―― 四章 覚醒 ――
湿った石畳の通路に腐臭がただよっている。
左右に並んだ牢の中で、朽ち果てた死体が腐乱して悪臭を放っているのだ。
帝国王城の地下牢。
その殆どが死体の放置所となっている。
そんな中を一人の僧衣を纏った少女が歩いている。
帝国の僧兵団長をも務める、司教紺野あさ美。
彼女の手には、今やたった一人となった囚人の為の食事の乗った盆があった。
本来このような雑務をするような身分ではないが、邪気の満ちたこの空間は常人には
歩く事すら困難であり、また紺野自身がこの役目を買って出たのだった。
(それにしても……)
歩きながら紺野は顔をしかめる。
(このどす黒い邪気。日に日に濃くなっている……。宰相の儀式の影響が、帝国中に
広まっているのね……)
やがて通路が終わり、扉に突き当たる。
この先に、日に一回紺野が足を運ぶ理由がある。
紺野は盆を床に置くと、重々しい扉をゆっくりと開いた。
そこはやや広めの正方形の部屋だ。
四方を囲む石壁にはあらゆる術を施した封印の魔術文字が刻み込まれている。
床には体の自由を奪う束縛の魔方陣。
その中央に、瞑想するかのように目を閉じ胡座をかいた女性が居る。
「……中澤さん。生きてますか?」
「……死にそうな程腹はへっとるけど、な」
紺野の言葉に女性――中澤が目を閉じたまま口を開く。
ここ数日毎日繰り返されている会話に、紺野は安堵の笑みを漏らした。
「食事を持って来ました。質素な物で申し訳ないんですが」
紺野が盆を中澤の前に置く。
だがいつもなら飢えた動物の様にすぐに食事に向かう中澤が、今日はピクリとも動かない。
「……中澤さん?」
紺野がしゃがみ込み、心配そうに覗きこむと、中澤の双眸が薄く開く。
「矢口が……」
中澤の口から漏れた言葉に、紺野が反応する。
「矢口の気が……弾けおった」
「……死んだ……って、事ですか……?」
呆然とする紺野を見て、中澤は首を振る。
「わからん。この忌々しい封印の所為で力が使えへんからな。だけど……感じたんや。
矢口の気が、西の方角で散ったのを、な」
「西……西の都? 矢口さんが、あそこに……?」
俯く紺野に、中澤は顔をゆがめた。
「……こうなるんは解ってたわ。あの子の性格からして、必ず大陸に戻ってくることは、な。
折角あんたが助けてくれたんも、無駄になってもうたかもな」
紺野は軽く唇をかみ、あの日の事を思い出していた。
王城で騒ぎがあったあの日、紺野は城壁の外で倒れていた真里を発見した。
何が起こったのかはすぐに察しがついた。
前前から地下牢の中澤と交流があった紺野は、中澤からこれから帝国に起こるであろう
事を知らされていた。
急いで真里を茂みに隠すと、中澤に報告しに行った。
そして、中澤の助言通り真里を南の海岸へ運ぶと、小船に乗せて海に流した。
上手く潮流に乗れば、船は南の孤島につくはずだった。
そして実際真里は南の孤島に辿り着いたのだが……。
「ったく、おとなしくみっちゃんの元で暮らしとけばええのに……」
解ってはいても、つい中澤の口から苛ついた言葉が漏れる。
「でも、なんで矢口さん西の都なんかに行ったんでしょう? 宰相を止める為に大陸に
戻ってくるなら、直接この帝国に来る方が近道なのに……」
「さあ。なんや事情でもあったんやろ。それより……」
「解ってます。矢口さんの生死を確かめて来てくれ、ですね?」
紺野が頷くと、中澤はニッと笑った。
「ああ。すまんけど頼まれてくれるか?」
「はい!」
紺野は立ち上がり、部屋を出ようとした。
その時、不意に闇から声が響いた。
「その必要はないね」
ハッとして二人が扉の方を向くと、そこには吉澤と石川の姿があった。
「必要はないって、どういうことや!」
中澤が吼えると、吉澤は肩をすくめ微笑した。
「これから私達二人も西の都に行って、魔人の力を覚醒させた新垣と共に生き残りの
人間達を皆殺しにしてくるからさ」