Another story 「許されざる者」
中央線市ヶ谷駅のある、新宿区本村町。ここに、日本の国土防衛を担う
防衛庁の本庁、市ヶ谷駐屯地がある。先頃改修された庁舎は高度な情報収集
分析能力などを持つ、陸・海・空三幕自衛隊の中枢として相応しい施設である。
その市ヶ谷駐屯地を、一人の男が訪れた。正門に佇む、細い目の中年男性。
彼は庁舎の建物や鉄塔を見上げながら、誰かを待っていた。しばらくして、
彼の姿を認めたオリーブ色の制服を着た一人の若い自衛官が、警衛所から彼
の元へと駆けてきた。
「五木博士ですね?堀内1佐から話は伺ってます。こちらへ」
五木と呼ばれたその男性と相対したその若い自衛官は、気を利かせて彼の
荷物を運ぼうと手をさしのべたが、五木はやんわりとそれを断るとその若い
自衛官と二人で歩き始めた。昼食時、敷地内を行き交う自衛官や事務官、
防衛庁職員達の流れとは反対方向の場所へ向かっていく二人。やがて庁舎の
裏手にやってきた彼らは、地下へ続く通路を降りていく。それは地下へと
続く緩やかなスロープだが、この通路を使用する者は少ない。また、この
施設に近づく者も少なかった。なぜなら、ここは隊員の中でもごく限られた
関係者だけが立ち入ることが許されている区画だからである。
やがて、二人は鉄の扉で密閉された部屋の入り口に立っていた。五木は
自衛官に笑顔で会釈すると、何事かを察したかのように若い自衛官は五木の
前から去っていく。どうやら、彼にはここに立ち入る権限は与えられて
いないようだ。若い自衛官の姿を見送った五木は周囲を見回し、誰もいない
のを確認したところでまずは入り口そばにある機械の前に立つ。その間、
彼は瞬きひとつせずその細い目で視線をそらすことなく機械と向き合っている。
これは入室のための第一関門、眼球の光彩による本人確認である。そして、
これが終わると次に彼は電子錠のコンソールパネルに右手の人差し指を
触れさせる。それは彼の指紋を検出し、本人であるかどうかを照会するため
だった。照会の結果本人であることが確認されたところで、今度はコンソール
パネルが開き、電子錠のキーが現れた。ここに決められた暗証番号を入力する
ことでようやく扉が開くのだ。なれた手つきで暗証番号を入力する五木。
入力が終わると、電子音がキーの解除を告げる。
「いつもの事とはいえ、自衛隊ってのは面倒な手続きを踏ませるもんだな」
そう言ってフッ、と笑みを浮かべる五木。ゆっくりと横にスライドしながら
開いた扉の向こうにいたのは、制服姿も厳めしく浅黒い肌をしたひげの男
だった。
「まぁそう言わんでくださいよ。我々も仕事なんですから」
「聞こえてたのか。それよりだ、こうして僕を呼びつけるからには大事な
用件なんだろうな、堀内君」
そう言って、五木はその男〜堀内1佐と顔を見合わせて笑う。二人は高校
時代の先輩、後輩の間柄だった。
「統合幕僚監部Z対策本部第三研究班長」、それが堀内の肩書きだった。
Zのアルファベットが意味するもの、それは紛れもなくあの悪名高き秘密結社
”Zetima”〜ゼティマである。ゼティマの世界征服の陰謀はまだ一般に
知られてはいなかったものの、稲葉貴子のような警察組織の人間には既に
知られるところであり、また日本でも公安警察や自衛隊の上層部は既にその
存在を確認しており被公然組織を編成して調査が始まっていた。Z対策本部、
略称「Z対」はそんな組織の一つである。この組織の存在を知るものは、
防衛庁でもごくわずかな人間のみであった。そして彼の管轄する第三研究班
はその中でも最高度にしてある種異端とも言える研究を行っている部署であり、
