第10回『雨ふらし』
朝から続く検査が一段落し、もうすぐカウンセリングの為にムロイが来る頃だろう。
指の先でボタンをもてあそび、あさ美は溜息をついた。
自分の入院着と同じボタンを手に入れ、この施設のどこかになつみがいるであろうこと
は想像できるのだが、確信に至るだけの証拠がない。
それに、それを探そうにも、行動を怪しまれては、いったい何のために圭織を演じてい
るのか……
圭織から聞かされた話が真実ならば(間違いなく真実だろうが)、のんびりしているひ
まはないと言うのに、何もできていない自分が歯がゆい。
苛立ち、奥歯をかみ締める。
──トントン、とドアをノックする音。
「あ、はい」
ボタンをポケットに隠しつつ、あさ美はその音に応えた。
「失礼します」
そう言って入ってきたのは、予想通り(というか時間通り)精神科医・ムロイだった。
相変わらずの笑顔……とは言いがたい。
(あれ?)
どこがとは答えられないが、どこか浮かない顔をしていると言うか、いつもの笑顔に陰
がかかっている。いるように思う。
「どうかな、調子は……って、いつも聞いてるね」
などと軽口で近づいてくる。
それに薄く笑って答える。
「ええ、良いです」
いつも通りの会話。
ムロイに感じた違和感は、気のせいだったかもしれない。
だいたい、出会って間もない間柄で、多少の変化に気づくと言うのも、不自然な話だろ
う。
きっと気のせいだろう。
なつみ探しが進展しないせいで、気が滅入っているのは自分の方だ。それが相手の表情
を通して見えたんだろう。きっと。
あさ美はそう思うことにして、小さく溜息をつく。
今日もいつも通りのカウンセリングが始まる。
カウンセリングとは名ばかりの、データ収集が。
今のところは付き合って置かないといけない。
なつみを見つけるまでは。
ぼんやりと、しかし、しっかりと圭織としての演技をしつつ、ムロイの相手をしている
うちに、カウンセリングは終了した。
いつも通り。
いつも通り、終了するはずだったが……
「じゃあ今日は、これで終わり」
ムロイがそう言ってあさ美の手を握ってくる。
不自然だ。
違和感がある。
あさ美は圭織の手でそれに応えるが、その違和感に戸惑っていた。
「がんばってね」
「え?」
そう言い残して、ムロイはあさ美に背を向ける。
残されたのは激励の言葉と、手の中の紙片。
いったい何を意味するのか……
「じゃあ、私たちは……」
自分のいる場所、置かれている状況、そして自分たち自身のことを教えられた麻琴は、
目が眩む思いがした。
視界が歪み、頬を濡れる。
しかし、麻琴は自分が泣いていることにすら気づかないほど、強烈な衝撃で頭を混乱さ
せていた。
「まこっちゃん……」
そんな麻琴の肩に手を置いて、慰める言葉を探すが、上手くまとまらない。なんと声を
かければ良いのか分からない。
そんな二人を見て、小さく溜息をついた圭は、
「泣いてる場合じゃないでしょ」
冷たく乾いた声で、麻琴に言い放つ。
愛は弾かれたように顔を振り上げ、圭を睨みつける。
「ほんな言い方しなくてもっ!」
射抜くような視線を平然と受けつつ、圭はさらに冷めた声を投げつけた。
「いい? 私たちは、自分が望んだ生き方をしたくて娘。に入ったんでしょ? こんなの
は、こんな状況は望んだ生き方じゃない。だったら、今、私たちがすることは、泣くこと
なんかじゃないはずよ」
そこまで言われて、愛が気づく。
保田圭というサブリーダーは、こんな状況に置かれていようとも、自分の役割を果たそ
うとしている。
そんな姿に打たれたのか、麻琴が顔を上げた。
泣き顔のまま、それでも、顔を上げて圭を見つめ返した。
それに満足したように、圭が微笑む。
瞬間、扉が開いた。
まるでそのタイミングを見計らったかのように。
『外』への扉が、派手な音を立てて開いた。
「あ、あさ美ちゃん!?」
「紺野……どうした?」
息を切らせて飛び込んできたあさ美の後ろで、扉が閉じる。
それを合図に、息を整え、
「安倍さんから、あ、いや、おマメから連絡がありました!」
「ど、どういうことっ!?」
圭は語気も荒く、あさ美に問う。
連絡があったことに驚いていると言うわけではない。いや、もちろんそれにも驚いてい
るのだが、それ以上に、どうやって連絡を取ったのか、そしてそれ以前に、どうして連絡
を取ろうと思ったのか?
