娘の時代は終わった・・

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169 ◆PNXYnQrG2o

「……ごめん」

どちらともなく、互いに同じ言葉がついて出る。
慌てて私は梨華ちゃんをベッドに座らせ、自分もその横に座った。

「どうしたの?梨華ちゃん」
「うん。ごめんね。なんか辛くって、小川のことを考えると……」

梨華ちゃんの目から、涙が一粒だけ零れ落ちた。
そう言えば梨華ちゃんは小川の教育係だったっけ……。
先輩気取りで教える梨華ちゃんを、圭ちゃんと一緒にからかった覚えがある。

(人一倍、辛かったよね、梨華ちゃん……)

自分のことに精一杯で、梨華ちゃんのことを思いやれなかった。
悔しいけれど、私はその程度の度量しか持ち合わせていない。
ごめんね、本当にごめん。
心の中でごめんを繰り返していると、梨華ちゃんが頬の涙を拭って話を続けた。

「小川が死んだのに、皆逃げるようにこんな所にいて。内心、皆、迷惑だって思ってる」

途切れ途切れに、言葉を紡ぐ梨華ちゃん。

「そんなことないよ。皆だってきっと辛い。悲しいよ?」
「悲しい、も確かにあると思うけど。けど……」

梨華ちゃんの言いたいことも分からないではなかった。
小川が死んで、『モーニング娘。』はどうなっちゃうんだろう。
誰もが頭の中にそんな心配を思い描いたはずだから。
170 ◆PNXYnQrG2o :02/11/20 01:46 ID:kjtarc24

「小川ってさ」
「え?」

突如、私が切り出した言葉に、梨華ちゃんがきょとんとしてこちらを向いた。

「ほら、Mr.moonlightの踊りで私とペアだったっていうか。組んでやってたじゃんか」
「うん、そうだったね……」
「あの時のさー、顔が浮かんでくるんだ。もうこれ以上小川のこと考えたことってないなっていうくらい」

言って、笑って見せた。
新メンバーとして入ってきた小川とのダンスレッスン。
交した会話までは思い出せないが、その時はいつも二人笑っていたように思う。
角度のついた眉の割に、笑うと一変に人懐こい表情になる小川。
もっと、もっと、仲良くなれたかもしれないのに。

「私も。なんだか、懐かしいなぁ」

今度は、梨華ちゃんがゆっくりと微笑んだ。
一年も経っていないというのに、懐かしいなんて普通は変なのかもしれない。
けれど、私達には密度の濃すぎる時間が流れている。
こうやって、思い返す時間すらままなかった程に。

「一杯、頑張ってた」
「うん」
「なんか、部活の後輩って感じだったな」
「あはは。言えてるかも」

独り言のような会話を、私達は続けた。
二人で小川のことを話すことが、唯一の慰めに思えてならなかった。
171 ◆PNXYnQrG2o :02/11/20 01:47 ID:kjtarc24

「次、だったんだよね」
「え?」
「Mr.moonlight。初めてのロックコンサートが終わったらそれだったでしょ?」
「そう、だったね……」

そんなこと忘れてた、と梨華ちゃん。
確かに、私もついさっきまでコンサートどころじゃなかった。
Mr.moonlight。
すうっと息を吸い込んで、頭の中のBGMに合わせて声を出してみる。

「おお、心が痛むというのかい?」

大袈裟な口調に、差し出された手。
それらに照れるように微笑む小川は、もういない。
梨華ちゃんは突然始まったMr.moonlightに驚きながらも、すかさず、

「う〜ん、ベイベー それは恋、恋煩いさ」

と続けて、こちらを向いた。
私のモノマネのつもりなのだろう。
精一杯、男前に作って見せた表情はどこか滑稽だった。

「梨華ちゃんが言うと、何か変」
「えー?もう、ひどいなー」

顔を見合わせて、二人で笑い声を上げる。
まるで涙を零す代わりにみたいに、私達は笑った。
声に乗せて、心の中に溜めていた黒いモノが空気中に散らばっていく。
一頻り笑い終え、訪れた沈黙はどこか暖かだった。
172 ◆PNXYnQrG2o :02/11/20 01:49 ID:kjtarc24

「今日はなんか、疲れちゃった」
「じゃあ、私、部屋に戻るね」
「うん、おやすみ」

ボトルをちゃんと忘れずに持ち、梨華ちゃんがドアへと向かう。
私はそれを黙って見守った。

「おやすみ、よっすぃー」

最後に笑顔を見せて、梨華ちゃんは帰っていった。
バタンと閉じたドアの音が、今日の終わりをそっと告げる。

(さあ、もう寝ちゃおう……)

