終末時計

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147第二章

(9)
 『日本武道館』が候補者たちを狂わせたといっていい。日本武道館は、多くのアーティストたちがこ
こでのライブを目標にする場所である。いわば、アーティストたちの聖地である。日本武道館でライブ
を催せるということは、一流のアーティストの一員と見なされてよい。彼女たち一人一人は、日本武道
館の満員の観衆を前にして熱唱する己の姿を空想のうちに描いて、ほとんど陶然としていた。

 とりわけ安倍なつみにはこの思いが強かった。このオーディションでは、候補者たちに歌の発注を出
し、そのVTRチェックを行い、発注とVTRチェックを繰り返す中で徐々に候補者を絞り込んでいく形式を
とっている。ところが、安倍の第一回目のVTRチェックを行っていた選考委員の面々は意外な結論を出す。
「安倍ちゃんは即決勝」
 つまり、安倍なつみは、発注とチェックという段階を省略していきなり最終選考候補者となった。全
国約一万人が参加したこのオーデションで、このような扱いを受けたのは安倍なつみ一人だけである。
結果、最終合格者となる平家充代でさえ、これらの段階を一歩一歩踏んでいる。
 安倍が狂うのはむしろ当然ではないか。
148第二章:02/11/14 05:55 ID:WvpPFeQ3

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 そんな安倍たちの思いとは裏腹に、『シャ乱Q女性ロックヴォーカリストオーディション』のナレー
ションは非情に最終選考の結果を伝えていた。
「……というわけで、平家充代いかがでしょうか?」
 このオーディションの最終合格者には、三重県の高校生・平家充代が選ばれた。中澤も、石黒も、飯
田も、福田も、そして安倍も、日本武道館で歌わせては貰えなかった。

 合格者の平家充代(のちに『平家みちよ』と名乗る)は、いかにも日本武道館にふさわしかった。声
質・声域・声量・技術・そしてロックへの適性。どれをとっても、最終選考候補者11人の中で抜群だっ
た。平家はロックヴォーカリストとしての才能に溢れていた。

 そんな平家と比較すると、落選者たちはロックヴォーカリストとしては何枚も格落ちだ。
 飯田は音感に問題がある。石黒は発声におかしな癖がついている。中澤と安倍は声質が優しすぎてロ
ック向きではないし、声量が足りない。福田には、先に挙げた四人のような問題は見当たらないが、彼
女は当時中学一年生、ロックヴォーカリストとしてはいかにも幼すぎた。

 厳しい現実を突きつけられた。ショックだった。泣きたくなった。自分の実力で、日本武道館にて歌
えると、たとえ一瞬でも思っていた己が愚かしかった。五人が五人とも、そう思った。