同じZ対の人間ですらその活動内容を知らないという部署である。
「例のプロジェクトに相応しい人間がいたんですよ、この駐屯地にね。
身体機能に精神力、どれをとっても彼女以外に相応しい者はいませんよ」
そう言って堀内は「身体歴」と呼ばれるファイルを取り出した。この
身体歴というのは、簡単に言えば自衛官個人の身体データや運動能力などの
データを記録する書類を綴ったものである。五木はその表紙に貼り付けられた
写真に、思わず目を見張った。
「これは君・・・僕の昔の教え子の前田君じゃないか」
「そうです。2等陸尉、前田有紀。私は彼女を『被験体』に推したいと
思ってるんです。見てください、このデータ」
そう言って堀内が指し示すのは、前田有紀という女性の運動能力テストの
結果を示す書類である。本来彼女は駐屯地の会計課につとめていて、日常の
勤務の大半はデスクワークが主である。だが、彼女の運動能力は図抜けて
いた。同じ駐屯地の婦人自衛官の中でもダントツの成績だったのだ。
同時に示された婦人自衛官の平均的な成績を示す書類を見比べながら、
五木は各項目それぞれを婦人自衛官の平均と比較する。すると、彼女の成績
はどれも平均を大きく上回っており、男子隊員と比較しても遜色ない
どころか勝っている状態だ。なるほど堀内が彼女を推すのも頷ける話である。
だが、彼女はかつての教え子である。「プロジェクト」の内容を考えると、
とても賛成できる話ではなかった。
「堀内君・・・他に候補者をあたってくれないだろうか・・・僕には無理
だ。いや、何も前田君だからと言うわけではない。たとえそれが君だったと
しても、僕は引き受けなかったろう。あの研究は正気の沙汰じゃない。自分
の後輩を巻き込むことなど、僕には・・・」
そう言って、五木はうつむいたまま黙り込んでしまった。そんな彼に対して
堀内は言う。
「気持ちはわかります。ですが、これは彼女の意志なんです。最初は私も
止めましたよ。けど前田君の意志は固かった」
「堀内君・・・君は僕に教え子の身体を切り刻めと言うのか?!彼女を
人ならざる者、許されざる命に変えてもいいと言うのか?僕には出来ない!」
堀内の襟元に掴みかかり、強い口調で訴える五木。その目にはうっすらと
涙さえ浮かんでいる。五木とは長いつきあいだが、堀内はこんな彼の姿を
見たことはなかった。しかし、五木はゆっくりと襟を掴んだ両手を離すと、
堀内に詫びる。
「すまん堀内君。だが、これが僕の偽らざる気持ちだ。せめて他の誰かを、
強い意志をもつ健康な肉体の持ち主をあたってくれないか?」
「・・・明日、前田君が大学を尋ねると言ってます。彼女に会って直接
その決意を聞いてみてください。なぜ私が止められなかったか、あなたなら
判ってくれる」
堀内のそんな言葉を聞き、黙って荷物をまとめて部屋を立ち去る五木。堀内
もまた、そんな彼を黙って見送ることしかできなかった。
翌日、城南大学。昼下がりのキャンパスをオリーブ色の制服姿もりりしい
一人の婦人自衛官が訪れた。その佇まいは一種異様であり、すれ違う誰もが
振り返る。しかしそんな視線も意に介さず、彼女は一人目的地である「五木
研究室」を目指す。
「高校の時以来かしら・・・元気かな、五木先生」
恩師との再会に思いを馳せ、その婦人自衛官〜前田有紀は講堂の中へと
入っていく。教えられた401号室が「五木研究室」だった。階段を小走りに
駆け上がる有紀。彼女は、前日の五木と堀内の遣り取りを当然知るはずはなく、
自分の申し出を五木が拒否したなど知るよしもなかった。
やがて、有紀は「401号室」というプレートのかかった部屋の前に
