690 :
辻っ子のお豆さん:
とある山村の片隅に小さな孤児院がある。そこに安倍なつみの姿はあった。
初めて見る場所なのに、足が迷うことなくこの場へと彼女を連れてきたのだ。
(ここどこなんだろう?)
数人の小さな子供たちが辺りを駆け回っている。なぜかなつかしい気持ちになってきた。
また自然と、足が建物の入り口へと向かって歩み始める。
玄関を抜け木造の廊下を一歩一歩進んで行く。歩くたび木と木が重なり合い音が鳴った。
足は院長室と書かれた扉の前で止まった。なつみは恐る恐るその引き戸に手を掛けた。
「真希ちゃん」
部屋の中には一人の老婆がいた。椅子に腰掛け優しく微笑みかけている。
全然知らない人なのに、その声が胸をジンと熱くさせる。
安倍なつみは老婆に向かって静かに口を開いた。
「私は真希じゃありません」
老婆はその声を聞き、小さく首を傾けた。
「あら、変ねえ。真希ちゃんの空気がしたのに…」
「お婆ちゃん、眼が見えないの?」
あらぬ方向を見続けて語る老婆から、なつみは彼女の失明を悟った。
「物が見えなくても、その人の心の温かさは見えるわ。あなたの温かさは真希の温かさ」
「お婆ちゃん…嘘ついてごめんなさい。私…真希です」
「嬉しいことって続くのね、春先にもわざわざ来てくれた子がいたわ」
「誰?」
「梨華ちゃん。教師になるんだって言ってたわ」
ゾクン!背筋に寒気が走った。なつみは動揺を老婆に悟られない様に気を静めた。
すると老婆は引き出しから一枚の写真を取り出して見せた。
3人の娘が肩を組んで笑っていた。
「ひとみちゃんと梨華ちゃんとあなたの写真よ。はい、どうぞ」
なつみは渡された写真を見て愕然とした。真ん中の少女には見覚えがある。
夢に見た真希の面影が残っている。その通り「マキ」と写真下部に手書きで記されていた。
「ヒトミ」と書かれた少女、活発そうでまるで少年を思わせる。
驚いたのは「リカ」と書かれた写真の娘だった。
坂道で出遭った石川梨華の面影がまるでない。どう見ても別人だった。
「本当にこれが梨華ちゃん…なの?」
「あら、お友達のお顔、忘れちゃった?フフフ…あの子もずいぶんと美人になったから」
違う。どれだけ美人になっても、あれは別人だった。
石川梨華の名を語った誰か別の存在だったのだ。
石川梨華は犯人ではない!誰かに罪を着せられているのだ!
私はもう一度、写真の中で微笑む薄幸の美少女を顧みた。
舞台は4年前、太平洋沖孤島に戻る。
大型旅客機が墜落、生き残ったの7人の少女達。悲劇はそれから起きた。
立て続けに殺されてゆく少女達。孤島は逃げ場のない悪夢の処刑場と化していた。
「待って!待ってののちゃん!」
声は届かなかった。走り去る辻希美の背中がどんどん小さくなってゆく。
石川梨華は恐怖していた。小川真琴の死、そして親友である後藤真希の死。
自分も殺されるのではと恐怖に全身が縛り付けられる。一人になるのが怖かったのだ。
だが先程まで行動を共にしていた辻希美も、もういなくなってしまった。
信じられない速さで森を駆け抜ける彼女に付いていくことができなかった。
恐怖に脅える石川梨華をさらに突き放すかの様に、転がり落ちる新たな死体。
新垣里沙までもが生き絶えていた。もう半数近くが死んだことになる。
(一体誰が?何の為に?こんなこと非道いことするの?誰か教えて!)
教えてくれる者などいない。教えてくれるのはその眼に写る事実だけである。
森の奥から、大きな悲鳴があがった。梨華は思わず茂みに身を伏せた。
そして腰にぶら提げた携帯用ナイフを手に取った。
(ハワイに付いたらこれでヤシの実を割って食べよう)
そんな考えで携帯していたナイフである。護身用に使う等考えもしなかった。
両手にナイフを持ち、茂みの中で息を整えながら梨華は考えた。
(生き残っているのは…よっすぃーとののとあの寝たきりだった子)
犯人はこの中の誰かに限定された。それが吉澤ひとみではないことを願った。
(ううん、よっすぃーだけは絶対に違う。よっすぃーを探そう!)
身を屈めながら悲鳴の聞こえた方へと向かう、音を立てない様に慎重に…。
そしてその眼に写りし事実。
吉澤ひとみ、紺野あさ美の惨殺死体と…その中央に立ち尽くす少女。消去法の必要もない。
(あの甘い声も、人なつこい笑みも、全部嘘…)
(ずっとずっと私は騙されていたのね。こいつがみんなを殺した悪魔!)
(殺らなきゃ殺される)
何かが音もなく切れた。石川は悪魔よりも先に動き出していた。
次の瞬間、孤島で起きた悲劇は幕を下ろした。