私はベッドに体を滑り込ませ、窓を見上げた。
膨らんだカーテンに区切られた歪な四角の風景。
辺りの山間に広がる闇に、月が柔らかな明かりを溶け込ませている。

「まさにMr.moonlight、なんちゃって……」

ぼそりと呟いて、カーテンを閉めた。
枕元の電気のスイッチも切って、目を瞑る。
閉じた視界にも、やがてさっきの窓から見えた暖かい黒が広がっていく。

枕に濡れた髪の感触を感じながら、私は疲れた体をその闇に明渡した。
173NANASI:02/11/20 02:54 ID:PxiLy76V
すごく丁寧に書かれていて好きです。
続きが待ち遠しいわ。
174 ◆PNXYnQrG2o :02/11/20 03:02 ID:kjtarc24

----------<<高橋>>----------

(……嫌だ、嫌だよ……逃げなきゃ、もっと速く走らなきゃ!)
(……どこ?ここ、どこ?真っ暗だ。誰も、いないの?)
(……一人は怖いよ。暗いの嫌だよ……やだ、いやだ……)

「やだってばぁーっ!」

朝起きての第一声。
思いのほか大きく発された声に驚いて、私はぱちりと目を開けた。
顔の上には枕が乗っかっている。

(夢? あれは、夢か……)

それにしても、一体私はどんな寝方をしたのだろうか。
枕が目隠しになっていれば、あんな夢も見るはずだ。
欠伸をしながら枕を除けて、顔に掛かる髪を払った。
カーテンから零れる光で、起きたばかりの頭でも朝だということがどうにか分かる。

(朝、いつもと同じ、朝だ……)

カーテンを開いて、ひとしきり伸びをする。
一瞬だけ、ここは昨日までのホテルだと思い、目に飛び込んだ景色に目の覚める思いがした。
やっぱり、昨日のことは本当だったんだ。
晴れ渡り澄んだ空までもが、恨めしい。

「麻琴」

誰に聞かせるでもなく、私はその名前を口に出してみた。
昨日あれだけ泣いたというのに、またじわりと目が熱くなる。
175 ◆PNXYnQrG2o :02/11/20 03:03 ID:kjtarc24

「もう、やだなぁ……起きたばっかなのに」

泣いてばかりいられない。
私はパジャマの袖で、無造作に顔を拭った。
それから顔を洗おうとバスルームに近づくと、廊下から話し声が聞こえてきた。

「おはよー」
「おはよう」
「早いじゃんか」
「そっちこそ」

誰の声かまでは分からないが、他愛もない朝の挨拶だった。
なんだ、私以外にも起きている人いるんだ。

(里沙は起きてるかな……)

具合が悪そうだった里沙。昨日のあの状態は不安だった。

(もし、寝ていたらそのままにしよう。確認だけ)

思い立って、私は隣の里沙の部屋へ行くことにした。
当たり前だが、ドアには鍵が掛かっていない。
音を立てないようにして、そっと開ける。

「里沙?」

電気の点いていない部屋に、カーテンの隙間から一筋の光が差し込んでいる。
私はどんどん奥へと進んだ。
部屋の構造はほとんど同じ、奥のベッドへと向かう。
176 ◆PNXYnQrG2o :02/11/20 03:05 ID:kjtarc24

やがて、逆光で見えなかった黒い影のようなものが見えてきた
あれは、なんだろう。
ゆっくり目を細めると、それは人だった。
後ろ向きにベッドの上で膝立ちしている。
だらりと腕がぶら下がっていて、チェック柄のパジャマを着ている。
あんなパジャマを、持っていただろうか。
それに、里沙なら、もっと髪が長いはずだ。

(じゃあ、あれは、誰?)

「里沙?」

声を掛けてみるが、やはり反応はなかった。
後ろ向きのその人物を確かめるだけなのに、何故か嫌な予感がして堪らない。
近づいて、肩に手を掛けてみる。
その感触は、まるで人形みたいに硬かった。

(なにこれ……)
(触っちゃいけない。これは危ない。嫌だ。逃げたい)

頭の中でいくら拒否しても、置いた手はぴくりとも動きはしない。
次第に、私の息が荒くなってくる。

(もしかして、これって……)

最悪の事態が頭に過り、恐怖に手を勢いよく離した時だった。
反動でゆらりとこちら側へ、そのモノが倒れてきた。
朝日に照らされる格好になり、姿が私の目に飛び込んでくる。
間違いなく、それは加護ちゃんの形をしていた。