第7回 『晴れすぎた空』
朝の日差しが、天使像の白い肌を輝かせ、真里は目を細める。
まるで本物の天使のように、それは光を反射していた。
噴水脇に設置されたベンチに腰を下ろし、光る天使を見つめる。
どこからか小鳥のさえずりが流れてくる。
都会の喧騒の中では決して味わえなかった安らぎと穏やかさが、呼吸するたびに肺に染
み渡り、体に溶け込んでいく。それを実感できる。
それを思えば、ここでの生活も、そう悪くない。
かさり、と草を踏む音で、真里は思考を中断させた。
音のしたほうへ顔を向けると、
「ムロイ先生……」
愛嬌のある笑顔で、ムロイがそこに立っていた。
「なぁ〜んだ、驚かそうと思ったのに、見つかっちゃった。鋭いね、真里ちゃん」
子供みたいな、いたずらっぽい笑みを唇に乗せ、ムロイはベンチに座った。
ここ数日、二人はずいぶんと親しくなっていた。
カウンセリング以外でも顔を合わせ、他愛もない話をするうち、ムロイは真里のことを
名前で(ちゃん付けで)呼ぶようになった。
「先生、ひとつ、聞いていいですか?」
「なに?」
「オイラ、ここに来てまだ他の患者さんにあったことないんですけど……」
「ああ、そのこと」
天使像にまぶしげな目を向けながら、ムロイは笑う。
「ここはね、特別病棟なのよ」
「特別、病棟?」
鸚鵡返しに真里が呟くと、ムロイは頷き、
「あなたのような有名人が、他の患者さんと一緒だと、いろいろと、ね、騒がれるでしょ
う? だから、一般の患者さんとは違う病棟にしてあるの。今は他に特別な患者さんがい
ないから、この病棟はあなたの貸切ね」
できそこないのウィンクをしながら、ムロイが微笑む。
見る人間を落ち着かせるような、安心感を与える笑顔だ。
そういえば、
(そういえば、なっちの笑顔もこんな感じだったかなぁ)
なつみの、この体の本来の持ち主のことを思い、真里の表情が翳る。
体から力が抜け、俯く。
「どうした?」
その表情に気づいたムロイが、気遣わしげに、真里に囁く。
「先生……」
「ん?」
「オイラ……退院できるのかな?」
空気が、止まる感覚がした。
ムロイの顔から、それまであった優しげな笑みも、気遣わしげな笑顔も抜け落ちた。
そこには、暗い影が寄生していた。
責め苦を負う罪人の顔。俯く真里に、その表情は見えていない。
ムロイの手が真里の肩に伸びる。しかし、置かれる寸前、何かに怯えるように引っ込め
られ、拳を作ってひざの上に置かれた。きつく結ばれた拳は、痛々しい。
それから決意したように顔を引き締め、深刻さを感じさせないように気をつけながら、
「正直に言えば、難しいでしょうね。あなたの場合、矢口さんとしても、安倍さんとして
も、今まで通りの日常生活を送ることは……」
それが、いつか、告げられるであろうことは、分かっていた。
けれど、実際にそれを聞いた、今の衝撃は、想像していた以上。
工事現場で使われる掘削機を直接脳に突っ込まれたような、重い上に激しい振動が、頭
蓋骨の内側に響いている。
それでも、
それでも真里は薄く笑う。
余裕があったわけじゃあない。
押しつぶされた感情が、出口を探している。それが、笑みという形で漏れ出しただけ。
「そうですよね。どっちの家に帰ったらいいのか分からないし」
冗談とも、本気とも取れないように、でもできるだけ冗談にして、空気を解きほぐそう
と、笑い混じりに真里は言う。しかしその笑いは、ずいぶんと湿度が高かったが。
湿っぽい冗談を聞いたムロイは、悲しげに眉を寄せる。
罪状を読み上げられる被告人。
彼女は間違いなく、罪を負っている。
しかも、真里に対して、深い罪悪感を感じている。
そして、それでも、罪を犯しつづけねばならない苦悩に、心を傷つけている。