たどり着いた。恩師との再会に緊張を隠しきれない有紀は深呼吸すると、
神妙な面持ちでドアをノックした。
「どうぞ、開いてますよ」
ドア越しに聞こえた懐かしい恩師の声。有紀はゆっくりとドアを開けると、
部屋の中に入った。その気配を察し、五木は座っていた椅子から立ち上がると
彼女の方に向き直る。
「先生、お久しぶりです」
笑顔で挨拶する有紀。しかし、五木の表情は硬く、そして曇っている。
開口一番彼はこう言った。
「前田君。悪いんだが今の僕には君との再会を喜ぶ気にはなれないよ。
しかし何だって君は・・・」
恩師である五木が反対することは、有紀には判っていた。だが、有紀には
どうしてもプロジェクトの被験体を志願する理由があった。
「先生が反対することは判ってました、私。でも、私にだってそれなりの
理由があるんです」
真剣な表情で五木を見つめる有紀。その強い眼差しに、五木の心が揺らぐ。
彼は最初、有紀がなんと言おうとも被験体になることを止めるつもりでいた。
だが、彼の中で「話くらいは」という気持ちが芽生え始めていた。とりあえず
理由くらいは聞いてやろう、説得はそれからで良い。それはかつて五木が高校
で教師をしていた頃からの教え子への接し方だった。
「いいだろう。前田君、話を聞かせてくれ」
そして有紀は五木に、自分が被験体を志願する理由を語った。
話は彼女が高校を卒業してすぐの頃に遡る。既に卒業後、地元の企業に就職
するつもりでいた有紀は、初めての面接で内定を得る事が出来た。地元でも
知られた中堅企業の面接の際、彼女の誠実な人柄が担当者に好感触を与えた
結果だった。
来春からの採用内定に心を躍らせながら、有紀は家路を急いだ。ところが
その道すがら、彼女は見てはならない光景を目にしてしまったのだ。それは
後に彼女が敵と見なす事となる悪の秘密結社、ゼティマの作戦行動であった。
世界的な物理学の権威と言われるある科学者とその家族を拉致しようとする
その現場に、有紀は出くわしてしまったのだ。恐ろしくなった有紀はすぐさま
逃げるようにその場を後にしたが、不幸にして彼女の姿はゼティマの戦闘員に
目撃されていたのだ。
その次の日、彼女を悲劇が襲った。登校日を終えて学校から帰宅すると、
家の中がめちゃくちゃに荒らされているではないか。そしてリビングで彼女
が見たものは、血の海の中に横たわる家族の亡骸であった。ゼティマが
証拠隠滅を計るべく彼女の家に侵入し、家族を皆殺しにしたのだ。その後、
警察の懸命の捜査にも関わらず犯人の特定には至らなかった。しかし、有紀は
現場である言葉を耳にしていた。
『お前の頭脳を我らがゼティマのために生かして貰おうか』
これは、科学者の拉致を指揮した異形の者〜ゼティマの改造人間が科学者に
対して言った言葉である。敵の名は−ゼティマ−、その事だけが彼女の心に
深く刻まれた。
やがて彼女はこの秘密結社と戦うために自衛隊に入隊することになる。
警察官になった方が早道だと最初は思ったのだが、遅々として進まない捜査に
いらだちを憶え、被害者として警察組織の能力に限界を感じてしまったからだ。
日本にあって唯一の武力集団である自衛隊なら、来るべき戦いの時、その舞台
において復讐を果たすことも出来ると考えたのだ。
だが、自衛隊に入隊してからも彼女は組織の限界を思い知らされること
になる。読者諸兄もご存じの通り、自衛隊という組織の存在意義は微妙な土台
の上に成り立っている。その根元は「違憲か合憲か」という論争が常に
繰り広げられている、憲法解釈の問題である。海外に国連軍の一員として派遣
