(^¥^)          

このエントリーをはてなブックマークに追加
42名無し33
      『匣庭の天使像』
43名無し33:03/01/07 03:51 ID:4dEoq4/U

 草原だった。
 どこまでも続く、果てしなく続く、地平線まで続く草原だった。
 彼女、矢口真里は過ぎるほど広大な草原に一人、立っていた。
 
 そもそも自分が何故こんなところに立っているかもわからないというのに、もう一つ、
真里を混乱させるものがある。

「えっと……ドア?」
 ドアだけが、青々と茂る草むらの上に立っている。
 ぐるぐるとその周囲を回ってみても、やはり、ドアだけだ。
 木製で、豪奢なつくりではあるが、特別おかしなところはない……ように見える。
 キョロキョロとあたりを見回す。
 このドアの他には、何もない。
 ただ、草原がどこまでも続いているだけだ。
44名無し33:03/01/07 03:52 ID:4dEoq4/U
「入る……しかないのかな……?」
 誰にともなく呟き、ドアノブに手をかける。
 深呼吸を一回。
 好奇心と不安とで高鳴る胸を落ち着かせ、落ち着かせたつもりになって、ノブを捻る。

 ドアの向こう側は、白い部屋だった。
 壁紙やカーテン、調度品、ありとあらゆる物が白い部屋。
 その中央に置かれているベッド。
 その脇に座り込んでいる少女の後姿を見て、真里は思わず叫んでいた。
「辻っ!?」
45名無し33:03/01/07 03:53 ID:4dEoq4/U
「矢口さん……?」
 真里の声に反応し、かすれた声で、少女が振り返る。
 たしかに、間違いなく、モーニング娘。のメンバー、辻希美だった。
 振り返った辻の表情は暗く、腫れたまぶたと充血した目、濡れた頬が、ついさっきまで流していた涙を想起させる。
 ここがどこなのか、という疑問よりも、希美が泣いていることの方が真里の頭の中で優先され、口に出たのは、
「どうした? なにがあったの?」
 妹を気遣う姉のような声だった。
46名無し33:03/01/07 03:55 ID:4dEoq4/U
 部屋に入って希美に近づく。
「なんで泣いてんの?」
 口の中までその言葉を作って、飲み込む。
「なっち!?」
 ベッドで横たわっている。
 安倍なつみ。
 寝かされている。
 白いワンピースを着て、安倍なつみが、ベッドに眠っていた。
 静かに、浅い呼吸で胸を上下させながら。
「なっちが、なんで? 辻、何があったの? どうなってんの!?」
47名無し33:03/01/07 03:55 ID:4dEoq4/U
 ベッドに駆け寄り、辻とは逆側に回り、膝をついて、なつみを覗き込む。
 どういうわけか、眠っていると言う表情すらない、そう感じる。
「なっちは……」
 辻が口を開く。
 しかし、何か、迷いがあるように、唇を結んだ。
「黙ってちゃわかんないよ! 何があったの!? てか、ここどこ!?」
 頭の中で何かが弾けたように、真里の口からは荒い語気が放たれた。
 希美は怯えるように、首を振った。
「気が付いたら、この部屋にいて、なっちが寝てて、さっきまで、あいぼんがいたんだけ
ど……」
 込み上げてくる嗚咽を堪えながら喋る希美の声で、真里は冷静になれた。
「加護が? で、どうしたの?」
「矢口さんと里沙ちゃんがいるはずだから探しに行くって、またそのドアから出て行って
……」
「おマメが……他のみんなは? ここにいるの?」
「わかりません……」
「そう……」
 どうやら加護亜依、新垣里沙もここに、というか、どこかにいるらしいけれど、あの草
原のどこかにいるって言うのなら、探しに行った加護も迷っているのかもしれない……
 分かったことと言えば──
 亜依がこの部屋に来ていたこと。
 亜依は里沙がここにいる事を知っているということ。
 なっちは辻が来た時から眠ったままと言うこと。
 他のみんなの行方はわからないということ。
 そして──
 ドアはもう一つある、ということ。
48名無し33:03/01/07 03:56 ID:4dEoq4/U
 真里が入ってきたドアの反対側の壁に、向かい合うように、同じようなドアがある。
「加護は、オイラが入ってきたドアから出てったの?」
「はい……」
「じゃあ、こっちはまだ探してないってこと?」
「……はい」
 ひょっとしたら、こっちに誰かいるのかもしれない。
 なんの根拠もない、直感とすら言えない、茫洋とした感覚。
 草原とは逆の出口。
 ただ、それだけの、思いつき。
「辻」
「はい……」
「一人でなっちのこと、見てられる?」
 まるで、迷子になった子供みたいな顔。
 そんな表情を一瞬だけ見せて、無理やり引っ込める。
 それはとても笑顔なんて呼べないけれど、希美に出来る精一杯の笑顔で、
「はいっ」
 力強く、頷いた。
 真里は、ベッドの上、なつみをまたぐような形で、希美を抱き寄せる。
49名無し33:03/01/07 03:56 ID:4dEoq4/U
「加護かおマメが来たら、ここから出ないように行っておいて。みんなを見つけて戻ってくるから。いい?」
「はい!」
「いい子。辻も成長したね。嬉しいよ」
「矢口さん……」
 希美の呟きに、湿っぽい感情が含まれているのを感じ、真里は体を離す。
「じゃ、行ってくるから」
「はい……」
「すぐに、戻るから」
「はい……」
 子供を置き去りにするような後ろ暗さを感じながら、真里は扉に向き直る。
 その背中に、
「矢口さん……」
「……何?」
「あの、おみやげ、お願いします」
「分かった。いぃ〜っぱいお菓子持って帰ってくる」
 振り向いて、いつもの──と、自分では思っている──笑顔を希美に向ける真里。
 
