「死んだ……?」
恐々と言葉をなぞる安倍さん。その声に先程までの勢いはまるでない。
けれど、単語の意味を強調するには十分な大きさだった。
加護ちゃんが小さな声で「嫌だ」と零す。
私の脳裏には、救急車が来ると言った時のあさ美ちゃんの様子が浮かんでいた。
(麻琴ちゃんが、死んだ。 死んだ? 死んだの? だからあさ美ちゃんは首を振っていたの?)
誰もが信じられないといった面持ちで言葉を失っていたその時、
「嘘だよ、そんなの。 ねえ、圭織、違うよね?」
「……なっち」
安部さんが口を開いた。信じていない口振だが、潤んだ瞳が事態を冷静に見据えている。
分かっているんだと思う。安倍さんだって、これが嘘なんかじゃないことは。
それでも言葉が追いつかないのは、皆と同じで、ただ信じたくないからだ。
「こんなの変だよ。 そうでしょ? どうして死んだりなんかっ……」
「しっ! 何か聞こえる」
保田さんの一言に安部さんは言葉を呑み込み、皆一様に耳を欹てた。
足音だろうか。遠くから数人の駆ける音が聞こえる。
「! 救急車だ」
救急車が来たに違いない。
私は誰と目を合わせるでもなく、すぐに廊下へと飛び出した。
バタバタと担架を持った数人がこちらへと向かってくる。
運ばれてくるのは赤い衣装を纏った麻琴ちゃんだ。
私の後から加護ちゃん、安倍さん、石川さん、愛ちゃんが廊下に出て一緒に様子を見守る。
「はい、退いて、退いて!」
狭い廊下に固まっていた私たちを除けるような手振をして、担架を持つ数人が駆けていく。
それはあっという間に目の前を通り過ぎていった。
担架に乗せられた人形のような麻琴ちゃん。
喉を掻き毟るようにくいこむ両手。引ん剥いた目。
皆が見ているのに、ぴくりとも動かなかった。
赤いコートの下から捲り上がってしまっていた次のMr.moonlightの衣装。
そういえば、『愛を下さい』というあの歌の歌い出しもあんなポーズだった。
乙女の祈りと言わんばかりに、手を組み上を見上げる仕草。それとよく似ている。
担架に乗せられ、だんだん遠ざかっていく麻琴ちゃん。
遠目からだと、ますます麻琴ちゃんが歌を歌おうとしているように見える。
そこだけスローモーションになったみたいに、通り過ぎるその映像が頭にこびりついていた。
「小川……」
石川さんの声に、顔を両手で押える愛ちゃん。
泣きたい気持ちは多分、この場にいる全員が同じだった。
それでもまだ死んだと聞かされてから見た私たちは、マシだったのかもしれない。
部屋にいるメンバーを思い、一つ大きく息を吐く。
と、また向こうからバタバタと誰かがやって来た。
私たちに楽屋に戻れと言ったあの男の人だ。
「こっちの部屋へ全員集まるんだ!」
楽屋三つ向こうの部屋の前で、男の人があの時と同じ口調で叫んだ。
『はい』と慌てて頷く安部さん。やっぱり偉い人だったようだ。
楽屋へ戻ったときと同じ要領で、ペアを作り、辛そうなメンバーを支えながら私たちは移動した。
「これで全員集まったな」
十二人と指で数えて、その男の人が話を切り出す。
ここは使用されていない机や椅子なんかの保管場所のようで、随分と狭くとても十三人もの人間が居る場所ではなかった。
話なら楽屋でいいのに、どうしてこんなところに呼び出したのだろう。
「コンサートは中止だ。 君たちにはこれから直ぐ車で移動してもらう」
男が要点のみを簡潔に伝えた。その言い回しは極めて事務的だ。
「このまま中止にして移動するんですか?お客さん、納得しないんじゃ…」
「納得する、しないの問題じゃないんだ!」
安倍さんの抗議にその男は声を荒げた。
感情的になったことを恥じたのか、続きはまた冷静に紡ぎ出した。
「もうネットに情報が上がってる。コンサート中に小川が倒れたって。死んだみたいだったってな……」
「そんな! だってついさっきのことですよ?」
私たちでさえ、つい先程知ったというのにそんな情報がネットに流れているだなんて。
そんな人がコンサート会場に居たなんて。男の人が焦っている理由が分かってきた。
「おそらく携帯電話からだろう。 とにかく、マスコミはもう嗅ぎつけてるんだ。 早く移動しろ」
「小川は救急車の中だ。もう君たちにはどうしようもない」
「動揺も分かる。だがな、君たちが居ることでの混乱の方が大きい。騒ぎが広がってまた新たに事件が起こらんとも限らない。
ここは危険だ」
男が次々と私たちを諭す言葉を投げかける。そのどれもがただ冷たく響いた。
「表に車が用意してある。 荷物も運んだ」
なるほど。ここで私たちがごねないようにこの部屋に移動させたというわけか。
話をしている間に楽屋の荷物を運び、有無を言わさず移動させようとしているんだ。
そこまで分かれば十分だった。選択肢など、ない。
「……分かりました。このまままっすぐ向かいます」
「頼んだぞ、保田」
私たちは楽屋を通り過ぎ、朝とは全く違った心持で同じ廊下を歩いた。
手ぶらであるはずの肩には、荷物なんかよりもずっしりと重いものが圧し掛かっている。
会場から聞こえる罵声に、まるで逃げているような感覚さえする。
長い廊下を抜け、漸く鈍い光が見えてきた。
一台の大きなワゴン車が私たちを待ち構えている。
その車の前には意外な人物が立っていた。