が決まれば、隊員の護身のために銃は何挺までならいいとか、機関銃二挺は
憲法違反だの些末な政治論争の間で揺れ動き、派遣される隊員の生命の安全に
ついては全く保証されない。また、たとえ近隣で災害のために生命の危機に
晒される人々がいても、自衛隊が率先して行動することは許されない。あくま
でも県市町村の要請の元行動しなくてはならないのである。仮に気骨ある
指揮官が訓練の名目で出動し「たまたまその現場に遭遇して」これらの人々
の生命を助けたところで世論は彼らを認めたりはしない。むしろ「戦争への
第一歩」などと非難されるのがオチである。
政治や思想の狭間で窮屈な思いをしているこの組織に、果たしてどうやって
国民の安全を守ることが出来るのだろうか。ましてや現実に今、無辜の市民を
一方的に殺戮するような組織が国内で暗躍しているのである。そんな思いを
抱えた有紀が、かつて教官であった堀内に自身の心情を吐露した時に聞かされ
たのが「Z対」だった。
Z対の存在を知った有紀は止める堀内の言葉も聞かず、第三研究班で秘密裏
に行われている研究の被験体として志願した。
その研究〜プロジェクトと呼ばれるものの実態、それは「改造人間の開発」
だった。かつて加護博士に師事した五木博士の指揮の下、極秘で回収された
ゼティマ戦闘員の残骸と五木の手元に残された資料を元に開発は進み、ついに
Z対第三研究班による初の人造人間の理論が完成する。
五木自身、実は妻と子供をゼティマによって殺害されていた。加護博士の
残した研究資料の供出を拒んだ彼に対し、ゼティマは残忍な凶行で報いたのだ。
その日を境に五木は復讐を心に誓い、改造人間理論の完成に心血を注いだ。
そしてZ対設立の中心人物となった堀内と再会し、そこで彼独自の理論を完成
させた。それは従来からの改造人間技術である、人工の強化筋肉・器官による
改造とは異なり、遺伝子レベルでの肉体改造を可能にするというものであった。
そして後は堀内の提案によって被験体志願者を募り、試験型改造人間を実際
に作るだけと言う段階になったが、五木が有紀の名前を聞かされたのはその時
だった。
しかし五木は当初、研究の全てを後進の研究者達に託して自ら改造人間と
なるつもりでいた。復讐に生きる「許されざる者」は自分一人でいい、そう
考えていたからだ。しかし、堀内の言葉通り彼の決意は揺らぎつつあった。
「判った、前田君。だが、君は後悔しないのか?改造手術を受けた君は、
人であることを捨てなければならないんだぞ」
「判ってます。でも、私にはこれしかないんです。私だって迷いました。
だって私の両親の命を奪い、先生の家族の命を奪った悪の技術ですもの。
でも同じ悪の力を持つ者しか、悪と戦うことは出来ないんです」
有紀の言葉に遂に観念した五木は黙って頷くと、彼女と二人で講堂を出て、
五木の家へと向かう。そこはゼティマはもちろんのこと、堀内にすら知られて
いない彼だけの研究施設だった。
海辺に佇む白い家。その地下に、五木の研究の結晶である改造手術施設が
ある。そこは加護生化学研究所の「ライフステージ」に匹敵する手術機器が
ならぶ、個人で作ったとはとても思えないような施設だった。
「まさか君をここに連れてこようとは思わなかったよ、前田君」
そう言って五木は有紀の肩を叩き、ひとつ息をつく。彼の心にはまだ、
自分の教え子を改造人間にする事に対する抵抗感があった。だが、それを口に
したところでもう後には引けない。傍らでおもむろに制服の上着を脱ぎ始めた
有紀に五木は黙って青色の検査服を渡すと、別室で着替えるよう促した。