 ドアノブに手をかけた。
 ゆっくりと、しかし、はっきりとした意志で、ノブを回す。
50名無し33:03/01/07 03:57 ID:4dEoq4/U
 光が、白い光が、真里の視界を、意識を包み込んでいった──
51名無し33:03/01/07 03:58 ID:4dEoq4/U

 目を明けると、そこは薄暗い部屋だった……
 清潔感はあるが、無機質な天井。それが視界いっぱいに広がっている。
(ここ、どこ……?)
 寝かされている、ということは分かるが、なぜ寝かされているのかは分からない。
 彼女は、周囲を見回そうと首を動かす。
(痛っ!)
 ただそれだけの事で、全身に痛みが走る。
(何? 何なの?)
 全身に広がる鈍痛は、重度の筋肉痛に似ている。
 しかし、もっと重い、そんな感覚がある。
「先生、目を覚ましました」
(誰?)
 不意に聞こえた声に、目だけを動かして、声の主を探す。
 視界の端に、白い服を着た女性が立っていた。
 清潔感のあるその白い服を、おそらくは誰も他の何かと間違えることはないだろう。
52名無し33:03/01/07 03:59 ID:4dEoq4/U

(看護婦……さん?)
 彼女もそれに漏れず、それが看護婦の制服であると言うことを認識する。
 わずかな視界の中に、もう一人、白衣を着た人影が入ってくる。
 男性医師だった。
 おそらく30歳前後、クシすら通していないかのようなボサボサの長髪と無精ヒゲ。およそ医師と言うイメージからはかけ離れた男は、神妙な面持ちで彼女の顔を覗き込む。
「自分の名前を言えますか?」
 彼女の手首をとり、脈を計りながら尋ねる声は、予想以上に優しげで、聞いている彼女に安心感を与える。
「……ぐ、ま……」
 喋ろうとするが、上手く声を出せない。
 まるで初めて、『話すための器官』を使おうとしているような、そんな鈍さを感じる。
「無理しなくていいですよ」
 薄い唇に乗せられた笑顔は、声と同様に優しかった。
 けれど、彼女はその優しさに甘えることはなかった。
 彼女は肺から空気を振り絞る。それはまるで、不自由になった足腰で階段を昇る老人のような作業だ。
「や、ぐち……ま、り」
 彼女は、矢口真里は、自分の名前を言うことだけで、これほど疲れたことは生まれて初めてだ、などと心の中で笑った。
 それだけの余裕が生まれてきたのか、それとも、何か大切な感覚が麻痺しているのか。
 医師と看護婦は、何故か奇妙な表情の顔を見合わせる。
53名無し33:03/01/07 03:59 ID:4dEoq4/U
(オイラ、変なこと言ったかな……?)
 二人の態度に不安を感じたが、医師はすぐに笑顔を作り、
「良かった。もう安心ですね」
 その優しい笑みを見ていると、真里は自分の体の中から、力が抜けていくのを感じた。
(あれ……? なんか、急に、眠く……)
「まだ無理してはいけない。今は、ゆっくり休みなさい」
(……よくわかんないけど、メチャ疲れた……)
 医師の言うままに、必死に保っていた意識の支えを、ゆっくりと外す。
 と、ふと、何かが引っかかった。
(あれ、何か、忘れてるような……なんだっけ……?)
 意識が深く沈んでいく。
 思考が鈍っていく。
 思い出せない……
(なんだっけ……えぇと……おみやげ?)
54名無し33:03/01/07 04:00 ID:4dEoq4/U

