あぼーん

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138 ◆PNXYnQrG2o

「新垣もなの?新垣も、死んでたっていうの……?」

保田さんがふらりと立ち上がった。睨むようにドアの人物を見据える。
その視線を受けてもたじろがない安倍さん。

(これは嘘なんかじゃないんだ。里沙も、里沙も……!)

私は呆気に取られている皆を背に駆け出した。
自分の部屋の反対側の隣。加護ちゃんの部屋は思いの外近くにあった。
開けられたドアの向こうから泣き声が漏れ聞こえてくる。
私は恐る恐る中を覗き込んだ。

(里沙!)

朝日が明るさを増したその光景に、里沙はいた。
二つに結った髪が蛇のように床を這っている。
うつ伏せに倒れた里沙の周囲には中澤さんと市井さん。
後藤さんは目を伏せ壁際に立ち尽くしていた。
この部屋一杯に鳴り響く泣き声の主は辻ちゃんだった。
辻ちゃんは石川さんにしがみ付いて泣き喚いている。
どこかパニック状態で必死に辻ちゃんを抱きしめる石川さん。
ドア付近のその二人を通り過ぎて、私は奥へと進んだ。
里沙はベッド近くの床に倒れていた。
足元に里沙の頭部があるのがなんか不思議で仕方が無かった。
崩れるようにその場にしゃがみ込んで、里沙の頬を撫でてみる。
血の気の引いた顔は苦しげな表情を作ったままで、ぴくりとも動きはしない。
139 ◆PNXYnQrG2o :03/01/04 00:02 ID:XoKGSdFy

「里沙」
 
呼びかけにも反応はなかった。
見ると、うつ伏せになった顔の周りの絨毯に大きな染みができていた。
影の部分だが、一段と濃いのですぐ分かる。
伸ばした手の周りにも染みは広がっていた。これは一体?

「それ、血じゃないから」

染みに手を伸ばしかけた私に、市井さんが声を掛ける。
その声に私は思わず顔を上げた。
市井さんは手にレシートくらいの大きさの紙を持っていた。
中澤さんがそれを難しい顔で覗き込んでいる。

「じゃあ、この染みは?」

私も市井さんの手元に視線をやりながら、問い掛けた。

「水か、何かの液体っぽい感じだね。ところで高橋、この字誰のか分かる?」
「え?」

渡された紙に目を通す。水に滲んだ小さな字だったが、どうにか読めた。
独特のこの字には見覚えがあった。里沙の字だ。
癖のある字体はそう易々と真似できるものではない。
140 ◆PNXYnQrG2o :03/01/04 00:04 ID:XoKGSdFy

「これは、里沙の字、です……」

私は意味もわからずにそう答え、紙を返した。
市井さんも中澤さんも私の返事に何故かやっぱりそうか、という顔をする。

「あの、それは一体?」

たまらず、二人に問い掛けた。市井さんが目を伏せて、言いにくそうに口を開く。

「私達が来た時、そこに新垣の手があったの。それで、この紙握ってたんだ」
「紙を取ろうとして手を退けたんやけど、水でふやけて途中で破れててな。今のが後ろの部分や」

中澤さんの声は震えていた。
里沙が握っていた紙に、里沙の字。
それってどういうこと?書かれていた文面は何だった?
考えようとするのに、頭が機能することを拒む。

(二人は死んだ。入れ違いで死んでた)

ぐるぐるとその事実だけが電光掲示板のごとく頭を駆け巡る。
どうしようもなくただ固くなってしまった里沙を眺めていると、

「さっき、保田さんの声がした。あいぼんも、あいぼんも死んだって……」

泣き声交じりに辻ちゃんが叫んだ。
守るようにして石川さんが強く辻ちゃんを抱きしめる。
誰も辻ちゃんの叫びに何も言おうとはしない。
その泣き声の中、私は俯いて唇を噛み締めていた。
141 ◆PNXYnQrG2o :03/01/04 00:05 ID:XoKGSdFy

「何だよ、これ……」

矢口さんの声がドアの方から聞こえた。
そちらに目をやると、向こうに居たメンバーもドア越しに里沙を見ていた。
固まるメンバーをよそに、矢口さんだけは里沙の死を確認しようとこちらへ歩いてくる。

「矢口!」

覚束ない足取りに中澤さんが手を差し出した。
ちょうど私の隣の、里沙の体がよく見える所で矢口さんは中澤さんの手をしかと掴んだ。

「どうなってんの?おかしいよ。こんなの、おかしいって」

派手なネイルが施された矢口さんの手が、ぶるぶる震えている。
辛そうな表情でただその手を握り返す中澤さん。

「ねえ、裕ちゃん。救急車でも警察でも呼ぼう?うちらじゃ、こんなのどうしようもないよ」
「それはできひん」
「なんで!」
「忘れたんか?ここには一切の連絡手段がないんやで。何のためにここに来たと思ってんねん」
「そんなの言ってる場合じゃ……!」
「じゃあ一体どうするつもりや、矢口。歩いてこの山道下って、警察呼びに行くんか?」
「それは……」
「落ち着いて考えれば分かるやろ。今日の夜に来る迎えを待つしかないんや」
142 ◆PNXYnQrG2o :03/01/04 00:06 ID:XoKGSdFy
矢口さんはそれきり言い返せなかった。
痛々しげな表情で答える中澤さん。
きっと心中は矢口さんと同じなのだと思う。

「待つしか……、待つしかできないの?」

ドアに居た飯田さんがぼそりと呟いた。
誰に向けてでもない問いかけに中澤さんが答える。

「うちら、こんな仕事してるんやで。人が死んだからそれ辞めますなんて、無理や」
「やっぱ、待つしかないんだね……」

朝日が照らす飯田さんの表情はどうしようもなく暗かった。
これからこのまま夜まで待つなんて、考えただけでも辛い。
それでも私達には中澤さんの言う通り、待つだけしかできないのだろう。
死んだのは、「モーニング娘。」の加護亜依と新垣里沙なのだから。
麻琴とこの二人と……。モーニング娘。から三人も死んだんだ。

(何、考えているんだろ)

里沙や麻琴や加護ちゃんが死んだってことは、メンバーが減るってだけじゃないのに。
もう二度と喋ったり、歌ったり、踊ったりできないのに。
バカみたいだ。
私が死んだって、みんなそう思うのか。

(モーニング娘。がまた減ったみたいだって、そう思うのかな)
(昨日のニュースで伝えられたのが、私の死だとしてもさして変わらないんだろうな)

この狭い部屋にずらりと揃えられた私達が何故か、とても悲しく思えた。