それからしばらくして、検査服に身を包んだ有紀は手術台の上にいた。既に
麻酔によってその意識はなく、目を閉じたまま彼女は深い眠りの中にいた。
手術台に横たわる彼女の頭上には、五木の改造人間理論の中核となる「遺伝子
操作システム」を構成する機器が配置されていた。ただ、全身の遺伝子を完全
に変化させることは有紀の生命に関わるため、従来の人工器官の導入も併せて
行うことにした。
五木は検査服に手を掛け、執刀する部位を切り開けていく。当然その下から
は有紀の白い肌が露わになるのだが、彼は出来るだけそれを見ないようにして
頭上の手術機器を執刀部位に下ろしていく。男としての気恥ずかしさ以上に、
彼女の女性としての幸せを奪っていくような、そんな罪悪感があったからだ。
ゼティマの悪事さえ目撃していなければ、彼女の求める幸せを追うことも
出来ただろう。しかし運命はそれを許さなかった。まさか教え子の柔肌に
メスを走らせ、修羅の道に落とすことになろうとは。鋭利な煌めきが白い肌
に触れ、紅い雫が肌を濡らした時、一瞬五木は手術の続行をためらった。
今ならまだ間に合う。そう思った彼が有紀の身体を覆う手術機器をどかそう
としたその時、うわごとのようにつぶやく声を聞いた。
「おとうさん・・・おかあさん・・・仇はかならず・・・」
その声を聞いたとき、五木は決意した。有紀の意志を受け止め、その望み
を叶えよう。教え子の女の幸せを奪う罪を負って、共に修羅の道を行こう。
その瞬間、彼もまた「許されざる者」であることを受け入れたのだ。それは
敵に対する復讐にのみ己の命を燃やす者の生き様であった。
ためらいも迷いも、今の彼からは消え失せていた。あるのは怒りと憎しみ
だけ。ゼティマに対する怨念をメスに託し、彼は休むことなく有紀の改造手術
に没頭した。手術は終始彼一人によって行われ、最新の設備を整えた施設に
あって結果的に深夜まで及び、宵闇が辺りを覆う頃手術は完了した。
手術を終えた有紀の身体を生命維持装置へと移し終えると、血の付いた手袋
を脱ぎ捨てた五木は大きく息をつく。装置の中で眠る有紀の表情は穏やかで、
彼女が人ならざる者へと変わったことを一見して見抜く者はいないと思われる
ほどだった。そのことに安堵を覚えつつ、書斎に戻り机に突っ伏した五木は
ゆっくりと目を閉じる。そして二人はそのまま次の晩まで目を覚ますことは
なかった。
再び辺りを夜の闇が包む頃、書斎を吹き抜ける一陣の風に促されるように
五木は目を覚ました。見回すと、テラスへと通じる窓が大きく開け放たれて
いるではないか。
「窓を開けた覚えはないんだが・・・」
怪訝な面持ちでテラスに出る五木。見渡せば夜の海辺を月明かりが照らし、
静かな波の音だけが聞こえてくる。彼はそのまま踵を返して部屋に戻ろうと
したが、背後に人の気配を感じて振り返る。
するとそこに立っていたのは、人とも怪物ともつかぬ異形の者の姿だった。
月明かりに照らされたその姿は全身緑色で、その顔には大きな複眼と触覚が
あり、そして鋭い牙の生えそろった口をしていた。
「前田君・・・!」
その異形の者の姿こそ、夕べ改造人間となったばかりの前田有紀だった。
自らの手によってとはいえ、あまりにも変わり果てたその姿に五木は絶句
した。呆然と立ちつくす彼の目の前に、有紀が歩み寄るとその顔からは
想像もつかないほどの優しい口調で言った。
「最初見たときはショックでした。感情の高ぶりとともに変わった姿を
見たときはびっくりしちゃって、震えが止まらなかった・・・」
「そうだろうな・・・」
あまりにも奇怪なその顔を直視できず、五木は視線を落として言う。
