終末時計

このエントリーをはてなブックマークに追加
152第二章

(11)
 合格者が平家充代と決定した日(正確にはオーディション合格者発表の収録が行われた日である)の
深夜、和田薫は上司たる芸能プロダクション社長(当時の肩書)・山崎直樹にある事項を伝えに来てい
た。山崎が経営するアップフロント・エージェンシーは平家が所属する予定のプロダクションである。

「テレビ局側にこちらの条件を飲ませることが出来たか?」
「はい。八割方はこちらの予定通りになりました」
「八割?何か通らなかった条件があったのか?」
「いいえ。こちらの要求はすべて通りました。プロデュース方針・プロモーション費用の按分・起用す
る人材すべて社長の構想通りでございます」

「うむ。平家のデビューを日本武道館ライブで華々しく飾る。一万人の観衆の前で『GET』(オーディ
ション当時から決定していたデビュー曲)を熱唱する。その動員をテレビ局の招待で賄えば、こちらの
懐は傷まないで済む」
「日本武道館公演は如何にやり繰りしても赤字になるのが通例でございますれば……」
「そうだ。だが、タレントに『箔』を付けさせるのに日本武道館ライブほど効果的な手段もない」
153第二章:02/11/20 18:25 ID:iUcKrhTt

(12)
 山崎の口上は続く。
「『日本武道館』で勢いを付けた平家が、洋楽ポップスの名曲〜例えばカーペンターズあたり〜をカバー
すれば世間の注目を集めるのは確実だろう」
「さようでございます。平家ならば実現できるでしょう」
「そして、アップフロントとテレビ局側の叡智を結集したファーストアルバムで、日本中の音楽ファン
を魅了する。こうすれば、平家は一線級アーティストの仲間入り、アップフロントも安泰なのだ。それ
をテレビ局の金と人で実現できるのだから、これほど喜ばしいこともない」

「おっしゃる通りでございます。社長の条件はすべて受け入れられました」
「条件は100%ではないか。何の問題もない。残りの二割など存在しないぞ」
「残りの二割というのは……向こうが提示した新規の条件でして……こちらとしては受け入れ難いもの
でしたが、平家の条件をすべて認めるという代償として認めて欲しいといわれましたので……」

 和田が山崎の前で言葉を濁らせるのは、余程の場合に限られる。この二人の関係は上司と部下と云う
よりは親友同士に近いと、先に書いた。だから、このテレビ局が新規に追加した条件は、山崎と和田に
とって、相当の不利益が見込まれるに違いない。

「新規の条件とはまさか……」
「そのまさかでございます」
154第二章:02/11/20 18:26 ID:iUcKrhTt

(13)
「落選者の安倍なつみを使って何かをせよ、というのが先方の要求だな?」
「厳密には、落選者十人を集めてユニットを結成して欲しいのだそうです。勿論、安倍は中核をなすメ
ンバーです」

「オーディションの選考過程で安倍なつみ一人だけ特別待遇するのを見て、嫌な予感がしたのは、虫の
知らせだったのか……」 
「今になって思えば、テレビ局の指示でいびつな選考が行われたのが、伏線になっていたのですね」

「それにしても、十人か……。いかにも多すぎる」
「十人全員でユニットを結成できるとは思えません。わたくし、この打診を受けた直後に、安倍家を秘
密裏に説得することには成功したのですが、他の九人については依然交渉中でして……」
「さすが君だ。テレビ局の意向としては、安倍中心のユニットを作りたいのだから、要求の半分以上は
既に満たされていよう」
「引き続き、残りの落選者たちとの交渉にあたります」
「残り数日しかないが、健闘を祈るよ」
 山崎に一礼すると、和田は社長室から立ち去り、無人のオフィスへと向かった。
155第二章:02/11/20 18:33 ID:iUcKrhTt