「名前は矢口真里。1983年1月20日生まれ、山羊座のA型。モーニング娘。のメンバー」
「よく出来ました」
 まるで幼稚園児を褒めるような口調で、担当医のタナベが言う。
 しかし、それは不快ではなかった。
 暖かさと言うか、心地よさを感じる。
55名無し33:03/01/07 04:01 ID:4dEoq4/U
 目を覚ました真里の体は、昨日の不調が嘘のように軽くなっていた。
 あれからさらに丸一日、眠っていたらしい。
 そう、さらに、だ。
 あの時、真里が自分の名を名乗ったあの時まで、1週間も目を覚まさなかったらしい。
 1週間前、何があったのか、それを告げられた真里は、頭の中身がすべて消えてしまっ
たかのような衝撃を受けた。
「事故……?」
「そう、君たちが乗っていたバスが事故を起こしてね、この病院に収容された」
 タナベの声はあくまで平静で、穏やかで、その内容が事実であると言うことを嫌と言う
ほど思い知らされる。
「君達が、てことは、みんなは? みんなは無事なんですか!?」
「この病院に収容されたのは君だけだ」
「……え?」
 一瞬、世界が暗転した。
56名無し33:03/01/07 04:03 ID:4dEoq4/U
 失いそうになった意識が、かろうじて踏みとどまれたのは、タナベの言葉に続きがあっ
たからだろう。
「いや、安心していいよ。みんな他の病院に運ばれたんだ。ベッドの数の関係でね、一箇
所に収容できなかったんだ。みんな、ケガはしているけれど、命には別状はないそうだ」
「え? あ、ああ、そうですか……良かった……」
「紛らわしい言い方をしてすまないね」
「いえ、良かった……本当に、良かった……」
 額に浮き出た冷たい汗を拭おうとして、真里はそこではじめて気がついた。
 顔に、何かが張り付いている。
 いや、巻きつけてある。
 これは……布? 包帯……?
「ああ、事故のときにね、顔にケガを負ったんだよ。けれど、一生消えないと言うわけじ
ゃない。多少の痕は残るかもしれないけれど、気にならない程度だよ」
「そう、ですか……」
 なんというか、その穏やかな口調と、用意されたようなセリフが、突然、不安を感じさ
せた。
 自分が出した声が、まるで他人のもののように聞こえる。
「さあ、もう休んだ方がいい。体力を取り戻さないと、仕事への復帰が遅れるからね」
「はい……」
 ベッドに寝かされると、途端に眠気が這い上がってくる。
 そんなに疲れていたんだろうか……?
 やっぱり、体力が戻ってないからか……
「先生……みんなとは、いつ会えますか……?」
「まずは、君の体力が快復してからだ。それから、みんなの体調のことも考えて、調整するよ」
「……はい」
 急速に訪れた睡魔が、まぶたを落とす。
 眠い……
57名無し33:03/01/07 04:03 ID:4dEoq4/U

「あれ?」
 間の抜けた自分の声で、真里は目を覚ました。
 何か、夢を見ていたようだったが、思いだせない。
 時計に目をやると、デジタル時計の文字盤は午前4時30分を刺していた。
「まだこんな時間……」
 昼間のうちに深く寝てしまったためか、すっかり目を覚ましてしまった。
 目を閉じても、ちっとも眠れる気がしない。
 ふう、と溜息をついて、
「喉渇いたな……」
 目をあける。
 ベッドを降りて、スリッパを履く。
 立とうとすると、うまく力が入らず、よろける。
 ベッドに手をついて体を支えて、何とか両足に力を込める。
 立てた。
 リハビリって大変そうだな、と思っていたが、その心配もなさそうだ。
 久しぶりに立ち上がったせいか、景色が違って見える。
 目線が高くなったような気になる。
58名無し33:03/01/07 04:05 ID:4dEoq4/U
 壁に手をついて体を支えながら、真里は病室を出た。
 蛍光灯はまだついてはおらず、非常等だけが薄暗く廊下を照らしていた。
(やっぱ、やめようかな……)
 ただでさえ暗い廊下、しかもここは病院の廊下だ。
 テレビで心霊特集なんか組むと、必ず一つは病院が舞台になっている。
 そのことを意識してしまった真里は、
(やっぱやめとこ。朝までガマンしよ……)
 そう思って引き返そうと思った真里の目に、その言葉を思い浮かべるだけでも嫌なもの
が映った、気がした。
 白い、影が、窓に──
「って、オイラが映ってるだけじゃん……」
 出たのかと思った、と、かろうじて“それ”の名前を思い浮かべなかった。
 顔中に包帯が巻かれているおかげで、窓に映りこんだその姿は、ちょっとした恐怖映像
だ。
59名無し33:03/01/07 04:06 ID:4dEoq4/U
 そういえば、病室のガラスは曇りガラスだった。鏡は置かれてないし、テレビや何かを
反射するもの、姿が映りこむものは一切、病室に置かれていなかった。
 それも、あのタナベ医師の心遣いなんだろうか。
 こうやって包帯に巻かれた姿を見ると、嫌でも自分の顔にケガがある事を自覚させられ
る。
(……)
 純粋な好奇心と言うのは、その後訪れる善悪や幸不幸なんてものには、全く無頓着に湧
き上がってくる。
 包帯の端を探し当て、するすると解いていく。
 生唾を飲み込みながら、心臓が何かの警報のように、体の内側をたたいている。
 意外なほど簡単に、包帯は滑り落ちた。
 その下から出てきた顔には、
「な……なにこれ……」
 傷なんて一つもなかった。
「どう言うこと……?」
 震える声は、まるで別人の声のように……いや、それは真実、別人の声。
「なんで……なんで、オイラがなっちになってるのっ!?」
 ガラスの前の真里と同じ表情で、ガラスに映りこんだなつみが、悲鳴をあげた。