だが、そんな彼を責めないどころか有紀はこう言い放ったのだ。
「でも、これこそ私の望んだ姿です。私はようやく復讐を果たせます。
両親の仇と、先生の家族の仇を討てる力が手に入ったんですもの」
そう穏やかに語るとその姿は少しずつ人の姿へと近づいていき、やがて
元の前田有紀の姿へと戻っていった。ただ、変身を解いた彼女は一糸纏わぬ
姿でそこにいたので、五木は慌てて寝室へ向かうとシャツをひっつかみ
有紀の肩に掛けた。シャツのボタンを留める有紀に背を向けたまま、五木は
こんな事を言った。
「僕も噂にしか聞いたことはないが、この世の中には『仮面ライダー』と
呼ばれる戦士達がいて、人類の自由のためにゼティマと戦っているそうだ」
そう言うと、再び有紀の方を振り向く五木。有紀はと言えば、すっかり
シャツのボタンを留め終えると、月光を全身で浴びるように佇んでいた。
潮風になびく黒髪と、月明かりに照らされた彼女の横顔。凛としたその
面持ちに秘めた決意を察したか、五木は再び言葉を続けた。
「そう、彼らも君と同じ改造人間だ。だが、僕達には人類の自由などと
言うお題目は必要ない。共に復讐の道を行こう。君こそ復讐に生きる真の
戦士、『真・仮面ライダー』だ」
仮面ライダーのマスクは、改造人間の悲しみと悪に対する怒りを秘めた
正義のマスクである。しかし、五木言うところの真・仮面ライダーの容貌は
まさに「悪」そのものと言って良かった。変貌した彼女の姿と言えば、浮き
出た血管や体表に走る筋と鋭い牙をむき出しにした口、そして全身緑色の身体。
仮面ライダーと言うよりも、怪人バッタ女とでも言った方が相応しいほどの
醜悪奇怪な姿である。
夜のテラスに佇む有紀の姿と、先ほどの異形〜真・仮面ライダーの姿を
重ね合わせてみる。しかしもう迷いは捨てたはずだ、そう自らに言い聞かすと
五木は有紀の隣に立ち、肩に手を添えて言う。
「前田君、もう夜も遅い。手術を終えた君のコンディションは万全とは
言えないだろう。休みたまえ」
五木に促されて有紀が部屋の中へと戻ろうとしたその時だった。窓際で
ふと立ち止まると、有紀は突然こんな事を口走ったのだ。
「先生・・・ヤツらの気配がします」
「まさかゼティマがここを嗅ぎつけた?そんなはずは」
五木は慌てて周囲を見回すが辺りには人影はなく、この時間に外にいる
のはどう考えても自分たちだけである。
「いえ・・・この近くじゃありません。もう少し遠く、街の方に」
そう言って有紀は五木の方を見る。その時、彼女の瞳に不気味な赤い光が
宿っていた。それは感情の高ぶり、遺伝子のざわめきの印。そして次の瞬間、
その身体は見る間に緑色を帯びていき、再び五木の目の前には真・仮面ライダー
が姿を現した。彼女に秘められた超感覚が、仮面ライダーと同様に悪の存在を
察知したのだ。
「止めても無駄のようだね、前田君。裏のガレージにバイクがある。来るべき
時に備えて用意したものだ。使ったらいい」
そう言って五木はガレージのキーを放ると、有紀はそれをキャッチして
こう言った。
「先生。私、宵待草が好きなんです」
突然の一言。この事態に何故そんな言葉が。しかしその意味が何となく
判ったのか五木はふっと笑みを漏らす。思えば有紀はどこか古風なところの
ある女性だった、そんなことを思い出しながら彼は有紀の姿を見つめていた。
「もしかして、君は自分が宵待草だと言いたかったのかい?」
闇夜に咲いた復讐の華は今、時を得て動き出した。有紀はテラスから
飛び降りるとガレージへと駆けていく。そして数分後、爆音と共に赤い光が
滑るように走り出した。五木はテラスに佇んだまま、闇の彼方に消える