(14)
 このオーディションは、福岡・東京・大阪・札幌と全国三会場で実施され、三会場から候補者が選出
された。栄冠に輝いた平家(三重県在住である)は大阪会場で受験した。

 オーディションを最終選考まで勝ち進みながら、力及ばず落選したのは、以下の十人である。
 福岡会場からは、青木朗子(20)OL・松本弓枝(19)専門学校生・高口梓(18)フリータの三人。
 東京会場からは、河村理沙(16)高校生・兜森雅代(19)フリーター・福田明日香(12)中学生の三人。
 札幌会場からも三人で、安倍なつみ(16)高校生・飯田圭織(15)高校生・石黒彩(19)短大生である。
 大阪会場からは、中澤裕子(24)OL一人が枠に残った。

 この数日間、和田薫は目まぐるしく動いた。日本中に散らばっている落選者たちの説得(ただし、本
人に知らせず家族やそれに準ずる人と交渉にあたったのである)に奔走した。一日で東京と福岡を二往
復したこともあった。
 だが、これらの落選者たちのうち、和田の説得に応じたのはたったの五人であった。
 福田明日香・中澤裕子・飯田圭織・石黒彩・安倍なつみ。
 この五人で新ユニットを結成することになった。
156第二章:02/11/20 18:34 ID:iUcKrhTt

(15)
 テレビ局の設定した期限の日になった。
「もう少し集めることは出来なかったのかね?」
 山崎は和田を詰るようにいう。
「申し訳ございません。青木は人妻ですので、旦那の許可が得られませんでしたし、他の四人も学校や
職場の都合があるのです」
 和田が答える。

「高口と兜森はフリーアルバイターではないか」
「彼女たちは職場ではリーダー的存在なのです。アルバイトたちを束ねる、いわば副店長でして、この
副店長を引き抜くのは並大抵では行きません」

「仕方がない。この五人で行こう。それにしても、中途半端な人数だ」
「五人は演技が宜しゅうございます。ビートルズは結成当時五人でした。ローリングストーンズも五人
ですし、最近では、イギリスのアイドルユニット・スパイスガールズもそうですし、日本ではチューリッ
プや……」
「シャ乱Qを忘れているぞ」
 シャ乱Qはこの事務所に所属するバンドである。平家をプロデュースするのは、このシャ乱Qである。
「ははは。これは失礼しました」
「わっはっは。君らしくないなあ。元マネージャーじゃないか」
 部屋中に二人の哄笑が響いた。
157第二章:02/11/20 18:35 ID:iUcKrhTt

(16)
「そのマネージャーの件だが、新ユニットのチーフマネージャーは君に任せたい」
 山崎は再び真剣な表情に戻っている。

「わたくしは平家の担当ではないのですか?」
「当初の予定では、私も、君を平家付けにして万全の体制を敷こうと思った。ところが、ぽっと出た新
ユニット結成だ。メンバーのご家族を説得した縁もあるし、このユニットのマネージメントは君が適任
だろう。それに……」
 和田は山崎の言葉を待つ。

「それに、平家はどの道成功するだろうから、君の力を使うまでもないと思うのだよ。だが、新ユニッ
トが成功する可能性は、正直なところ、私にも見込めない。その状況を君の敏腕で何とかして欲しいの
だよ」
「わかりました。不肖、わたくし、尽力いたします。では、失礼させて……」
「待て!」
158第二章:02/11/20 18:37 ID:iUcKrhTt

(17)
「新ユニットのプロデュースは寺田君にさせたい。彼を説得して欲しい」
 寺田とは、シャ乱Qのボーカル・つんくの本名である。

「寺田君ですか?彼はシャ乱Qの活動に専念したいようですから、一筋縄ではいかないと思われます」
「心配は無用だ。彼は応じてくれるはずだ」
「社長には勝算があるのですか?」

