は真里の手から離れて、自身の力で、足で立つ。
その声の持つ雰囲気は、圭織のものに近いように思える。
けれど、もっと柔らかい……いや、いっそ緩いと言ってもいい質を持っている。
麻琴ではない。
なんというか、安定している感じがする。
この感じ、彼女のこの雰囲気は、直感でしかないけれど、
「紺野……?」
真里は何処か確信めいて、呼びかける。
彼女は少し驚いたように振り返って、頷いた。
「なんで、分かったんですか?」
「なんとなく、だけど。そんな感じがしたから……」
上手く答えられないけれど、そうとしか言いようがない。
「表層安定率判定の順から言えば、オガワマコトの方かと思ったが、そうか。コンノアサミが優先して現れるとは……どうやら、意思の疎通ができているようだね」
突然の再会、それに対する感動も感慨も、カガの平坦な声によって断ち切られた。
向き合わせていた顔をカガに向け、表情を引き締める。
カガは、クククと声を出して笑い、
「まったく、思い通りにはならないものだ。だからこそ面白いんだが、ね」
後ろで組んでいた手を解き、右手を二人に向けて伸ばした。
二人はそれを見て息を飲む。
右手ではなく、右手に握られているものを見て、身を強張らせる。
「まあ、出来れば、こんなものは向けたくはなかったんだけどね。この状況は、そうも言
ってられない」
月明かりを反射して凶暴に光る拳銃。
見るのは初めてだったが、とても偽物とは思えない威圧感がある。
「なんで……」
恐怖と不安と、再開の喜びと、いろんな要素が入り混じり、奇妙な色の感情が、真里の
張りすぎた緊張の糸を断ち切った。
感情の暴発。
「なんなの!? あんたたち、いったいなんなのよっ!! うちらが何したっての!? なに、
なんなの?」
「矢口さん……落ち着いてください」
「わかんない、なに、どうなってんのよっ!」
「矢口さん! 落ち着いてください! 私の話を聞いてください!!」
「なんなのよ……」
あさ美の声が届いたのか、吐き出した感情が尽きたのか、真里の声は弱々しく消えてい
く。
「矢口さん。私たちは人格を移植させたんです。安倍さんと飯田さんの体に、それぞれ分
割されて」
「……いしょく?」
「事故に遭ったって聞かされたと思いますけど、そんなの嘘です。私たちは彼の、彼らの
実験に使われているんです」
「じっけん……」
あさ美の言っている意味を、真里は理解できない。理解しようとすら出来なかった。
暴発した感情のせいで、思考そのものが損傷したようだ。あさ美の顔を、ぼんやりと見
つめ返すだけだった。
「複数の人格を移植した場合の、反応を調べるために、私たちを使っていたんです」
「それだけでは、ないがね」
自分の存在を忘れられていることに抗議するように、カガが会話に割って入る。
「さて、そろそろ二人に真実を教えてあげよう」
手品の種明かしをする子供のような口調で、カガは笑う。
二人に向けて微動だにさせなかった拳銃を、下ろす。
その行動に困惑し、とっさに行動できなかったが、その答えはすぐに明らかになった。
カガが拳銃を向けるまでもなく、いつの間にかカガの背後に立っていた二つの人影が、
彼に代わって拳銃を構えていた。
拳銃を構える二人とも、よく知っている人物。
「タナベ先生……」
真里の担当医であるタナベ。青白い光を反射する銃口を、真里に向けている。
そしてもう一人。
「……ムロイ、先生……」
二人の担当カウンセラー、精神科医ムロイが、やはり銃口を向けている。
「なんで……」
「今夜の事を教えてくれたのは彼女でね。忠実な部下を持つ上司は安心できる、というも
のだね」
真里を嘲笑うカガの声はしかし、呆然と。この光景を理解できない真里の耳には届いて
いなかった。
あさ美はムロイを睨みつける。
ただムロイに対してだけでなく、警戒を怠った、肝心なところで役に立てなかった自分
に対しての怒りが、留まることなく溢れてくる。
忠実な部下にして二人を裏切ったムロイは、その表情は、罪悪感や後悔など浮かんでお
らず、それどころか愉悦や嘲笑すらもない。まったくの無表情。