テールランプを一人見送っていた。
バイクを駆り、夜の湾岸道路を疾走する有紀。彼女に与えられた本能の
シグナルは、刻々と近づく敵との戦いの時を告げていた。
「ヤツらの気配が強くなってる・・・」
そう呟くと、彼女は更にバイクのスピードを上げる。彼女は確実に目指す
敵に近づきつつあった。時折行き過ぎる車の列をちらりと横目で見ながら、
有紀は敵の姿を求めて走り続けた。
ちょうどその頃、仮面ライダーのの・辻希美は不意に女性の悲鳴を聞きつけ、
現場である商店街脇の路地裏に駆けつけていた。そこは女性が一人で歩くには
危険な場所である。しかし駆けつけたは良いが、周囲を見回しても何処にも女性
の姿がない。不思議に思った希美はさらに周囲を隈無く捜してみると、電柱の
脇に積み上げられたゴミ袋の山に埋もれた女性の死体を発見した。女性は
のど元をかみ切られたのか、夥しい出血が首の辺りに見られる。恐る恐る首
の辺りを触れてみると、血の滴るのど元は深々と食いちぎられていた。あまり
にも無惨な姿に、思わず目をそらす希美。
「うっ・・・誰がこんなことをしたんれしょう」
その様は彼女が戦ってきた改造人間の仕業にしてはあまりに惨たらしい。
しかし、人間離れした殺し方は改造人間の仕業であることを疑うには十分で
ある。まだ犯人は辺りにいるかも知れない、そう考えた希美は路地裏の隅々
に視線を巡らせる。と、その時だった。
「シャーッ!!」
奇声をあげて何者かが頭上から飛び降りてきた。希美は間一髪それを
かわしたが、希美を襲った謎の生物は更に攻撃を加えるべく体勢を整え、
今にも飛びかからんばかりに希美を凝視する。謎の生物と希美の視線が
交錯した時、彼女は敵の姿をハッキリと捉えることが出来た。月明かりに
照らされたその姿は、やはりゼティマの改造人間だった。だが、これまで
の敵とどこか違う。強いて言えば随分と初歩的というか、従来の改造人間
のような動物の特殊能力や武器の威力を前面に押し出した姿ではなく、
単純に人の姿をした生物と言う印象だった。彼女の目の前に立っている
改造人間は、同じバッタの改造人間ながら仮面ライダーの一歩手前、と
いう印象を与えた。いわば「バッタ男」と言ったところか。
「お前は仮面ライダー・・・なわけはないれすね」
「シャギャー!!」
どうやらバッタ男には人間としての知性は存在しないようだ。一度女性
をその毒牙にかけた後、さらなる獲物を求めて塀に張り付き、待ち伏せして
いたのだ。
「グァーッ!」
牙をむき出しにしてバッタ男が飛びかかる。今までの改造人間にはあまり
見られなかった敏捷さに翻弄され、希美は防戦一方になっていた。変身する
事が出来れば敵と互角に渡り合うことも可能なのだろうが、本能のままに
襲いかかるバッタ男の動きは予測不可能で、いつしか希美は袋小路に
追い込まれてしまっていた。
「くっ・・・まずいれすよ、これは」
背後に壁を背負い、絶体絶命の危機に陥った希美。しかし次の瞬間、彼女は
思いがけない光景を目にする。
突然前方から爆音と共にまぶしい光が迫る。その音と光に気づいたバッタ男
が振り返ったのとほぼ同時に、何者かがバッタ男に飛びかかった。前方から
迫ってきた光はバイクのヘッドライトだった。バイクはそのまま激しい音を
立てて横転し、光は乱入者とバッタ男の姿を映し出した。なんと、そこにいた
のは二人のバッタ男の姿だったのだ。
「今のうちに早く逃げなさい!」
バッタ男に飛びかかって馬乗りになったバッタ男が希美に叫ぶ。しかし、
その声は女性の声だった。希美は突然加勢に入ったバッタ男、いやバッタ女に
