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129名無し33 ◆TU/JllqeAU

      第3回 『荊』
130名無し33 ◆TU/JllqeAU :03/01/29 03:22 ID:dn6qsiPA

 屋上での一件から、すでに3日が経っているそうだ。
 病室に戻った真里は、タナベからそう説明を受けている。
 事態は真里の理解どころか、想像の範疇さえも大きく逸脱してしまっている。
 自分の体がなつみであることは理解できる。それは動かしようのない事実。
 けれど、真里は自分の事を矢口真里だとしか認識していない。出来ていない。
 他の何者でもない、『モーニング娘。』の矢口真里だ。
 そして、もう一人、というのが正確なのかはわからないが、真里以外にもなつみの体で
ありながら、別の名前の持主がいるらしい。
 屋上で意識を失った瞬間から、新垣里沙を名乗っていた。
 全くもって意味不明な状況だ。理解不能な展開だ。
 なつみの体、真里と里沙の意識、そして──

(なんだっけ? 大切な事を忘れてるような……?)
 何かが引っかかるけれど、それが何かはっきりと思い出せない。
 忘れている何かを思い出そうとして、顔をしかめていると、病室の扉がノックされた。
131名無し33 ◆TU/JllqeAU :03/01/29 03:24 ID:dn6qsiPA

「あ、はいっ」
 反射的に返事をすると、思い出そうとしていたことはとりあえず頭の奥の方に引っ込め
る。
「失礼しまーす」
 扉を開けて入ってきたのは、30代後半くらいの、清潔感のある白衣を着た女医。決し
て美人とは言えないが、愛嬌があり、好感の持てる顔立ちだ。
 その後ろからタナベが入ってくる。
 何事か、と真里がぽかん、と口を開けていると、

「精神科医のムロイです。今日からあなたの担当になりました」
「精神科医……?」
「ええ、あなたの治療に……」
「オイラをなっちに戻すためですか……」
 どこか諦めにも聞こえる、絶望の混じった声色で、呟く。
 なつみに戻る、ということは、つまり、『矢口真里』は消えてなくなるわけだ。
 それを、『死』とは呼べないだろうか……?
 自分が死ぬ事を進んでやるだなんてことは、正気の沙汰とは思えない。
 思いつめた表情の真里に、

「そうしなければ、日常生活に支障が出る場合もある。この間のように、突然意識を失っ
て、気がつけば別の場所にいる、なんてことが起こる可能性もある」
 タナベが、気を使っているつもりなのか、そんなことを言うが、まるっきりなんの慰め
にもなっていない。

「だから……」
「勘違いしないで」
 タナベの言葉を遮って、ムロイが口を開く。
 唇には、優しい笑みを乗せながら。
132名無し33 ◆TU/JllqeAU :03/01/29 03:26 ID:dn6qsiPA

「勘違い?」
「そう、あなたは勘違いしてる。私はね、安倍なつみさんの治療をしに来たんじゃない。
あなたを治療しに来たのよ、矢口真里さん」
「え?」
「あなたの心を治療することが、私の仕事」
 ぐらついていた自分と言うものが、ようやくどこか落ち着ける場所にたどり着いたよう
な、そんな安心感と安定感が、その声には確かに、あった。
 自分と言うものを、矢口真里という人格を、認められた。
 安倍なつみが生み出したのかもしれないが、矢口真里という人格を、一人の人間として
初めて、認められた。
 涙が、頬を、伝う。
 それは衝撃ではなく、抱擁。
 包み込まれるような、感動。
 生まれて初めて憶えるような感動が、真里を思考を包み込み、停滞させた。
 ベッドのすぐ隣で、タナベとムロイが言葉を交わしているような気配があるが、そんな
こと、意識できない。
 真里は、ただ、泣く事でしか感情を表現することが出来なかった。
 
133名無し33 ◆TU/JllqeAU :03/01/29 03:27 ID:dn6qsiPA

 ムロイが担当医になってから、5日経っていた。
 相変わらず、真里は真里のままで、いくつかの心理テストを受けたり、カウンセリング
を受けていた。
 はっきり言ってしまえば、これを受けることによって、何が治療されていくのか分から
なかったが、安倍なつみではなく、矢口真里を治療すると言うムロイの言葉を信じて、訳
のわからない図形を見たり、箱庭遊びみたいなことをしたり、意味不明な質問をされたり
して、いつの間にか時間が過ぎていた、という感じだ。
 その間、外の情報を手に入れることが出来なかったのは、真里を不安にさせた。
 治療の邪魔になるから、ということで、テレビや新聞、週刊誌やラジオなどを一切禁じ
られていた。というより、病室はもちろん、病棟のどこにも置かれていなかったので、禁
じるどころの話ではなく、そこまで徹底されると、もう、諦めるしかない。
134名無し33 ◆TU/JllqeAU :03/01/29 03:28 ID:dn6qsiPA

