【T・E・N】 第103話 加護と石川
晩餐会を途中退席した、石川と加護。
ヨロヨロとした足どりで居間を抜け、1階の自分たちの部屋(101号室)
にやっとのことでたどり着く。ほんの数十メートルの距離なのに二人とも一言
も喋らず、それはやけに長い道のりのように感じた。
石川が幼稚園児のような、たどたどしい手つきで靴を脱いで長いベッドに横
たわる。加護が車椅子の姿勢から身体をグッと伸ばして、まるで母親のように
シーツをかける。
「ありがと、あいぼん」
そこでやっと石川が、か細い声で感謝の意を伝える。
加護の低い視線からでは、シーツに半分埋もれた石川の表情を確認すること
はできなかったが、その声から察するに先ほどの食堂での錯乱した状態からは、
ひとまず脱したようだった。
この101号室は簡素ながらも広々とした部屋で、2階の客室が狭くて装飾
に凝っているのと比較すると(どちらもそれぞれに魅力的だが)対称的である。
普段はつんく♂邸のお手伝いさんらが、寝泊まりに使っているらしい。(もっ
と遡ると、ホテルだった頃にはスタッフらの部屋だったという)
ふたつあるセミダブルベッドは二人がこの屋敷に来た時には離されていたが、
加護の要望で部屋の隅にピタッとくっつけた。
屋敷に来てから、毎晩ここで加護と石川は手を繋いで寝ている。
加護も正直、石川の不幸は特別なものだと思っているし、この件にどう触れ
ていいのか戸惑っている。
石川とは長いつき合いになるが、事件以来辻の話はそれほど話題に出すこと
はなかった。当然、加護にとっても思い出すのが辛かったし、石川の気遣いも
痛いほど伝わってきた。
だが本人の告白により、石川は仲間を失ったという想いだけでなく「仲間を
産めなかった」という、特殊かつ強烈な自責の念に囚われていたことを加護は
知ったとき、根拠は無いものの「梨華ちゃんを理解できる人間は私しかいない」
と思った。
加護は今まで様々な石川を見てきた。
表情が豊かな石川は、アイドルだった頃は多くのファンを惹きつけた。
そして事件後は、別の意味で見たこともない彼女を目の当たりにすることに
なる。突然怒りだしたり、脈絡もなく泣きじゃくったり。最初は戸惑ったもの
の、情緒不安定という点は加護もある程度は共感できた。自身も現役時代、極
度のホームシックに陥ったことがあるからだ。
もちろん事件前と後とでは自分たちを取り巻く環境も決定的に違うし、単純
には比べられない。
だが、狂気をはらんだ笑顔も含めて―――加護は石川を護ってやりたいと考
えていたし、頼られたいとも思った。そう思わせる何かが石川にはあった。そ
れは例えば、彼女と一緒にいると元々強い(と自覚している)加護の母性本能
が、くすぐられるから―――というのも一因として考えられる。
ポツリ、ポツリと石川も独り言のように次々と語り始めた。
まるで沈黙にならないように、加護に配慮しているかのようでもある。
「もう・・・大丈夫だから」
「どうしよう、せっかくの同窓会をイヤな雰囲気にさせちゃったなぁ・・・」
「泣いても、あの二人が帰ってくるわけでもないのに・・・」
「あとでみんなに謝りにいかなきゃいけないなぁ」
「ポジティブポジティブ! って言っていたのにね昔から」
「でもね、不思議と楽になった気がする」
どんなに人間が変わっても、あるいは変わろうとしても本質が失われること
はない。
加護がそう感じるのは自分の置かれた状況に関わらず相手を気遣う、こうし
た石川を見た時だった。
モーニング娘。に加入したての頃の彼女を思い出す。
自分とて「いっぱいいっぱい」のクセに、加護の心配をしていろいろ手出し
口出しをする。当時は、そんな不器用な石川を正直加護は「ウザい」と思った。
そんな他人の気を揉む前に自分のことをちゃんとしろよ、と。口喧嘩に発展す
ることすらあった(そしていつも言い負かすのは、年下である加護のほうであっ
た)。
でもそれが石川のパーソナリティであると理解したとき、一人でドタバタ奮
闘している彼女を優しく見守ることが、たまらなく好きになった。
石川はどこか達観したような語り口で駆り立てられるように喋り倒したあと
ふーっ、と大きく深呼吸して一言つけ加える。
「よっすぃーが言っていたじゃん、あのとき(武道館爆破事件)のメンバーに
話すことによってなんか毒が抜けるって・・・うん、ここに来てよかった」
先ほどまで涙でクシャクシャになっていた顔を、加護から手渡されたタオル
で拭ったあとにあらわになった石川の表情は意外なほどスッキリしていた。先
ほどまでの沈痛な面影はみられない。
―――非常に穏やかで慈愛に満ちている。
加護はその石川の表情を見つめて、静かに微笑んだ。
それから一転して何かを決意したように、険しい表情で語り始めた。
「梨華ちゃん、のの・・・・のことなんだけど」
「何?」
「多分、のの生きているよ」
「???」
「あのね、ののも今この屋敷に来てる、と思う」
「あいぼんも見たの? ののを!?」
「・・・」
加護は、うつむいている。
考えている。
顔をあげて、石川に諦観の眼差しを向ける。
「ねえ、教えて! ののは本当に・・・」
「梨華ちゃん、落ち着いて。あのね、誰にも言わないでくれる?」
「言わないって・・・何を」
「ののが生きている証拠・・・・見つけたの」
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