「やっぱり、オイラはいない方がいいのかな。そうすれば、なっちは自分の家に帰れるし
……あ、でも、おマメもいるから、そう簡単じゃないか」
はは、と乾いた音が、真里の口から漏れた。それは声にすらなっていない。
ムロイの拳が、解けた。
ゆっくりと持ち上げられ、真里の肩を、力強く、掴む。
はっと、顔を挙げる真里。
その目には、強い意志の光を宿した、ムロイの顔が映った。
「それは、自殺するってことと同じだよ」
ムロイの鋭い意志が、真里の目から入って視神経を通り、脳髄を射抜いた頃には、ムロ
イは次の言葉を紡いでいた。
「あなたはね、安倍さんが救われたいと思って生み出された存在なの。だから、あなたは
あなた自身を救わないといけないわ! だって、それが安倍さんが救われるってことだも
の」
ムロイの目に浮かんだ光は、天使像がそうするように、朝の日差しを反射してキラキラ
していた。
真里はそれをぼんやりと見て、我知らず囁いた。
「オイラが、オイラを救う……?」
ムロイはわざとらしいほど大きく頷く。
「そうよ! そのために、そうなるための答えを探しましょう! どうすればあなたが、
安倍さんが救われるのか、考えましょう!」
力強いその声は、贖罪を求めているようにも聞こえる。
しかし、脳内をムロイの意志が駆け巡っている真里には、その響きに気づくことなく、
ただ、感情だけが加速されてゆく。
心臓がつかまれたように苦しい。
呼吸が、乱れる。
表情が、崩れていく。
瞳から、涙が、零れ落ちた。
頬を濡らす涙が、どこか心地よく感じられ、真里はそれを拭おうともせず、泣いた。
何かが、弾けたように、泣き続けた。
ようやく泣き止んだ真里の肩を抱いて、ムロイは病室まで付き添った。
真里の部屋は当然個室で、高級そうなベッドが部屋の中央に置かれている。
そのベッドの端に座り、真里は薄く笑う。ムロイはそれに笑顔を返す。
そんな言葉のないやり取りだけでも、真里の心は安らぐ。
しかし、ふっとムロイの表情が変わった。
なんともいえない奇妙な表情で、真里の胸の辺りを、じぃっと見ているのだ。
その視線を追って、自分の胸を見る。
「真里ちゃん、ボタン取れてるよ」
「ほんとだ……」
たしかに、入院着のボタンがひとつ、なくなっていた。外れているのかと思って触って
みたが、どうやら本当に取れているらしい。
「いつの間に取れたんだろ?」
病院から借りているものなので、少し、罪悪感が沸く。
「あとでウエハラさんに言っとくわ。新しいボタンを持ってきてくれるでしょ。うちの病
院のやつだから、替えはいくらでもあるから」
(替えのボタンだけ持ってこられても、オイラ、お裁縫苦手なんだけど……)
なんていう心の独白を聞き取ったように、
「ああ、大丈夫よ。ウエハラさん、裁縫得意だから」
ムロイは笑って言う。
真里としては、
「あ、そうですか」
なんて照れ笑いするしかなかった。
この時の真里は、自分が消えるかもしれないという事、周囲から拒絶されるかもしれな
いという事、そんないろんな事を考えなかった。考えられなかった。
たぶん、こんな生活もありだ。
おそらく待っているであろう、外での生活に比べれば。
(●´ー`)「なんか、前回の謎のシーンが一切、生かされてないね」
(〜^◇^)「うん、オイラの社会復帰への第一歩、て感じだよね」
(;●´ー`)「え? でも、体はなっちでしょ?」
(;〜^◇^)「でも、心はオイラだよ?」
(;●´ー`)「演じてるのはなっちだべ?」
(;〜^◇^)「なっちはオイラを演じてるんだから、オイラの社会復帰じゃん」
∬;´◇`;)(私もどっちが主役かなんて事を言い争ってみたい……)
川;o・-・)(まこっちゃん……このコーナーには結構出てる……)
次回『ポロメリア』