終末時計

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115第一章

(11)
「社長!」
 AIは矢口に話し掛けた。返事はなかった。矢口は詞の世界に没頭し、AIのことなど歯牙にも掛けてい
ないかのようだ。自分のことも気にしない。目の下には隈が出来、髪はぼさぼさ、勿論化粧などしてい
ない。

<この人はいくつになるのだろう>
 AIは思った。自分より五歳年長の筈だから、まだ二十代の若さである。だがその顔には幾条もの深い
皺が刻まれている。とりわけ口のまわりの皺が深く、矢口を老婆のように見せていた。
 以前の、立っているだけで、花が咲いたようにその場が明るくなる、驕慢な華やかさが、いつの間に
か影を潜めてしまった。今の矢口は、ふと気がつくと、
<かつては、アイドルだったのか>
 痺れたように打たれる、そんな女性に変わっている。

 矢口がはたと背を伸ばした。それだけでどきりとするような迫力があった。矢口は身長150センチに
も満たない小柄な女性だが(その点ではAIも同じである)、非常に大きく見えた。
116第一章:02/10/08 03:11 ID:yDxhmSLP

(12)
「突っ立っていないで踊りなさい」
 矢口の言葉は、切り付けるような鋭さだった。
 AIは返事が出来ないでいる。

<この人は変わった>
 AIはアイドル時代の矢口を知っている。気さくで優しかった。今は、暗い。眼の底に冷やりとしたも
のを見るように思う。そして、内に何か途方もなく恐ろしい物を飼っている気もする。それは芸能と云
う名の魔なのか。それとも魔に憑かれた矢口自身なのか。
 AIはそんな矢口が恐ろしかった。
<芸の道が人をこんなに暗くするのなら、私はごめんだ>
 腹の中でそう喚いていた。

 矢口の突き刺すような視線を受け、AIは無言のままだったが、遂に切り出した。