「あるとも。シャ乱Qの楽曲を作っているのは、主に寺田君と畠山君(シャ乱Qのギター・はたけの本名)
だが、乱暴な言い方をすると、寺田君の曲は歌謡曲調で、畠山君の曲はロックそのものだ。その音楽性
の違いは、近い将来に空中分解を引き起こす原因になりかねない」
「しかし、その危うさがシャ乱Qの魅力です」
「問題はシャ乱Qだけじゃないのだよ。平家のプロデュースはシャ乱Q全体に任せているが、早晩、畠山
君一人がプロデュースを担当することになるだろう。平家はロック歌手だが、寺田君にロックは書けな
いのだからな。そうなると、畠山君の一人勝ちとなり、空中分解を促進しかねない」

「では、シャ乱Qのガス抜きのために、寺田君を新ユニットのプロデューサーに据えると?」
「そうだ。それに、新ユニットは歌謡曲路線ですすめようと思っている。ロックには適性のない連中だ
からな。そんな彼女たちには、やはりロックには向かない寺田君が適任だろう」
159第二章:02/11/20 18:40 ID:iUcKrhTt

(18)
「彼女たちは捨て石ですか?」
 和田は云う。
「そうさせないのが君の仕事だ。若いタレント五人を雇うと、給料やら家賃やらすべて含めて月500万
円ほどの経費が掛かる。その金額は、平家のプロモーション費用だと考えれば安いかもしれない。しか
し、一旦雇用したからには、彼女たちもアップフロントのタレントだ。それなりに働いて貰わないと困
る」
 ここで山崎は一呼吸置く。

「時に、アップフロントの企業哲学は何かね?」
 山崎は和田の頭脳に叩き込まれている筈のことを問う。

「『若い時が花なタレントは悲しい、30歳になっても現役でいられるタレントにならねばいけない』で
す。」
 当然のように和田は即答する。
「その通りだ。彼女たち五人が、30歳の誕生日をアップフロントのタレントとして迎えるようにしてく
れよ。現時点では厳しいかもしれないが、君の努力次第で何とかできる筈だ。そのために、アップフロ
ント一の辣腕マネージャー・和田薫を新ユニットのチーフマネージャーに任命した」
「そこまでおっしゃるのでしたら、わたくしも最大限に努力致します。まず第一弾として、寺田君の説
得に行きます」
160第二章:02/11/20 18:42 ID:iUcKrhTt

(19)
<途方もない話だ>
 新ユニットのメンバーが30歳になるまで現役でいさせろ、というのだ。最年長の中澤裕子(24)が30歳
になるだけでも6年掛かる。まして、年少のメンバーがその年齢になることを考えたら、気が遠くなり
そうだ。例え、自分が説得に成功してプロデューサー・つんくが素晴らしい楽曲を提供したとしても、
例え、マネージャーの自分が持てる力を最大限に発揮して(今まで培った人脈を駆使して営業に励むな
どして)も、彼女たちは持ち堪えて半年、あとは多くの泡沫タレントのように、この世界から退場を余
儀なくされるだろう。和田が今まで手掛けてきたタレントは悉く成功したが、今回ばかりはとても大成
する見込みがない。正直云って、引き受けたくない仕事だった。だが、敬愛する山崎が彼女たちをよろ
しく頼むという以上、和田は全力を以って新ユニットのマネージメントにあたるしかない。

「俺はやるぞー!!新ユニットで天下を取ってやる!!」
 両の拳を振り上げ、和田は夜の街に叫んだ。だが、内心は不安だった。天下など取れるとは微塵も思っ
ていなかった。こうでもしないと内なる弱の虫に負けそうだった。

 この日に構想された新ユニット・モーニング娘。(この時点ではまだ命名されていないが)が大成長
して、アップフロントの大黒柱になるとは、そしてこのユニットのメンバーから、芸能界を震撼させる
人物が次々と輩出されるとは、和田にも、山崎にも、そして日本中の芸能関係者誰にも想像すらできな
かった。