【T・E・N】 第82話 矢口
(圭ちゃん言いにくそうだな・・・)
隣りの席の保田の言葉、そして握ったナイフとフォークの手がピタリと止まっ
たのを見て矢口は思った。
矢口も興味が無いといえば嘘になる。
あの事件によって保田は他のメンバー同様、再起不能とまで言われる傷を負っ
た。アメリカでどんな生活を送っていたのか。そして後藤とは、何か接触があっ
たのか。なぜこれほどまで徹底して、今まで自分の身元を隠していたのか。
「ねー圭ちゃん・・・わたしもね、最近まで圭ちゃんが歌っているって知らな
かったんだけど」
「うん・・・あ」
保田が何かを思い出したかのような顔をした。
「そういや、矢口こないだ『世界まる見え』に出ていたよね!」
「え? ああ・・・」
今年に入ってから、4回目のテレビでの仕事だった。
毎週レギュラー番組を5つ以上持っていたモーニング娘。の頃と、どうして
も比べてしまう。
「見てたの? 圭ちゃん・・・」
「なんかな、矢口もオトナになって落ち着いたって感じしたよ。私はケタケタ
笑っているヤグチも好きなんだけどな」
保田の言うとおりだ。
確かに矢口も自身でオンエアされた放送を観たが、明るい矢口、という従来
のイメージはものの見事に隠蔽されていた。
番組は世界の様々な番組のVTRを紹介し、それに対して出演者がコメント
してゆくという形式だが、お笑いのビデオ紹介のときにアップに抜かれるのは、
自分より若い新人のアイドル。一方矢口はというと、心霊現象の神妙なドキュ
メントビデオの後にコメントを求められる。自分が大笑いした場面はことごと
くカットされていた。
「んー、確かにそうかもしんない、あの番組では」
「あの番組?」
「ってゆーかねー、うん。もう世間はウチらに元気や明るいキャラって求めて
ないんだよ。悔しいけど」
初めて、矢口は自分の鬱屈とした5年の想いをメンバーにぶちまけた。
自分としてはそのつもりはなかったのだが、保田の返答に思わず口が滑って
しまった。
(そうだ。私たち別に頭も良いわけじゃないし、超キレイってわけでも器用な
わけでもない。元気と明るさだけが取り柄だったのに・・・なのに・・・)
矢口は目じりが、熱く湿ってゆくのを感じた。
「私、バラエティの矢口も好きだけど、やっぱ、歌っていてほしかったかな」
「・・・」
【82-矢口】END
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【T・E・N】 第83話 高橋
矢口はその言葉を受けて、なぜか言った保田にではなく高橋の方へとそっと
振り向いた。
(うた、か・・・)
高橋は、知っている。
初期メンバーが、いかに音楽に対して思い入れがあるかということを。しか
し、そのやりたい音楽の方向性がモーニング娘。後期になると、どんどんズレ
ていったのも、また察していた。
誰が悪いわけではない。
モーニング娘。自体が巨大な文化であり、産業でもあり、そこに関わる人間
は膨大な数に及んでいた。具体的には、それは事務所だったり、スポンサーで
あったり、ファンであったりする。
娘。に加入して数日で―――高橋はそのどうにもならない「巨大な力」の存
在を知ることになる。
そこにはメンバーの意思や酌量などは、ほどんど反映されることはない。加
入してから、解散(あるいは脱退)するまで、その巨大な歯車の一部として休
むことなく動き続けることしか許されない世界なのだ。
わずか15歳で、世の中の「仕組み」を悟り、しかもその自分が組み込まれ
た組織の大きさを肌で感じ、はるばる福井から上京してきたという不安も相まっ
て高橋は長い間萎縮してしまっていた。いや、今でもなんだかココには居場所
がない、と感じることが度々ある。
ほかの5期メンバーもそうだったに違いない。
しかし初期のメンバーは、その巨大な歯車に戸惑いつつも堂々としていた。
当然である。自分たちが、そのモーニング娘。という存在を、社会現象にまで
押し上げたという自負があったから。
だから解散後、やっとグループのカラーを気にせずにソロ活動が出来るよう
になるにもかかわらず、矢口がシンガーの選択肢を取らなかったのは、高橋に
とっても意外だった。
「歌、かぁ・・・」
高橋は自分も含め、今ここにいるメンバー全員が(うた、かあ・・・)と心
の中でつぶやたに違いない、と思った。
「オイラの場合、ミニモニ。が大きなターニングポイントだったかなって思う」
そのセリフに限っては、矢口はまるで加護ひとりに向けて語りかけているよ
うだった。
「ミニモニ。は大きな存在になりすぎた、みたいな」
「かもね」
保田もクールに分析する。自分のことを話すのには、あれほど躊躇している
