終末時計

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138第二章

(5)
 翌日も仕事である。たまりかねた追加メンバー三人は、オリジナルメンバー一人一人の下に出向き、
改めて挨拶をした。その上で、三人の中では最年長の保田圭が、自分たちは芸能界に飛び込んだばかり
であり、技能も礼儀も未熟であることを率直に語り、歌やダンス、そして芸能界の仕来りなどを教えて
くれるよう、頭を下げて頼んだ。返ってきた答えは、にべもない拒否だった。私たちはご縁があってた
またまあなた方より先にこの世界に入ったが、まだまだ未熟で修行中のみであるから、人様に教えられ
ることなど何もない。仮にあったとしても、下手に教えてあなた方を駄目にしてしまってはスタッフの
皆さん、ひいてはファンの皆様に迷惑をかける。私たちが中途半端なことを教えるよりも、スタッフに
直接訊いたほうが正確だし、あなた方のためになる。だからこの件はご容赦願いたい。五人が五人、揃っ
てそう云うのであった。

 一応理屈は通っているが、矢口たちは嘘だと直感した。五人の眼が揃って冷たいのだ。せせら笑って
いるような気配すらある。理解できなかった。自分たちがオリジナルメンバーを怒らすようなことはし
た筈がなかった。そもそも初対面から二日目である。悪意の対象になる理由がなかった。むしろ、先方
がこちらに気を遣っているとも考えたが、それにしても眼の冷たさが尋常でない。
139第二章:02/11/04 05:51 ID:iCgKGR6J

(6)
 矢口たちは途方に暮れて、愚痴をこぼすしかなかった。
「あそこまで冷たかったなんてね……」
「怖かった……。あの人たちとなんか一緒にやって行けないよ」
「私たちにはどうしようもないよ。あの人たちとの間に大きな壁が出来ているから……」
 愚痴など云っても始まらないことは、よく判っていたが、自分たちなりに最善の努力をした上でも事
態が変わらない以上、不満を口にでもしないとやりきれなかった。

「明日は明日の風が吹く……かも」
「吹けばいいけどね」
「やれることはやってみようよ。無駄かもしれないけど」
「そうだよね。明日こそ口を聞いてもらえるように頑張ろう」

 だが、次の日も、追加メンバー三人は、五人に碌に口を利いて貰えなかった。
 その次の日も、その又次の日も、更にその又次の日も、五人は三人を相手にもしようとしなかった。
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 そんな三人を労わるつもりだったのだろうか、マネージャーの和田薫は矢口たちを呼び出してねぎら
いの言葉を掛けている。オリジナルメンバーが冷たく感じられるかもしれないが、彼女たちも悪意があ
って君たちにそう接しているのではないから、どうか耐えて欲しい。増して、自分たちに原因があるの
だと思い込むのはやめて欲しい。遠くはない日に、このギクシャクした雰囲気も打ち解けるであろう。
否、モーニング娘。八人が一致団結しなければ、このユニットの明日はないのだ。

 更に和田は続ける。
「五人が君たちに冷たく当たるからといって、君たちに非があるんじゃない。理由は、むしろあの子た
ちの境遇にあるのだ」
 追加メンバーたちは無表情でマネージャーの次の言葉を待つ。
「君たちもテレビで見て知っていたと思うが、そもそもあの子たちは好んで今の仕事をしているわけで
はないのだ。自ら志願してモーニング娘。になった君たちとは違ってな」
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(8)
 モーニング娘。はオーディションの落選者を集めて結成されたユニットである。
 1997年の春、あるテレビ番組の企画で『シャ乱Q女性ロックヴォーカリストオーディション』なる企
画が告知された。後にアイドルユニット・モーニング娘。のオリジナルメンバーとなる安倍なつみ、飯
田圭織、石黒彩、中澤裕子、福田明日香はこのオーディションに応募した。五人は音楽が、ロックが好
きで、歌唱にはそれなりの自信があった。そして、五人は苦もなく最終選考まで勝ち残った。全国約一
万人の応募者から選ばれた11人の最終候補者の枠に残ったのだ。
 11人の誰もが、よもや自分が受かるはずはあるまい、と思っていた。だが、ここまで来ると欲が出て
くる。あわよくば自分が合格するかも、と内心では微かに期待していた。何しろ、合格者は大手レコー
ドレーベルからデビューでき、日本武道館でライブを催せるのである。自分が受かることはないだろう
が、合格する可能性はゼロではないだろう。