「では、ついてきたまえ」
そういって踵を返すカガ。
促すように道を開ける二人の医師──いや、研究者。
選択肢は用意されていない。
真里達はカガに続いて歩き出すしかない。
二人の研究者が、門番のように、儀仗兵のように真里達を通す。
拳銃を突きつけられ、選択することを奪われ、自分たちの存在意味すらも握られ、それ
はまるで人形のようで、真里は惨めな気持ちになる。
通り過ぎる時、ムロイを睨みつける。
ムロイはそれに応じず、表情を固めたまま目線をそらす。
二人の背後に回って、この場で絶対的強者の象徴たる拳銃を背中に突きつけて、歩き出
した。
死刑台に向かう死刑囚、というよりは、祭壇に運ばれる生贄のように、真里は、すべて
を諦めていた。
カガがエレベーターの前で待っていた。塵ほども感情の込められていない笑顔で。
エレベーターのボタンを押すと、あらかじめ呼び寄せておいたのか、重苦しい機械音を
唸らせて、扉が開いた。
明かりの存在しない廊下に、ほっかりと切り取られたように灯る光。
カガに促されて光の中に乗り込む。
それを確認してから、白衣の三人が入ってくる。
どこへ連れて行かれるのか、不安げにお互いの手を繋ぐ。
そのぬくもりだけが、二人の安心できる唯一のものだった。
それにすがるように、強く握り締める。
カガが懐から鍵を取り出すと、文字盤の下にある鍵穴に差し込む。
点検や整備のためのものだろう、とぼんやりと思い込んでいた二人は、そこから現れた
ものを、一瞬、理解できなかった。
それは単純なものだ。
よく見ているもの。
階層を指定するためのボタン。
それが、薄い金属板の下から現れた。
その反応を楽しむように、カガが二人の顔を覗き込む。
満足したように笑い、隠されていたボタンを押す。
エレベータの扉が閉まると、まるで世界から隔離されたように感じられる。
いや、おそらく。
その感覚は正しい。
ここから先は、外の世界とは違う空気を持っている。
エレベーターが、目的地に到着した事を知らせるように低く唸ると、体内の異物を吐き
出すように扉を開ける。
カガが先導し、真里達がついて歩き出し、ムロイ達がそれに続く。
背後でエレベーターの扉が閉まると、そこはまさに別の世界に来てしまったようだ。
薄暗い照明の廊下を、カガの先導で歩く一行は、冷たい靴音を立てるだけで一言も発す
ることはなかった。
しばらく進むと、カガの足が止まる。
そこには、扉が、あった。
扉の脇にはスリットの入った機械が据え付けられている。
カガはポケットの中からカードを取り出し、そのスリットを通した。
カードを確認したらしく、電子音が、隣にいる人物の鼓動すらも聞こえてきそうな静寂
に響いて、消えていく。
扉が、二人を迎え入れるように、開く。
ゆっくりと、重厚に、荘厳ささえ感じさせるように開いた扉の向こうに、真里とあさ美
が視線を向ける。
そして、その視線は、縛り付けられた。
「おかえり」
カガが不意に呟いた。
しかし、その言葉が耳に届くより先に、二人の思考は完全にフリーズした。
部屋の中には、円筒型の水筒がいくつも設置されていた。
薄緑色の液体の中に、まるで眠るように浮かんでいるそれは、
「ここが、」
最も慣れ親しみ、しかし、目にする機会は少ない、
「君達の、」
円筒の水槽の中に浮かぶ、
「生まれ故郷だ」
自分たちの体だった。
「君達はここで生まれ……いや、作られたんだ」
賛美歌を歌うように澄んだ声で、
世界の終わりを告げる天使のように微笑んで、
二人の世界の終わりを告げた。
川o・-・)「作者の予定では、もう3回くらいで完結するそうですよ」
(〜^◇^)「ホントかよ。そう言ってだらだら続けるんじゃないの?」
川o・-・)「広げた風呂敷を畳むのに失敗してですか?」
(〜^◇^)「まあ、そんなかんじで」
川o・-・)「外伝とか続篇とか」
(〜^◇^)「そうそう。書きたいこと書ききれずに」
川o・-・)「森の中をさまよい続けるイシヨシの話とか?」
;〜^◇^)「そ、それは……」
;0^〜^0);^▽^)「うちら、マジで……!?」
次回『強く儚い者たち』