(加護ちゃんが、死んでる?なんで、どうして)
口に触れていた指先をふいに噛んでみた。
痛い。ぎりりとした痛みの先にも、加護ちゃんらしきモノが見える。
どこか夢から覚めていないのではないか、という一縷の望みはすぐに絶たれた。
ピクリとも動きはしない目の前の物体。
髪を下ろしてはいるが、加護ちゃんだということは一目で分かった。
まじまじと記憶の中の『加護亜依』の形を辿る。
と、瞬間、加護ちゃんと目が合った。
濁った目が、光に反射してきらりと光る。
私が映るはずもないビー玉の瞳。
その目を縁取るように、顔に髪がかかっている。
重力に耐え切れなくなったのか、髪がはらりとこぼれ落ち、加護ちゃんの口元が見えた。
薄く開いた口元から白い歯が覗く。
加護ちゃんが私を向いて、歪んだ笑みを浮かべているように見える。
血の気のない唇が、今にも動き出しそうだ。
(愛ちゃん)
「きゃあぁぁーーーっ!」
ありったけの声で私は叫んだ。
喉を傷める発声法だったが、それで構わなかった。
私の見たこと全てを切り裂いてしまいたい。
朝の夢が悲鳴で終わったように、これも全部ウソだったらいいのに。
全身の震えが止まらない。今更のように恐怖が体を駆け巡る。
それでもどうにか体をドアの方へ向け、這ってこの場から逃げようとした。
廊下からみんなの駆けつける足音が聞こえる。
「今、悲鳴が聞こえたよね?」
「向こうからだ」
「誰の声? 何なんだろう、こんな朝早く」
遠くから聞こえる小さな声。誰でもいい。早く来て欲しい。
這ったその後ろから、加護ちゃんが追いかけてくる気がして怖かった。
ドアを閉める音やら、走る音が随分遠くに感じられる。
その音を掻き消すようにして、近づいてくる音がした。
「愛ちゃん!」
あさ美だった。
そうか、ここは里沙の部屋だ。隣はあさ美だ。すぐ駆けつけるはずだ。
ドア付近にまで進んでいた私は、あさ美に夢中で縋り付く。
痛いくらいに強くあさ美の腕を掴んだ。
柔らかな暖かさに、荒い息が少しだけ落ち着く。
「里沙に何かあった、の?」
私の様子を見て、あさ美の声までもが弱々しくなった。
(違う、あれは里沙なんかじゃない。あれは、加護ちゃんなんだよ。加護ちゃん、死んでるんだよ!)
言おうと思い、口を動かすが声にならなかった。
ただパクパクと口を開閉させるだけが精一杯。
私はそれを指差して伝えることにした。
ぎゅっと唇を一文字に結んで、あさ美は向こうを見詰めた。
震える指先の方向へと、ゆっくり歩を進めていく。
そろりそろり進むあさ美の後ろ姿を、私は何かの映像のように眺めていた。
「ひっ……!」
腰を抜かし、その場にへたり込むあさ美。
やっぱり、やっぱり嘘なんかじゃないんだ。加護ちゃんは死んでるんだ。
何故か、唇だけが笑うようにかたがた動く。
「高橋!」
「どうしたの!? 何かあった?」
やって来たのは飯田さんに、保田さん。その後ろに矢口さんと市井さん、後藤さん。
私とあさ美の様子を見て、顔を見合わせている。
入り口から身を乗り出して、飯田さん、保田さんの二人が部屋へと足を踏み入れた。
飯田さんが私の前をすり抜けて、奥へと進んでいく。一歩遅れて、保田さんがその後を追った。
「新垣?」
ベッド脇のあさ美は、近づいてくる二人に見向きもしない。
私も誰を見るというわけではなく、ただこの光景を辿るだけがやっとだ。
「きゃああっ!加護!?」
「加護が、加護が、死んでるっ!!」
悲鳴を上げ、互いに抱き合う二人。
私だって、ここで加護ちゃんが死んでいるのを見つけるなんて、思ってなかった。
保田さんが叫んだ事実に、ドアの向こうの三人がはっと息を呑むのが分かる。
「いやああぁーーっ!」
この部屋以外から発せられた悲鳴。
廊下からだ。そしてこれは、辻ちゃんの声。
飯田さんも保田さんもその声にぴくりと反応し、廊下の方に顔を向ける。
けれども、走って駆けつけることはできない。
市井さんが仕方が無い、という風に去っていった。
その後に続く後藤さん。
矢口さんはそんな二人を気にするでもなく、呆然とこちらの様子を見ていた。
「なんで、なんで……?」
それだけの繰り返しながら、ひたりひたりと奥へ進んでいく。
周囲の震えるみんなに目を向けず、加護ちゃんのもとを目指す矢口さん。
ベッドを覗き込むように体を前に倒すと、当然のようにそれに手を延ばした。
「冷たい」
涙交じりに、一言。
泣き喚く人は誰一人もいないが、この部屋にいる全員が静かな悲鳴を上げている。
ゆらりとドア口に人の影。
見上げると、安倍さんがそこにいた。
「どう、なってるの?」
部屋の奥だけをじっと見詰める安倍さん。
瞬きも忘れたその瞳には涙が溜まっている。
こちらを見ていた安倍さんは、加護ちゃんが死んだことを察したのだと思う。
「向こうは……?」
矢口さんがどうにかそれだけ聞いた。
辻ちゃんの悲鳴。あれは一体なんだったのか。
この質問にも、安倍さんの様子は変わらなかった。
「加護の部屋で新垣が、死んでた。 それを、辻が見つけたみたいで……」
一言一言を確認するように、安倍さんの唇が動く。
真っ先にその台詞が示す事の重大さに気付いたあさ美が、小さな悲鳴を上げて顔を手で覆った。