翌日・早朝・都内某所
幹線道路の路上脇に一台の大型バスが停まっていた。
中澤裕子は眠い目をこすりながら、バスに乗りこんだ。
ロケ地まで直接自家用車で向かっても良かったのだが、ロケバスが出ると聞いてこちらに乗せてもらうことにした。
バスに乗ってワイワイ言いながらロケ地に向かう、その方が良かったからだ。
「おはようございます」
バスに乗ると既にスタッフが数人乗っている。
奥のほうにちょこんと小柄な女性が座っている。
彼女は中澤が来たのに気付くと立ち上がり、頭を下げた。
「おはようございます、中澤さん、この前はありがとうございました。今日はよろしくお願いいたします」
「よお、新垣。こっちこそよろしく」
新垣はニコニコしながら、席をずれた。
中澤はそこにどっかと腰をおろす。
「何時ごろ来た?」
「えーっと、30分ほど前に」
「そうか、うちが一番早いと思ったのにな」
「こうしたまたみんなとお仕事ができるのが嬉しくって、早く来ちゃいました」
新垣は遠足が待ちきれない子供のようにずっと笑ったままだ。
「お、もう来てんじゃん」
続いて吉澤がやって来た。
加護も一緒だ。
「おお、よっすぃー、加護、久しぶり!」
「裕ちゃん!!」
加護が中澤に抱きつく。
「ニイニイもひさぶり!!」
「ハイ、お久しぶりです」
集合時間に近づくと、他のスタッフや出演者が次々にやって来た。
「みなさん、おはようございます」
主役の登場だ。
「お、石川!」
「梨華ちゃん!」
「石川、あんたがえらそうにに主役を張るなんてバカなことをするから、私達がこうして手伝いをしなきゃならなくなるんやからぁ」
中澤はそう言って石川の頭をこづいた。
「すいません、私のヘタな演技の為に皆さんに来てもらって」
中澤が石川をイジメると、石川はほんとにイキイキした顔になる。
キャラをいじってもらえるのが嬉しいようだ。
そんな二人の関係は今も変わっていない。
「圭ちゃんはまだなん?」
中澤が訊いた。
「圭ちゃんは、午前中用事があるみたいなんで、午後から直接、ロケ現場に来るそうです」
「昨日の圭ちゃん良かったなあ」
中澤がしみじみ言う。
「うん」
4人は同時にうなずいた。
「わたし、泣いちゃったよ」
吉澤は泣きまねをして見せた。
「ほんとに保田さんはすごいです」と、新垣
「あの歌のように、またみんなで集まれたらいいね」
「うん」
加護の言葉にみんなもうなずく。
「この金貨の伝説みたいにな、願いが叶うといいな」
中澤はポケットからハルギスタンの金貨を取り出した。
他の4人も同じように手に握る。
「そやそや、みんな聞いてるか、昨日からなっちがこっちに来てるんやて」
「聞いてるよー!」
「紺野にも連絡しといたよ、仕事が終わったら来るって言ってた」
吉澤が言った。
「なんか、みんな集まるの久しぶりだね」
加護はどうしようもないくらい嬉しそうにはしゃいでいる。
まもなく出発予定時刻。
一番前の席に座っていた男が立ち上がった。
どうやら助監督らしい。
「どうも皆さん、おはようございます。今日はよろしくお願いいたいます。
今日は主人公石川さんの演じる「美奈代」が病気で入院するシーンの撮影をいたします。
えー、友情出演で元モーニング娘。のメンバーの皆さんにも来て頂いています。
皆さんには事前にお知らせしている通り、看護婦と患者の役で出演していただきます。
よろしくお願いいたします。
なお、本日ロケを予定しておりました、「稲川浜病院」が撮影ができないことになりました。
幸い、すぐ近くの病院での撮影許可が下りましたので、急遽ロケ地が変更になっています。
本日のロケ場所は「赤牟総合病院」になります。」
「え!」
吉澤は顔面蒼白になって立ち上がった。
「赤牟総合病院ってごっちんが入院してる病院の隣じゃない!!」
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同時刻・茨木,福島県境付近の町・CATV局製作部オフィス
デスクワークに励む紺野の携帯端末が鳴った。
「誰だろう」
ディスプレイに名前が表示される。
電話の主は岡山に住む小川真琴からだった。
「もしもし、紺野です」
「あ、おはようコンコン、今いい?」
「うん、いいけど、何?」
「今、新幹線の中なんだ」
恥ずかしそうに言う。
「今からそっち行ってもいい?」
「ええっ!急にどうしたの?」
「私、家出してきたんだ……」
「ちょっと、マコちゃん、家出って……」
「家飛び出したのはいいんだけど、行く当てがなくて、今日、コンコンのとこ泊めてくんないかな?」
「そりゃ、私はかまわないけど、何があったの?」
「夕べの保田さんの歌聞いた?」
「うん」
「なんだか、じっとしてられなくて……
どうしても、保田さんに会いたくなって、……
ううん、なんだかわかんないけど、もやもやした気持を何とかしたくて飛び出してきちゃった」
「と、とりあえず、今どの辺?」
「今?……さっき名古屋を出たとこ辺り」
「私の会社の場所わかる?駅に着いたらまた連絡して」