割には、他のメンバーのことに関してはこの5年の隠居生活の間に想うことも
多かったのだろうか、心なしか饒舌になる。
「キャラクター商品になったり、アニメになったり・・・うん、一人歩きして
いるっていうイメージはあったかな」
「私もサ、まさか期間限定っていってたミニモニ。があんなに、ずっと続くと
は思ってなかったし」
「でもあの頃は―――けっこうムチャな仕事もあったけど―――ぜったい弱音
見せなかったよね。いや矢口だけじゃなくてミンナ」
「・・・」
「とくに矢口は夏のライヴで倒れたりとか、変なカッコさせられたりとか。
うん、ちっちゃい身体でがんばってるなーって思った」
「いや、今思うとミニモニ。なんて、子供ダマシみたいな感じだしぃ・・・」
「そお? 私は」
保田は口の周りを拭いて、一呼吸置く。
「嫌いじゃなかったけど」
「でもっ」
保田と矢口の会話に、唐突に加護が口を挟む。
「ミニモニ。の矢口さんはっ」
「何?」
「・・・」
加護はうつむいて黙りこんでしまった。
加護と矢口と保田。それぞれの気持ちが、高橋には痛いほど理解できる。
過去の思い出を美化していたい加護。
過去の栄光と現在の凋落の格差に思い悩み、袋小路に迷い込んでいる矢口。
現在がほぼ順風満帆だからこそ、あの頃は良かったと素直に言える保田。
そして高橋は彼女ら3人の生き様を丁度足して3で割ったような(実際には
そんな単純な図式ではないけど)、そんな5年間だった。
アイドルグループは所詮、集団催眠のようなものだ。
どんな歌を唄おうが、どんな衣装を着ようが、それこそどんなお寒いコント
をしようが、ファンの声援がある限り何の疑問も抱かずに仕事を続けられた。
だが一人になり、客席もまばらな地方のイベントなどで歌うと、急に虚しさ
がこみ上げてくる。高橋は今でも、ソロになりたての頃を強烈に覚えている。
本当に純粋に自分の好きな歌だけを唄うためにソロになったのに、満員に埋
め尽くされたホールとノリノリの観客を期待してしまう。しかし、それが過去
の思い出のひとつとなってしまったことを知ったときの、心にぽっかりと大き
な穴が空いた感じ。
本当に自分は歌が好きなのか。
ただ単にチヤホヤされたいために、モーニング娘。になったんじゃないのか。
高橋は自分の中に沸き上がった、そんな疑念を晴らすために意地になって5
年間、シンガーとして頑張ってきたのかもしれない。保田との約束は、単なる
建て前―――とまではいかないまでも。
【83-高橋】END
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【T・E・N】 第84話 加護
加護は少しだけ、苛立っていた。
周囲のメンバーは石川の料理に感激していたが、加護にしてみればこの数年、
そしてここ一週間は3食ずっと味わってきたもの。
(聞きたい)
今日になって、後藤の思い出が次々と蘇ってきた。
地下室で吉澤が発見したという、コミュニケーションノートがきっかけなの
は言うまでもない。
加護は、電子メールで約2年間あまり、渡米した後藤と交流を続けていた。
最初の頃の1年は、週に2〜3通はやりとりがあった。その文面からは、ア
メリカでの後藤の新鮮な発見の連続がイキイキと伝わってきたし、それに一緒
になって興奮している自分がいた。ちょうどその頃の加護は、リハビリ生活に
突入し、肉体的にはかなり辛い時期でもあったが、後藤のメールに随分励まさ
れた。
ずっとメールで交流をしてただけに、さきほど見たノートでの手書きの後藤
のメッセージはやけに新鮮に感じた。
解散後の新たな旅立ちへの、不安と興奮が伝わってきた。
でも、パソコンのフォントと手書きの文字の違いだけの問題ではない。
加護は爆破事件によって記憶を失う前の後藤も、失った後の後藤も両方とも
同じだけ「好き」だ。
だけど、それぞれを別人と考えた時―――あのノートによって記憶を失う前
の彼女の温もりに、5年振りに触れた気がする。
(何でもいいから、ごっちんの話が聞きたい)
渡米から1年が過ぎて、やがて後藤とのメールでのやりとりは、少しづつで
はあるが減少していった。アメリカに遊びに来た元娘。のメンバーに会ったこ
と、ボーイフレンドが出来たこと、モデルのアルバイトを始めたこと・・・。
後藤サイドでの話題は尽きることはなかったが、それとは対称的に加護にとっ
てはあまりにも単調な日々が続いていた。暗い話題は努めて避けるように気を
遣ったが、そうなるとメールでわざわざ書くようなこともあまりない。リハビ
リの毎日。
ちょうど加護が石川との交流を再開したのがこの頃だったが、当然というか
