第8回『ポロメリア』
(ここも違う……)
病棟内を歩き回っていたあさ美が、頭の中で呟いた。
目を覚ましてから数日間、午前中は検査に潰され、病棟内を歩き回れるのは午後からだ
けだった。
窓から傾いた太陽の光が差し込む。
どうもここはおかしいことになっている。
どれだけ歩いても、病棟の外への出入り口がない。あるのは中庭に出るものだけだ。
中庭は四方を病棟に囲まれている。であるのに、どれだけ歩いても中庭を囲む病棟の2
面、L字型の部分だけしか歩くことができない。
あちら側に行くにはどうすれば良いんだろう?
こちらの病棟には、なつみどころか、他の患者が一人もいない……
(飯田さんの言った通りだ……)
だが、圭織に言われたのはこの状況までで、安倍さんがいるところがどこなのかとか、
この病棟の構造自体は分からないようだった。
だから、あさ美には病棟内を歩き回ることくらいしかできなかった。
何度目かの行き止まりに着いて、ふう、とため息をつくと、背後から声がかかる。
「どうしました?」
振り向くと、そこにはあさ美が目覚めた時、病室にいた看護士がいた。
不審な目を、あさ美に向けている。
「あ、えと、中庭に出ようと思ったんですけど、道に迷っちゃって」
と、照れ笑いを浮かべながら、言った。
自分にしてはうまく演じられた、と思う。
看護士は、ふ、と笑い、
「こちらですよ」
と言って歩き出した。
あさ美はそれに続く。
言ってしまった以上、結構です、とも言いづらい。
どうせなら、中庭のことを調べておこう。
先を行く看護士の背中を見つつ、そんな考えを巡らせていた。
中庭の出入り口で看護士と別れ、あさ美はそれまで作っていた柔和な笑みを消した。
我ながら役者になったものだ、と思う。
それを生かす機会は、おそらく永遠に訪れないことを少し、寂しく思いながら、あさ美
は夕日に照らされた中庭の歩道を歩いた。
まだ一度しか来た事はないけれど、手入れの行き届いた、不自然な緑に包まれている。
しかし、自然であろうと人の手によるものであろうと、緑は良い、とあさ美は思う。
ちょっとした森林浴気分だ。
中庭の空気を、肺いっぱい、体いっぱいに吸い込む。
圭織から頼まれていた、なつみ捜しの緊張が、少しほぐれた気がする。
思えば、目を覚まして以来、気を張りっぱなしだった。
少しだけ気分が良くなったあさ美は、中庭の調査などではなく、単純に散歩がしたくな
った。
石造りの歩道を歩きながら、くるくると辺りを見回す。
病棟の窓から見た通り、中庭の四方は白い壁の病棟に囲まれているため、夕日を反射し
て、まるで赤い光を閉じ込めたような、幻想的な光景が広がっていた。
(この石造りの歩道、病棟の窓からは見えなかったなぁ)
石の堅い踏み心地が、気分を弾ませる。そういうことも計算されているんだろうか?
そういえば、中庭から見る病棟の方も、壁は見えるけれど、窓は見えづらい。
何か、胸騒ぎのようなものが、あさ美の胸をよぎる。
緊張を忘れて散歩していたつもりが、結局、中庭の観察をしている。良くも悪くも真面
目な彼女らしい、といえばそれまでだが。
まるで隠されているような、計算され尽くした中庭の配置。
そんな暗い予感が、あさ美の思考を支配する。
やがて、水音が耳に届く。
中庭の中央にある噴水。それの音。
「わぁ……」
それは、あさ美の思考を中断させるのに、充分すぎる光景。
夕日に照らされ、白い肌の天使像が、赤く染まっていた。
まるで、もとからそうであったように、赤い天使が、そこに立っていた。
きらきらと光る水も、夕日の赤を掬い上げ、天使を称えている。
あさ美は幻想的な中庭の光景の中でも、とびっきりのファンタジーに、しばし、考える
ことを忘れて、感動していた。
導かれるように、誘われるように、天使像に近づいた。
噴水脇のベンチに腰を下ろす。
(ん?)
あさ美の感動は、ベンチに下ろしたお尻の違和感によって遮られた。
立ち上がり、ベンチを確認すると、そこにあった物を手に取った。
「飯田さん」
とっさに、手にしたそれを握った手の中に隠し、弾かれたように声の主に顔を向けた。
そこに立っていたのは、クサナギだった。
彼の着ている白衣まで、赤く染まっているのには、感動を通り越えて笑えてしまう。
「そろそろ、病室に戻る時間ですよ」
優しい声で、クサナギは促す。
「はい」
できるだけ感情を含めずに、答えた。
あさ美が自分の前まで歩いてくるのを待って、クサナギは歩き出した。
2、3歩先を行くクサナギの背中に向かって、あさ美は、
「あの、聞いてもいいですか?」
「なんです?」
立ち止まり、回れ右をしてあさ美に向き直ったクサナギが、不思議そうな表情を浮かべ
る。
「あの、他に患者さんはいないんですか?」
「ああ、そのことですか」
当然のような顔をして、クサナギが答える。
「ここは特別病棟なんです。政治家や、大企業の幹部、それから、騒がれたくない芸能人
の方の為の病棟なんですが、今はあなただけしかいないので、他の患者さんに会わないの
は当然です」
「そうなんですか、他に誰も……」
その言葉を、あさ美は頭の中でよく吟味する必要があった。
「さ、そろそろ、冷えてきますから。病室に戻りましょう」
「あ、はい」
クサナギに促され、あさ美は歩みを進める。
しかし、頭の中は彼の言葉の意味を考えるのでいっぱいだった。
自分の他には、患者はいない。
では、あさ美の手に握られている、これはなんなのだろう。
それは、彼女自身よく見るものだった。
クサナギに見えないように、そっと手を開く。
それは、ひとつのボタン。
あさ美が着ている、病院から与えられた簡素な入院着のボタンと、同じ物だった──
( ^▽^)「今回は紺野が大活躍だね」
(0^〜^)「今回はうちらの出番なしだね」
( ^▽^)「なんか、探偵物っぽくってわくわくしない?」
(0^〜^)「なんか、最終回まで森でさまよってそうでハラハラしない?」
(;^▽^)「もう! なんでそうやってチャチャいれるの!?」
(;0^〜^)「放置されてるのに、なんでそうやってはしゃいでいられるの?」
∬´◇`)(二人の放置され方なんて、まだまだだよね)
(;・e・)(私なんて、名前だけしか出てない……)
次回『焼け野が原』