「うん、わかった……」
チャリン
遠くでコインの落ちるような音がした。
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同時刻・千葉県赤牟市
保田圭を乗せた電車は終点の赤牟駅に着いた。
通勤時間をちょっと過ぎたくらいだが、相変わらず乗降客は少ない。
ここには日本最大の療養施設『赤牟療養所』がある。
赤牟駅の近代的で新しいビルを抜け、駅前広場に出る。
芝生と花壇が広がっている風景は、まるで欧米のどこかの観光地のようだ。
よく整備された広場は美しいが、閑散としていた。
駅前広場のベンチに女性が一人座っていた。
彼女は保田の姿に気付くと、軽く手を振った。
「おまたせ」
ちょっと大き目のワンピース、つばの広い白い帽子をかぶっている。
帽子の下で、彼女は微笑んだ。可愛らしい八重歯が口元からこぼれる。
「体調はどう?」
「うん、久々の遠出だったからちょっと疲れたけど、大丈夫。」
辻希美はゆっくりと立ち上がった。
背が低いのは相変わらずだが、動きがゆっくりになった分、なんだか大人っぽく感じた。
顔色も良くなっている。
ピンク色になった彼女の頬を見て、保田は安心した。
前に会った時は乾燥してミイラのような肌だったからだ。
細いのは相変わらずだが、以前のような病的さは感じなかった。
「昨日、TVみたよぉ」
甘えるような声で辻は言った。
「どうだった、ちゃんと歌えてた?」
「うん、すごく良かったよぉ。
ほんとはね、昨夜まで今日のこと悩んでたの。
ごっちんのとこに行ってもいいのか、どうしようかって。
でも、圭ちゃんのあの歌を聞いて気持に区切りがつけられた。
がんばろうって、そう思えた。
今日会う決心がついたんだよ」
「ありがとう、そう言ってくれるのが一番嬉しいわ」
辻はにこやかに微笑む。
その笑顔の影にはいくつもいくつも乗り越えた闇があったに違いない。
そう思うと涙が出そうになった。
自分の歌がその闇に小さな光でもさしのべられていたのなら本望だ。
辻だけではない、他のメンバーの心にある闇に少しでも……
その光が闇を追い払う大きな光になれると信じたい。
そのとき、ポケットの携帯が鳴った。
ディスプレイにマネージャーの多賀の名前が表示されている。
「なんだよ、こんな時に」
しぶしぶ通話ボタンを押す。
「おい、すぐに事務所に戻れ、打ち合わせだ」
多賀は自分の名前も名乗らずにいきなり言った。
「なんで!? 私はこの後石川の映画の撮影があるんだよ」
「そんなのキャンセルしろ! 昨日のTV出演の反響で出演依頼が殺到してる。
すごい反応だよ。
TV、雑誌、Webマガジン、コンサートツアーも決定だ、のんきに映画撮影なんかやってるヒマないぞ!!」
「良かったわね、適当に決めといて。
私は今日の予定を変更する気はないから」
そう言って、彼女は電話を切った。
「ええい、もうかけてくんな!!」
ついでに電源まで切る。
「圭ちゃん、いいの?」
「いいのいいの、どうせ私がいてもいなくても、スケジュールは決められてしまうんだから」
それに、今日の予定は変えたくないしね。辻もどう?石川の映画に出てみる?」
「わたしはいいよぉ、もう芸能人じゃないし」
「そうかぁ、あそうだ、今日の夜なっちと会う約束してるんだ。
辻も来る?
撮影上がりで、裕ちゃんとよっすぃーと石川と加護と新垣も来るんだよ。
紺野も仕事が終わったら来るって言ってたし。
ひさぶりでメンバー集まるんだよ」
「うん、行く行く」
辻は保田の腕に抱きついた。
「圭ちゃんのおかげだね」
「え?]
「またこうしてみんな一緒に集まれるのも。圭ちゃんのおかげだよ」
「ちがうよ、きっとこの金貨がみんなの気持をどこかでつないでくれているんだよ」
そう言って、彼女はポケットからハルギスタンの金貨を取り出した。
辻も同じように掌に乗せる。
「また一緒に歌いたいね」
「そうだね、また一緒にね」
駅から歩いて数分、高い塀に囲まれた施設の門をくぐり、後藤真希のいる病棟に向かう。
敷地面積も建物も大きい病院施設だが、その割には人の気配は少ない。
病棟の中に入るとさすがに辻の表情がこわばる。
まるで子供の頃見た悪夢のように、心にこびりついて離れない記憶。
担架に乗せられた血まみれの後藤の顔。
思い出すたびに体が震える。
病室の前に着く。
「後藤真希」の名札。
辻は小さく深呼吸した。
「大丈夫?」
「うん」
意を決したように小さくうなずく。
ドアをノックする。
「はい」
ドアを開くとユウキが出た。
「あ、保田さん……」
前に来た時、ユウキは招かれざる客の来訪に表情を曇らせた。
今日はなんだか様子が違う。
「おはよう、ユウキ、ごっちんの様子見に来たよ」
「あ、あの」
ユウキは驚いたように、2人を中に入れた。
後藤のいるベッドの横に女性が一人立っている。
辻と同じくらいの小柄な女性。
「あ、あれ?圭ちゃん?辻?」
「真里っぺ!」
「やぐっさん!」
三人は同時に叫んだ。