 外の情報はタナベやムロイ達の口から伝えられるものしかなく、どれほどまでが信じら
れるのか分からない。
 プロデューサーのつんく♂やマネージャー、事務所の社員にスタッフ、そしてハロプロ
のメンバーは、どうしているだろうか……
 それに、
(お父さんとお母さん、心配してるだろうなぁ……)
 そう考えて、顔をゆがめる。
 苦痛に耐えるように、うずくまる。
 両親に心配をかけていることへの罪悪感ではなく、
(誰の親に心配かけてるんだろ……)
 思い浮かべた親の顔は、矢口真里の両親。
 しかし、この体は安倍なつみのものではないか。
 そう思い至ると、真里は自虐的に笑った。
 なつみの頬を、涙に濡らして──
135名無し33 ◆TU/JllqeAU :03/01/29 03:28 ID:dn6qsiPA


136名無し33 ◆TU/JllqeAU :03/01/29 03:30 ID:dn6qsiPA

 コツコツコツ、と、硬い音が廊下に響いている。
 書類を抱いたムロイが、薄暗い廊下を歩いている。
 その表情は、夜よりも暗く、まるで罪に耐えかねる罪人のようだった。
 キィキィ、と金属がこすれあう音が、ムロイの耳を刺激する。
 音の正体を悟り、不快感をあらわにする。
 視線の先には、車椅子に乗った白衣の青年が、唇を嘲るような形に歪ませていた。

「ドクター・フクヤマ……」
137名無し33 ◆TU/JllqeAU :03/01/29 03:32 ID:dn6qsiPA

 ムロイの呟きは、彼に対する心象を表すに十分な響きを持っていた。
 軽蔑、というのが一番近いのだろう。
 真里に対するものを考えると、信じられないくらいに、乾く、冷めた声だった。
 しかし、フクヤマはそれを全く意に介さず、ムロイに近づいた。

「どうですか、彼女らは?」
「順調、ということになりますね、あなた方からすれば」
 ムロイのその答えに、フクヤマは、ふふ、と笑い、
「まるで他人事のようですね」

 舌打ちしそうになるのを堪えるので必死、というムロイの表情を可笑しそうに見て、彼
女に向かって手を差し出す。掌は上に向けられている。
 ムロイは何も言わずに、胸に抱えていた書類を差し出した。
138名無し33 ◆TU/JllqeAU :03/01/29 03:35 ID:dn6qsiPA

 それを開いたフクヤマが、満足そうに頷きながら、微笑んだ。

「ニイガキリサが予想以上に早く、表層に出てますね……やはりヤグチマリで安定してい
ますか」
「辻さんと加護さんは深層から出てこないのも、安倍さんが目覚めないのも、全て予想通
り、ですか」
 ムロイの言葉に、フクヤマの唇が、歪んだ。
 いや、満足げだった笑みが、人を嘲る形に戻った、というべきか。

「安倍さん、ね」
「何か?」
「いえ。まあ、予定通り、ですね。これからも、よろしくお願いしますよ」
 不快極まりない、という表情で差し出された書類を受け取ったムロイは、返事もせずに
フクヤマの脇を通り抜ける。

「あ、そうそう、もう一方の彼女らの方は、どうなってます?」
 今、思い出した、というよりは、わざわざこのタイミングを見計らったような言いよう
は、ムロイの神経を逆なでする。
 それでも、ムロイはきわめて事務的に、応える。

「いまだに、目覚める様子はありません」
「そうですか……そろそろ、目覚める頃合でしょうから、気をつけておいて下さいね」

 キィキィと車輪の回る音が、静寂を侵食する。
 その音が、まるで彼の存在の一部であるように、ムロイは耳に残るその音を、消し去って
しまいたかった。
 しかしそれは、決してはがれることなく、彼女の頭蓋骨の裏に張り付いて、不快感を加
速させた。
139名無し33 ◆TU/JllqeAU :03/01/29 03:36 ID:dn6qsiPA

安 倍「ムロイは室井滋さんだって」
矢 口「心療内科医・涼子のイメージね」
安 倍「フクヤマは福山雅治さんなんだって」
矢 口「古畑任三郎に犯人役で出てたときのイメージだって」
安 倍「そのうち中居君とかも出てくるんじゃない? 白い影ん時の」
紺 野「あれは見てないから出さない、だそうです」
安&矢「そんな理由かよ……」
矢 口「……え? 紺野?」

      次回『雲路の果て』