助けられる形で袋小路を脱すると、今度はバッタ女を加勢するためにすかさず
変身のポーズを取る。その間もバッタ女とバッタ男の攻防は続き、馬乗りに
なったバッタ女は鋭い爪を高速振動させる「ハイバイブネイル」でバッタ男を
突き刺すと、組み敷かれたバッタ男も緑色の体液を飛び散らせながら応戦し
バッタ女の脇腹にパンチを繰り出している。異形の者が殴り合う鈍い音が通り
に響く。
「はっ!やっ!!」
「シャーッ!!」
組み敷いたバッタ男にパンチを落とすバッタ女。対するバッタ男も鋭い爪で
攻撃し、度々その脇腹には敵の爪でえぐられて傷が出来る。しかし、驚くべき
事にその傷には瞬時に瘡蓋のようなものが出来たかと思うと、あっという間に
剥がれおち、傷が治癒しているのだ。
「変身!」
希美の身体から迸る閃光。そしてその姿は瞬時に仮面ライダーののの姿へと
変わった。ライダーののがバッタ怪人同士の戦いに割って入ろうと駆けつけた
時には攻守逆転しており、バッタ女が頭上からのバッタ男の攻撃に苦しめられ
ていた。その様子を見たライダーののはすかさずバッタ男を引き離すと、
パンチの嵐をお見舞いする。
「ギィィィッ!」
悶絶するバッタ男。パンチを食らってよろめいたところに、背後に待ち受け
ていたのはバッタ女だった。バッタ女はそのままバッタ男の腕を取って逆手に
捻りあげると、もう一方腕の腕の刃、四肢から伸びる「スパインカッター」で
二の腕に一撃を見舞うとこれを切り落とした。
「ギャアアアアアア!!」
腕を押さえ苦痛にもがき苦しむバッタ男。敗色濃厚と見るや敵は這々の体で
敗走を開始した。だがここで逃がすわけにはいかない。敵を追って駆け出した
ライダーののはジャンプ一番、敵の背後から必殺の一撃を見舞う。
「ライダーキィーック!」
後頭部の辺りにライダーキックを受けたバッタ男は、はじき飛ばされたかの
ように頭から壁に叩き付けられて絶命した。高所から落とした果実のように
ぐちゃぐちゃに変形した頭部から、脳漿と思しきゲル状のものがドロリと流れ
出る。やがてその亡骸は見る間に分解されて消滅した。
戦いを終え、変身を解いた希美はバッタ女に話しかける。彼女にとって
少なくともバッタ女は敵ではいと判断できたからだ。
「あなたは、改造人間なんれすか?」
「そうね。私もまた、ゼティマに戦いを挑んだ戦士の一人」
そう言ってバッタ女〜有紀は希美の方を見る。有紀は更に言葉を続けた。
「私の生みの親はこう言ったの。私こそ真の仮面ライダーだ、と」
「真の・・・仮面ライダー・・・」
不思議そうな顔で有紀を見上げる希美。だが同じ目的を抱く者ならば
どちらか真のライダーかなど彼女には関係ない。彼女の仲間達もまた
「ライダー」なのだ。同じライダーなら仲間同士に違いない。そう思った
希美は小さな手を差し伸べていった。
「れも、仮面ライダーならののたちの仲間れすね!」
しかし、有紀は差し伸べられた手を取ることはしない。そして、彼女は
一言こう言った。
「私は復讐の定めを負う戦士、許されざる者。あなた達と共に戦う事
はできない・・・でも、夜の闇があなたと私を再び引き合わせるかも
知れないわ」
そう言い残すと、有紀は再びバイクにまたがり路地裏から走り去って
いった。あの謎の仮面ライダーがいつ再び希美の前に姿を現すかは、今は
判らない。だが、自分たち以外に新たにゼティマと戦う者が存在している
ことが判った。同じ運命を持つ者達は、その道行きの途中に必ず交わる。
今までがそうだったように、そしてこれからもそうあり続けるだろう。
希美はそう信じ、今はただ謎のライダーの姿を見送った。
「許されざる者」 終