後藤にとっては関心はないようで、その話題もあまり発展することはなかった。
後藤からのメールは週1通から、月1通、そして2ヶ月に1通といった具合
に、徐々にまばらになっていった。アメリカに渡った当初は、不安と寂しさか
らよくレッスンが上手くいかない、言葉が通じないだのとの泣き言をメールで
延々と綴ってきた。しかし、時が流れるにつれてアメリカでの生活も板につい
たのか、友人も増えたなどといった明るい内容が増えてきた。
なにもかも順調にいっているのだろう、と加護もメールが少ないことを好意
的に解釈するようにした。
加護のように行動が著しく制限されているならまだしも、後藤は日本より遥
かにスケールの大きなフィールドで、広い視野に立って世の中を見つめている。
話題に食い違いが発生するのも無理はない、と半分諦めにも似た感情に加護は
徐々に支配されていった。
やっと大きな翼を手に入れたんだ。娘。時代の殺人的なスケジュールから解
放され、第二の人生を歩み始めたことを素直に友人として喜んでやりたい。
そう思うようになっていた。
そうして後藤からのメールが途絶えてから半年が経過し、丁度事件から3年
の月日が流れたある日。
後藤が自殺した、との報が加護のもとにも届いた。
正直、実感が沸かなかった。
テレビでも大きく採り上げられたが、そこに映っているのはモーニング娘。
だったころに歌ったり踊ったりした頃のVTRで、当然のように記憶の失った
後の後藤ではなかった。
もしかしたら、モーニング娘。だった頃の後藤はとっくに加護の心の中では
死んでいたのかもしれない。武道館の爆破事件のときに。
そう加護が思ってしまうのは、きっと記憶を失ってからの後藤もそれなりに
知ってしまっているから。後藤には違いないが、まったく別人の、加護の中で
イメージを膨らませた「ごっちん」の姿を。
あのメールでアメリカでの新鮮な生活を報告していた後藤はまだ、どこかで
生きているような気がするのだ。だからそういった意味では、加護の目の前で
息を引き取った辻とは決定的に違う。
どこかで後藤が生きている。そんな第三者からすれば、いい加減目を覚ませ
ば?と言われそうな絵空事を未だにどこか心の片隅に抱き続けているのだ。
現実逃避、といってしまえばそれまでかもしれない。どこか思い出を美化す
るような傾向が自分にはある、ということは加護自身も十分に自覚はしていた。
事件後、そばにいたメンバーが石川ということも影響していたかもしれない。
石川にもどちらかというと、美しい思い出は美しいままで仕舞っておきたい
という意識が見え隠れしていた。これが、たとえば吉澤とかであれば、もっと
前向きに生きるアドバイスがあったに違いないだろうが。
だけど、加護は自分の身体のこともあり―――これから先のぼやけた未来へ
の心細さ―――過去をなるだけ汚さずに生きてゆきたい、という気持ちは少な
からずある。
だからこそ、保田がミニモニ。時代の矢口を、やけに俯瞰で語っていたのに
我慢できなかった。
たしかにピエロだったかもしれない。恐ろしいくらい愚直な偶像だったかも
しれない。加護も当時から、あたり前のようにそのことに気が付いていた。
なぜなら、ミニモニ。の結成自体に政治的な事情が絡んでいたからだ。
ただしそれを不満として口にするのは、加護にとって「負け」だと感じてい
た。
「でもミニモニ。の矢口さんは、すんごく輝いていた」
加護は、本当は最後までこう言い切りたかった。でも言えなかった。
こういった同窓会の場で「今だから言えることだけど、あの頃のウチらって
・・・」といった話題が沸き上がることには、ある程度覚悟していた。当時は、
関わっていったスタッフの多さや、事務所という看板を背負っている手前、仕
事に関しての本音をぶちまけることは、娘。同士でも意外なくらい少なかった。
だがあれから5年が経ち、仕事といったしがらみから抜け出て一人の人間と
してあの頃の自分たちを振り返る、今日は絶好の機会でもある。
保田だって、決して「あの頃」を否定しているわけじゃない。
だけど、当事者である矢口自身がもし「あの頃」のミニモニ。を否定してし
まったら―――そして、現在芸能界で伸び悩んでいる矢口には、そういった思
惑も十分あり得るだろう。
だから加護は、保田と矢口の会話に割って入らずにはいられなかった。
(そんなことはいいから、アメリカの、ごっちんは)
保田が後藤の手紙を持ってきたことを、高橋から聞いた。
そしてその保田が今、目の前にいる。
いよいよ気持ちが抑えられなくなってきた。
【84-加護】END
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