つまり、以前のことを覚えているということだろうか。
圭織以外にも、『記憶の処理』を免れていたメンバーがいた……
「えと、ムロイさんがメモを届けてくれたんです」
「ムロイ?」
その名前を聞いて、圭の混乱していた思考が、わずかでも平静を取り戻す。
ムロイといえば、精神に関するデータを取っているはず。
であるならば、あさ美の演技に最も気づきやすい立場にある。
「何か企んでるってことは……?」
何かの実験の一環。
そう考えるのが自然ではないか?
「けど、たしかにおマメの字でしたし、こんなことをして、特別に得られるデータがある
とも思えません」
あさ美の言葉に、顎をつまんで考え込む圭。
たしかに、あさ美の演技に気づいたと言うのなら、わざわざそんな手の込んだことをす
る必要はないように思える。
娘。達が何かに気づいたと言うことを知れば、全員の記憶を処理してもう一度はじめか
ら実験をやり直せば言いだけの話だ。
だったら、これは。
けれど、確信を得ることができない。
情報が少なすぎる。
「で、そのメモにはなんて書いてあったの?」
思考を練っている圭の邪魔にならないように小声で、愛が聞いた。
けれど、その声は圭の耳にも届き、あさ美の顔を見つめ、言葉を待っている。
「『今夜0時、天使像の前』って書いてあった」
圭が見ていることに気づかなかったのか、同輩に語る口調で、あさ美は答えた。
時間感覚のないこの部屋では、0時までにどれだけの時間があるか分からない。
だったら──
「虎穴に入らずんば、ってヤツね」
意を決した圭が言うと、
「そうですね。行くしかないと思います」
あさ美が頷く。
「じゃあ」と口に出そうとしたところで、それはかき消された。
「あさ美ちゃん!?」
頷いたそのままの姿勢で、あさ美が前のめりに倒れこんだ。
麻琴と愛が、肩を抱き、体を起こすが、目を開ける様子はない。
それどころか、規則正しく胸を上下させている。
「寝、てる……?」
「疲れたんでしょ。休ませてあげよ」
落ち着いているように見えて、まだ子供なのだから、一瞬でも隙を見せられないような
状況では、神経をすり減らしても当然だろう。
しかし、このままでは。
「どうするんですか? 今夜0時って……」
愛の不安そうな声に、圭は考え込んだ。麻琴はどうしていいのか分からず、二人の顔を
交互に見ている。
「小川」
「は、はいっ」
愛に向けようとした顔を、慌てて圭に向ける。
「あんた、あのドアが開けられるか試してみて」
圭の言った意味を理解するのに、たっぷり10秒ほどかかって、
「そ、そんなっ! 私には無理です!」
「私にも高橋にも開けられなかった。あとは、あんたしかいないんだよ」
「で、でも……」
やっと止まった涙が、再び滲んできた。
そんなことが自分にできるはずがない。
意味や理由があるわけじゃない。
直感や予感なんて感覚でもない。
漠然とした不安と、それが引き連れてくる恐怖が、麻琴の心を萎縮させる。
圭から視線を外し、俯く。
「このチャンスを逃したら、次はないかもしれない。だから──」
麻琴に歩み寄り、震える肩を掴む。
「あんたがやるしかないんだ」
力強い言葉。
責めているわけではない、その言葉に含まれているのは、信頼。
それを感じ取り、麻琴は濡れた頬のまま顔を上げた。
「でも、ドアが開かなかったら?」
「そん時はそん時よ」
泣き顔の麻琴に、笑顔でウィンクを投げる圭。
ただでさえ濡れていた袖口に、さらに水分を含ませると、(かなり無理矢理だけど)笑
顔を返す。
「がんばってね」
麻琴の手を握り締めて、愛が少し心配そうに、けれど笑顔で応援する。
同期の応援に、元気を取り戻しつつある笑顔で頷き、立ち上がる。
『外』への扉の前に立ち、ノブをゆっくりと、少し、ほんの少し躊躇いがちに回す。
(回っちゃった……)
思うのも束の間、麻琴を青い光が包み込んだ。
まるで波打つように広がるそれは、懐かしいような新しいような、不思議な感情を呼び
覚ます。
そして──
∬;´◇`;)「うわぁぁぁぁぁぁぁん」
( `.∀´)「どうした? 小川」
∬´◇`)「どうも作者は私の泣き顔が好きらしいので、泣いてみました」
(;`.∀´)「そ、そう。良かったわね」
∬´◇`)「思ったより放置されなくて嬉しいです」
川;’ー’川(その分私が……)
(;0^〜^)(;^▽^)(……)
次回『星に願いを』